36.レベッカの決意
気付けば牢屋のような場所に入られていた。四方を石で出来た壁で囲まれたそこは、何もない六畳程の空間だった。幸いだった事は、そのままの状態で放り込まれたらしく、服も持ち物も何一つなくなっていない事。そして何よりも、レベッカも一緒の部屋に投獄されており、その身体には、転んだ時に出来たであろう傷以外は見当たらない。
「よ、かった……」
絞り出すように俊介の口から出た声は、随分と弱々しい。
「何がよかったのよ!無茶しないでよ……」
そんな俊介を抱きしめて、涙を浮かべるレベッカ。
「ご、めん」
「バカなんだから」
「ははは……」
力なく笑って、俊介は目を閉じた。身体中が酷く痛む。骨折程度で済んでいれば良いが、残念ながらかなりの重傷を負ったようだ。早く処置をしないと死んでしまうかもしれないと、まるで他人事のように俊介は思ったのだった。
実際俊介の怪我は酷かった。打撲による骨折が多数あり、内出血している個所も一か所どころではない。このまま放っておけば近い将来死んでしまってもおかしくはない状態だった。
「これ、借りるわね」
その声に片目を開けた俊介は、レベッカが俊介の連絡用カードを取り出したのを確認した。
「ああ」
それでいい。
レベッカの判断は正しい。この場から逃げるなら、ゲートを開いて俊介の世界に行くのが一番確実で手っ取り早い。その後で救急車でも呼んで貰えば、助かる可能性も出て来るだろう。自分達を捕らえたサキュバス狩りの連中が、このカードの存在を知らなくて本当に良かったと、俊介は思ったのだった。
事実、この部屋には監視用の魔道具の他に結界まで張られており、普通ならば逃亡等到底できないような環境だった。しかしカードの力は遥かにその上を行く。
ゲートを起動する事で二人は難なく、逃亡に成功したのだった。
見事に逃亡に成功した二人は、俊介の世界へと辿り着いた。後は救急車を呼ぶだけ。そう思ったのだが、レベッカが行ったのは別の方法だった。霞む視界でその様子を見ていれば、俊介の連絡用カードでレベッカが誰かと連絡を取っているようだった。
どうして救急車を呼ばないのかと疑問に思った俊介だったが、よくよく考えてみれば、この世界の住人でないレベッカに、その事が分かるはずがなかった。
では何をしているのだろうかと考え、答えに至った。
相手はセリナかな?どうしてレベッカが知っているんだろう?
そんな事を考える俊介だったが、怪我のせいなのか、夢と現実との狭間にいるような感覚を味わっており、その思考はいつまで経ってもまとまらない。薄れていく視界の中で見たレベッカの必死な表情が、状況の悪さを教えてくれているようだった。
「これは一体どういう事ですか!?」
突然の大きな声に俊介が薄目を開ければ、セリナが俊介を見て驚いた顔をしていた。首を動かして周りを見れば、どうやら婚活パーティーを行った時の部屋らしかった。
「ごめんなさい。私のせいなの」
俊介が状況を確認していると、レベッカの涙声が聞こえて来た。
「どうして?どうして俊介さんがこんな怪我をしたんですか?」
そう言って駆け寄って来るセリナの表情は、とても必死に見えた。
「私を助ける為に身代わりになって、それで……」
自らを責めるレベッカを見て、俊介は小さく首を振る。
「レベ、ッカは、わる、くないよ。お、れが、かってに」
「俊介さん!ムリしないでください。すぐに治しますから」
言葉と同時に俊介の手がセリナに握られた。以前、紙で切った指を治してくれた時と同じように、淡い光が俊介を包み込む。その光は以前よりも強く、同時にとても心地良く感じた。それは寒い冬の日の朝に、温かい布団の中にいるようなそんな感覚。あまりの心地良さに、この時がずっと続いて欲しいとさえ思ってしまう。
重症に思われた俊介の怪我は見る見るうちに回復していく。それは奇跡と呼んでも過言ではない。まさに聖女と呼ぶに相応しい力だった。セリナの力で満たされた俊介は、自らが助かった事を知り、緊張の糸が切れたように眠りについたのだった。
「これで大丈夫なはずです」
そう言って、セリナは大きく息を吐き出した。
「ありがとうございます」
頭を下げたレベッカにセリナは首を振った。
「何があったのか詳しく教えてください。私には聞く権利があるはずです」
「わかりました。実は……」
レベッカの話を聞き終えたセリナは、眠っている俊介へと視線を向けた。その穏やかな寝顔からは、ついさっきまで死の危険が迫っていた等、到底思えない。
「俊介さんは本当にお人好しなんですね……」
小さく呟いたセリナは、優しい手つきで俊介の頬に触れた。手から伝わる温もりに、間に合って良かったと安堵した。視線を上げれば目の前にいるレベッカも、セリナ同様の視線を俊介へと向けている。それを見たセリナの胸が痛んだ。それは初めて感じる心の痛み。その痛みの正体にセリナは気付き始めていた。
「本当にありがとうございます。お礼は必ず払いますから」
レベッカの言葉にセリナは首を振った。
「お礼は結構です。その代わり、約束してください。もう俊介さんを危ない目にあわさないって。それから出来れば、もう会わないであげてください。あなたといたら、俊介さんはきっと今回と同じ事を繰り返しますから。もっと酷い怪我をするかもしれません。そうしたら次はどうなるかわかりません。だから……」
気付けばセリナは泣いていた。
果たして、それだけが本心だったのか。嫉妬にも似たその感情は、セリナに自身の胸の内にある小さな恋心の存在を、はっきりと自覚させたのだった。
「――分かりました」
しばらくの沈黙の後、レベッカははっきりとそう答えた。そして「でも後一日だけ」と言葉を続けた。
「一日とは?」
「私はサキュバスです。サキュバスは心から愛する人を見つける事に生涯を捧げます。そして愛する人と結ばれた時、私達は運命から解放されるんです」
「運命ですか?」
「はい。私達サキュバスは云わば呪われた種族なんです。呪いから解放された時、私達サキュバスは……」
レベッカの声はあまりにも真剣で、相当の覚悟の上で言っているという事が、セリナにも伝わってきた。
最後まで話を聞き終えた後で、セリナは尋ねた。
「本当にそれでいいんですか?後一日、俊介さんと過ごしたら、それで終わりで良いんですか?」
「――はい。約束します。ですから、お願いです。後一日だけ、一日だけでいいですから、私に俊介と過ごす時間をください」
レベッカが必死に頭を下げ、「わかりました」とセリナが頷いた。
セリナとレベッカの間でのみ交わされた約束。その約束の存在を、当事者であるはずの俊介は知らない。
レベッカとの別れが、すぐそこまで迫っていた。
今日と明日で、残りを一気に投稿します。
ぜひ最後までお付き合いください。




