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第二話 萌え系教材到着 開いてみると――

あれから五日後の水曜日。

「ただいまー」

「おかえり昇、ついさっき、あの変な教材が届いたわよ」

夕方六時頃、昇が帰宅すると下駄箱の上に、昇宛で【品名:学習教材】と書かれたラベルの貼られたダンボール箱が置かれてあった。

「もう届いたのか。一週間程度って書いてたから予定より早かったな。それに、宅配テロもされなかったし、送り主はいい人だな。重たっ」

 昇はわくわく気分でそれを自室へ運び入れると床の上にそーっと置き、ガムテープを解く。

 中には国、社、数、理、英。主要五教科のテキスト、それぞれ一冊ずつの計五冊が詰められてあった。どの教科もサイズは同じでA4用紙くらい。厚みは四センチから五センチほどもあり、昇が学校で使っている教科書よりも分厚めだった。紙質もけっこう良かった。

「表紙にも、萌えキャラのイラストが描かれてる」

 昇は最初に、英語のテキストを捲ってみた。

「おう」

 思わず感激の声を漏らす。一ページ目に、英語に対応するキャラクターのカラーイラストと簡単なプロフィールが載せられていたのだ。

「この女の子が、解説してくれるというわけだな。分厚いし、これは期待出来そうだ」

 わくわくしながら次以降のページをパラパラ捲ってみる。

「あれ? どうなってるんだ?」

昇は目を疑った。要点のまとめや練習問題が載っているのかと思いきや、何も書かれていなかったのだ。

「こっちは……」

 続いて社会科のテキストを捲って確認してみる。これも表紙と最初のページにキャラクターとプロフィールが載せられているだけで、あとは白紙だった。

「……どれも、真っ白だ」

全教科分捲ってみて、昇はさらに目を疑った。

「中身は、いったいどうなってるんだよ。今月号には付いてないのか?」

 昇は不審に思い、父の部屋へ向かった。すぐさまノートパソコンを立ち上げ、例のホームページを開いてみる。

「……経営不振により、誠に勝手ながら、ネットショップを廃止することになりました。非常に短い間でしたが、ご利用ありがとうございました。八文字肇……だと」

 例のホームページは、背景を彩っていた五人の萌えキャライラストと応募フォームが全て消え、グレイ地の背景にこんな謝罪文が述べられただけの仕様に簡素化されていた。

「こっ、これって。家庭科で昔習った、消費者に金だけ払わせてトンズラする、通販詐欺ってやつじゃ……」

 昇は焦りの表情を浮かべた。

 パソコンの電源を落とし自室に戻ると、ダンボールの中にもう一つ入ってあったA4用紙一枚分の説明書を確認してみる。

 2頭身くらいにデフォルメされた、小学三年生くらいに見える美少女キャラのカラーイラストが描かれており、ふきだしに丸っこくかわいらしい文字でこんなことも書かれてあった。

「お友達に紹介すると、半額返却するよ♪」

 昇は棒読みで読み上げると、

「もろにマルチ商法じゃないかぁーっ」

 説明書をぐしゃぐしゃに丸め床に叩きつけ、嘆きの声を上げた。


 その日の夕食団欒時。

『次のニュースをお伝えします。架空請求詐欺の疑いで、株式会社ソフトラーニングクリエイティブ社長、喜多村史織容疑者(45)を逮捕しました。喜多村容疑者は、架空の学習教材をインターネット上で通信販売したとして、少なくとも五〇名以上の顧客から二百万円以上を騙し取った疑いがあり……《中略》……調べに対し、喜多村容疑者は「一切知りません!」と容疑を否認しているという……』

リビングのテレビから流れていた、夜七時台のこのニュースを聞いて、

「……」

昇は背中から冷や汗が流れ出た。

「ネット通販っていうのは、詐欺まがいのものも多いからな。うちの生徒の中にも化粧品で騙された子がいたよ」

 テレビを眺めながら、父はため息まじりに呟く。

「昇、あの教材は大丈夫だったの?」

「うん」

 母から問いかけられたことに、昇は素の表情できっぱりと答えるが、

(この教材じゃないけど……絶対、騙されたよな。十万以上も払ってもらったのに)

 後悔の気持ちでいっぱい。一刻も早くここから抜け出したかった。

昇は急いで夕食を取り、自室に戻る。明日の授業の用意を整え、ベッドに寝転がってこれからどうすればいいのか考えていた最中、彼所有の携帯の着信音が鳴り響いた。

 着メロは、今流行のアニソンだ。

「亮哉か」

 番号を確認すると昇はこう呟いて、通話ボタンを押す。

『のっぼるぅ、教材、届いた?』

 亮哉は陽気な声でいきなり質問して来た。

「うん。今日帰ったら届いてた」

『おう、ついに来たか。中身どんな感じやった?』

「あのさ、亮哉。この教材、萌えキャライラストが表紙と最初のページに描かれてあるだけで、あとは白紙だったんだ。自由帳みたいに」

『えっ! マージで?』

「うん。アニメ雑誌の付録に時々キャラクターイラスト入りのノートが付いてくるだろ、そんなのが五冊送られて来ただけって感じ。とても十万円の教材とは思えないぞ。千円でも高過ぎるくらいだ」

『落ち着けのぼる、それって十ヶ月分まとめての値段だろ。来月はすげえ豪華付録が送られてくるんじゃないのか?』

「それがさぁ、販売元のホームページも閉鎖されてたんだ。謝罪文があった」

『そうなんか。そりゃ完璧に詐欺だな、その教材売ったとこ。せっかく説得出来たのに残念だったな、のぼる。まあ、何かしら送られて来ただけでもマシじゃん』

 亮哉がくすくす笑っている様子が、電話越しにでも分かった。

「僕の身にもなってくれよ」

『落ち着けってのぼる、俺なんかさ、小学校の頃の話だけどヤ○オクの商品、二万円の初回限定生産のフィギュアだけど、金払った後何も送られて来なかったことがあるんだぜ』

「なんでヤ○オクが使えたんだよ? 一八歳以上じゃないと使えないだろ」

『父ちゃんに頼んで申し込んでもらってん』

「ああ、そういうことか」

『まあのぼる、これも社会勉強だと考えればいいじゃん。将来きっと良い思い出になるって。じゃあな』

「……うん。また明日ね」

 こうしょんぼりとした声で告げて、昇は電話を切った。

(……これ、母さんには中身こんなんだったって絶対バレないようにしなきゃ)

 沈んだ気分で英語のテキストをパラパラと捲っていたその時――

「あっ、あのう」

 どこからか、聞きなれぬ女の子の声が聞こえて来た。

「なんだ? 今の声」

 昇は不思議に思い、周囲をきょろきょろ見渡す。

(耳元で聞こえた気がするんだけど、誰もいないよな?)

 少しドキッとしながらそう思った矢先、

「うっ、うわわわわわぁっ!」

 昇はあっと驚き、口を縦に大きく開けて、絶叫した。

 突如、英語のテキストの中から、飛び出して来たのだ。

服装はピンク色が目立つ花柄チュニックにデニムのホットパンツ、黒のニーソックスという組み合わせ。ほんのり茶色なロングウェーブヘアは胸の辺りまで伸びていて、つぶらなグレーの瞳。背はやや高めで、一六〇センチ台半ばくらいあるように見えた女の子が――。

本、というよりノートブックといった方が相応しいものの中から女の子が飛び出してくるという、物理現象を完全無視した出来事が今しがた昇の目の前で起こったというわけだ。

「グッイーブニン、ナイストゥーミートゥ。ワタシ、ノボルくんに英語を指導することになった、井森祐実いもり ゆみだよ。アイムフロムインジィイングリッシュテキスト、リトゥンバイハチモンジハジメ。ノボルくんと同じ、ジュニアハイスクールの三年生だよ。アイムフィフティーンイヤーズオールド。いっしょに受験勉強頑張ろうね♪」

 その女の子は祐実と名乗りぺこりと頭を下げ、微妙な発音の英語も交えて挨拶した。そのあと昇の手を握り締めて来た。

「……」 

 昇の口は、顎が外れそうなくらいパカリと開かれていた。

「Oh,ノボルくん、を発音する上でベストな口の形だね。Very good!」

 そんな彼を見て、祐実は嬉しそうににこにこ微笑む。

 続いて、国語のテキストが自動的に開かれた。

そしてまた中から女の子が――。

「こんばんは、野条昇さん。この度は飛び出す萌え系学習教材中学講座をご購入下さり、誠にありがとうございました。私、国語を担当させていただく、山際弥生やまぎわ やよいと申します。中学二年生です。今後、末永くよろしくお願い致します」

