想愛町
想愛町。
人口は2000人ほどで、山と田んぼに囲まれ自然豊かな、非常に環境に良いこの町には、「想愛町」の由来となる、ある一つの話がある。
【昔、一人の青年がいた。青年の名は、佐之助。
朝から晩まで畑仕事に汗を流し、彼が作る野菜はおいしいと近所からは評判があった。しかし、そんな評判とは裏腹に生活は苦しくなるばかり。
そこで、もっと野菜を広めようと遠くへ売り込みに出かけた。
そこで出会ったのが、鈴という女性だった。彼女も農家の娘で、佐之助の野菜を食べ、満面の笑みを浮かべた。それがきっかけとなり、二人は意気投合。佐之助の指導のもと、野菜を作り始めた。
その結果、彼女の作る野菜の評判が上がったのは良かったが、それを面白く思わなかったのが彼女の父親だった。小さいころから畑にいた父親にしてみれば、若い男が自分より美味い野菜を作ることが許せなかった。
すでに相思相愛だった二人だが、父親に邪魔され、会うこともできなくなり、自分の家に帰った佐之助であるが、彼女のことを忘れることができず、畑仕事にも力が入らなくなり、再び彼女に会いに行く。
しかし、佐之助の見た鈴は、変わっていた。目はただ一点を見つめ、髪は乱れ、生気を失っていたのだ。佐之助は戸惑いながらも、彼女に声をかけた。すると、彼女は今までが別人だったように満面の笑みを浮かべた。
それを見た父親は、また鈴が落ち込んでしまうのは困ると言って、一年に一度だけ二人が会うことを許した。
それから二人は、一年に一度であるが、その一日を大事にして幸せに過ごした。】
この佐之助と鈴の話から、「相思相愛」を短くして「相愛」。そして、彼女(彼)を心において求め考えていたことから、その意味の「想」を使って、この町は「想愛町」と名付けられたそうだ。
僕、尾形直輝はこの話を信じていない。まあ、想愛町という由来が二人の若い男女の話というのはまだしも、一年に一度というところは信じていない。なぜなら、その会える日というのが七月七日だからだ。世間では、七月七日は「七夕」で盛り上がるが、この想愛町で七月七日といえば、こっちの話で盛り上がる。絶対に後付けだ。
町の住民は、全員この話を知っている。
僕も毎年、祖母から正座をさせられて聞かされた。子供のころは信じていたが、「七夕」の存在を知ってからは、疑問を抱くようになった。町民は誰も疑問に思ったことがないのだろうか。それとも、言えないのか。実際、僕も疑問には思っているが、口にしたことは無いので、皆そんなところだろうと思っている。
十年前にこの話がテレビで取り上げられたことがある。
町に唯一ある神社は恋愛成就のご利益があるとまで噂が広まり、全国の女性が集まって来て、中には移住する者まで現れた。
その神社の名は「送愛神社」。
Y字の形をした想愛町の右上に標高一五〇メートルほどの山があり、三〇〇段以上の階段を上ると、頂上に神社がある。
何故、「想愛」じゃないのか。「相愛」ならまだしも、「送愛」は本当にわからない。送る愛。これはつまり、好きな相手に想いを送るだけ送って、片思いで終わるってことにはならないのだろうか。そんなところには行きたくない。
結局、送愛神社に恋愛成就のご利益なんてあるわけもなく、参拝ブームに乗って始めた観光客用の宿や施設はただのデカい箱となり、想愛町は衰退の一途をたどった。観光客はほとんど来ることがなくなり、町を出て行く者も後を絶たない。
想愛町は、佐之助と鈴のロマンチックさからは程遠くなった。
Y字の縦棒部分には、約二キロほどの商店街があった。左右に商店街が並び、休日はそれなりに賑わっていた。しかし、それも参拝ブームまで。現在は、シャッターを閉めている店の方が多い。
