38.二人の気持ち
『私を抱いて』
レベッカの言葉が俊介の中で何度も何度も繰り返される。思ってもみなかった突然の展開に、混乱してしまう。確かにレベッカは可愛いし、色っぽい。こんな素晴らしい女性に、誘惑されてその気にならない訳がない。
――だけど。
「ねぇ、レベッカ。何を隠してるの?」
肩を持って引き離すと、しっかりと目を見て問いかけた。
「隠してなんか……」
一瞬、レベッカの視線が彷徨ったのを俊介は見逃さなかった。
「嘘だろ?」
「どうして嘘だと思うの?」
「わかるよ。だって俺は、レベッカの事が好きだから」
「――え?」
俊介の真っ直ぐな言葉に、レベッカの目が見開かれる。予想だにしていなかったのだろう。その声は微かに震えていた。
「本当だよ。昨日あいつらに囲まれた時に、気付いたんだ。レベッカを失いたくないって。あの時、一番恐れていたのは、俺の前からレベッカがいなくなってしまう事だったから」
それは俊介の偽りない本心だった。
良いカッコしいで、気になった女性を片っ端から口説くようなチャラい男ではあるけれども、レベッカに対するその気持ちだけは、心の底から出た本当の気持ちだったのだ。
「本気で言ってるの?」
「本気に決まってるよ」
「どうして?私はサキュバスなんだよ?たくさんの男と寝たのよ。分かってるの?」
それはレベッカがずっと悩んできた事だったのだろう。本当はしたくなかった。でもそうしなければ生きられない。サキュバスの悲しい宿命。
「分かってるさ」
「じゃあ、どうして!?」
「知るかよ。理由なんて自分でもわからない。気付いたら好きになってたんだ。レベッカが今までビッチだったとしても、全部受け止める。これから先、俺だけ見てくれるならそれでいいから。だから……」
続く言葉はレベッカによって遮られてしまった。
「そんな事、今言わないでよ……」
「どうして?」
「だって!だって私は!」
レベッカの目から、はらりと一滴の涙が零れた。
「だって何?俺に何を隠してるのか教えてよ」
張り上げ、絞り出すようなレベッカの声とは対照的に、俊介の声は驚く程に穏やかで優しい。そんな俊介の声にほだされるように、レベッカの声も落ち着きを取り戻した。何度も鼻を啜るようにして、ゆっくりとレベッカは語った。
「――私は。私達サキュバスは、好きな人と結ばれる事で呪いが解けるの。呪いが解けたら、サキュバスは存在する意味を失ってしまうから」
「それって……」
「消えていなくなっちゃうの」
その声はあまりにも小さく、弱々しかった。それでも不思議な事に、俊介の耳には、はっきりと届いていた。
「そんな事って……」
レベッカの肩を掴んでいた俊介の手が力なく落ちた。
「ごめんなさい。こんな私の事をせっかく好きになってくれたのに」
「俺は、そんな……」
「ごめんなさい。でも嬉しかった。私の片思いだとばかり思ってたから。ねぇ、お願い。私の我儘を聞いて欲しいの」
その言葉に俊介は、息を詰まらせる。レベッカの願い。それはつまり、叶えればレベッカが消えてしまう。俊介にそれをしろと言っているのだ。
「でも……。なぁ、今じゃなきゃダメなのかな?」
涙をいっぱいに溜めながらも、意地でも流さんとするその姿は、まるで小さな子供に戻ってしまったかのようだった。
「お願い、私を抱いて」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で、色っぽさの欠片もないその姿で、悲しくて悲しくて堪らないこの状況で、レベッカの見せた何とも言えないその表情が、俊介の胸を強く、強く締め付けた。
レベッカの覚悟に気付いてしまった俊介は、もうそれを拒む事はできない。仮に拒んでしまったなら、この先永遠にレベッカと結ばれる事はないだろうと、そう確信した。
「おいで」
諦めたように強引に笑って、両手を広げた。
「うん!」
小さくもはっきりとした声で頷いたレベッカは、勢いよく俊介の胸へと飛び込んだ。予想以上の勢いに軽い痛みを覚えた俊介だったが、それを顔には出さずにしっかりと受け止めた。
初めて抱きしめたレベッカの身体は俊介が思っていた以上に小さくて華奢に思えた。あれほど大きく見えた胸も心なしか小さく感じてしまう程に……。
「ん?」
「どうしたの?」
俊介は言い難そうに疑問を口にした。
「いや、あの……。どんなスキル使ってたの?」
その視線に気付いたレベッカが、その後を追うように自らの胸を見た。
「――ばかっ」
「ごめん」
「もう!半精霊であるサキュバスは自分の身体を多少だけど自由に弄れるのよ……」
「えっと、じゃあ今は?」
「たぶん、さっきキスしたから呪いが解けかかってるんだと思う」
「じゃあ今の姿が本当のレベッカってこと?」
「うん」
俊介の腕の中で見上げるようにしていたレベッカは、小さく頷いた。
「そっか」
それだけ言って、レベッカを抱きしめる力を少し強めた。
「嫌いになった?」
そう言ったレベッカは随分と自信がなさそうに見える。
「まさか!そんな訳ないよ。むしろ今の方が好きかも。俺の知らないレベッカをもっといっぱい見せてよ」
そっと頭を撫でれば、柔らかな髪から心地良い香りが広がった。
どれだけの時間、そうしていたのだろうか。
ゆっくりと身体を離して見つめ合えば、いつの間にかレベッカの涙は止まっていた。涙の痕は相変わらずだったけれども、その素顔はとても美しく見えた。そっと頬に触れれば、柔らかな感触をその手に感じる。ゆっくりと手を動かして、レベッカの頭の後ろに優しく添えた。そしてその手を、自分の方へと引き寄せるようにして口づけを交わした。
先程とは違う、お互いの気持ちを確認する為の口づけ。ただ触れただけで、それだけで胸がいっぱいになってしまいそうだった。
切なくて、嬉しくて、苦しくて、幸せで、悲しくて、それから……。
様々な気持ちが織り交ぜになって、大きくなっていく。処理しきれない程のその感情は、互いの目から涙となって溢れ出す。その上で、溢れ出した涙も処理しきれない程のその感情も、全部を無視して微笑み合う。コツリとおでこをぶつけ合えば、それだけで何かが伝わって来るような錯覚を抱いてしまう。全く別の世界で生まれ育った、赤の他人であるにも関わらず、この時の二人は全く同じ感情を共有していた。
もう一度。
もう一度。
もう一度……。
そうやって何度も何度も何度も、繰り返される口づけ。最初は触れるだけの優しいものだったのが、軽く唇を咥えるようになり、そこから奥へと割って入り、やがて荒々しく貪り合うようなものへと変化していった。
いつしか時間の感覚は曖昧になり、繰り返される口づけは数えられない程になり、触れ合う唇は離れる事すら嫌がるように、もっともっとと求め合う。
今だけは他の事を考えられなかったし、考えたくもなかった。
空っぽになった頭で、本能に従うように気持ちを確かめ合う二人。それはまるで、それが全てであるかのように思えてしまう程だった。
カーテンの隙間から入る太陽の光が、そんな二人を優しく包み込んでいた。