 その子は戦時中を思わせる、もんぺ姿だった。黒縁の丸眼鏡をかけ、墨色の髪を赤いりぼんで三つ編み一つ結びにし、背丈は一四〇センチ台後半くらい。昇に向かって丁重に深々と頭を下げ、おっとりとした口調で挨拶して来た。

さらにもう一冊、社会科のテキストからも。

「はじめまして昇君、わたくし、社会科担当の火山州湖良ひやま すこら。高校二年生、グレゴリオ暦換算で十六歳よ。地歴公民、高校受験に向けて覚えなきゃいけないことは山のようにあるけど、お姉さんといっしょに楽しくお勉強しましょ。分からないことや悩み事があったら、遠慮せずに何でも相談してね」

 この子の背丈は一六〇センチくらい。面長でつぶらな鳶色の瞳、ほんのり紫がかった髪をポニーテールに束ね、色鮮やかなアンデスの民族衣装、ポンチョを身に纏っていた。

「えっ、あっ、どっ、どうも。ぼっ、ぼっ、僕、とうとうアニメの世界と現実の世界との区別が付かなくなってしまったのか?」

 昇は当然のように戸惑う。

「夢じゃないよ。現実なのだ」

「実数の世界だよ」

 背後からまた聞きなれぬ二人の女の子の声がした。

「アタシ、理科担当の宇田川燐音うたがわ りんねでーす。中学一年生、十二歳。よろしくね♪ ノボルボックス」

 この子は銀色の髪を左右両サイド青色の短いりぼんでくくり、ぴょこんと飛び出させていた。四角顔でネコのように縦長な瞳、背丈は一五〇センチあるかどうかくらい。アジサイの葉っぱで、胸と恥部を覆っただけの非常に露出度の高い姿だった。

「数学の、関七掛せき ななかです。小学五年生、十歳です。これからよろしくね、昇お兄ちゃん」

 こちらの子はクリーム色の髪で、おかっぱ頭に松ぼっくりとパイナップルのチャーム付きダブルりぼんを飾り付けていた。丸っこいお顔と瞳。背丈は一三五センチくらい。なんと、全裸であった。

「うわぉっ!」

 振り返った昇はそんな二人のあられもない身なりを目にし、反射的にのけぞる。さらに目を覆った。

「こらっ、燐音ちゃん、七掛ちゃん、受講生の昇君は年頃の男の子なんだから、そんなはしたない格好で現れちゃダメでしょ! えっと、あっ、ちょうど都合良くいいのがあったわ」

 州湖良が注意した。そして彼女は、学習机備え付けの本棚に並べられてあった、昇が学校で使用していると思われる社会科《地理》の資料集を手に取りパラッと捲る。続いて開かれたページに手を添えると、なんと波打つ水面のように揺らいだのだ。

 三秒ほど後、州湖良は何かを掴み上げた。

「これを着なさい」

「分かった。裸子植物風に登場してみたけど、被子植物風になるよ」

「きれいな模様だね。この部分の面積はどれくらいかな?」  

 燐音と七掛に投げ渡す。この二人は素直に従ってくれた。 

州湖良が先ほど取り出した物の正体は、ベトナムの民族衣装、アオザイだった。色は純白で花柄の刺繍も施されていた。

(なっ、なんでこんなことが、起こってるんだ?)

 昇は目の前で次々と起こった超常現象にただただ唖然とするばかり。

「あっ、あっ、あっ、あなた達は、人間ですか?」

 恐る恐る口を開き、とりあえずこんなことを尋ねてみる。

「Yes,I am nothing but a human.」「人間よ。当たり前じゃない。ちなみに人種は、モンゴロイドに分類されるわね」「はい。私は人間ですよ」「アタシ達五人ともホモサピエンスだぜ、ノボルボックス」「人間だよ、昇お兄ちゃん」

 五人は口々にこう答えた。

「……ほっ、ほっ、本当、なのかよ」

 昇は右手をゆっくりと自分のほっぺたへ動かし、ぎゅーっと強くつねってみる。

「いってぇ!」

 痛かった。

 現実、だったようだ。

「嘘だろ?」

 まだ昇は、今の状況を信じられなかった。

「どうしたの昇? すごい大声出して」

 ガチャリと部屋の扉が開かれる。

 母だった。

「かっ、かっ、かっ、母さん。さっ、さっき、今日届いた教材の中から、おっ、おっ、女の子が、五人、飛び出して、来たんだ。ほらここにっ……あっ、あれ?」

「誰もいないじゃないの」

母にきょとんとした表情で突っ込まれる。

「いや、さっきいたんだけど、おかしいな」

 昇は訝しげな表情を浮かべた。

「昇ったら、とうとうマンガやアニメの世界と現実の世界との区別が付かなくなったのね。それより昇、早くお風呂入っちゃいなさい」

 母は呆れ顔でため息まじりにそう言い残し、部屋から出て行った。

(やっぱ、気のせい、だよな?)

 昇はハハハッと笑う。

 次の瞬間、

「あのお方が、昇さんの垂乳根ですね」

 国語のテキストから、弥生がぴょこっと顔を出した。

「うわぁっ!」

 昇は反射的に仰け反る。

「また驚かせて申し訳ありません。というか、こんなに驚くとは思いませんでした」

 弥生はてへりと笑ったのち、全身を出して直立姿勢になった。

「驚くに決まってるだろ」

 昇は苦笑顔でごもっともな意見を述べた。

 他の四人もまた飛び出てくる。

「お部屋の様子を見て、ノボルくんは本当に萌え系のアニメが大好きな男の子なんだなぁってjudgmentしたの。これならワタシ達がテキストから飛び出して、三次元化する。というphenomenonを起こしてもごく普通に受け入れてくれるかなぁと思って♪」

 祐実はにこにこしながら伝える。

「昇さんの垂乳根は、常識的なお方のようですし、私達の姿を見たら腰を抜かすかと思いまして、咄嗟に隠れました」

 弥生はゆったりとした口調で、丁寧に語る。

「僕だって相当驚いたよ」

「ノボルくん、ワタシ達の広告に3Dにも対応って説明があったでしょ?」

 祐実は笑顔で問いかける。

「いや、それって、特殊な眼鏡をかけて、最近では裸眼でも見えるやつもあるけど、実際は平面上にある映像や絵が立体的に見えるやつのことだろ」

「昇さん、それは前世紀的な発想ですよ。今や3Dというのは、二次元平面上に描かれたイラストが質感と触感と重量感と香りを伴って実際に飛び出してくるものなのです。昇さん若いのにお年寄り風な考え方ですね」

 昭和初期風な格好をした弥生がくすりと微笑みながら指摘してくる。

「僕の考えは、間違ってないと思うんだけど……」

 昇は困惑顔になる。

「まあまあノボルボックス、素粒子の世界じゃ日常生活では起こり得ない現象がしょっちゅう起きてるんだし、素直に受け入れなよ」

「昇お兄ちゃん、二次元が三次元になることは、Z軸座標が増えたってことだよ」

 燐音と七掛はにっこり笑いながら言った。

「受け入れろと言われても……ていうか、この教材を発明したやつ、凄過ぎるだろ」

「この教材の発明者は、東大卒業生よ」

「そっ、そうなんだ。まさに東大生の発明品って感じだな」

 州湖良から伝えられたことに、昇はすぐに納得出来た。

「ワタシ達みんなファミリーネームは違うけど、設定上は五人姉妹だってワタシたちのキャラクターデザインもしてくれた開発者さんはウザいくらい熱く語ってたよ」

「開発者って、代表者名で書かれてた八文字肇ってやつか?」

 祐実の説明に、昇は逆に問う。

「ザッツラーイト。その人、その人。ペンネームだから本名はワタシも知らないけどね」

「肇さんは開成中高から現役で東大理Ⅰに合格したそうですよ」

 弥生が説明を加える。

「開成って、あの東大合格者数灘を抜いて一番多い高校だろ。絵に描いたようなエリートコースだな」

 昇はさらに強く感心する。

「マーチ以下はFランが口癖の肇さんは東大生時代、大手予備校が主催する中高浪人生対象の模擬試験の採点アルバイトをしていたそうです。その際、成績不振な中高浪人生達に、勉強することの面白さをもっと知ってもらいたいなとしみじみ感じたそうです。そこで、萌えキャラと学べる教材を作ろうと、ある日一人でアキバ巡りをしていた時にふと思い立ったそうです。しかしながら、ただ平面上に描かれた二次元美少女キャラが解説するというやり方では、既存の教材でも使われていた手法なので、肇さんはさらにそれを発展させ、二次元美少女キャラを三次元化させようと考えたそうです。キャラクターを五人にしようと思った理由は、主要五教科の数と同じということもありますが、肇さんが当時嵌っていて、また、東大を目指すきっかけとなった少年漫画のヒロインの数に倣ったということもあるようです」

