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王党派

 二人がクヴェレーヌ広場に差し掛かった時、夜にもかかわらず噴水は清流を吹き上げ、枝の狭間から覗く常夜灯に照らされた美しい放物線が静寂の中に揺らめいていた。

 クヴェレーヌ広場をそのまま通り過ぎ、風大路と土大路の交差点を南へと下った。ここら辺の区画は商工層の店が多く建ち並んでいる。人通りこそ少ないが、まだ営業していることを示す窓明かりが灯ったままの酒場も多い。ギムナスはそんな酒場の一つで馬を止めた。

 マルトーにとっては初めて訪ねる場所だった。

「ここは?」

「僕らの溜まり場さ。酒の飲み直しだよ。祝賀会で出てくる酒は上品過ぎて、僕の舌には合わないからね」

「貴方の友達もここにいるの?」

「僕の同志だ。もう待ってくれているはずなんだけどな」

 手綱を店の前に並ぶ馬留めの柱に結ぶと、ギムナスは慣れた足取りで酒場の戸を開けた。

 天井から吊り下げられた蝋燭が三本、店内を明るく照らしている。店内の広さはドリの茶店の倍くらいはあるだろう。卓と椅子が対になって、お互い充分な間隔も開けずに雑然と置かれていた。

 それぞれの席には客が座っている。素早く目を走らせると、その数は全部で六人。服装はまちまちだが、全員が自分の所属の紋章石をはめ込んだ首飾りをぶら下げている。中にはマルトーが所属することになった第一師団の紋章石も見えた。誰もが酒杯を手にし、豆や肉を肴にしていた。

「皆、待たせた」

 そう言ってギムナスは真ん中の空いている卓に座り、店主に葡萄酒を二つ頼んだ。

「遅いぞ、ギムナス」

 先に店の中にいた客の一人が不満そうな声を出した。その男は髪を綺麗に落とし、逆に髭を豪快に伸ばしている。まるでどこかの神教の僧兵だ、とマルトーは場違いながらも思った。

「済まないな、ゲッベン。皆も済まない。どうしても彼女に僕達の話を聞いて欲しくてなってね」

「何だ、女なのかい。随分美形だとは思ったけど」

 別の男が呟いた。服装は官吏のものだが、右頬に大きな傷跡がついている。尖った顎をさすりながら興味深げに目を細めてマルトーを眺めた男に対し、その隣に座っていた女性が即座に窘めた。

「それは女性への偏見ではなくて? 今まで、帝国騎士に女がいなかった訳ではありませんし、能力があれば貴方の上官にもなりうるのですから」

 その顔はマルトーにとって見覚えのあるものだった。今日の昼間、ギムナスを探し出した銀髪の女性だ。今は派手な飾り布を巻いておらず、頭髪が蝋燭の灯りに煌めいている。美しい髪の色に対して肌が褐色であるということは、ドリと同じ雪岩の民の血なのだろう。

「新入りの騎士なんだろ? まだ優秀かどうか分からないよ」

 頬傷の男が笑いながら、銀髪の女性に食い下がった。穏やかな口ぶりだが、睨みを利かせた相貌はとても知才を誇る帝国官吏には見えず、盗賊の類と言った方が当てはまる迫力を持っている。それでも銀髪の女性は臆することなく、澄ました視線を返すだけだった。

 奥の方に目を向けると、大柄な男が躰を縮ませる様にして椅子に座っていた。横目でこちらをちらりと見てはまた酒杯に視線を戻す。その横にも男が二人、向き合って興味ありげな視線を交わしていた。うち一人が、第一師団の紋章石を身につけている。

 ただ一人立ったままのマルトーは当惑していた。

 帝国騎士七人が集まって、いったい何の会合なのだろうか。まさかこれから世間話に花を咲かせる暢気さを披露したいわけではあるまい。どうして自分がここに呼ばれたのだろうか、とマルトーは今更ながらに心細さを感じた。

