どこに行くつもりですか
「どこに行くつもりですか。」
「どこか行きたいところはあるかな。」
雨は激しさを増すばかりだ。
「この雨だと室内ですね。」
「じゃあ映画館にしよう。」
英治は信号待ちの時に、最寄りの映画館を頭の中で検索した。
「何を観るつもりですか。」
「何か観たい映画はあるかな。」
未佳は黙り込んだ。
英治は返事を待っている。
「山にしましょう。」
未佳はつぶやいた。
英治はうまく聞き取れなかった。
「山にしましょう、元々行くつもりだった場所、それでいいじゃないですか。」
未佳は捲し立てるように言った。
英治は思わずたじろいでしまった。
「登山ってわけじゃないですよね。」
「ああ、車で行けるところだけど、それでいいの。」
「いいですよ。はい、決まりです。」
英治は未佳の唐突の提案に訳が分からなくなっていた。
とりあえず、今の未佳には逆らわない方が良いだろう。
英治は当初の目的地である山を目指した。
「山ってボンヤリすぎますね。どこの山ですか。」
「えっと市内の山なんだけど、なんて名前の山かは知らない。たいした山じゃないし、まあ峠といったところかな。」
「峠って、こんな雨の中を走るんですか。」
未佳にとっての峠のイメージがなんとなく分かる一言だった。
それから数十分の沈黙が続いた。
未佳は窓越しの景色を眺めていた。
もっとも雨が激しい為、景色なんてろくに見えていない。
見えるのは雨粒くらいだ。
その窓に打ち付けられた雨粒が流れ、二つ三つと重なるうちに大粒となり、やがて勢いよく落ちていく。
独りだと落ちないけれど、ずっと独りは寂しいだろう。
落ちるならみんなと一緒がいいのだろうか。
雨粒の一つ一つが生きているように思えてきた。
そして生まれては消えるその流れが退屈を忘れさせていた。
一方で英治は気が気でない。
じっと窓をみて黙り込んでいる。
胸が苦しくなってきた。
だが幸いなことに、道が狭くなり運転に集中しなければならなくなっていた。
そして英治は車を停めた。
「ここが目的地なんだ。」
でも何も見えない、降りようとも思えない雨足だ。
「少し話がしたいんだけど。」
英治の言葉に未佳はうなづく。
「この前の現場で何かあったのか。」
未佳は答えなかった。
「なんだ、そのセクハラされたとか。」
「セクハラなんていつもですよ。抱きつかれたこともありますよ。」
英治は驚いたが、言葉には表さなかった。
ただ未佳を優しく抱きしめていた。
未佳は動かなかった。
どれくらいの時が流れただろう。
英治は我に返ったように未佳から離れた。
「抱きつかれたって、こんな風にかい。っていうか、セクハラですよとか反応してくれないとコッチが困るよ。」
未佳は困惑した顔をしていたが、すぐに笑顔になっていた。
だがそれが作り笑いなのかどうか判断できる程には見つめられなかった。
「何もなかったんです。」
「え、何が。」
「この前の現場です。」
「だったらどうして泣いていたんだい。」
「ただ、ヤクザ屋さんが来ただけで、でもそれだけで何もなくて。これが現実に、それも身近にある世界なんだって思うと怖くなって・・・。」
英治は黙り込んだ。
いつからだろう、色々あるのが社会なんだと割り切っていたのは。
未佳は大人ではない。
少しずつ社会を経験すればいい。
一歩ずつ登っていけばいい。
それをどう伝えたらいいのか、考える英治より先に口を開いたのは未佳だった。
「英治さんは何を考えているんですか。」
「何って。」
未佳はしっかりと英治の目を見ている。
「私のことをどう思ってるんですか。休みの日に二人きりで遊びに行くってどうなんですか。何を考えて抱きしめたんですか。」
英治は答えなかった。
英治自身が分からないからだ。
「どうして答えないんですか。」
詰め寄る未佳。
「分からないからだよ。」
大人の理屈などいらない。
彼女はそんなの求めていない。
ならば正直に言うだけだ。
「雅人さんは私のことを好きと言ってくれました。」
なぜ今、雅人の話になるのか。
ああ、天秤に架けられているのか。
「勘違いしないでください、二股とかそういうのじゃないですよ。でも英治さんのことをずるいと思ってしまうんです。」
「ずるいか・・・むしろ臆病かな。自分の行動にも理由が持てない。でも未佳ちゃんといると楽しい。それじゃダメかな。」
未佳は窓の雨粒を目で追った。
大粒が一気に流れ落ちていく。
「やっぱりずるい。」
その声は、すぐ横にいる英治に届いたのか定かではなかった。
英治はワイパーでフロントガラスの雨を飛ばした。
いつの間にか雨足は弱まり、目の前には豆粒のような街並みが広がっていた。
「俺が悩んだり落ち込んだりした時ここに来るんだ。街なんてちっぽけだ、ましてや俺はもっとちっぽけだ。ちっぽけな俺が悩んでも仕方ない、やれることをやるだけだ。そうやって生きてきた。・・・なんて大げさかな。」
未佳に笑顔が戻っていた。
「私も考えません。感じるままに生きてみます。」
「私もって、俺は考えてないわけじゃないよ。」
「いいえ、考えてませんね。」
「いや考えてるって。」
「いいんですよ、今はこれで良いんですよ。」