 弥生は伝聞表現を何度か用いて、この教材が生まれるに至った経緯を長々と話す。

「僕も二次元美少女キャラが飛び出してこないかなぁって妄想することはたまにあるけど、そんなこと絶対起こり得ないって分かり切ってるよ」

 昇はアニメの世界と現実との区別がきちんと付いていることをアピールした。

「肇君は在学中に二次元美少女キャラ三次元化計画を実現させるつもりだったんだけど、上手くいかなかったので、就職はせずにその研究に専念するための会社を立ち上げたの。社員は他にも一人いたわよ」

 今度は州湖良が説明する。

「起業したってことか……他にも似たようなこと考えた仲間がいたことにはびっくりだけど」

「肇君は計画実現のために情報科学、数学、電磁気学、量子力学、特殊相対性理論、生命科学、人間科学、心理学、音声学、その他様々な学問をたった一人で自室に引き篭もって日夜研究し、去年の三月、ついにわたくし達を三次元化させることに成功したの」

「……てっ、天才過ぎる。二次元キャラを三次元化させるって、普通そんなこと、どう頑張っても実現出来ないだろ」

「それが出来てしまったんだから、そう突っ込まれると反応に困っちゃうな。完成後、肇君はさっそくホームページを作成し、通信販売を開始したの。でも、ホームページ自体を見つけて下さる方もほとんど現れなくて。魅力が無かったのかスルーされ続けられたの」

 唖然とする昇に、州湖良はさらに説明を続ける。

「この教材、販売当初のプライスは一億円、つまりワンハンドレッドミリオン円だったんだよ」

「ええええええええっ!」

 祐実から聞かされ、昇は仰天する。

「あまりに売れないので、清水の舞台から飛び降りるつもりで値下げに値下げをしまして、今の価格になったんです。美少女アニメ大好きで勉強嫌いなお子さんを持つ、芦屋の六麓荘か、東京の田園調布にお住まいの教育ママさんなら、販売当初の価格でもご購入していただけるかと肇さんは想定しておられたようでして」

「いやいやいや、あり得ないから」

 弥生の説明に、昇はすかさず突っ込んだ。

「萌えキャラがいっぱい出るコミックやアニメやゲーム、ラノベのせいで成績が下がった中学生にぴったりの教材だよってハジメくんは自信満々に言ってたよ」

「まさに、僕のことだな」

 祐実から聞かされ、昇は苦笑い。

「昇君がご購入してくれたおかげでようやく売れたわけなの。しかしながら、やはりその価格程度ではこれまでに浪費した研究開発費等を回収することは出来ず、莫大な負債を抱えて販売元が倒産しちゃったのよ」

 州湖良は寂しげな声で伝える。

「そういうことだったのか」

 昇は開発者に気を許してしまったようだ。

「でも肇さんは、会社は潰れてしまったけど、一セットでも売れてくれて、とっても嬉しいと喜んでおられましたよ」

 弥生はにこにこ顔で伝える。 

「いい人なんだか、奇人変人なんだか……そいつ、今はどうしてるんだ?」

「現在はニートよ」

 州湖良が即答した。

「その用語、この間の中間テスト社会科の問題で出てたよ。定義を説明せよって。Not in Education,Employment or Trainingの略だっけ? 僕、その問題はちゃんと当たってたよ。亮哉は俺らの将来だなって笑いながら言ってたけど。それにしても、才能の無駄遣いだな。東大出て、それだけノーベル賞級のもの凄い功績を作りながら、どうしてそうなった?」

 昇はかなり不思議に思ったようだ。

「昨今では、たとえ東大大学院卒といえども、コミュニケーション能力、リーダーシップ、協調性というものが欠けていては、就職が上手く行かないみたい。引き篭もって日夜一人で研究に勤しんでいるような人は敬遠されてしまうのだと、肇君はわたくし達が昇君ちへ向けて旅立つ前日、二〇畳の自室に篭ってアイ○ツを熱心に視聴しながら語ってたわ」

 州湖良は真面目な表情で説明する。

「例えば昇さんのクラスにも、お勉強はとても良く出来るけど、お友達はほとんどいないお方がおられるでしょう?」

「……あっ、確かに」

 弥生に問われると、昇は学のことがすぐに浮かんでしまった。

「そういう子が将来、高学歴ニートになりやすいみたいよ」

 州湖良は説明する。

(……学も、十年後にそうなってしまいそうな予感が……)

 昇は学のことが少し心配になったようだ。

「それに、肇君はすでに三十路を迎えられているから、年齢的に就職は厳しいとか」

 州湖良はさらりと言う。

「社会は厳しいんだな。もう一人の、お方は?」

 昇は気になって尋ねてみた。

「もう一人は、肇さんの垂乳根です」 

「母さんかよ」

 弥生が答える。昇は思わず突っ込んだ。

「そろそろ還暦を迎えられる彼女は研究には携わっていませんでしたよ。肇さん専属のお食事係、いわばメシスタント的な地位だったそうです」

「ちょっ……」

 次に伝えられたことに、昇は思わず噴き出してしまった。

 その直後に、

「昇ぅ、早く入りなさーい。お湯冷めちゃうでしょ」

 母にまた扉を開けられた。

「わっ、分かったよ」

 昇はビクッと反応し、周囲を見渡す。

 またもみんな姿を消していた。

(やっぱ、夢なのかな?)

 昇は首をかしげながら電気を消して部屋を出て、風呂場へと向かっていった。

洗面所兼脱衣場で服を脱ぐと、ハンドタオルを手に取って大事な部分は隠さずに浴室に入る。続いて風呂椅子に腰掛けて、シャンプーを押し出した。

 髪の毛をゴシゴシ擦っている最中だった。

「やっほーノボルボックスゥーッ!」

 突然そんな声がした次の瞬間、湯船がバシャーッと飛沫を上げ、中から燐音が飛び出して来たのだ。

「どわぁぁぁぁぁぁぁーっ!」

 昇はびっくりして思わず仰け反る。もう少しで後ろのタイル壁に後頭部を打ち付けそうになった。

「遊びに来ちゃった♪」

 燐音は舌をぺろりと出して、てへっと笑う。

「どっ、どっ、どうやって、入って来たの?」

 昇は当然のように驚き顔。慌ててタオルで大事な部分を隠したのち質問してみた。

「空気中、およそ二〇パーセントを占める酸素に変身してここまで浮遊して来た後、お湯の中に溶け込んでたのだ」

「そっ、そんな能力まで、使えるのか?」

 昇は目を大きく見開く。

「うん! 主要五教科五人の中で変身能力を使えるのは、理科のこのアタシだけなんですよ。えっへん!」

 燐音は自慢げに、嬉しそうに答える。

「そっ、そうなのか……っていうか、せめてタオルは巻いてっ!」

 昇は燐音がすっぽんぽんだったことに今頃気付き、咄嗟に目を覆う。

「ノボルボックス、アタシ、アレはもう来てるけど、まだまだお子様体型だから全然問題ないのに。ノボルボックス照れ屋さんだな。じゃあこうするよ。ノボルボックス、タオル巻いたから手をのけてみて」

「ほっ、本当か?」

 言われるままに、昇は手をゆっくりと目から離した。

 本当にバスタオルが燐音の肩の辺りから膝の上くらいにかけてしっかりと巻かれていた。

「どう? 似合う?」

「うっ、うん。それより、どうやって一瞬で?」

「さっきはアタシの体の一部をタオルの素材、ポリエステル繊維に変化させたのだ」

「そっ、そういうことか」

「酸素に変身したのもそうだけど、普通はこんなこと化学的に起り得ないでしょ。でもアタシ、物質の化学的性質とか質量保存の法則とかは完全無視して自由自在に変身出来るという設定になってるから。アタシ、当然のようにこんなのにも変身出来るのだ」

 そう告げると燐音はパッと姿を消して、一辺の長さ三センチくらいの立方体の形をした、銀白色の物体へと変化した。そのまま重力に逆らえず湯船の中にポチャンッと落下する。

 飛沫を上げた次の瞬間、

 バチバチバチッ、ポーッンと破裂音を立て湯船から火花も上がった。

「うわぁーっ!」

 昇はさっき以上に大きく仰け反る。

 ――ゴツンッ!

