Line3(釣り糸)
待つのはさほど苦でない私も、さすがに30分待てば十分だ。
窪田さんの休憩も終わりそうなので、重い腰を上げて行動を起こすことにする。
「やあ、叔父上」
左耳から外したイヤリングを、右手で弄ぶ。ほんの少し軽くなった左耳には、代わりに携帯電話を押し当て、手袋を外した指先を頬に当ててそれを支える。イヤリングは辺の太さが不均等なひし形の重なったデザインの大きめのもので、電話に当たるとかちかちとうるさいので呼び出し音が鳴る間に外しておいた。
12月も下旬という真冬にわざわざ屋外で電話する酔狂は好き好んでのことではない。市民プラザには建物内ではなるべく携帯電話の使用を控えるよう呼び掛ける張り紙があり、新入りの職員である私が堂々と無視できない事情があるのだ。
『んー? はうあー?』
「はいはい、晴名ですよー」
叔父上に合わせて語尾を引き延ばし、名乗る。
電話で相手が名乗る前に呼び掛ければ詐欺師に一本釣りされるかもしれないご時世ではあるが、叔父上を「叔父上」と呼ぶのは私しかいない。オジサンと呼ばれるのは嫌だし、オジサマというのも座りが悪い、というこだわりの末に導き出された呼び方だ。
うちの兄さん(兄上とは呼ばない)にとっても叔父上は叔父に当たるわけだが、どうしても呼ばなければならないときには、叔父上が半ば怯むほど慇懃に「叔父上殿」と呼ぶ。
『はうなかー。なにー?』
ハルナひとつしっかり言えないような人を相手に会話は成立するかといえば、まあ否であろう。
状況につけこんで仕掛けてみることにした。
「とりあえず、おはよ、叔父上」
良い一日は爽やかな挨拶から、とでもいうように電話の向こうに告げる。
身内相手にモーニングコールを掛ける趣味があるわけではない。ちょっとした確認だ。
『んー、おはよー』
引っ掛かったな、と手応えを感じて、こっそり笑む。
どこぞの業界にお勤めの叔父上には、「おはようございます」を朝限定で用いることで休日を実感するという安上がりな嗜好がある。本日は日曜かつ、ただいま午後1時、すでに朝ではない。ということは、たぶん叔父上は今が朝だと勘違いしている。
などと三段論法を用いるまでもなく、つまりは寝坊というやつだ。
「今起きたの?」
『んー』
「今どこ?」
『うちー』
「そっか。今日さ、会う約束だったけど変える? それともやめようか? 私はどっちでもいいよ」
『なんでー?』
「今叔父上が来てないから」
叔父上はとても律儀に約束を破る。たいていは前日までにキャンセルの一報が入ってくるので、指定の時刻に待ち合わせ場所に来ないというのはめずらしいのだ。
『…………あ』
しばらくわちゃわちゃ音が入ったあと、声が立ち消えになって携帯電話に特有のノイズだけが耳に入る。
「どう、叔父上? 目、覚めてきた?」
『……ああ……んー。……だんだん、起きてきてる、かも』
覚醒の程度とは裏腹に、発する言葉の間隔がぽつぽつと空いてきているが、向こうの狙いなど先刻承知である。
それでは、と口火を切る。
時間稼ぎもそれまでだ。
「言い訳を聞いてさしあげましょう」
10秒なら待ちましょう、親愛なる叔父上殿、と滴るように丁寧に、少し兄さんの真似をして通告してみる。
叔父上とは昔からよく遊ぶ。どこに行くでも何をするでもなく、なんとなく出歩くだけなのだが、遊ぶ、というのがしっくりくる。
その程度のことなら別にいついつと指定しなくてもできそうなものだが、叔父上はそれなりにスケジュールの詰まった忙しい人で、プライベートの予定もきっちり組み上げないと仕事が割り入ってくる人だった。加えて、仕事はプライベートより優先する人だった。
約束が守れなくなったとき、叔父上は事前に約束を取り消すという形で、律儀に反故にする。
うそつき、今日が約束だったもん、今日じゃなきゃやだ。もう叔父上と約束なんかしない、どうせ守ってくれないんでしょ。お仕事の方が大事だもんね、しょうがないよね。
思いつくかぎりの方法を駆使して拗ねる私に、叔父上は毎回毎回律儀に納得するまで謝り倒してくれた。
だが、それはそれでストレスがたまる。非は向こうにあるとしても、その相手にいいオトナになられるとこちらの立場がないのである。物で釣ろうともせず、次は大丈夫と安請け合いをするでもない、いいオトナの誠意ある謝罪というやつはみしりと重い。詰み上げられる前にさっさと手打ちにしないと、こちらの心がきしむくらいに。
あるとき私は告げる。
謝る代わりに、独創的な言い訳をしなさい、と。
独創的なんて言葉よく知ってたな私は、と今になっては思う年齢でのことである。
今もこの取り決めは健在で、叔父上の独創性もそろそろ底を尽くと思えばあにはからんや、法螺吹き男爵顔負けの言い訳ぶりである。
じゅう、きゅう、はーち、と自在に長さを調節しながら数を読み上げて、電話回線から流れ込むざらざらとした沈黙を捻じ伏せる。
金の鎖をしゃらりと巻きつけた、寄せ植えの糸杉のてっぺんに、所在なさそうなイヤリングを引っ掛けてみる。星よりもささやかな飾りはくすんだ黄緑によく合って、外すのは惜しいほどだ。
糸杉を飾るのは人で、それは道行く人の目を楽しませるためだ。
毎日気を抜かずに服や靴、髪に爪、化粧にアクセサリー、コートとバッグを考えるほどお洒落は好きでない。けれども、ときには着飾りたい気分になる。
狐だな、とうちの兄さんは言う。
——元の姿が落ち着くが、ときどきは人に化けたくなる。
その評は当たっているのかもしれない、とふと考える。
もみじの簪と柘植の櫛を髪に挿し、オシロイバナの種を潰して白粉を顔にはたき、玉虫色の紅を引く。そして、波を立てぬようそっと、水鏡を覗き込む。
誰のために、と問われたら自分のためなのだろう。
——せっかく人の姿になったなら、里に下りて誰かに見せてみたい。
見せたい「誰か」が、特定の人になることもある。
その「誰か」のことを考えると、力入れすぎだって思われたらどうしよう、こんな雰囲気の服嫌いじゃないといいな、とうろうろ迷うけれど、叔父上相手にはそれがない。
ああ、私は叔父上に恋していないな、とそんなときに思う。
恋をしている、と気付くのと同じくらい、恋をしていない、と気付いてしまう瞬間は、残酷なまでに正直だ。
それに、私はきっと、好きな人の言い訳を許さない。
カウントダウンは進む。
ななろくごおよんと数は下り、叔父上そういえば今何時、と戯れに差し挟めば、1時じゃないのか、と半ば上の空で答えが返ってきて、そうだねじゃあ次は。
ゼロになる。