35.レベッカと2-2
俊介は全力で走っていた。レベッカの手を取り、必死になって男達から逃げているのだ。
レベッカが狙われている理由を俊介は未だに知らない。分かっているのは、追ってきている男達がサキュバス狩りと言われる集団という事だけ。
この世界のサキュバスがどんな存在で、どうして狩られなければならないのか、なぜ羽も尻尾も出していないレベッカの正体がバレたのか。俊介にはさっぱり分からない。
もしかしたら、この世界のサキュバスが極悪な存在なのかもしれない。もしかしたら、レベッカが悪い事をしたのかもしれない。もしかしたら、存在するだけで害をもたらすような歪な存在なのかもしれない。
――でも、違うかもしれない。
俊介はレベッカの事をまだよく知らない。出会ったのも最近で、二人で会うのは今回で二回目だ。しかし、たったそれっぽっちの関係だとしても、分かる事だってある。
レベッカは悪い奴じゃない。
誰がなんて言おうと、それは間違いない。自分が大した人間でない事など百も承知の俊介だが、人を見る目には自信があった。ごく短い期間の付き合いしかなくとも、レベッカの人間性はそれなりに理解したつもりだった。何か抱えているだろう事は気付いていたし、それを表に出さないように必死に繕っていた事も知っていた。それでも尚、いや、だからこそ、俊介から見てレベッカは魅力的な良い女だった。間違っても悪意を持って人を傷つけるような事が出来る存在ではないのだ。
とにかく、俊介はレベッカを信じようと思ったし、全力で信じたかった。
俊介は遊び人気質で、ゲスイ男かもしれない。それでも目の前の女一人、信じてやれないようなクズになるつもりはない。それは俊介にとって、絶対に譲る事の出来ない大切な事。
「だい、じょうぶ、だから」
振り返り、息を切らせながらレベッカに笑って見せる。ゲートを出して自分の世界へと逃げられればいいのだが、後ろから迫る男達との距離は近く、それは出来そうにない。かと言って、以前レベッカが使った転移用の魔法陣には色々と制約があるようで、この状況では使えそうにない。ともすれば必死で足を動かす他ないのである。
「逃がすか―!」
叫び声が聞こえた直後、足元に何かが絡まった。
しまった!
そう思った時には、すでに手遅れ。まるでスローモーションのように、ゆっくりと身体が倒れていく。必死に身体を捻りレベッカの方を見れば、同じように体勢を崩していた。
スローモーションの世界で俊介とレベッカの視線がぶつかった。そして俊介はレベッカがすでに諦めている事を悟った。
ダメだ!
諦めるな!
それを伝えるように、手を伸ばし、前のめりに倒れるレベッカの身体を受け止めて、代わりに俊介が受け身を取る。そして倒れた後もまたすぐに走り出せるように、活路を見出そうと必死になっていた。
しかし現実は無情だ。
転びかけた俊介達に待っているのは、地面への激突であり、それを回避する方法はすでにない。ではその後の逃走を想定しても、すでに詰んでいると言っても過言ではなかった。
そして俊介達は予定通り地面へと倒れ込み、身体のあちこちを打撲し、擦り傷を作った。勢いがなくなり、顔を上げた時には、男達が俊介達を完全に取り囲んでいたのだった。
「しつこいと、嫌われ、ます、よっと……」
力を振り絞り起き上がった俊介は、レベッカを守るようにその場に構えた。その姿からは、この絶望的な状況の中でさえ一切のあきらめを感じさせない。視線だけを動かして辺りを確認すれば、見えるだけで十人近い男達に取り囲まれている。そして俊介のすぐ近くには一メートル程の警棒のような物が落ちていた。おそらく、あれを投げられて、足をもつれさせたのだろう。俊介が現状を把握しようと必死に頭を働かせていると、リーダー格と思われる男が叫んだ。
「しつこいのはお前だ!いい加減諦めてそいつを寄越せ」
「おこ、とわりします」
息も絶え絶えの俊介は、絞り出すように声を出した。レベッカの為にも絶対に引けない。身構え必死になって虚勢を張るその姿は、非常に雄々しい。
とはいえ、カッコ良かったのもここまでだった。
俊介は、自らの後ろから迫って来た棒の存在に気付かずに、横薙ぎに殴打されてバランスを崩した。それを見たサキュバス狩りの男達は、チャンスとばかりに俊介を取り囲んだ。持っていた棒で、自らの足で、俊介を散々に痛めつける。あっという間に地面に転がされ、数の暴力に手も足も出せない俊介は、ただただ丸くなり、自らの頭と体を守る事しか出来なかった。
「ぐぁっ!」
俊介の口から漏れ出るのは、声というよりも音と言った方が適している。それと共に吐き出される血。内臓をやれてしまったのだろうか。こんな状態がいつまでも続けば、俊介の命はないも同然だ。
一体どれほどの時間そうされていたのだろうか。
さほど長い時間でなかったのかもしれないが、俊介にとっては永遠のように長く感じる時間だった。痛めつけられながら思った事は、自らの無力さだった。そして同時にレベッカを助ける方法を必死になって考えていた。こんな状態になっても、俊介はまだ諦めていなかったのだ。
「――めて!」
遠くから声が聞こえた。
「やめてよ!」
レベッカの声だろうか。頼むから逃げてくれ。
俊介は自分の事そっちのけで、レベッカの安否ばかりが気になっていた。
「お願いだから、やめて!」
しかし俊介の考えとは裏腹に、レベッカは逃げずに動いた。ボロボロにされた俊介を庇うように、男達を掻き分けて割り込んできたのだ。そして倒れるようにして俊介に抱き付いたレベッカが叫ぶ。
充血して真っ赤に染まったその瞳からは、たくさんの涙が零れていた。
俊介は、こんな状況であるにも関わらず、レベッカの流した涙に見惚れていた。事実、太陽の光に照らされたレベッカの涙は、まるで宝石のように美しい光を湛えていたのだった。