「いってぇぇぇーっ」 

 後頭部を後ろ壁にぶつけてしまった。

「金属ナトリウムに変身してみたよ♪ ナトリウムは原子番号11の、体心立方格子構造を持つアルカリ金属元素でK殻に2個、L殻に8個、M殻に1個の電子があり、電子配置は【1s2、2s2、2p6、3s1】、炎色反応は黄色を示し、イオン化傾向が大きく、水と激しく反応し水素を発生させる性質を持ってるのだ。勉強になったでしょ? 高校化学の範囲も混じってるけど今覚えておいても損はないぜ」

 燐音は再び元の姿に戻った。

「……ってことは、湯船の中、今、水酸化ナトリウム水溶液になってるんじゃないのか?」

「ご名答。ちなみに化学反応式は2Na + 2H20 →2NaOH + H2だよ。浸かったらお肌ぬるぬるになるぜ」

 燐音は無邪気な笑顔で解説する。

「ご名答じゃないよ、危なくて入れないだろ」

 昇はかなり困惑した表情を浮かべる。

「変身した量は少なかったし、そんなに濃度は高くないから安全性にはほとんど問題ないんだけどね。ノボルボックス気になってるようだから元の状態に戻しておくね」

 そう言うと、燐音はその水溶液の中にドボンっと飛び込み瞬く間に姿を消した。

「昇、やけに騒がしいけど何かあったの?」

 母が浴室扉のすぐそばまで迫ってくる。

「なっ、なんでもないよ」

 昇は慌てて返事した。

「昇、今日帰ってから何か変よ」

 母はそう不思議そうに告げて、リビングへと戻っていく。

「ノボルボックス、中和しておいたぜ」

 燐音はまたさっきの姿へ。

「うわっ」

 昇は少しだけ驚く。

「ノボルボックス、さっきアタシ、どんな物質に変身したと思う?」

「分かるはずないだろ」

「化学式HClの塩酸だぜ。NaOH + HCl → NaCl + H20の化学反応式で表されるのだ。中学理科化学分野中和反応における基礎中の基礎知識だから、ちゃんと覚えておかなきゃダメだぞ」

「……わっ、分かった」

「ノボルボックスの本名の昇って、ノボラックと名前が似てるから親しみやすいよ」

 燐音は嬉しそうに話しかけてくる。

「ノボラックって、何?」

 昇はきょとんとなった。

「フェノール類とホルムアルデヒドを、塩酸や硫酸のような酸触媒を用いて100℃付近に加熱すると出来る縮合生成物のことなのだ」

「ますます分からないよ」

「高校化学の範囲だからな。そんじゃあノボルボックス、アタシ、先にノボルボックスのお部屋に戻っておくね」

 燐音はそう伝えてウィンクし、またもパッと姿を消した。

(気体の酸素に変身したのかな?)

と昇は推測した。

(このお湯、本当に、大丈夫なのかな?)

 恐る恐る、湯船に手を突っ込んでみる。

 いつもの湯加減と変わりなかった。確かに元通りになっていた。

 昇は安心して洗面器にこのお湯を掬い、頭を洗い流す。

 その際、昇の舌にお湯がわずかにかかった。

(なんか、少ししょっぱい)

 昇は少し顔をしかめる。化学反応によって生成された食塩がちょっぴり含まれていたのだ。

(もう一度、冷静に考えてみよう。さっき起きたことって、本当に、現実なのか? あり得ないだろ。女の子が、テキストから飛び出して来たなんて)

 風呂から上がった昇は脱衣所でパジャマに着替えながら、思い起こしてみる。

(いるわけ、ないよな?)

 二階に上がり、恐る恐る、部屋の扉を開けてみた。

「おかえりノボルボックス」

「昇君、湯加減どうだった?」

「昇さん、入浴時間から推測すると、烏の行水ではなかったようですね」

「昇お兄ちゃん、ちゃんと百まで数えた?」

「ノボルくん、入浴するは英語でtake a bathだよ」

 いた。

 さっきの五人が――彼女達の姿が、しっかりと昇の目に映った。

 消していったはずの電気もついていた。

「……あの、僕、今日は疲れてるみたいだから、もう寝るね」

昇は五人に向かってこう伝えると電気を消してベッドに上がり、布団にしっかりと潜り込んだ。

「ありゃまっ、もう寝るの? ノボルボックス」

「昇お兄ちゃんともっとお話したいのに。でもあたしももう眠いし、寝よう。おやすみ、昇お兄ちゃん」

「昇君、わたくし達の姿を見て、ショック受けちゃったのかな?」

「そうかもしれませんよ、州湖良さん。今宵はゆっくり寝させてあげましょう」

「ノボルくん、明日からは本格的に家庭学習指導していくよ。じゃあ、グッナイ!」

 こうして五人は、それぞれの教科に対応するテキストの中へと飛び込んでいった。

(……あれは、幻覚に違いない)

 昇はそう思い込むことにした。


 真夜中、三時頃。

「ねーえ、昇お兄ちゃぁん」

 どこからか、甘い声が聞こえてくる。

「――っ」

 昇はハッと目を覚まし、ガバッと上体を起こした。

「ん?」

 瞬間、昇は妙な気分を味わう。左腕に、何か違和感があったのだ。

「昇お兄ちゃん」

「この、声は?」

 昇は恐る恐るゆっくりと、顔を横に向けてみた。

「うわぉっ!」

 思わず声を漏らす。彼のすぐ隣、しかも同じベッド同じ布団の中に、七掛がいたのだ。

「おしっこしたいから、付いて来て、お願ぁい」

 頬を赤らめて、昇の左袖を引っ張りながら照れくさそうに要求してくる。

「あっ、あっ、あの……」

 僕は今、夢を見ているんだ。きっとそぅだ、それ以外あり得ない。

 昇は自分自身にこう言い聞かせる。

「昇お兄ちゃぁん、あたし、漏れそう。もう我慢出来ないぃぃぃ」

 七掛は今にも泣き出しそうな表情になり、全身をプルプル震わせた。

(これは夢だ、これは夢だ、夢に違いないっ!)

 けれども昇は無視することに決めた。心の中でこう呟いて、再び布団に潜り込む。

 ほどなく彼は二度目の眠りに付いた。

      ☆  ☆  ☆

朝、七時四五分頃。

「うわあああああああーっ! うっ、嘘だろ」

 萌えキャライラスト入り目覚まし時計のとろけるようなボイスアラームと共に目覚めた昇は、起き上がった直後に絶叫した。

 布団とシーツが、おしっこまみれになっていたのだ。

「こっ、これって……」

 昇は布団とシーツを見下ろす。彼の着ているパジャマも、おしっこまみれだった。ちょうどズボンの前の部分が黄色いシミになっていた。もちろんにおいも併せて漂う。

(どう処理しよう)

 冷や汗を流し、深刻そうな表情で悩んでいたその時、 

「昇、どうしたの? 朝からご近所迷惑な声出して」

「うわっ、かっ、かっ、母さん」

 折悪しく、扉が開かれ母が入り込んで来た。

「ん? 何これ? 昇、ひょっとして、おねしょしたのぉ?」

 母は昇のズボンをじーっと見つめながら、とてもにこやかな表情で問い詰めてくる。

「ちっ、違う! 断じて違うんだ母さん。これは、真夜中に、小学生の女の子が僕の布団に入り込んで来てそれで、その……」

 昇は必死に言い訳しようとする。

「昇、アニメの世界と現実の世界を混合するんじゃないの」

 母はくすっと笑った。

「ほっ、本当なんだって。その、あの教材の中から、飛び出して来て」

 昇は床の上に置かれたそれを指差しながら訴えてみた。

「はいはい、メルヘンチックなこと言ってないで早く着替えなさい。果歩ちゃんもうすぐ来ちゃうわよ」

 けれどもやはり無駄だった。母はにやにや笑いながら命令する。

「信じてくれよぉー」

昇は悲しげな表情を浮かべながらパジャマを脱ぎ、下着も替えた。そして制服に着替え始める。

「それ、貸しなさい」

「いいって、僕が持っていく」

「まあまあ昇、恥ずかしがらずに」

「あっ!」

 あっという間に、パジャマ一式と下着を奪われてしまった。

「早めに洗濯しなきゃ、汚れが落ちにくくなるでしょ」

 母は部屋から出て、意気揚々と階段を下りていく。

 今、時刻は七時五二分。

(まだ大丈夫だな)

