釣りに行こう(後編)
「空ってどこからが空なんだろう。」
未佳はポカンと空を見上げてつぶやいた。
「見上げたら空だって聞いたことがあるような、ないような。」
英治の言葉を聞いて、未佳は英治の顔を見上げた。
「え、俺の顔に何かついてる。」
未佳はニヤニヤ笑っている。
「なに、なに、どうしたの。」
「だって、見上げたら空なんでしょう。じゃあ英治くんも空だなって。」
言った未佳の方が照れくさそうにしている。
英治はきょとんとしていたが、同じように照れ笑いをした。
そして改めて未佳の顔を眺めると、出会った時よりも随分と日焼けしていることに気が付いた。
「あの、今更だけど、随分日焼けしちゃったね。なんか申し訳ない。」
「え、どうして英治くんがあやまるの。」
「いやだって、そんな仕事をさせているわけだし、休みの日にまで日焼けするようなとこに連れてきたし・・・。」
未佳は少し考えるようにうつむいた。そして英治の目をじっと見つめてこう言った。
「英治くんは日焼けした女の子はキライなの。」
「そんなわけないだろう。」
未佳の言葉と重なるくらい、英治の返答は早かった。
「じゃあいいよ。これは頑張った証拠なんだから。ていうかホントに今さらだよね。」
「いやだって急に黒くなったわけじゃないし、ほら周りの人達もみんな黒いからさ。」
「いいわけしない。」
「はい、すみません、今更でした。」
ぺこりと頭を下げる英治。未佳はそれでも自分のことを見てくれている、そう思えただけで嬉しかったりするのだけど、それは言わないことにした。
「でも頑張った証拠っていい言葉だね。」
上棟式で出会った美人さんの受け売りである。でもそれも言わないことにした。
「それにしても釣れないねぇ。」
そう、もうかれこれ一時間が過ぎるが、何も釣れないままである。
もっとも二人には、一緒にいるだけで十分であった。
さらに言えば、幸い周りには誰もいない。
突き抜ける空も風も波の音さえも、すべてが二人のものだった。
とは言え、さすがに何かお土産が欲しい。
英治は持ってきたクーラーバッグから魚を取り出した。
「あれ、もう釣ってたの。」
「そうじゃなくって、これは餌用イワシの魚だよ。」
英治は投げていた仕掛けを回収し、針や糸を交換した。
今までよりも大きな針に、糸は鉄のワイヤーに変わっていた。
「すごい、もう糸じゃないんだ。」
「この辺りはフグが多いらしいからね。フグは糸を噛みきってしまうんだ。だから鉄のワイヤーなら大丈夫ってわけ。」
「え、フグを狙うの。」
「いやいや、フグなんか雑魚だよ。狙うはもっと大物さ。」
そう言って、英治は魚を丸ごと針に掛け、沖に向かって思い切り投げた。
未佳にいいところを見せたくて、さらには未佳の両親へのアピールとして、大物を釣り上げる為、インターネットで調べていたのだ。
よって実績はない。
英治はバス釣りはするのだが、海釣りはほぼ未経験なのだ。
すると即座にウキが沈み込んだ。
「来た。」
リールを巻く手に力が入る。だが、やけに軽い。
「ばらしたかな。」
「何がばれたの。」
「いや、ばらしって逃げられたってことだよ。」
「逃げたでいいじゃん。なんで分かりにくい言葉使うのかな。」
英治は、最近の女子高生だって同じだろって言いかけて、墓穴を掘ると黙り込んだ。
そして仕掛けを引き上げると、そこには餌で付けた魚より一回り小さい魚が掛かっていた。
「すごい、釣れたね。」
「イワシがアジに変わった。」
英治はアジが掛かったまま、再度海に放り投げた。
「どうして投げたの。」
「大物の為だよ。かわいそうだけど生餌の方が効果的だ。」
「エサなの、かわいそうだよ。」
するとゆっくりウキは沈み込んだ。
英治は慎重にリールを巻く。
ズシリと重たい。雑巾でも乗っているようだ。
今度は期待できる。
すぐ近くまで巻き取った時、掛かった獲物の正体が分かった。
「イカだ。イカがいる。」
「タモ、タモを用意して。」
未佳は目をパチクリさせた。
「タモってナニ、タモリさんのこととか。」
「網だよ、タモって網のことだよ。」
英治はあごで足元にあるタモを指した。
「アミでいいじゃん。なんで分かりにくい言葉使うのかな。」
未佳はブツブツ言いながら、タモでイカを掬おうとした。
しかしイカは墨を吐き、あっという間に海底に消えていった。
「あーあ、逃げられちゃった。」
後に残ったのは、無残に背中を齧られたアジだった。
英治はアジをそのままにして、再度放り投げた。
するとウキは勢いよく沈み、浮かんではこなかった。
「また地球を釣ったかな。」
竿を立てて糸を引っ張ると、ぐぐっと引っ張り返された。
竿を立てるのもままならない。これはとんでもない大物の予感がする。
ゆっくりとリールを巻く英治。
未佳も英治の顔色から、すごいことが起きたんだと、ぎゅっと拳を握りしめた。
海面にしぶきが飛び散る。魚が暴れているようだ。
だが何か変だ。海面から突き出た三角形の何かが、右に左にと行き来している。
「あれって・・・サメじゃね。」
そう、海面から突き出ていたのは、映画などでよく見るサメの背ビレそのものだった。
「大物ってあれじゃないよね。」
だが、竿にかかる力と、サメの動きが完全にシンクロしている。
「サメの歯って鋭いから、糸が切れるんじゃないかな。」
だが、フグ用にとワイヤーを使用していた。だから切れない。
やがてすぐ足元までサメを引き寄せた。魚影を見るに、1メートルほどだろう。
「タモをお願い。」
「タモさん行きます。」
未佳はタモで掬おうとするが、なぜかうまく掬えない。
タモは頭をかすめるのだが、弾き返されてしまうのだ。
「えーい、こうなったら一か八かだ。」
英治は思い切り竿を立てて、強引に引っ張り上げた。
バシャーンを大きな音を立てて、サメは全身の姿を現した。
未佳はタモでサメの尻尾を掬い上げた。
「やったあ。」
二人はハイタッチを交わした。
釣り上げたのは、なんとシュモクザメだった。
ハンマーヘッドと呼ばれる、頭が左右に張り出しているサメだ。
「シュモクザメか、どうりでタモに入らないはずだ。」
シュモクザメは観念したのか、暴れることもなく大人しくしている。
「フカヒレじゃない。」
「フカヒレってどこのヒレなんだ。」
しばらく沈黙が続いた。
「とりあえず写真撮ろう。」
未佳と英治はスマホで自撮りをした。
「ほらもっとくっつかないと撮れないから。」
頬が触れ合う距離だった。
「じゃあ逃がそうか。」
「どうやって。」
その後、針を外すのに悪戦苦闘し、海に帰すのに悪戦苦闘したことは言うまでもなかった。
そしてお土産は、岸壁に生えていた大量のワカメだった。
「また行こうね。」
「次こそ釣ってやるよ。」
「釣れなくてもいいんだよ。二人でいられるなら。」
そう思っていたけれど、照れくさくて言葉にはしない二人だった。




