Lecture2(説教)
問いには2種類ある。ひとつは尋ねる方が納得できる、正しい答えを求める問い。もうひとつは、適当に答えてまったく問題のない、正しく答えるとむしろがっかりされる問いである。
この見極めを誤ると、途端に夜気のように冷えた沈黙がぞろりと横たわることになる。
叔父上のうそつき、と何度も言った覚えはあるが、約束を守れず嘘になってしまった、という意味としてではなく口にしたのはそのときが初めてだっただろう。
だから、叔父上は間違えた。
「一つ目の巨人を倒した勇者の話を知ってるか。こういう勇者はな、だいたい卑怯なんだよ。寝込みを襲う、ってなんか違うか、寝首を掻くんだよ。メデューサだって、最後は盾に映った自分の目を見て石になったけど、初めは目なんか開けず寝てたんだ。
だから、この勇者もまずは倒すべき巨人と親しくなり、偽りの名を教え、眠りに就くのを待った。そして、仲間の巨人も寝静まる頃、狙う相手のたったひとつの目を剣で貫いた。襲われた巨人は怒り、敵を捕らえようと暴れるが、目が見えない。様子を見に来た仲間に誰にやられたのかと訊かれて、その名を告げたんだ、『ウーティス』と。しかし、仲間は誰も手を貸さない。それどころか、皆呆れたように背を向けてしまう。
なぜかといえば、実は、『ウーティス』というのは『誰でもない』という意味だったからなんだ」
別にその巨人だけ別の言葉話してたわけじゃないんだろうし、普通初め名乗られたときに気付くだろ、神話って妙だよな、と叔父上は首を捻り、ばかなだけでしょう、と口を開くのも面倒な私は胸中で吐き捨てた。
「さて、別の話だ。そいつを発見した探検隊は、初めて見る動物だったから原住民に名前を尋ねた。ご存知、答えは『カンガルー』。そいつは晴れてカンガルーと呼ばれるようになったわけだが、実は原住民もそいつの名前を知らず、現地の言葉で『知らない』の意味だったわけだ。
だから確かに、そのぬいぐるみはカンガルーだって言ったかもしれない。いや、うん、言った。言いました。……ていうかそれどう考えても犬じゃないだろ。でもな、それは動物のカンガルーじゃなくて、わからない方のカンガルーだったんだよ。な、わかるだろ、晴名」
叔父上ではなく尖った耳と大きな黒目と突き出た鼻面の、両前足で腹を抱えるような恰好に固定されたそのぬいぐるみを見つめて、答える。
「カンガルー」と。
それから向こう三カ月、私の叔父上の会話の一方的成分は、「知らない」「わからない」「どうでもいい」で構成されることとなった。
さすがに見かねたお父さんが、それはカンガルーの名前の由来としては俗説である、と教えてくれてようやく、カンガルーからの夜明けが訪れたのである。
現在の状況で、何が期待されているのかまったく掴めない。
そもそもあまり表情の動かない人である。
もういいから、と席を立つこともなかったので調子に乗って長広舌になったところを、ご清聴ありがとうございました、と締めくくりたくなるくらいきちんと聴いてくれた。
それならそれで、テレホンショッピングの相方とまではいかないまでも、「リンパ球がこんなにロマンチックだとは知りませんでした。目から鱗が落ちる思いです(推定20代男性)」とか「運命に翻弄されるリンパ球の一生にいつの間にか手に汗を握っていました。これからは風邪をひく度に感慨に耽ってしまいそうです(同上)」などという盛り上がりがあってもよかったのではないか。
今までおとなしく聞き役に徹していたと思えばいきなりこの質問ときた。何が狙いだ。
どうする。どうしよう。どうしようもない。
覚悟を決めて、告げる。
「女がリンパ球なら、男は病原体、みたいな?」
断定できない語尾は弱々しく丸まって、今にもへなりと垂れそうだ。
「深読みしすぎるのはよくない」
「……うん、よくないね」
心の底から同意を示す。
夜明けは、遠い。