 昇がそう思った次の瞬間、

 ――ピンポーン♪ 玄関チャイムが鳴ってしまった。

「おはようございまーす、昇くん、おば様。今日は昨晩お祖母ちゃんちから届いたお野菜果物と水羊羹の詰め合わせをお裾分けするために、少し早めに来ちゃいました♪」

いつもより少し早めに、果歩が迎えに来てくれたのだ。しかも果歩が玄関扉を開けたのと、母が階段を降り切って玄関前に差し掛かったのとが同じタイミングだった。

「おはよう果歩ちゃん、今朝昇ね。おねしょしちゃったのよ。これ見て♪」

 母は嬉しそうに、果歩の目の前に黄色く変色し特有のにおいも漂わせていた昇のパジャマをかざした。

「あらまぁ」

 果歩は少し背筋を曲げ、興味深そうにそれをじっーと見つめる。

「どわああああああああっ、えっ、冤罪だぁーっ!」

 昇は半袖ポロシャツに首と袖を通しつつ、慌てて階段を駆け下りながら弁明する。

「昇くん、恥ずかしがらなくても。たまにはこういうことだってあるよ」

 果歩は柔和な顔でフォローしてあげた。

「あの、果歩ちゃぁん」

 知られてしまった昇は、かなり沈んだ気分になる。

「昇、早く顔洗って朝ごはん食べて、学校行く準備しなさい」

 母は笑いながら命令する。

「わっ、分かったよ」

 昇はしょんぼりとした気分で洗面所へ向かっていった。

こんなことがあったためか、果歩と昇は普段より三分ほど遅れて家を出た。

 今日は木曜日。昇達の通う学校では、今週月曜から完全夏服となっていた。

(もし昨日の出来事が本当のことであれば、僕はおねしょをしていない。もし夢の中の出来事であったならば、僕はおねしょをしたことになってしまう。どっちがいいんだ? この場合)

 昇は俯き加減で歩きながら葛藤する。

「あの、昇くん。元気出して。おねしょのことはもう忘れちゃおう」

 果歩に優しく励まされ、

「うん、そうだね」

昇は穴があったら入りたい気分になった。

「そういえば昨日、教材が届いたんでしょ、学くんから聞いたよ。あまり良くなかったみたいだね」

「いや、よく確かめたら、使えそうな教材だったよ」

「そうなんだ。よかったね。今度わたしにも見せてーっ」

 果歩はやや興奮気味に要求してくる。

「いやっ、そっ、それは……そのうち、見せてあげる」

 昇は少し躊躇うも、一応約束してあげた。

「楽しみにしてるよ」

 果歩はにっこり微笑む。

同じ頃、昇のお部屋では祐実、七掛、州湖良、弥生が三次元化して部屋の中央付近に集まっていた。燐音だけはまだ教材内で睡眠中だ。

「ナナカちゃん、bedwettingしちゃったのね」

「ごめんなさい。暗くて、おばけが出そうで、怖くて行けなかったの。昇お兄ちゃんが帰って来たら謝らなくちゃ」

 しゅーんとなっていた七掛を、祐実は優しく慰めてあげる。

「七掛ちゃん、今夜からは、わたくしが付いていってあげるからね」

「ありがとう、州湖良お姉ちゃん」

 七掛は州湖良の胸元にぎゅっと抱きついた。甘えん坊さんのようだ。

「寝小便を垂らしてわぶる七掛さん、いとらうたしです」

 弥生は我が子を見守るようにその様子を微笑ましく眺めていた。


 第三話 家庭学習指導本格始動 体罰もあります


午前八時二六分頃、昇達の通う学校三年五組の教室。

「野条君、あの通信教育で悲惨な目に遭ったみたいだね。ボクも欲しいなぁって思ったんだけど、ホームページからして詐欺の香りがしたから引き留まったのだよ。問い合わせ先が書かれてなかったから、逃げられるかもって感じたのだ」

 学は登校してくるなり昇にこんな風に伝えてくる。彼のホッとしている様子が朗らかな表情からよく分かった。

「のぼる、世の中こういうこともあるさ」

 亮哉は爽やか笑顔で慰めるように昇の肩をポンッと叩く。

「……そっ、そうだな」

昇は昨日あれからあった出来事を話そうかなと思った。けれど、信じてもらえるわけは無いだろうと感じ、黙っておくことにした。

 今日の一時間目は家庭科。三年生が今学習しているのは幼児の生活と家族に関する分野だ。

「このページを捲ると可愛らしい厚紙工作が迫り出してくる飛び出す絵本、皆さんも幼い頃に楽しんだと思います。遊び心があって懐かしいでしょ?」 

 小顔でぱっちり瞳、ほんのり茶色な髪をフリルボブにし、お淑やかそうな感じの四十代女性教科担任はそれを教卓から、クラスメート達に向けて見せた。

(あの教材、厚紙工作どころか、生身の人間が、飛び出して来たんだけど)

「野条君、どうかしましたか?」

「……あっ、いえ、なんでも」

 昇はロダンの『考える人』のような格好をしていたため、教科担任に心配されてしまった。昇の席は教卓に近いため目立ちやすいのだ。


二時間目は体育。今回から体操服も完全に夏用へと変わった。男女とも同じ柄で、学年色である黄色のラインと校章の付いた白地半袖クルーネックシャツと、青色ハーフパンツだ。今日は男女とも体育館。男子は器械運動、女子はバスケをすることになっている。

 男子が準備運動として腕立て伏せをしていた最中、

「なんか女子の方、騒がしいな」

「誰か倒れたようだね」

 亮哉と学が呟いた。

 それからほとんど間を置かず、

「先生、小紫さんが倒れたよ」

 女子の一人がこう叫んだ。

「えっ!」

 昇は思わず声を漏らす。そして視線を女子のいる方へと向けた。

本当に、果歩がうつ伏せに倒れこんでしまっていた。

準備運動として体育館内の周囲を走っている最中だったらしい。

「熱中症?」

「カッホー、大丈夫? 頭打ってない?」

「かほちゃん、しっかりして!」

「貧血のようね」

 果歩のすぐ近くにいたクラスメート達を中心にざわつく。その声が十数メートル離れた所にいる昇の耳元にもしっかり飛び込んで来た。

「のぼる、見に行ってあげたほうがいいんじゃないか?」

「野条君、これは緊急事態でありますよん」

 亮哉と学からそう言われると、

「そっ、そうだな」

 昇は急いで男子体育教師のもとへ向かい、

「先生、ちょっと、果歩ちゃんの様子、見に行ってきます」

 こう伝えて、急いで果歩の下へ駆け寄った。

「果歩ちゃん」

 昇は中腰姿勢になり、果歩の顔色を心配そうに見つめる。

 いつもはきれいなピンク色をしている唇が、白っぽく変色していた。

頬も青白くなっていた。

「あっ……昇くん」

果歩は幸いすぐに意識を取り戻した。

「大丈夫?」

 昇は心配そうに話しかけてあげる。

「うん、平気、平気。ちょっとくらっと来ただけだから」

 果歩はこう答えて、すぐに自力で立ち上がった。

「よかったぁ。でも、保健室には行った方がいいよ」

 昇は強く勧める。

「保健委員さん、小紫さんを保健室へ連れて行ってあげてね」

 女子体育教師はこう呼びかけた。

「その子今日欠席です」

 すると女子の一人が叫んだ。

「あらまっ」

 女子体育教師は微笑む。まだ出欠確認をする前だったので、気付けなかったのだ。

「そうだ! 野条くんが連れて行ってあげて」

 別の女子から頼まれる。

「ぼっ、僕が、連れて行くの」

「もっちろん。きみの彼女でしょ」

「いや、そうじゃ、ないんだけど」

「いいから、いいから」

 その子に背中を押された。

「頑張ってね!」

 女子の体育教師からも、エールを送られる。

「あの、果歩ちゃん、一人で歩ける? おんぶしよっか?」

 昇は緊張気味に、果歩に話しかける。

「なんか悪いけど、その方が楽そうだし、そうさせてもらうよ」

 果歩は元気なさそうな声で伝えた。

「しっかり掴まってね」

昇は果歩の前側に回ると、背を向ける。そして少しだけ前傾姿勢になった。

「ごめんね、昇くん」

果歩は申し訳なさそうに礼を言い、昇の両肩にしがみ付いた。

「――っしょ」

 昇は一呼吸置いてから果歩の体をふわりと浮かせる。

(おっ、重い)

