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ライン
待ち合わせ。
待ち伏せ。
待ちぼうけ。
待ちわびて、待ちかまえて、待ちくたびれる。
ずっと待っています、と走り書きされた署名もないメモを捨てられないまま手帳に挟み、待ち人来たらず、と記されたおみくじを溜息とともに枝にくくる。
浪漫す、としなやかに透ける薄様の紙にさらさらとしたためたくなるような一昔前のロマンスには、待つという行為がつきものであった。
携帯できる連絡手段を得たことにより、待つか待たないかを待つ側が選ぶのではなく、待たせるか待たせないかを待たせる側が選ぶようになった。
そんな時代にロマンスの入り込む隙はないとしても、ロマンス映画を鑑賞するだけの余裕は見つけられるのだから、捨てたものではないのかもしれない。
高さは5階、「あけるな危険」のステッカーが踊る窓に自分の影が滲むくらいぐっと顔を寄せて、下の景色を見つめる。
いない。セーフだ。
エレベーターは待たない。
階段を小走りに降りていくと見覚えのある顔をすれ違う。ここの職員だ。
2台あるエレベーターが客待ちのタクシー並みに暇を持て余している市民プラザにおいて、わざわざ階段を用いるのは職員と変わりものの利用者だけと相場が決まっている。
こんにちは、お疲れ様です、と一旦はごく普通に挨拶を交わしてから少し置いて、なんだ上村さんか、ブーツなんかで階段走るなよ、と気の抜けた声が降ってくる。
職員は休みの日でもエレベーターを使わない。もはや習性である。
「関係者以外立入禁止」の札が掛かった事務室から直接駐車場に出られるが、今日は正面玄関に向かうことにする。
今日の任務の肝は、市民プラザ関係者らしからぬこの恰好にある。
枯れ木も山の賑わいならば、花でも咲けば景気がつこうというもの。
日曜も昼日中から市民講座なんぞを聴きに来るのは枯れた連中であるという偏見を払拭すべく、多少なりともめかしこんで聴衆の一員に加わっていたというわけだ。俗に言うサクラである。
クリスマスも間近に迫ろうかという今日この頃、無理強いされたでもないのに休日ほいほい職場に出てきてしまうあたり、花の命なるものは尽きかけている気がしなくもないが。
散らぬサクラはつくりものと露見する前に姿を消すのが礼儀であろう。
別に事務室まで顔を出したら仕事を手伝わされそうで嫌なわけではない。
2枚の自動扉に挟まれた空間から出て、ちらりと駐車場を確認する。
いない。セーフだ。
ほう、と吐く息の白さに少したじろぐ。
暖房と冷気のグラデーションが混じりけなしの寒さに置き換わり、体温も表面から外の気温に溶けていく。
もう一度、今度は意図的に、はあっ、と大きく息を吐いて、やっぱり白い、とちょっとばかり満足する。
そうこうしているうちに12時半だ。長針と短針が一直線のようでいて微妙にずれているのが気に入らない時刻である。
駐車場を挟んで向かいにある、市民ホールの時計を見やる。何か時計を見ると、信用してないわけではないのだがつい自分の腕時計も確認してしまう。どうやら本日もつつがなく運行中のようだ。
いない。アウトだ。
電話してみようかな、と携帯電話を取り出して、運転中に鳴らすのもなあ、と思い直す。
待たせるのは苦手だが、待つのはさほど苦ではない。
とりあえず駐車場方面に歩き出すと、あれ、上村さん、と植込みの向こうのベンチからひょいと呼び掛けられた。
「窪田さん、こんにちは。お疲れさまです」
市民プラザは、市民ホール、市民公園と固まって立地している。駐車場もおおむね共同と表現してよく、仕切りのポールは取り外されたままとなって久しい。
その駐車場に車の入りが多いと予想される日には整理員が臨時で雇われるのだが、窪田さんもそのひとりである。短めに刈った頭にうっすらと日焼けした顔は、定年で別れを告げた勤め人時代より若く見えると娘さんに言われたらしく、さてねえ、と笑っていた。
窪田さんの駐車場整理は、ご迷惑をおかけします、と言いながらも頭を下げるのではなく両手を広げて立ちふさがるような、礼儀正しい中にも毅然とした図太さがある。
「やっぱり上村さんか。今日はまた、仕事しづらそうな格好だねえ」
「今日は仕事じゃないんですよ。日曜がお休みなんて久々です」
市民プラザが電話対応も含めて完全に閉まるのは盆と正月三が日だけだが、月曜にはイベントがなく実質上の休みになっている。クリスマスやらイブやらは休みを取りたい人が集中しているので、この時期にお鉢が回ってきた。
「窪田さんこそ、いつものジャンパーは」
「そりゃさすがに、休むときにはちかちかしていたくないからねえ」
駐車場の整理員の目印である、目に痛くなるような黄緑色のジャンパーは、背中の「シルバー人材派遣」の文字が内側になるよう慎ましく丸めて傍らに置かれていた。
植え込みの間のけもの道を抜けて窪田さんの近くに降りようとすると、だめだめ、とゆるやかに窘められる。
「なにしろおてんとさまがご覧になってるそうだからねえ」
「ああ、そうでしたっけね。お行儀よくしないと」
しかつめらしい顔で頷き合ってから大周りをする。
「それに寒いからねえ、転ぶと痛いよ」
「ほんとにもう、痛いというか、沁みてきますね。落ち葉で滑ったり朝道が凍ってたりがこわくて、今月から自転車乗ってませんもん」
しかも私はスタンドを蹴って上げ下ろしするのが下手なので、数回に1回は必ずどこかぶつける。今着ているような膝上丈のスカートで自転車というのは、そういう意味で個人的に自殺行為というか、ロシアンルーレット行為である。