「で、ギムナス。どうしてこのお嬢さんを我々の集まりに呼んだ。まさか我々にとって勝利の女神だ、とでも言うのではないだろうな」

 大柄な男の前に座っているもう一人の男が疑問を投げかけた。背筋を伸ばし鼻下の髭を几帳面に整えている。髪も全て後ろに流し撫で付けて固めていた。

「確かに彼女は今日騎士叙任を受けたばかりの新人だが、ただの新米騎士じゃない。優秀、有望であることは僕が保証するよ」

 ギムナスの言葉には戯けた様子が微塵もなく、ただ淡々と事実を述べるだけの平静なものだった。

「彼女の名前はマルトー・ラグラス。彼女の父君はアントン・ラグラス大元帥閣下だ」

 その言葉に皆が色めき立った。息を呑み、また、目を見張った。

「それは本当なのか?」と髪を短く刈り上げた男が噛みしめるようにギムナスに訊ねた。

 集中した視線が、マルトーには居心地悪く感じた。視線に身を竦めたマルトーの前の卓に店主がぶっきらぼうな手つきで注文された品を置いた。ギムナスが目の前に置かれた二つの酒杯の一つをマルトーに勧めたが、マルトーは小さく首を振り、用心深く周囲を見回した。

「確かに私の父はアントン・ラグラスですが、本日叙任されたばかりの、若輩である私には関係ありません」

「関係しているさ。極めて重要なことだよ、お嬢さん」

 ゲッベンと呼ばれた髭の男が六人を代表するように重々しく口を開いた。まるでこちらを圧倒しようとする目だ。マルトーはゲッベンを一瞥すると、すぐに視線をギムナスに投げかけた。

 ギムナスはこちらを見るわけでもなく、酒杯の中に踊る赤紫色の波をぼんやりと眺めていた。

 瞬間、マルトーは急に怒りが込み上げてきた。拳を握りしめ、口を開いた。

「私には重要だとは思えません。例え父が誰であろうと、私は一介の騎士であるつもりです」

 怒気を帯びた声に顔を上げたギムナスのはっとした顔を、マルトーは見逃さなかった。悔しい気持ちでギムナスの顔を睨みつける。

 マルトーは自分の父親が誰であるか強調されるのを、幼い頃から嫌っていた。それを知らないギムナスではないはずなのに、彼は易々とマルトーの嫌うことをして見せた。彼の行為が裏切りのように思えた。

「随分と殊勝な心構えだね。僕は気に入ったよ」

 頬傷の男がにやけながら杯を持ち上げ、乾杯の仕草を見せた。マルトーは男の好意に少しも応えず、ただギムナスを睨んでいた。どういうつもりなの、と目だけで訴えた。

「マルトー、済まない。君を怒らせるつもりではなかったんだ。ただ君のことを皆に紹介したくて」

 ギムナスは立ちあがって、素直に謝った。それから自分の目の前の席を手で指した。

「まずは座ってくれないか。そのままだと落ち着いて話もできない」

 渋るマルトーにギムナスは深々と頭を下げた。

「頼む」

 感情を高ぶらせたまま断ろうとしたマルトーの言葉を遮り、ギムナスは頑と言い張った。

 彼の黒玉の瞳が、自分の青みがかった瞳に吸い付いて離れない。

 しばらくの無言の後、耐えかねたマルトーは息をゆっくりと吸い、吐いて、恐る恐るとギムナスの前の席に座った。木製の椅子は固くひんやりしていて、到底くつろげるものではなかった。椅子の感触が鮮明に頭に浮かぶことに内心で驚き、自分が緊張していることを改めて実感した。