 途端にそう感じたが、もちろんそんな失礼なことは口に出さない。

「いいなあ」「エロイことするなよ」「新婚夫婦みたいやっ!」

 他の男子達から羨望と、からかいの眼差し。けれども昇は全く気にせず。

「昇くん、本当にごめんね、迷惑かけちゃって」

「べつにいいよ、気にしないで」

(なっ、なんか、胸が。果歩ちゃん、いつの間に、こんなに大きく……)

 むにゅっとして、ふわふわ柔らかった。

 果歩のおっぱいの感触が薄い夏用体操服越しに、昇の背中に伝わってくるのだ。

(急ごう)

 なんとなく罪悪感に駆られた昇は早足で歩こうとする。体育館正面出入口から保健室までは距離にして一五〇メートルくらい離れていた。

 昇は果歩を落とさないように、早足でありながらも慎重に進んでいく。

「失礼、します。生頼おうらい先生、あの、この子が、体育の授業中に、貧血で、倒れました」

 昇はやや息を切らしながら保健室の、グラウンド側の扉をそっと引いて小声で叫び、果歩を背負ったまま中へ入る。

「生頼先生、失礼しまーす」

 果歩は元気無さそうに挨拶した。

「いらっしゃい」

 養護教諭、生頼先生は二人を笑顔で迎えてくれた。ぱっちり瞳に卵顔。さらさらした黒髪は黄色いりぼんでポニーテールに束ねている、三〇歳くらいの女性だ。今保健室には、この三人以外には誰もいなかった。

「じゃ、下ろすよ」

「ありがとう」

 昇は果歩をソファの前にそっと下ろしてあげた。

 果歩はソファにぺたりと座り込む。

「小紫さん、これをどうぞ」

生頼先生は、保健室内にある冷蔵庫から貧血に効くという栄養ドリンクを取り出し、果歩に差し出した。

「ありがとうございます」

 果歩はぺこりと一礼してから丁重に受け取る。瓶の蓋を開けると、ちびちびゆっくりとしたペースで飲み干していった。

「小紫さん、今日は早退した方がいいわね」

「いえ、わたし、少し休めば大丈夫ですよ」

 果歩は元気そうな声で答えてみるが、

「ダメだよ果歩ちゃん、今日は早退した方がいいよ」

 昇はすぐに引き止めた。

「でも、授業休んじゃうと、今日習うところ、ノートが取れないし」

 果歩は困惑顔で言う。

「僕が取ってあげるから、心配しないで」

「大丈夫かなぁ?」

「大丈夫だって。僕、今日は授業、ちゃんと真面目に聞いてノート取るから」

「本当?」

「うん、本当」

「野条君、心配されてるのね」

 生頼先生はにっこり微笑む。

「まあ、僕、普段授業中寝てしまうことが多いですし」

 昇は照れ笑いした。

「今日の給食、わたしの大好きなびわゼリーが出るの。食べたかったなぁ」

「それも僕が届けてあげるよ」

「本当!? 嬉しい! 頼むよ、昇くん」

「任せといて」

「二人ともとても仲良いわね。小紫さんは、貧血になったのは今回が初めてかな?」

「はい。わたし、テスト期間中は睡眠時間削って勉強してて、水泳の授業も近いからダイエットしようと思って、最近は朝食もほとんど食べてなかったからかな?」

 果歩は照れ気味に打ち明けた。

「原因は非常に良く分かりました。小紫さん、朝食を抜くのはダメよ。保健や家庭科の授業でも言われてるでしょ」 

 生頼先生は困惑顔で忠告する。

「でもわたし、最近太って来たような気がするの」

 果歩はぽつりと呟く。

「小紫さん、あなたの身体測定のデータ見ると標準体重より少ないのよ。だからダイエットはする必要ないの。敏感になり過ぎて太ってないのにダイエットしようとする子が本当に多くて……」

 生頼先生はパソコン画面を見つめながら、ため息まじりに助言した。この学校の生徒達全員の身体測定データが、専用ソフトに保存されてあるのだ。

「標準体重が、多過ぎるような」

 果歩は眉をへの字に曲げる。腑に落ちなかったらしい。

「凄い! データベース化されてるんだ」

 昇は興味を示し、画面に顔を近づけた。

「あんっ、昇くん。見ちゃダメェ!」

 果歩は咄嗟に背後から昇の目を覆った。

「あっ、ごっ、ごめん果歩ちゃん」

 昇が謝罪すると、果歩はすぐに手を放してくれた。

「野条君、女の子はけっこう体重を気にするものなのよ」

 生頼先生は昇が目を覆われている間にデータ画面を閉じてあげた。

「ごめんね果歩ちゃん、僕、もう戻らなきゃ」

 昇は果歩に頭を下げて謝り、保健室から出て行く。

その頃、昇のお部屋では、

「ノボルくん、あのキュートな女の子ととても仲良さそうだね。きっとガールフレンドだね」

「アタシもそう思うぜ。交尾はもう済ませたのかな?」

「昇お兄ちゃん、三次元にもいたんだ。意外だね」

「昇君、三次元にもいるのに購入して下さったなんて、とてもありがたいわ」

「私は、ただの幼馴染だと思うのですが……」

 五人とも教材から飛び出しベッドの上に座り込んで、テレビ画面を眺めていた。

 昇の学校での様子を、モニターを通じて観察していたのだ。

「それにしてもこのグッズはベリーワンダフルインベンションだね。上空からの映像だけじゃなく建物内部の映像が見られるなんて」

 祐実はとある加工品に感心する。

「これさえあれば、地球上の任意の地点のライブ映像を映し出すことが出来るよ。ストリートビューと、衛星カメラの合体版かな? これは肇君の発明品なの」

 州湖良は自慢げに説明する。学習机の本立てに置かれていた地球儀と、テレビ端子とが一本の緑色ケーブルで繋がれていたのだ。

「ド○えもんのひみつ道具みたーい。あたしの数学のテキストにはそんなの組み込まれてないよ」

「ハジメタン、スコラジウムに良い物体持たせてくれたな。未来的技術だ。音声が入ってこない欠点はあるけど」

 七掛と燐音は羨ましがる。州湖良の入っていた社会科テキストには、他に開発者八文字肇の発明品も任意のページにいくつか詰められてあるのだ。ただし普通の人、そして州湖良以外の四人にも単なる白紙のページにしか見えない。取り出すことも州湖良しか出来ない仕様になっている。

