SP(前編)
「おい英治、明日は例のアレだな。」
主任はニヤニヤして近付いてきた。
書類整理を行っていた英治は、面倒そうに答える。
「そうですよ。例のアレです。私はどうなっても知りませんよ。」
たまたま早上がりだった未佳が英治の脇から話しかける。
「例のアレって何ですか。やばい仕事ですか。」
未佳もやけにニヤニヤしている。
「やばいと言えばやばい仕事ですね。何もなければ簡単な仕事ですけど。」
英治は目も合わさずに書類整理を続けている。
未佳にとって仕事モードの英治は面白くない。
英治にとっては、この前のことが頭にあるから仕事モードでないと未佳と上手く接する自信がない。
「SPだよ、SP。」
主任が意気揚々と答える。
「SPってなんですか。」
「要人警護だよ。ほらテレビなんかでよくあるアレだよ。」
「用心棒ですか。」
「そうそう、そんな感じ。渋いところ突いてくるね。未佳ちゃん、年齢詐称してる。」
英治は主任の言葉にイラついた。
『年齢詐称』のくだりではなく、『未佳ちゃん』と呼んだところだった。
「カッコイイですね。英治さんは格闘技か何かやってたんですか。」
「いいや、何も。ケンカもしたことないですよ。」
未佳は唖然としていた。
「それって全然ダメじゃないですか。犯人やっつけられないですよ。」
主任と英治は平然としている。
「テレビじゃあるまいし、犯人を倒そうなんて考えが間違ってるよ。まあ、体を張って依頼人を守りたまえってとこだろうな。」
主任は英治の方を軽く叩こうとした。
しかし英治が体をひねってかわした為に、空しく空を切ることになった。
「それでいくらなんですか。」
「よくぞ聞いてくれた。なんと3時間で2万円だぞ。」
いつになく主任のテンションが高い。
「殴られたりするかもしれなくて、2万って安くないですか。」
「何言ってる、工事に警備員を派遣して、1日1万円しかもらえないこの御時世に2万はぼろもうけだぞ。」
「殴られるかもしれない人には1円も入りませんけどね。」
英治はわざと大きな音を立てて、書類の束を机に叩きつける。
「ボーナス期待してていいからね。」
「その発言は、ボーナス査定の権限がある人でないと無意味ですね。」
自分でも不思議なくらいにイラついているのが分かった。
未佳のことだけでなく、言葉に出すことで、改めて会社への不満が噴出したようだった。
「それで依頼者って誰なんですか。」
未佳は不穏な空気を読み取ってか、話題を変えようと振ってきた。
「普通のOLさんですよ。小学校時代の同窓会があるそうで、一緒に来てほしいとのことです。」
「それで、それで。」
未佳は身を乗り出して聞く体制になった。
しかし英治はそれ以上話すことはない。
「あとは個人情報ですから。」
未佳はふくれっ面になった。
英治は少しだけ話したくなったが、そっぽを向いて目を合わせないようにした。
次の日曜日、英治は依頼人の自宅に来ていた。
古めかしいながらも、そこそこに立派な一軒家である。
依頼人の母親だろう。上品な年配女性が座敷に案内してくれた。
依頼人は30歳のOLで、名前を由香と言った。
母親と同じく上品な、長い黒髪がきれいな痩身の女性であった。
『由香と未佳って響きが似ている。でもタイプは真逆だな』
そう思いながら英治は由香の話を聞いていた。
由香の話はこうである。
今日、卒業した小学校で同窓会が開かれる。
出席者のほとんどが、今は交友の無い人達である。
その中の一人から電話があり、
『同窓会でお前は地獄を見る。覚悟していろ。』
と言われたそうだ。
相手も女性ではあるが、いつも男性の取り巻きがいるとのこと。
『来なければ秘密をばらす。』
とも言われたそうだ。
秘密とは何か、相手の動機は何か、などとは聞かない。
英治はただ彼女を守るだけだった。