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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

待ちぼうけ

挿絵(By みてみん)



  待ちぼうけ


天の川の向こう岸には、夏彦の許嫁、織姫が居る。

年に一度の七月の七日、織姫の母御、西王母の命によりカササギが天の川に橋を渡し、その橋を渡り、織姫と夫婦となるようにと、約束が交わされた。

そう伝えられて幾年が経ったのだろう。


「はあ~…」

岸辺の岩に座り、夏彦は深い溜息を吐く。


  織姫ってどんな顔してんだろ


会った事も無い許嫁の姿形を想像するのは、夏彦には少々難題過ぎる。

愛情が募るわけでもないが、憎く思う事も無い。

こちらの皇子として生まれついた夏彦には、隣国との政略結婚に異議を唱える事はできないのだ。

ただ…

見知らぬ向こう岸の世界が、若者の逸る思いを燃える恋心に変えてしまう魅力があるのは確かだった。


  早くあちらに行って、織姫に会いたいな。きっと芍薬のように嫋やかに美しい御方だろう


夏彦は右手に持った芍薬の花びらをそっと撫でた。それから、それが己の妄想に過ぎないことを覚った。


天上の年月は天上人に歳を取らせず、ただこうして何時かの約束を待つのみだった。

当の夏彦さえ、毎年七月七日を朝から日がな一日、天の川岸で待つだけの繰り返しに厭きてきたのは否めない現実だ。

父王と西王母の命なればこそ、夏彦も粛々と従っているだけなのだ。


「夏彦、そこに居るのか?」

背中から声が聞こえた。

「兄者」

樫の杖を付いた銀瑛が、足場の悪い岩場を用心しつつ夏彦に歩み寄る。

「玉砂利が滑りますから、足元に気をつけてください」

言うよりも早く、夏彦は銀瑛の手を取った。

「ああ、ありがとう。世話を掛けるね」

銀瑛を座りの良い岩に案内した夏彦は、その隣に寄り添うように軽く腰を掛けた。銀瑛に何かあった時にすぐに支えられる態勢を取っていたいのだ。

それを感じてか、銀瑛は「相変わらずの心配性だね」と、微笑む。

その微笑は夏彦を幸せにする。


銀瑛は美しい。

その微笑みは誰をも幸福にする。

盲目でありながら、穏やかに、誰にも優しく、謙虚である。

夏彦は銀瑛を尊敬し、そして、兄として愛していた。


まだ歩くのもままならない頃、母は父の側室となった。

高位な女仙であった母は一人息子の夏彦を、第一皇子にすることを条件に王である父に嫁したのだった。

それまで皇太子であった兄、銀瑛は夏彦に皇位を奪われた形になった。

夏彦の後ろ盾には崑崙山の西王母が居る。その為、銀瑛の後見者は怖れを為し、彼の傍から離れて行った。

だが銀瑛は少しも僻む事も無く、幼い夏彦を純粋に可愛がった。

青年になるにつれ、病気の為に視力を失った銀瑛は、王の御所を去り、隠遁を決意するが、夏彦は「今度は自分が兄者を支える番だ」と、銀瑛と生活を共にする事にした。

それからどれくらい経ったことだろう。

今では、こうして岸で待つ事も、銀瑛が傍に居てくれることも、当たり前の風景に成り果ててしまった。

夏彦はそれに倦いている。

そんな風に考えるのは、夏彦の身勝手さなのだろうか。


「ねえ、兄者。いつものように笛を吹いてくれませんか?あれを聴くと、心が洗われます」

銀瑛は軽く頷き、腰に挿した龍笛を優雅な手つきで取り出し、その口唇に宛てた。

夏彦はそっと目を閉じて、鳴る笛の音に耳を傾けた。


澄み切った高音が夏彦の耳に、岸辺に、空に舞い上がる。

繰り返されるリズムと音階、それを裏切るような突然の緊張と緩和。

めくるめく奇妙な情念に、夏彦の身体は熱くなる。

身体が浮かび上がるような感覚と、落ちてゆく快感に、混乱と惑溺が一体化する。


やがて笛の音は静かに止んだ。

夏彦は目を開けて、銀瑛の横顔を見つめた。

銀瑛は少しだけ紅潮し、満足そうな顔でいる。


「見事でした。いつも兄者の笛には見惚れてしまうけれど、今日もすっかり囚われました…」

夏彦は感情の余りに涙した目を擦りながら、銀瑛を讃えた。

「おまえの為に奏でる時は、私も少し緊張するよ。だって、おまえは私の心を見透かすからね」

「そんな事…」


銀瑛は夏彦の手をやんわりと取った。

「そろそろ帰らないか?間も無く陽も暮れるだろう」

「そうですね。帰りますかね」

「…残念だったね、夏彦。気落ちして無いかい?」

「いいえ、年に一度の待ちぼうけは、そう嫌ではありませんよ。仕事も休めるし」

「それはそうだけど、私はおまえが不憫でならないよ。西王母さまもおまえの気持ちを少しは汲んでくれれば良いのにねえ」

「…でも、私がもしあちらへ行ってしまったら、兄者は独りになってしまわれます。お寂しくはありませんか?」

「夏彦が幸せなら、私の寂しさなど構わないさ。まあ、寂しくなった時などには、この岸辺でこうやって笛を吹こうかね」

「…」


夏彦は黙って銀瑛の手を握りしめ、立ち上がった。

「帰りましょう、兄者」

「承知した」


岸辺を去り際、夏彦はもう一度天の川を振り返った。

夕映えにキラキラと輝く水面は、夏彦の心を一瞬で奪い尽くす。

その圧倒的な輝きに眩暈がした。

今、ここにカササギが訪れ、あちら側への橋が掲げられれば、銀瑛と繋がったこの手を離し、一目散に向こうへ渡る事だろう。

もしも…


「どうかしたか?夏彦」

呼ばれた夏彦は銀瑛を振り返る。

彼の顔もまた紅く照り返し、美しい姿だ。

夏彦は嗤った。


  どっちにしろ、私は逃れられぬのだ。


「いえ、何でもないのです。ただ今夜は兄者に可愛がってもらわなければ、眠れそうもありません。待つ事には慣れたはずなのにね…」

夏彦はあざとく愚痴てみた。

真顔になった銀瑛は返す。

「おまえが欲しいものなら、なんでも与えるよ。それが私の愛だからね」

その応えは夏彦を満足させるものだ。


  明日になれば、あちらへの心躍る思いも好奇心も情熱も片恋も、天の川の流れのように流れ去ってゆくのだろう。

  兄者が私をそうしてくれる。


  そうして、私はまた次の七月七日を待つ楽しみを得るのだ。



挿絵(By みてみん)

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