「あっ、あの、いいんでしょうか? 盗撮なんかして?」

 弥生はおろおろしながら、州湖良に問いかけてみる。

「……法律的に、良くないとはわたくしも思いますけど、その、昇君の学校での様子が気になってしまって」

 州湖良は俯き加減になり、バツの悪そうに言い訳した。

 その時、

――ドスドスドス。と廊下を歩く足音が五人の耳元に飛び込んで来た。

「ノボルくんのマミーが来るようだね。みんな隠れて!」

 祐実は注意を促す。彼女がテレビの電源も切った。

 祐実を先頭に他の四人も自分のテキストの中に素早く身を引っ込める。

 一番動作の遅かった弥生が引っ込んでから約二秒後に、扉がガチャリと開かれ、母が昇のお部屋に足を踏み入れて来た。

「まったく昇ったら、また散らかしちゃって。変なコードまであるし。……これ、昇がやりたがってた教材かな? これも散らかってるってことは、ちゃんと勉強したのかな?」

 母はため息まじりながらも少し嬉しそうに告げながら、床に散らばっていた教材を学習机の上に積み重ね、掃除機をかけて部屋から出ていったのであった。

「マミー、重ねたら出にくくなっちゃうよ。Are you all right?」

 一階へ降りていったことが確認出来ると、祐実は英語のテキストからぴょこっと飛び出す。そして他の教科のテキストを一冊ずつ分けて床に並べてあげた。

 他の四人はすぐに飛び出してくる。

「甚だ重たかったです」

 弥生はホッとした表情で告げた。彼女が一番下になっていたのだ。

「ノボルボックスのママ、よりによって一番質量の大きそうなユミトコンドリアを一番上にしていくとはね」

「ワッ、ワタシ、そんなに重たくないよ!」

 燐音に指摘され、祐実はむすっとなる。

「アメリカンスタイルな食生活送ってるっていう設定になってるくせに」

「そんな設定ないもん!」

 祐実はそう主張して、燐音の髪の毛を引っ張る。

「いたたたたたぁっ、やったな、ユミトコンドリア」

 燐音は祐実のほっぺたをぎゅっと抓って対抗した。

「二人とも、幼い子どもみたいなケンカは止めましょうね」

 州湖良は穏やかな表情でなだめてあげる。

「だってリンネちゃんがぁー」

 祐実は抓られながら言い訳する。

「鹸化はしてないぜ、スコラジウム。カルボン酸の塩もアルコールも生成されてねえだろ」

 燐音は髪の毛を引っ張られながら反論する。

「訳の分からないこと言ってないで、いい加減にしなさい。めっ!」

 州湖良は二人の頭をゴチンっと叩いた。

「Ouch!」

「いったぁーいっ。分かったよ。やめるよスコラジウム」

「ワタシも大人気なかったな」

 すると二人はすぐにケンカをやめた。二人とも州湖良のことを少し恐れているのだ。

「燐音お姉ちゃん、祐実お姉ちゃん。昇お兄ちゃんのその後を見た方が面白いよ」

 七掛の手によってまたテレビが付けられると、五人は再びモニター画面に食い入る。

その頃、昇の通う学校では、三時間目理科の授業が始まっていた。

(眠いけど、なんとか取らなきゃ)

 昇は果歩のために、一生懸命シャーペンを走らせノートを取っていた。

 その様子を眺め、五人はまたも感心する。


        ☆


「ただいまー」

「おかえり昇、お部屋はもっときれいにしなさいね」

「分かってるって母さん」

 昇は途中、果歩のおウチに寄りノートと今日配布されたプリント類と、約束通り給食で出されたびわゼリーを届けて、夕方五時半頃に帰って来た。二階に上がり、

(いない、よな? 今朝は姿を見かけなかったし)

昇は恐る恐る自室の扉を開ける。

すると、

「Welcome home! ノボルくん」

「おかえりーっ、ノボルボックス」

「おかえりなさいませ、昇さん」

「おかえり、昇お兄ちゃん。今日の数学の授業は楽しかった?」 

「おかえりなさい、昇君」

 五人が爽やかな表情で出迎えてくれた。

「……夢じゃ……無かったのか。昨日の、出来事は……」

 昇は顔を強張らせる。

「だから現実だって。ノボルボックス、もう認めちゃいなよ。アタシ達はキャラデザのハジメタンの妄想と現実の二面性を持っているのだ。光が波と粒子の二面性を持ってるのと同じようにね」

 燐音がにこやかな表情を浮かべながら、肩をポンポンッと叩いてくる。

「……わっ、分かった。認めるよ、もう」

 昇はついに観念してしまった。その方が精神的に楽だと感じたからだ。

「あのう、ノボルくん、三次元の世界にも素敵なガールフレンドがいるんですね。What‘s she name?」

 祐実が問い詰めて来た。

「あっ、あの子は果歩ちゃんっていうんだけど……ていうか、なんで知ってるの?」

 昇は当然のように驚く。果歩のことは五人に一度も話したことはないからだ。

「これで、ノボルくんの学校での様子を眺めていたんだよ」

 祐実はテレビ画面を指し示す。

 昇の通う学校校舎の映像が映し出されていた。

「何これ?」

 昇はケーブルの方にも目を向けた。

「このケーブルは、地球上のどの地点からでもライブ映像を映し出すことが出来る肇君の発明品よ」

 州湖良は淡々と説明する。

「すっ、凄いな、あの人。どういう原理で、こんなことが?」

 昇はかなり驚いている様子だった。五人がテキストの中から最初に飛び出て来た時と同じくらいに。

「それが、肇君自身にもよく分からないみたい。小学校時代に好きだった女の子のおウチを覗きたいなという願望が、発明しようと思った動機だとは言ってたけど」

 州湖良は照れ笑いする。

「……これ、非常にやばくないか? 盗撮だろ」

「昇さんもそう思いますよね?」

 弥生は同意を求めてくる。

「そっ、そりゃそうだろ」

「ノボルボックス、これでカホルマリンって子のおウチ内部も見られるぜ」

燐音はそう言うとリモコンボタンをピッと押し、映像を切り替えた。

「こっ、これは――」

 昇は思わず顔を画面に近づけた。

 果歩のお部屋の一部分の映像が映し出されたのだ。ピンク色のカーテンで、水色のカーペット。窓際に観葉植物。学習机の周りにはオルゴールやビーズアクセサリー、可愛らしいぬいぐるみなどがたくさん飾られてある、女の子らしいお部屋であった。何度か果歩のお部屋を訪れている昇には特に目新しくは映らなかったが、こんな視点で観察したのはもちろん初めてのことだ。

「ノボルボックス、好きな女の子がおウチでどんな風にして過ごしているか知りたいでしょ?」

 燐音はにやっと微笑む。

「ダメダメダメ!」

 昇は冷静に判断する。 

「あっ、カホちゃんっていう子、今からurinationかfecesするみたいだよ」

 祐実は画面を食い入るように見つめる。

「どわあああああああっ、ダッ、ダメダメダメッ。法律的に」

「ノボルくん、見たくないの? 中学生くらいの男の子って、こういうのに興味があるかと」

「ない、ない、ない、ない!」

 昇は慌てて、テレビの電源を切った。また映像が切り替わり、トイレで下着を脱ぎ下ろしている果歩の姿が映し出されていたのだ。果歩の穿いていた水玉模様のショーツを、昇はほんの一瞬見てしまった。

「あーん、もっと見たかったのにぃ」

「アタシもーっ。腎臓で血液から濾過され、膀胱に溜められた老廃物が排泄される重要な人体現象だもん」

 祐実と燐音はふくれっ面で駄々をこねる。

「これは、プライバシーの侵害だよ」

「ごめんね昇君、つい〝知る権利〟の方に意識を片寄せ過ぎちゃって。これからは必要最低限の生活面だけを見るようにするわね」

 昇に困惑顔で注意され、州湖良は申し訳なさそうに謝る。

「いやぁ、全く見なくていいんだけど」

 昇は対応に困ってしまう。

「スコラちゃんがノボルくんのことを知る権利があるって言ってたから、ノボルくんのお部屋、勝手にinvestigateさせてもらったよ。面白いコミックやラノベ、けっこう持ってるね。ワタシもコミックやラノベ大好きだよ」

「ノボルボックスって、三次元の女の子の裸が載ってるエッチな本は一冊も持ってないんだね。ベッドの下も調べたんだけど、収納ケースが置いてあって、中に服とアニソンCDとゲームソフトが入ってただけだし。男子中学生必須のアレする時に使うビジュアルは二次元の女の子のみってわけだな」

「ノボルくんはハジメくんと同じくwholesome boyだね。いい子、いい子」

 燐音と祐実は機嫌良さそうに話しかけてくる。

「あのう、あんまり僕の部屋、荒らさないでね」

 昇は悲しげな顔で注意しておく。

「昇お兄ちゃん、このテレビ、テレビ番組は見れなかったよ。どのチャンネルに変えても受信できませんって出た。これじゃあド○えもんもクレ○ンしんちゃんもちび○る子ちゃんもサ○エさんも妖怪○ォッチも見れないよう」

 七掛は昇の袖を引っ張りながら不満そうに伝えた。

「そりゃあ放送用のアンテナ繋いでないからね。このテレビはDVD/ブルーレイ視聴専用なんだ。繋ぐのは高校合格してからって母さんと約束してる。今は深夜アニメ、亮哉がDVDかブルーレイに録画して来たやつをこのテレビか学校のパソコンで見てる状態だから、早く生で自由に見れるようになりたいよ」