 この椅子に座ったことで、自分が籠に閉じこめられた虫みたいに思えた。目の前の酒杯へ手を伸ばす気にはなれない。

「僕たちはね、帝国と大陸と民衆の現状を憂う仲間なんだ」

 満足そうに席に戻ったギムナスは、おもむろに口を開いた。

「君にも是非仲間になって欲しいからこそ、ここに来てもらった」

「仲間?」

「そうだ。君も巡察使の旅で見てきたろう? 東方辺境の実情と、苦しむ領民の姿を」

 マルトーは小さく頷いた。無意識のうちに裏唇を軽く噛んだ。

「裕福なのは帝都に住む臣民達だけで、東方辺境の領民は飢えと貧困に喘いでいる。その根源は貴族領主の横暴にあるが、この横暴を促しているのは帝国だ。このままでは帝国は枯れる」

 ゲッベンが空気を震わせるような割れ声で、後を続けた。

「帝国は貴族と臣民だけによって成り立っているんじゃない。東方辺境の領民や四大部族も含んだ万民によって成り立っているんだ。その中で、一方だけが旨い汁を吸い、一方は苦しみに浸っているという構造は明らかに間違っている。正さなければならない」

 そんなこと、言われなくても分かっている。

 マルトーは胸の中で強く叫んだ。

 みんな分かっているんだ。帝国騎士ならば、東方辺境に目を向けた人間でさえあれば、今の大陸の状態が不均衡で不完全で、あちらこちらが歪んでいる事はすぐに気がつく。だからこそ、父は改革に乗り出し、改革に抵抗する勢力と戦っているのではないか。家にも帰らず、体に滲む疲労感を隠そうともしないで、頑張っているではないか。

「貴方はどうするべきだと思うの?」

 マルトーは父親の遠目にも分かる痩けた頬を思い返しながら、ギムナスに問いかけた。

「帝国に変革を。それが僕たちの志だ」

 ギムナスは静かに、しかしはっきりと答えた。

 落ち着いた口ぶりとは裏腹に、彼の目には猛々しい力が宿ったままだ。打擲される老婆を見た瞬間に露わにした、ギムナスの本性。幼い頃からつい先程まで、マルトーには見透かすことのできなかった、ギムナスの黒い炎だ。自分の目の前にある障害の全てを薙ぎ倒そうとする、透徹した覚悟。

 背後にいる彼の仲間も、同じ瞳を据えている。一様に鋭く、熱く、力強く、そして何かを哀しんでいる。哀しみこそ彼らの源泉であり、活力なのだろう。理想を追い、義心に身を委ねたのだろう彼らは、疑いも無く純粋な行動者だった。

「あなた方はもしかして、王党派、なの?」

「そう呼ばれているらしいね」

 ギムナスが頷くのを見て、マルトーは目を瞑り、大きく息を吸い込んだ。曖昧な不安が実態となってマルトーの心に切り込んでくる。

 ドリから聞かされていた言葉がすっかり酔いの冷めた頭に浮かぶ。ドリは王党派のことを何と説明していたのか。思い返すと、酔いとは違う寒気が身体を覆った。

「私に何をさせるつもり?」

「身構えなくても大丈夫だよ。君を利用するとか、害を与えるとか、そんな気持ちは全くない」

 ギムナスの顔は普段と変わらない、平穏としたものだった。

「大元帥閣下に働きかけて欲しいんだ。改革を最後までやり遂げるようにって」

「私は新米騎士の一人よ。父は私を特別扱いなんてしない。会ってくれる気配さえ無いもの。貴方の言葉の方が信頼が置けるし、通じるはずよ」

「既に話したんだ。でも、僕では駄目だったんだ」

ギムナスは自分がアントンと会見した時の話をマルトーに聞かせた。昼に聞いた時には、和やかな旧交にしか聞こえなかった父とギムナスの対面が、本当は険悪な息苦しさを互いに強いた厳しいものだった事を初めて知らされた。

