現場に行きます。
「今日はどんな現場なんですか。」
「ああ、国家公務員の独身寮を建ててるんだけど、そこの交通誘導だよ。」
運転中の英治は、助手席の未佳に顔を向けることなく答えた。
「うちの会社って寮はないんですか。」
「ないね。地元採用だから寮は必要ないんだって建前でね。」
未佳はふぅんと興味なさげな返答をする。
独身寮にも興味がなかったが、英治の少し皮肉交じりの大人な返答にも興味がなかったのだ。
「現場の入口で、大型車が入るのを誘導したらいいんですか。」
英治は少し関心したように未佳の顔を見た。
「わかってるね。」
「それぐらいわかりますよ。」
未佳は少し胸を張った。
シートベルトが未佳の胸を強調するように食い込む。
英治は無心で顔を背けた。
「頼もしいね。まあ今日は生コン打設だけど。」
「ナマコンダセツ・・・。」
未佳の頭の中はナマコでいっぱいになっていた。
ナマコとは絶対に関係ない。関係ないんだ、と思えば思うほどナマコが頭から離れない。
そしてとうとう口にしてしまった。
「ごめんなさい、わたしナマコ苦手なんです。」
「え、でも昨日水族館で触ろうとしたよね。」
「触るのは平気だけど食べられません。あのコリコリ感が好きになれなくて。」
ナマコ美味しいのにな、と思いながら英治は気が付いた。
「生コンとナマコは無関係だよ。」
未佳は反応しなかった。
だって無関係なのは分かっていたから。
さあ、お仕事が始まります。
これは間違ったんじゃない、別件としてナマコの話がしたかったのだ、そういう空気に持っていこう。
「生コンって固まってないコンクリートのことね。コンクリートミキサー車が来るから、その誘導をすればいいだけだよ。」
そういう空気失敗。そりゃそうだね。
まあ英治が優しく微笑みかけてくれたから、未佳はさほど恥ずかしくはなかった。
英治としては、『ナマコと勘違いしたのはオレも同じ』とは言わないでおこうと、生暖かい目で見ていただけであったが。
現場は住宅街の一角にあった。
入口が狭いうえに人通りもわずかながらある。
英治は最寄りの大きな通りまで歩いてみた。
わずか100mほどだが、現場の入口からは見えない。
「ここに立って、ミキサー車が来たら歩行者や他の車の安全を確認してください。歩行者がいたらミキサー車を止める。注意点はそれくらいかな。右折で入ってくるけど広さもあるから、誘導しなくても大丈夫ですよ。」
未佳は大きく頷いた。
「英治さんも一緒ですか。」
「いや、俺は現場の入口にいるよ。誘導やミキサー車を待機させたりするから。」
未佳は少し残念そうな顔をした。
英治は少し心配そうな顔をしていた。
「じゃあ、現場監督さんに挨拶に行こうか。」
現場事務所は、入口のすぐ右手にあった。
2階建てのプレハブで、無機質で急な階段は、踏み出す度にカンカンと甲高い音を打ち鳴らした。
未佳にはその音が不快で不安でもあった。
「この階段、大丈夫ですか。」
「大丈夫だよ。安全靴履いてるから余計に音がするだけだよ。」
英治は2階の引き戸をそっと開けてみた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします。」
部屋の中には大きな長テーブルがあり、設計図らしき紙が散乱している。
そして奥の小さなデスクに小柄ながら体格の良い中年男性が座っていた。
「お、なんだ、随分若い奴じゃねえか。しかも女連れだと。大丈夫なんだろうな。」
現場監督と思わしき中年男性は、険しい表情で英治と未佳に目をやった。
「大丈夫ですよ。ところで今日は何リューベ打ちますか。」
英治は満面の笑みで現場監督に話しかける。
「警備員のお前がそんなことを知ってどうする。」
監督は腕を組み、太々しく答えた。
「リューベ数が分かれば、ミキサー車の台数が分かりますから。」
未佳は青ざめた表情だが、英治は全く臆していない。
監督はニヤリと笑った。
「今日は40リューベだな。」
「では10台くらいですね。3台で回しますか。」
「ああ、そうだ。」
「それなら3回転ですから、午前中で終わるかどうかですね。」
「とりあえず、やりきりだ。」
「了解しました。では、宜しくお願いします。」
二人は監督の部屋を後にした。
未佳は大きく息を吐きだした。
階段の甲高い音も心地よく聞こえるほどに緊張していたのだ。
「怖かったぁ。英治さん、よくふつうにできますね。」
「え、だってあの位なら普通だよ。」
英治はにこやかに答えた。
さあ、お仕事の始まりです。