10.メアリ
豚がいた。
比喩ではない。
紛れもない豚がいたのだ。
俊介の知っている豚と違ったのは、人間の言葉を話す事、そして二足歩行でしっかりと手に指が付いているという事くらいだろうか。
それ以外は、どこからどう見ても豚である。
名前こそメアリと可愛らしい為に、余計に衝撃が強い。
しかもこの豚、物凄く偉そうなのだ。
「シュンスケっていうのね。あんた年齢の割に年収が低いわね」
うるせーよ。
そう言ってやりたかったが、俊介はぐっと堪えた。
「ははは、情けない限りです」
因みにメアリの年収欄は空白。
職業は家事手伝いとなっているが、これは無職と考えて良いだろう。
どうやって対応すべきか考えつつ、プロフィールカードを見ているとメアリが口を開いた。
「ねぇ、あんた男ならもっと女の子を楽しませなさい。そんなんじゃ誰にも相手にされないわよ」
「面目ないです。どうにも緊張しているようでして」
素直に謝る俊介だが、指摘された内容がどうにも納得いかない。
まだ始まって間もなく、挨拶を交わしてからほとんど時間は経っていない。それどころか、直前の会話からの空白時間は僅か数秒といった所だったのだ。
まぁ確かに空白の時間はあったにはあったが……。
強引に溜息を押し殺して、俊介は笑顔を作ると顔を上げてメアリを見た。
やっぱり豚だった。
「メアリさんは絵が上手なんですね」
そう言うと、俊介はプロフィールカードの似顔絵欄を指差した。
そこに書かれれているのは、驚くほど美化されたメアリの姿だった。
モデルを知らずに絵だけを見れば、なかなかの出来だと言えるだろう。
しかしである。
その絵には、彼女の原型は全く残っていない。
とりあえず褒めときゃいいだろ。
そんな思いで切り出した話題だったが、驚くほどに喰い付きが良かった。
「やっぱりそう思う?私って美しいだけじゃなくて、芸術の才能もあったみたいなの。美も才能も持ってるなんて罪だと思わない?」
こいつは鏡を見た事があるのだろうか。
そんな事を思いつつも、俊介は笑顔を崩さずに頷いた。
一体どういう育ち方をすれば、こんな酷いやつが出来上がるのだろうと俊介は疑問に思った。そして何気なく使用した神眼スキル。
そこにあった内容に俊介は呆れた。
どうもメアリは箱入り娘らしい。
それなりに権力を持つ両親の元で育ったメアリは周りから散々煽てられ、我がままし放題の生活を送っていたようだ。
そりゃ、そうなるか。
妙に納得した俊介だったが、それ以上に神眼スキルの働きに驚いていた。
思っていた以上に優秀な能力のようだ。
メアリと適当に会話しつつ、神眼スキルの検証を行う。
どうやら俊介が望めば、その情報が表示される事が分かった。
何もかもを視る事が出来るという訳ではないようだが、ここから得られる情報はあまりにも膨大だ。
「ちょっと、ちゃんと聞いてる?」
おっと注意が逸れていたようだ。
俊介は気持ちを引き締めると、しっかりとメアリへと視線を向けた。
「もちろん聞いてますよ。昨日食べた豚丼の話ですよね?メアリさんは料理もするんですか?」
そう、豚丼だ。
共食いではないかと思ったのだが、メアリの種族はオー……。
――え?
嘘だろ……。
信じられなかった。
なぜなら、そこに表示されていたのは人間。
俊介は我が目を疑ったが、何度見返してもその事実は変わらなかった。
プロフィールカードに目を向ければ、そこにも確かに人間と書かれている。
パッと見の先入観から完全に勘違いをしていたようである。
世の中は不思議な事でいっぱいだ。
変な所で悟りを開いた俊介だった。
「それでね、この前料理長に作らせたタレが絶品でね……」
いつの間にか、話がだいぶ進んでいた。
聞いてない間の内容は全く分からないが、おそらくメアリは料理をしないのだろう事は推測できた。
それにしても、こいつ食べ物の話ばっかだな。
俊介は適当に相槌を打ちながら、早くこの時間が終わらないかと願っていた。
適当に会話をしていた俊介だったが、スキルの確認をしていない事を思い出した。
正直言ってメアリに興味はないが、スキルという未知の能力には興味がそそられる。どうして忘れていたのだろうと思いつつ、プロフィールカードへと目を落とせば、空欄。
ほんとかよ?