「お父様は貴方に何と言ったの?」

「何を訴えても、時を待て、の一点張りさ。全く取り付く島も無かったね」

「大元帥閣下は気怠そうにして、政治を語るのも倦み疲れたといったご様子でした」

 銀髪の女性が抑揚の薄い声を添えた。まるで、ギムナスの見てきたものは自分も全て承知している、といった口調にマルトーは反感を覚え、語気を強めた。

「時を待て、というのはきっと父の本心から出た言葉だわ。改革のためには機が熟するのも必要なことよ」

 そうでしょう?とギムナスに同意を求めた。

 そうだ。父には時間が必要なのだ。ドリだって同じ事を指摘していた。

 これまで行った改革の成果が出そろうのも。

 改革に費やした疲労を癒すのも。

 次の改革を実施するための勝機を探るのも。

 全てに時間がかかる。その間、誰かが父を支えていなければならない。それは身近で親しい者の務めだ。ギムナスであれば、昔からアントン・ラグラスの側にいた。彼でも良いはずだ。アントンの改革に協力し、支えてやることが出来る存在は。

 だが、ギムナスは腕を組み難しい表情を浮かべ、マルトーの顔に目を向けようとはしなかった。

「閣下の改革は中途半端な状態で停滞し、民の営みを無為に圧迫し続けているんだ」

 頬傷の男が目を細めながら、得意げに身振りを交えた。

「今のままだと、富める者だけが富み、弱者は滅び行く運命なんだ。早く手を打たないと手遅れになるよ」

「変革は、果たされなければ意味が無いのだ」

 ゲッベンが決然とした表情で、口を開いた。

「閣下の姿勢は残念だが酷く生緩い。貴族や大商人だけに甘い汁を吸わせている。これでは大陸に蔓延する憤怒の声が強まるばかりだ」

「東方辺境では既に大きな戦乱の予兆さえある。帝国に刃向かう地方領主の力も見過ごすことができなくなっているんだ」

 これは奥の席に座っていた第一師団の将校からだ。言葉には深刻な焦燥感が込められている。銀髪の女性も言葉を続けた。

「東方辺境の各軍令は浮き足立っています。今、東方辺境で大規模な戦争があると、帝国は一溜まりもありません」

「ちょっと待って下さい」

 マルトーは卓を叩いて立ちあがった。皆が口を閉ざし、マルトーに注目する。ギムナスだけが、下を向いたままだ。マルトーも敢えてギムナスに目を向けず、しんとした狭い店内のそれぞれの騎士を見渡した。

「確かに帝国は多くの難問にぶつかっています。しかし、どれ一つとっても容易には解決できない事ばかりです。帝国の変革なんて早急に出来るものでもないでしょう」

「しかし、やらなければならない。そのためには我々は実力を行使することも辞さぬ覚悟だ」

「実力で、何をするつもりですか」

「帝国のための大義、だ。それ以上は同志でない者には言えぬ」

 ゲッベンはマルトーの視線を真っ直ぐに睨み返し、きっぱりと拒絶した。その拒絶は不穏な影を含み、マルトーの胸を不吉にかき乱した。目の前の騎士達は父と、そしてもっと大きな存在と対峙し、敵対しようとしている。

 マルトーははっきりと理解した。

 ここに居並ぶ面々は嵐だ。その力は秩序への正義感と狂暴な衝動によって満ちており、雨後の増水が川筋を変えるように、巨大な力の奔流で大陸を覆う不幸を変革しようとしている。ただ正義に則った怒りだけで、憤りだけで、彼らはそれができると信じている。その目は一様に暗く、鈍く、燻りながら輝いている。

 耳鳴りが遠くからやってきて、嘔吐感が込み上げてくる。

 自分が闇の中でただ一人、椅子に縛られて座っている気分に陥った。何を言っても、目の前の人達には届かない。唯一頼りになるはずのギムナスは蝋人形のごとく腕を組んだままで、マルトーに優しい言葉の一つもかけてくれない。笑ってくれない。まるで目の前には誰もいないかのように、卓の上の一点に集中している。