今、残っているのは、住民の憩いの場となっている個人経営の居酒屋や喫茶店、また、スーパーや、小さな病院など、その他生活に必要な店だけだ。もちろん駅もない。だから、一家に一台、車を持っていると言っても過言ではないこの町では、バス会社も儲からず倒産寸前である。
Y字の左上には学校がある。三階建ての建物は木造で、夜になれば肝試しで盛り上がる。町の子供たちは幼稚園から中学校までこの校舎に通うことになる。人数が少ないので、これで事足りるのだ。下校時刻ともなれば、子供たちの声で、町には活気と元気がよみがえる。子供たちが、この町を救っていると考えても大差ないであろう。
僕は大学進学のために上京し、去年、卒業と同時に生まれ育ったこの町に帰ってきた。この町に住む人々の暖かさが好きだった。東京は、ずっと想愛町で育った僕には合わなかった。だから、そんな鉄のような街から抜け出して、この町の役場に就職した。ちょうどYの三本が集まるあたりの高台に庁舎は位置する。一階建てで長方形の建物は、ところどころ壁がはがれ落ちている。
「出会いがない?」
ゴールデンウィーク明け、五月病を患い、だるそうにしているのが丹野和志である。
彼とは同級生で、幼稚園から中学校まで一緒だった。彼は高卒でここに入ったため、大卒の僕より4年先輩ということになる。長身で筋肉質。整髪料で整えられた黒い髪型はベッカムヘアーだ。きれいに整えられた眉、目は一重で切れ味の鋭い目つきをして、鼻筋が通っており、シャープな顎のライン。上げたらきりがない程の整った顔だ。
しかも、ひまわりのような笑顔で職場を明るくしてくれる。僕が唯一、彼に勝てるところは歯並びだ。決して、彼の歯並びが悪いというわけではないが、僕のほうがきれいだ。絶対に。
彼と僕の働く地域産業推進課には四人の職員がいる。二つのデスクが向き合うように置かれ、隣にもう一つ、向かい合った2つのデスクが置かれている。丹野さんは僕の隣の席で、デスク上はパソコンのキーボードが見えないほど、何かの書類で埋め尽くされている。
「この町って、若い子いないじゃないですか。」
「こんなゴーストタウンまっしぐらのこの町に住もうなんて奴いるか?俺らと同じくらいの子は高校卒業を期に引っ越していったよ」
「え、そうだったんですか」
「だから、尾形が戻ってきたときはびっくりしたよ。」
「はあ・・・」
「大体、この町に住んでおいて出会いを求めるってこと自体間違ってんだよ。」
「別にこの町の人と結婚したいとは思ってないですよ。そもそもいないんですから」
「お前、この町の女性に謝れ。」
仕事は思いのほか忙しく充実した生活を送っているが、どこに就職するかという人生における重大な選択を終えた今、次に選択しなくてはいけないことがある。
結婚だ。
現に、一緒に住んでいる両親からは、「彼女はできたか?」「早く孫が見たいな」と毎日のように言われ続けている。
僕の両親は、一人っ子ということもあるかもしれないが、僕のやりたいことは何でもやらせてくれた。何不自由ない生活をさせてくれた両親のためにも、自分のためにも結婚を考えてはいるが、中学生くらいまでの子供と、子持ちの母親、子供どころか孫がいそうな女性が大多数を占めるこの町では難しいのかもしれない。
だが、いくら何でもそっちの趣味はない。不倫なんてもってのほかだ。
でも、僕はこの町に帰ってきたのだ。
「僕も送愛神社、行こうかな・・・」
「行ってきな。あそこはマジですごいから。」
丹野さんは正直言って、滅茶苦茶な人である。
幼稚園では、美人の美幸先生に「俺の嫁にならない?」と本気で告白し、軽くあしらわれ、その後先生を人質に校舎に立てこもった。
小学生の時には、漢字の小テストで〇点を取り、それを親に知られるのが嫌で、当時、学校で飼っていたウサギと「散歩に行ってくる」と言ったまま、3日間行方不明となった。
