さようなら
「久しぶりね、蒼」
強風に煽られて目を瞑っている私の名を呼ぶ人物がいる。私の事を『蒼』と呼ぶのは彼女くらいだろう。
「蒼生、どうしてこんな所に?」
「私はもう蒼生じゃない。名はミドリ、貴方を導いた人物から名前を頂いたの」
彼女の言っている意味を理解出来ない私は首を傾げた。するとおかしそうにケラケラと笑う彼女がいて、余計戸惑ってしまう。何がそんなにおかしいのか、笑う所なんて何もないはずなのに、まるで子供がおもちゃで遊んでいるような笑い方をする彼女を恐ろしいと感じてしまった。
「10年以上ぶりね、会うのなんて。元気にしてた?」
「何を言って……この前会って話したじゃないか」
私がそう言うと、明るかった彼女から光がなくなったように見えた。とりあえず昔の名前を言われるのは嫌だからと彼女の名前をミドリと渋々呼ぶ事にする。本当は呼びたくもないけれど、彼女が求めているのだからここは言う事を聞こう。
「貴方が話したのは私のダミーのレイカと言うものよ」
「ダミー?」
「そう。私の細胞とイシスの細胞を合わせて作られたのがレイカ。今は『九条蒼生』と名乗っているわ」
「……」
「人体実験の資料を見たのでしょう? まぁあれは彼女の妹のデーターみたいだけどね」
「君が私と話した蒼生と違うのなら、何故その情報を知っている?」
「さっきの青年に全て聞いたのよ、彼は何でも知っているから」
「……」
きっとこれは夢だろう。全て自分の作り上げた夢の一部なのだから、何も恐れる事はないと自分に言い聞かせながらも、彼女の話を聞いた。彼女の話によると、身体は岬が原因で乗っ取られたらしい。元の体はイシスだったしおりと名乗る存在の姿に変化していくようだ。
そしてダミーは彼女に成り代わろうとしているとも聞いた。
「私は彼女達の毒牙にかかってしまった。次のターゲットは蒼、貴方よ」
「私が?」
「そう。貴方もイシスの適合者なのでしょう?」
「……」
自分しか知らない情報を何故彼女が知っている? 昔研究の一環と父親から聞かされ細胞の一部を摘出した事があった。そしてその代わりにイシスと呼ばれる化け物の細胞を埋め込んでしまったのだ。時がくればその能力が開花するとも言われたのだが、あれから何事もなく生活を送れている。
だからもう関係のない話だと思っていた。
自分さえ知らない振りをすればどうにかなるものだと楽観的に考えていた自分を恥じる事しか出来なくて、現実の自分にどんな災難が降りようとしているのかさえも自覚していなかったのだ。
「目を覚ましたら、現実に直面するわ。その前に伝えておこうと思ってここに来てもらったの」
「……」
「もうすぐ目が覚めるわ」
ミドリがそう呟くと私の目の前に広がっている世界が歪み始めた。現実世界へ戻る為に空間が揺れているのだろうか。まだ彼女から聞きたい事がある。
自分に何が起ころうとしているのかを知る為に。
「待て。まだ君に聞きたい事があるんだ」
私の言葉は儚く散り、グインと現実世界へと引き寄せられていく。遠くでミドリが「さようなら」と呟いて、泣いている姿が見えた気がした。