[5]
妖精の言う異世界に着いた。
もといた世界からこちらに来る方法については、具体的なことは何もわからない。
ただ妖精が、彼女の持っていたポシェットから口紅のようなものを取り出し、フローリングの上に何かしらの文様を描いたと思ったら、俄かに閃光が走り、気がついたらここにいた。
周囲は鬱蒼とした木々が立ち並び、視界は極端に悪く、10メートル先もろくに見えない。
時折パキッと、小枝の折れるような音がする。どうやら野生動物と見られる何かがあたりをうろつきまわっているようだ。
しかし、僕がここまで周りの状況を確認できるようになるまでは、今しばらく時間が必要だった。
「何が起こったんだ…。」
僕はぽつりとつぶやいた。
「あなたがいた世界とは、別の世界に来たの。」
妖精が返す。
「いや、だって…。」
僕が相変わらず戸惑っていると、
「私があなたの部屋に来たのだって、決して普通のことじゃない、むしろ異常なことだったでしょう?これ以上何か不思議なことが起きたって、何らおかしいことはないわ。」
「…ふっ。」
僕は何かのたがが外れたようだ。
「ははっ。あははっ。あははははははっ。」
僕は狂ったように笑いだした。今この瞬間、自分が置かれている状況など忘れて、何かから解放され、感情が爆発したのだ。
「そう!それ!あなたのその顔、その感情を見たかったの!」
妖精が僕の様子を見て、さも嬉しそうに言った。
「だって、だってさ、今まですごく苦しいと思ってきたんだ。よくわからない何かが、僕を、押さえつけて、決して離そうとはしなかったんだ。それが今は、ここには何もない。何もないんだ!」
僕は痙攣したように、しゃべり続けた。まるで気でもおかしくなったようだった。
それが少し収まり、我に我に返ると、先ほど軽く説明した今置かれている状況に目を向けた。
「ここは、どこなんだ?いや、なんとなく森なんだろうなっていうのは見てわかるんだが…。」
「ここは…そうね、最初の森、とでも言っておけばいいかしらね。」
「最初の森?」
「私はね、ここがどんな名前だとか、あなたのいた世界がどんな呼ばれ方をしていたのか、そういうことには興味がないの。いいえ、むしろそんな感じでレッテルを貼られることを、ひどく嫌悪しているの。」
僕は妖精が言っていることを、今ひとつ理解できなかった。
「だからね、私が固有名詞をもって何かを呼ぶのはないの…あなたを除いてよ、ゲマトリヤ。」
やはりこの妖精は異質だ。容姿だけが異質なだけではない。内面が、彼女の決して推し量ることのできない心の内が、彼女を一際異質な存在にさせているのだと、僕は直感で理解した。