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人影

 色覚異常と呼ばれる障害がある。私もその障害を持つ一人の人間だ。


 私がこの障害を持っていると初めて認識したのは、幼稚園の頃。いつも元気だった園長先生から、灰色の煙のようなモノが心臓の当たりからモクモクと溢れ出ていた時だ。

 正体のわからない不思議な現象に、私の好奇心が強く刺激された事を今でも鮮明に覚えている。

 ――あの煙は何なのだろう?


 幼心を刺激する好奇心は毎日強くなる一方だったけれど、それほど長続きもしなかった。


 園長先生は60歳を過ぎている禿頭の老人だった。奥さんをその先月亡くしたばかりの園長先生は、私たちの前ではいつも元気そうに見えていたけれど、疲れきった目元を見ると心が少しだけズキズキと痛んだ記憶がある。


 園長先生の心臓のあたりから出る灰色の煙は、最初は吹けば消えてなくなりそうだった。けれど、日が進むつれてその灰色はだんだん墨汁のように黒く染まっていき、やがて園長先生の全身は真っ黒に染まっていった。


 私はそのことを他の園児に相談してみた。けれど、他の園児たちは不思議そうな顔で私を見るだけだった。

 友達のエリちゃんが言うには、「そんなのないよ」との事だった。


 同じ質問を他の生徒にもした。でも、答えはみんな似たりよったりで要領を得ず、ようやく私はある事実に気がついた。


 あれは、私にしか見えていないんだ、と。


 ――結論だけいうと、全身を黒く覆われた園長先生は次の日に亡くなった。自殺だったらしい。

 そして園長先生が、幼稚園を去った理由が死んだからという事実を知ったのがつい最近の出来事で、私は十年以上の歳月を経てようやく気がついた。


 私が見ているあの色は、これから死にゆくものが発する色なんだと。


 他に人には見えないけれど、私だけに見えるこの色のことをインビジブルカラーと名付けたのは、中学生になって英語の勉強をするようになってからだった。

 今までは漠然と灰色の煙っぽいものとか、見えないインクとかいろいろ呼んでいたけれど、やはりというべきか、こういう訳のわからない感覚は横文字で呼んだ方がしっくりする。


 朝の駅は、多くの人で混雑する。疲れた表情のサラリーマンから厳しい表情の老人、小さな子供をつれた母親、自動販売機の中のアルミ缶を新しい製品に取り替える従業員。


 人でごった返す場所にはいつも、インビジブルカラーを発する人達がいる。


 頭からプスプスと白い煙を発する人もいれば、全身からどろりと垂れるような漆黒の暗闇を発する人もいる。


 今まではなぜあんなものが見えるのか不思議で仕方がなかったけれど、あの色の正体がわかった今では、少し状況が違う。


 彼らはきっと、心のどこかで自分の死を願っているのだろう。願いの強さに応じて体中から発せられるインビジブルカラーの色合いは強くなる。


 ほとんど色のない、真っ白な色を発する人はとても軽度な自殺志願者。きっと明日になればコロッと死にたいと考えていた事を忘れてしまうだろう。


 けれど、真っ黒に染まっている人は重症かもしれない。精神的に追い詰められている彼らは、いつどこで琴線が触れて死に突き動かされるかわからない。


 でも、と私は思う。


 どうしてそれほど深刻に悩んでいるのに、誰も気づかないのだろうと。

 死にたくなるほどの悩みに対して、周囲にいる家族も友人も教師も親類も、まったく気づかないのは何故?


「ねえ、優香里」

「なに?」

 駅のホームに電車がやってくる三分前。幼稚園時代からの幼なじみであるエリちゃんは、今では一緒に高校に通う唯一の友達だった。


「将来、何するか決めた?」

「うん」

「本当に?私まだ何も決めてないや。なんで大学に行った方がいいのかもわからない」


 ――そんなの私だって知らない。


 電車がホームに入ってきたので、会話は一旦中断された。扉が開くと、今までギュウギュウと押し込められていた中の人達は一斉に溢れる。それをホームの真ん中から見送り、電車の中が空になった事を確認してから電車に二人同時に乗り込んだ。


 私たちは今日から大学進学に向けての夏期講習に参加する。去年までこの季節はただ漠然と夏休みを過ごしていたけれど、今年からはそうも言ってられない。希望する大学に進学するためには、合格水準に達するだけの学力が必要だから。


「ねえ、将来優香里は何になりたいの?」

「うん、心理カウンセラー、かな」


 ガタゴトと揺れる電車の中で私はエリちゃんと先ほどの話を続けた。

 将来の仕事、大学に進学したら一人暮らしをするかどうか、親の仕送りはアテにするべきか、奨学金はいくらもらったらいいのだろう、アルバイトは何をしようか、などなど。

 まだ合格が決まったわけでもないのに、将来のことを話すことはとても楽しい。

 今までいろいろなインビジブルカラーを見ていたけれど、このちょっと天然まじりの幼なじみの女の子から死の予兆を見てとったことは一度もなかったのだから。


 私たちの通う学校は県内でも有名な進学校で、この学校の夏期講習に参加する生徒は実に多い。既に卒業したOBOGはもちろん、別の学校の生徒も多く参加する。そのため、夏期講習に限って私服が許される。夏休みで夏期講習目的以外の生徒がいなかったせいか、校庭には私服の受験生が多くいた。


 夏期講習は校内で最もスペースのあるサテライト教室で行われる。

 教室の後ろから入ると、既に多くの受験生たちが椅子に座っていた。


「うわー、沢山いるね」

 エリちゃんは呆気にとられたような言い草だ。

「そうだね。早く席をとらないと、立ったまま授業を受けるハメに……」


 空いている席を求めて歩いていると、嫌でも教室の一番前列にいる人影が目に入った。


 教室の最前列。ちょうど教壇の目の前の席に、全身が真っ黒に覆われた人影がいたのだ。


 煙、というにはあまりにも黒く、全身をメラメラと炎のように揺れるその暗黒は周囲にも影響を与えてしまうのかもしれない。その真っ黒な人影の横の席は空いていた。


「あ、一番前の席空いているよ」

 まるで幸運だといわんばかりの声でエリちゃんは最前列へと突き進むが、私にはあの席がただの呪われた席にしか感じられなかった。

「待っ……」

 止めようと思った。けれど、スタスタと歩くエリちゃんの歩くスピードは早く、気がつけばもう最前列に着席していた。


「お隣いいですか?」とエリちゃんが声をかけると、「どうぞ」と女とも男ともとれる声が漆黒の中から聞こえてきた。

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