40.さよならの代わりに
全てが終わった頃にはすでに辺りが暗くなり始めていた。朝ごはんを食べてから、ずっと絡み合っていた事に気付いた二人は、顔を見合わせて互いに照れたように笑った。
ベットの上で腕枕をしながら、反対の手をレベッカの指と絡め合う。目の前に迫っている別れを感じ、少しでも長く触れ合っていたかった。
「もっと一緒にいたかったな」
絡め合う指を見つめたまま、レベッカが呟いた。
「だったら、ここに居たら良いよ」
「ダメだよ。だって……」
その先に続く言葉をレベッカは飲み込んだ。
静かな部屋の中には、エアコンの音だけが響いていた。
「本当に行くのか?」
俊介に背を向けて服を着ているレベッカに問いかける。あれほど濃密に絡み合ったのに、こうして冷静になると恥ずかしさを感じるようだ。そんなレベッカは俊介に背中を向けたまま、それに答えた。
「うん、ごめんね。自分がどうなっちゃうか分からないから……。綺麗な思い出のまま、ちゃんと見送って終わらせて」
小さくて寂しそうな声だった。
「そっか」
もっと他にもあるだろうに、出て来た言葉はたったそれだけ。肝心な時に何も出来ない自分に嫌気を感じながら、俊介は自分の服へと手を伸ばした。
「お願いがあるの」
服を着終わったレベッカが俊介の方へと身体を向けた。
「お願いって?」
「難しいことじゃないよ。最後にさよならって言わないで欲しいの」
レベッカは恥ずかしそうに笑いながら「だって寂しいから」と付け加えた。
「わかった。他の言葉で見送るよ」
「うん、ありがとう。それから……」
「まだあるのかよ?」
茶化すように俊介は小さく笑った。
「後一つだけだから。ね、お願い」
顔の前で手を合わせ、悪戯っぽくレベッカが笑う。
「それで?」
俊介が先を促すと「ありがとう」と言ってレベッカが話し出した。
「私がいなくなっても、俊介はちゃんと恋愛して、彼女を作ってね。いつまでも一人でいたら、承知しないからね」
「なんだよそれ」
そんな事言うなよ。
後に続く言葉を強引に飲み込んで、俊介は大きく息を吐き出した。かわりに「わかったよ」
と、ぶっきらぼうにそれだけ言って、レベッカへと手を伸ばした。伸ばした手をレベッカの頭に乗せて、自らの方へと抱き寄せた。
レベッカの温かな吐息が胸へとかかる。その熱を感じながら、これが最後になるのだと俊介は感じていた。この手を離せば、もうレベッカを抱きしめる事は叶わない。ゲートを開き、レベッカの世界へと見送ってしまえば、触れるどころか会う事すら叶わない。当然メッセージのやり取りも出来なくなることだろう。そう思うと、俊介はいつまでもレベッカを離す事が出来ずにいた。
「そろそろ行くね」
顔を上げたレベッカが俊介に微笑みかける。その目に涙をいっぱい浮かべたままで。
「わかった」
涙声で答えた俊介は、もう一度だけと、口づけを交わした。触れるだけのそれは、とても優しくて、とても切なくて、とても温かくて、とても柔らかくて、少しだけしょっぱい口づけだった。
ゲートを起動し、扉を呼び出す。向かう場所は出来るだけ安全な所を選んだ。レベッカが消えてしまうとしても、さすがにサキュバス狩りなんて危険な連中がいる所へは行かせられない。
そう言えばと今更になって気付いたのは、レベッカが婚活パーティーに参加した本当の理由。レベッカ自身はふざけた事を言っていたけど、本当は……。
きっとあんな世界では、恋愛どころじゃなかったんだろうなと、俊介は思った。そして、もしかしたら、あの世界からただ逃げ出したかっただけなのかもしれないと。
「今までありがとね」
扉の前に立ったレベッカが俊介の方を向いて、歯を見せて笑った。どう見ても無理して笑っているのが分かってしまう。不器用で、意地っ張りなやつだと俊介は思った。
「こっちこそ、ありがとう」
そんな俊介もレベッカと同じように、無理して笑っていた。
「いってらっしゃい」
そう言って俊介は、レベッカへと手を振った。
おやすみでは死を連想してしまう気がして、またねではどこか嘘っぽく感じて、さよならの代わりに親しみを込めて、そうやって送り出す事にした。
「うん、いってきます」
レベッカはその言葉に満足したのか、随分と嬉しそうに頷いて、同じように手を振って扉を潜った。ゆっくりと閉じていく扉を挟んで、二人はお互いの姿が見えなくなるまで、その手を振り続けていたのだった。
音を立てて閉じた扉の前で、俊介はそれまで振り続けていた手を力なく落とした。これでもうレベッカとは会う事はない。自分の中から大切な何かが抜け出てしまったような、奇妙な喪失感を感じていた。
「なんでだろうな」
ポツリと溢した言葉に、反応する者は誰もいない。
おとしてやろうと思って近づいたくせに、いつの間にか本気になってしまっていた。会った回数は少なく、過ごした時間も短い。なのにどうして、こんなにもレベッカの事を好きになってしまったのだろうか。
今までに経験した事がない程好きになったのに、どうしてすぐにいなくなってしまうのだろうか。振られるなら、まだ良かったかもしれない。
――それなのに。
レベッカも同じように好きになってくれていて、あんなにも深く愛し合ったのだ。それが、こんなにもすぐに終わってしまった。決して報われる事のないサキュバスの恋。それはあまりにも残酷だと俊介は思った。
「ああ、もう!」
気分転換にコンビニにでも行って来よう。そう思って財布を取り出す為に開けた引き出しに、レベッカと行った映画のチケットが入っていた。
ああ、そうか。
もしかしたらレベッカは、最初は何も伝えずに去るつもりだったのかもしれない。
でも、結局そうはならなかった。きっと俊介の事を想うレベッカの優しさだ。
「――そっか。ありがとう」
小さく呟いた俊介の声は、レベッカにはもう届かない。