 マルトーは必死に拳の力を込め、痛みを感じることで自分の存在を確認した。唇の裏の柔らかい肉はもう切れかけていた。

「父は貴方達と同じ危惧を抱いているわ。問題に対して憂いを持っているはずだし、改革を進めきってみせる。家に帰ってこないくらい時間がないの。私と会う暇すらないの。それは全部、今の危機を救うため、努力しているからよ」

 マルトーは必死の思いでギムナスに語りかけた。まっすぐに彼の金色の前髪に隠れた瞳を窺って、届いて欲しい、と気持ちを込めた。

「お願い、父を信じて。時間がかかるかも知れないけれど、帝国は変わるわ。私も父に協力する。貴方も父を支えてくれる。そうすれば、良い方向への変革だってできるわよ」

 昼ご飯を食べた時、ギムナスは父を助ける、と言ってくれたのではなかったか。

 そう問い詰めると、ギムナスはゆっくりと顔を上げた。彼の青い瞳には、様々な感情が揺れていた。

「僕はこう言ったんだよ。閣下が屈することあれば、僕たちが立ち上がる、と」

 マルトーは息を呑んだ。胸が苦しい。頭が締め付けられるように痛む。

 ギムナスは悲しそうな目でマルトーを見た。

「アントン閣下は帝国騎士の鏡だ。できれば先頭に立って帝国を導いて欲しい。だがそれが叶わないのであれば」

 そこで口を閉じ、再びマルトーから目を逸らした。

「叶わないのであれば、早々に舞台から降りるべきだと僕は思う」

 言葉が耳に届いた瞬間、マルトーの全身から力が抜けた。拳も弛んだ。辛うじて、立っていられるだけだ。

「父を、見放すの?」

「いや、そんなことはない。ただ」

「ただ?」続きは聞きたくない。そう思いながらもマルトーは次の言葉を促した。

「少し、失望している」

 斧を振り下ろすような、重たい言葉だった。

 ギムナスが口を閉じると再び店内に妙な静寂が訪れる。王党派の面々は互いに視線を交わし、二人の進展を見届けようとしている。

 唐突に、ギムナスの溜息が静寂を破った。

「貴族院が新月地区の強制整理計画をまとめたそうだ。元帥府もその計画を承認する方向で動いていると聞く。悲惨な地獄から逃げだしてきた流民に手を差し伸べられるのは、この大陸の中で僕達しかいないんだ。僕たちは彼らを救わなくてはならない」

 ギムナスがマルトーに手を差し出した。

「君こそ、僕達の同志となって共に行動して欲しい。君の想いは僕達の理想と変わらないはずだ」

 目の前に大きな手がある。

 マルトーにとっては幼い頃、いつも握りしめていた暖かい手だ。嬉しい時も哀しい時も、この暖かい手は少女だったマルトーの小さな手を優しく握りしめてくれた。手を握られるだけで、マルトーは全身を抱きしめられたような安心感に包まれたものだ。

 けれども、今はその手を握り返すわけにはいかない。マルトーは未練を断ち切るように目を瞑った。項垂れたまま弱々しく首を振り、無理よ、と小声で漏らした。

「どうしてもかい?」

「私には父を、お父様を裏切るなんて出来ない」

「裏切るわけじゃない。大陸の行く末を正しい道に戻すんだ」

「それは、誰にとっての正しい道なの?」

 ギムナスはゆっくりと腕を下ろし、首を振った。

「ここには無い、未来にとってだ」 

 苦渋と無念が籠もっている声だった。

「無理よ」

 もう一度呟き、マルトーは静かに卓から離れ、酒場の入り口へと悄然と歩いた。

 戸に手をかけて後ろを振り返ると、只一人を除いた全員からの視線が、マルトーを突き刺していた。ギムナスだけがこちらを見ていない。苦渋に歪んでいる表情がマルトーの目に映った。何か言葉を残したかったが、マルトーにはギムナスが望む言葉をどうしても言うことが出来なかった。

「ここでの会話は全部忘れるから」

 そう言い残し、マルトーは静かに店を出た。

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