中学生でも落ち着くわけもなく、理科室の薬品を使って花火を作ろうとして、校舎を半壊させた時は、さすがに退学になりそうだった。しかし、それが停学処分で終わったのは、この町の人々の心の温かさからくるものだろう。
さらに、親の車を盗んで山を登り、崖を下ろうとした時は、下るというより落ちた。
他にも危ないことをやっていたが、それでもけがをしたのは本人だけで、けがで済んでいるのも不思議で仕方ない。ただ、彼の奇行は、ほとんどが僕のせいだ。
丹野さんは、僕の言ったことを真に受けて、そういった行動に出る。
幼稚園の時、「美幸先生が丹野君のこと好きだって」と言えば、たてこもり、警察沙汰になった。
小学生の時も僕がテストを親にばらそうとしたら、行方不明になり、警察沙汰になった。
校舎を半壊させたのも、当時僕が読んでいた本で、花火を勝手に打ち上げるという話があり、「やってみたい」と言ったら、校舎が半分吹き飛んだ。ちなみに、崖から落ちたのは、僕のせいではない。
しかし、ほとんどが僕のせいであるにもかかわらず、誰に問い詰められても、彼は一切僕のことを口にしなかった。本当は相当恨んでいるのかもしれない。その罪悪感もあり、いつまでたっても敬語が抜けない。
「でも、実際神社にご利益があったなんて聞いたことないんですけど。」
「はあ?今、目の前にいるのは誰だよ。」
「丹野さんです。」
「そう、その丹野さん。」
「・・・・。」
「・・・・え?覚えてないの?」
「何がですか?」
「お前、嘘だろ!ここにいるじゃないか、そのご利益を受けたやつが。」
「あ!」
忘れていた。半信半疑だった送愛神社のご利益を本当に受けた人がここにいた。
丹野さんは、中学を卒業する半年ほど前に、今までの危険行為を一切やめて、勉強に励むようになった。
そのきっかけが、あの参拝ブームだ。
丹野さんはその女の子たちに手当たり次第に声をかけていた。しかし、誰からも相手にしてもらえず、半狂乱となった丹野さんは、号泣しながら「俺とオセロをやってください」と叫び始めた。全員が彫刻のように口を開けたまま固まり、彼の悲痛な叫びだけがやまびことなって帰って来た。
その時だった、一人の女の子が丹野さんの前に歩み寄り、手を差し伸べた。
艶やかで肩にかからない程度の黒髪には環状の輪が見える。きっと丹野さんには本物の天使に見えたのではないだろうか。小柄で目鼻立ちがはっきりとしていて大人っぽいが、どこか幼さも残っているように感じた。
一目惚れだったらしい。
それから、丹野さんは変わった。まじめに勉強を始め、高校を卒業したのち、この町の役場に入った。
結婚したのは二〇歳の時。結婚式には行けなかったが、招待状の写真に写っていた彼の横には、あの時手を差し伸べた女の子がいた。優しく温かい人であることが写真からでも伝わってくる。おまけに美人だ。
世の中、結局顔かと、彼女のいない寂しい一人暮らしを送っていた僕は嫉妬した。
名前は柚実さんというらしい。
丹野さんは、柚実さんのほうを笑顔で見つめていた。彼がひまわりだとすれば、彼にとって彼女は太陽のような存在なのであろう。
今は、二人の子宝に恵まれ、飲み会の席ではこれでもかと子供たちの写真を見せつけてくる。一人は丹野さん似の男の子、もう一人は柚実さん似の女の子。もう美男美女になることは確定している。
そんな幸せそうな結婚生活を聞くたびに、ましてや親友からそんな話をされては結婚願望は増すばかりだ。
だから、神頼みをしてみよう。全く信じていなかった送愛神社は、もしかしたらものすごいパワーがあるのかもしれない。
時刻は十八時過ぎ。
庁舎を出ると、空には夕焼けのグラデーションが広がっていた。
これから、僕の人生もこの空のように色濃くなっていくのだろうか。