34.レベッカと2-1
レベッカの住む世界を訪れた俊介は、不思議な感覚を味わっていた。
仕事が終わった後にレベッカと待ち合わせていたのだが、着いた場所には眩しい太陽の光が降り注いでいたからだ。
「この前、俊介の世界に行った時には驚いたんだから」
そう言って豊かな胸を張るレベッカの説明によれば、この世界では、百日周期で昼と夜が入れ替わるようだ。今は昼の周期であり、次に夜が訪れるのは三十日程先の事なのだそうだ。
それにしてもと俊介は思う。
こうしてずっと太陽が出ていると、どうにも違和感が拭えない。どこにいっても常に明るい為、こまめに時計を見なければ、時間の感覚が曖昧になり、うっかりと長居し続けてしまいそうである。
太陽光を全身に浴びながら向かう先は、レベッカ行きつけの居酒屋だ。真昼間から酒を飲むと何だか悪い事をしているような、そんな不思議な気持ちになってしまう。実際は一日、働いた後であり、元の世界では完全な夜ではあるのだが、今この場所では眩しい程の日差しが降り注いでいる。
店に着いて案内された先は、テラス席。大きなパラソルの下に置かれた丸テーブルにレベッカと向かい合って座った。高い気温とは裏腹に日陰は涼しい。湿気が少ないおかげだろうか、頬を撫でる風は爽やかで、俊介をとても穏やかな気持ちにさせてくれる。
運ばれて来たビールを早速持って、目の前に掲げた。
「乾杯」
軽くぶつけると、心地の良い音が響いた。ジョッキを傾けビールを流し込めば、爽やかな苦みが喉を刺激する。どうして太陽の下で飲む酒はこんなにも美味いのだろうか。俊介は一気に半分ほどを飲み干してからジョッキを置いて、小さく息を吐き出した。
「凄く美味しそうに飲むのね」
「今日のは特に美味しいからね」
「俊介の世界のビールとは違う?」
「少しだけね。でも俺としてはレベッカと一緒に飲めるから、美味しさも倍増かな」
「相変わらず口が上手いのね」
「本心だよ」
互いに見つめ合い、軽く微笑んだ。
やっぱりレベッカには口先だけじゃ通用しないか。
そんな事を俊介は思ったのだった。
俊介とレベッカが会話を楽しんでいると、ぞろぞろと周りに人が集まって来た。何かと思って視線を向ければ、いかにもガラの悪そうな男達が俊介達を取り囲んでいた。
想定外の出来事に俊介は焦った。しかしレベッカの前で醜態を晒す訳にはいかない。逃げ出したい気持ちを必死で押さえて、状況を分析する。俊介の位置から確認できる人数は五人。距離はまだ数メートル以上離れているが、ゆっくりとこちらに近づいて来ている。
少しでも情報を得ようと、俊介は男達に向けて神眼スキルを使用した。
嘘だろ……。
一瞬の内に読み取った情報には、サキュバス狩りの文字。
詳しい理由まではわからないが、男達の狙いがレベッカであるという事だけは、避けようのない事実であるらしい。この世界の事情を知らない俊介は理由を求めるように、レベッカの方へと視線を向けた。
「レベッカの知り合い?」
わざととぼけて、軽い調子で問いかければ、レベッカが小さく首を振る。
「知らない。でも原因は予想がつくかな」
「原因て?」
「ごめん。言えないや。私の問題だから俊介は逃げて」
悲しそうに、しかし何かを決意したような表情でレベッカが笑った。
「そっか。でもそれは出来ないな」
そう言って俊介は立ち上がり、男達の方へと身体を向けた。
「ちょっと、何するつもりなの?」
俊介の腕を掴んだレベッカに笑いかけ、そっとその手を離させた。その時の俊介の表情は優しく微笑んでいながら、同時に有無を言わせぬ凄みを湛えていた。
「何か御用ですか?」
男達に向けて、俊介がにこやかに問いかける。
「お前じゃない。用があるのは、そっちの女だ。邪魔だからどけっ!」
リーダー格だろう、顔に大きな傷がある男が凄んだ。大きな声を張り上げ、厳つい顔が歪んだ。それは近くにいる者に恐怖を与えるに十分な迫力があった。
そして男の怒鳴り声を聞いた人々が一斉に反応した。ある者は逃げ出し、ある者は身体を硬直させ、またある者は失禁してしまった。さらには店員がグラスを落とし、子供が泣き出す。その場はまさに混沌とした様相を呈していた。、
そんな中で俊介は微動だにせずに、真っ直ぐ男へと視線を向けていた。
お前なんか怖くない。
そんな心の声が聞こえてきそうである。
俊介は自らを鼓舞するように、小さく息を吐き出して拳を握りしめると、ゆっくりと口を開いた。
「彼女は今俺とデート中だから、ナンパするならまた今度にして貰えますかね?」
それはまるで友達に話しかけるような、随分と軽い調子だった。
俊介自身、正直言えば怖くて仕方がなかった。許されるなら今すぐにでも逃げ出したい。まともに人を殴った事すらない俊介に、この状況をなんとか出来るだけの力があるはずがない。それでも、奴らの狙いがレベッカであるというのなら、ここで引く訳にはいかない。男である以上、女の前でカッコ悪い姿を晒すわけにはいかないのである。それが例え、勝ち目のない勝負を前にしていたとしても。
「お前はバカか。この紋章を見て何にも思わないのか?」
男は嫌らしく口元を歪め、自らの肩に縫い付けられた紋章を俊介へと見せつけた。その紋章には、弓なりに仰け反った女性の背中から剣が突き刺されている様子が描かれていた。
それを見た俊介が男に侮蔑の目を向ける。
「酷く趣味の悪い紋章ですね?」
「あ?」
男から出たのは、驚くほど冷めた声だった。まるで時間が止まってしまったかのように、辺りに静けさが満ちていく。
舞台は整った。