内心で茶化しながら神眼スキルを使用した。
――へ?
そしてそこに表示された驚愕の事実に、俊介は目を見開いた。
目の前にいる男の表情が変わったのを見たメアリは、内心で舌打ちした。
メアリの持つスキルは幻覚と認識阻害。
この二つを併せて使用する事で、見た目を偽装し、相手にそれを気付かせないようにしていたのだ。
それはなぜか。
メアリは誰もが羨む程の美貌と、それにつり合うだけの立場を併せ持っていた。
メアリが一度微笑めば、その美しさに男女問わず釘付けになった。
しかし、それがメアリには不満だった。
なぜなら誰一人、自分の内面を見てくれないからだ。
自身のクソみたいな中身に気付かずに、メアリはそう思っていた。
そんな時に噂に聞いた婚活パーティ。
異なる世界で行われるそれは、運が良ければスキルという特殊な能力まで貰う事が出来ると言う。
そこでなら自分の内面を見てくれる人がいるかもしれない。
そう思ったメアリは、いつものわがままで、参加チケットを探させると、所持していた相手から強引に奪い取ったのだった。
そうやって参加した婚活パーティ。
手に入れたスキルは、メアリにとって実に都合の良いモノだった。
早速それを使用すると、自らの姿を醜い豚に見えるように変えたのだ。これで相手は内面を見ざるを得なくなる。
完璧だと思っていた作戦だが、如何せんメアリはバカだった。
姿を変えるなら、どこにでもいるような普通の女性にするべきだったのだ。それを醜い豚にしてしまったが為に、誰からも相手にされなかった。
周りからちやほやされて育ったメアリには、それが許せなかったが、同時に外見に左右される男どもを見て内心で笑ってもいたのだった。
結局外見が全てなのかもしれない。
中身なんて意味がない。
そう思い始めていた。
俊介がメアリの正体を知ったのは、そんな時だった。
俊介は目の前の現実が信じられなかった。
メアリの持つスキルを見た瞬間、一瞬にしてメアリの姿が変わったのだ。おそらくスキルの存在を知った事で、幻覚が解けたのだろうと推測していた。
とにかく、今俊介の目の前にいるのは、豚などではなかった。その姿は、エルフに変身していたエリー(ロン)よりも更に美しかったのだ。
騙された……。
神眼スキルを手に入れた事で完全に油断していた。
いくら相手の情報が読み取れたとしても、自らが意識しなければ意味がないのだ。
俊介は悔しさを噛み締めつつも、思考を止めない。
メアリはなぜ、わざわざ醜い豚等のフリをしていたのだろうか。いくら考えても俊介にはわからない。神眼スキルを持ってしても心の中までは覗けないのだ。
さんざん考えた後で、結局俊介は諦めた。
まぁどっちでもいいか。
俊介は小さく息を吐き出すと、プロフィールカードへと視線を移し、似顔絵は本来の姿なのかと勝手に納得した。
正直言ってメアリが豚でも美人でも、俊介からしたらどちらでも変わらない。
なぜなら。
いくら美人でも中身がアレではさすがにムリだ。
メアリは目の前の男を見て驚いていた。
スキルが破られ、正体を知られてしまったにも拘らず、その反応に変化がないのだ。
おかしい。
自分の外見には絶対の自信を持っていたし、事実今までもこの姿を見て男達が群がって来た。
それなのに……。
目の前にいる男は、メアリが醜い豚に見えていた時と、一切対応が変わらないのだ。
この人は外見で判断していない?
その事実に思い当たったメアリは、初めて目の前の男をしっかりと見た。
シュンスケ。
先程までは覚える気もなかったその名前。
プロフィールカードに書かれたそれを、改めて頭の中で読み上げれば、なんだか嬉しくなってきた。素っ気ない態度は、そういう性格なのだと納得し、この日初めてメアリは微笑んだ。
勘違いだと気付かずに。