 昇は苦笑顔で切望する。

「それじゃ昇お兄ちゃん、受験勉強ますます頑張らなきゃいけないね」

「うっ、うん」

「ノボルくんは、ビデオゲームはやらないの?」

 祐実が質問してくる。

「ビデオゲームって、テレビゲームのことだよね。中学に入ってからは全然やってないな」

「そっか。でもそれは良いことだよ。ノボルくんは今、受験生だもん」

「そうだね」

まあ、テレビゲームしてた時間が、アニメ雑誌やラノベを読む時間に取って代わっただけなんだけど……。

「ねえノボルボックス、カホルマリン今度はお風呂に入るぜ」

 燐音は昇が他の事に意識が移っていたのをいいことにまたテレビをつけ、果歩のおウチ内部を観察していた。

「うわっ、こらこらっ、ダメだろ」

 今度は果歩が脱衣場で服を脱いでいる様子が映し出されていた。昇は慌てて主電源を消し、燐音の頭をパシーンと叩く。

「いたたたぁっ、ひどいよノボルボックスゥ」

 燐音が頭を押さえながらそう言ったその時、

「昇ぅーっ、ご飯よぉー。今日野条先生、職員会議で遅くなるからいらないって」

 一階から母の叫び声が聞こえてくる。

「分かったーっ。すぐ行くよ」

 昇は返事をしたのち、

「絶対、果歩ちゃんがお風呂入ってるとこ、覗いちゃダメだよ」

 五人の方を向いてこう念を押し、部屋から出ていった。

「男の子からそんなこと注意されるって、ワンダーな気分だよね」

 祐実はにっこり微笑む。

「これはチャンス! カホルマリンの入浴シーン、思う存分覗くぞーっ」

 燐音は嬉しそうにテレビをつけ、果歩のおウチの浴室を映し出した。

 ちょうど風呂イスに腰掛け、長い髪の毛をシャンプーでこすっている最中であった。

「おううう! カホルマリンは、この歳でまだシャンプーハット使ってるのかぁ。シャンプーハットの材質はEVA樹脂、シャンプーは弱酸性のものかな?」

「果歩お姉ちゃん、おっぱい大きいね。体積量りたぁーい!」

「ナイスバディだね、カホちゃん」

「羨ましいわぁ」

 祐実と州湖良も画面に食い入る。果歩は自分の体をタオルで隠すことなく全裸姿だったのだ。

「皆さん、鬼の居ぬ間に洗濯はダメですよ」

 弥生は困惑顔で注意した。

「まあいいじゃんヤヨイソロイシン」

「出た! 日本のことわざ。ちなみに英語では、When the cat‘s away,the mice will play.だよ。でもノボルくんは鬼って感じが全然しないよ」

「そうだな。ノボルボックス、怒っても怖く無さそうだし」

「昇君は草食系男子っぽいわ」

「あたし、昇お兄ちゃんの優しそうなところが大好きぃーっ!」

 弥生以外の四人は果歩の入浴シーンを眺めながら、楽しそうに会話を弾ます。

「皆さん、止めた方がいいですよ」

 弥生は再度注意するも、

「大丈夫だってヤヨイソロイシン。ヤヨイソロイシンもいっしょに観察しようぜ」

「弥生ちゃん、同性だからいいでしょ? ヒンドゥー教徒のガンジス川での沐浴に通じるものもあるし」

「今ちょうどお体ゴシゴシrubbingしてるいいところなのに。このあとは湯船に浸かってくつろぐという日本ならではのシーンが楽しめるんだよ」

「弥生お姉ちゃん、眺めてると果歩お姉ちゃんといっしょにお風呂入ってる気分になれるよ」

 四人はこう言い訳して尚もテレビ画面に集中する。

「ねえ……今すぐそういうことはやめなさい!」

 弥生は眉をへの字に曲げて、少し強めに言った。

 すると次の瞬間、

「ごっ、ごっ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい弥生お姉ちゃぁん」

「ひいいいいいいい、すっ、すまねえ、ヤヨイソロイシン」

「申し訳ありませんでした、弥生ちゃん」

「アッ、アイムベリーソーリー。I‘m very afraid of you.Your face was much more fearful than a portrait of Beethoven.It equals namahage.」

 四人はびくびく震えながら慌てて謝った。燐音は咄嗟にテレビの電源を消す。七掛は泣き出してしまった。

弥生の顔が今しがた、般若面に急変化したのだ。しかも元の顔の大きさの五倍くらいまでふくれ上がっていた。

弥生の顔はそれから瞬く間に何事も無かったかのように元の可愛らしいお顔へと戻った。

「私、怒りがある程度上昇すると、こんな風になっちゃう設定になってるんです。きっと国語の学習内容に《能と狂言》があるせいだよ。昇さんには絶対こんな醜い姿見られたくないです。穴があったら入りたいよぅ」

 弥生はとても照れくさそうに顔を真っ赤に火照らせで呟いた。

「「「「……」」」」

 弥生の恐ろしい風貌を見てしまった四人は、すっかり反省したようである。


「覗かなかった?」

夕食を取り、風呂にも入り終えた昇は再び自室へ戻って来た。

「あの、昇さん。この人達、みんなで果歩さんのお風呂、覗いてましたよ」

 弥生は困惑顔で、四人を指し示しながら告げ口する。

「やっぱり……」

 昇はムスッとなった。

「ノボルボックス、すまんね。もう金輪際やらないから」

「アイムベリーソーリー、ノボルくん。湯船に浸かるシーンがどうしても見たくって」

「昇君、もう二度とやらないから」

「昇お兄ちゃん、ごめんなさーい」

 四人は昇の方を向いて深々と頭を下げた。

「昇さん、ご覧の通り皆さんは大いに反省しているので、許してあげて下さい」

 弥生は昇の目を見つめながら頼み込む。

「まっ、まあいいけど。今後は、絶対やらないでね」

 昇はこう注意して学習机の前に立った。机に貼られた時間割表を眺めながら、昇は明日行われる授業の教科書・副教材、ノートを通学鞄に詰めていく。整え終わったちょうどその時、昇の携帯の着信音が鳴り響いた。今放送中の深夜アニメのOP主題歌であった。

 電話がかかって来たのだ。

「果歩ちゃんからだ」

 番号を確認すると昇はこう呟いてベッドに腰掛け、通話ボタンを押す。

「もしもし」

『あっ、昇くん。ノートとプリントと、給食のびわゼリー届けてくれてありがとう』

「どういたしまして。体は、大丈夫?」

『うん、おウチ帰った後いっぱい休んだからもう平気。すっかり元気になったよ。あのね、昇くん、すごく言い辛いんだけど……全部同じ色で書かれてるから、どこが要点なのか分かりにくいよ。字も、読みにくくて』

「ごめん、果歩ちゃん。僕の、書き方、良くなかったね」

 昇は電話越しにぺこぺこ謝る。

『いいの、いいの。昇くんが、一生懸命取ってくれたことが良く分かるから。気にしないでね』

 果歩は慰めてくれた。

「本当に、ごめんね。あっ、あと、連絡だけど、時間割変更で、明日も家庭科があるよ。六時間目に。帰りのHRで担任が言ってた」

『あの、そのことは、家庭科の授業でも連絡してたよ』

「えっ! そうなの?」

『昇くん、聞いてなかった?』

「うっ、うん。考え事してて」

『昇くん、授業中は集中して先生のお話聞かなきゃダメだよ。テストに出る大事なポイントもお話ししてくれるからね』

「分かった。次からは気をつけるよ。じゃっ、じゃあ僕、そろそろ切るね」

『あっ、待って昇くん』

「なっ、何?」

 昇はぴくっと反応した。

『あの……今度の土曜、明後日だけど、いっしょにデパートへお買い物しに行こう』

「えっ!」

 果歩の突然の発言に、昇はどきっとした。

『あの、今日の、お礼がしたくて……』

「あっ、そっ、そう? それじゃ、いっ、いいけど」

デートの誘いなんじゃないのか? これって。

 昇はやや躊躇う気持ちがありながらも、一応引き受けた。

『ありがとう。それじゃ、またね、昇くん』

「うっ、うん」

こうして昇は電話を切った。

「ノボルくん、今のが、ガールフレンドのカホちゃんですね? How long have you been dating with her?」

「うわっ!」

 昇はかなり驚く。

 すぐ真横に、祐実がいたからだ。現在完了進行形で質問もして来た。

「ガールフレンドじゃなくて、おっ、幼馴染だ」

「幼馴染、つまりChildhood friendなんですかっ! Wow! スコラちゃんの予想した通りだね。ねえ、ノボルくん、ワタシはカホと知り合って十年になります。を英語で言ってみて。ヒント、現在完了形を使うの。学校で習ったばっかりの単元でしょ?」

「えっと……アッ、アイハブ、ビーン、ノウン、カホ、テン、イヤー」

「ノーノー、ダメだよ。You are wrong.I have been known Kaho for ten years.よ。リピートアフタミー」

「アッ、アイハブビーンノウンカホ、フォアテンイヤーズ」

「Good!」

 昇が棒読み英語で言ってみると、祐実は指でOKサインをとった。

「あっ、どっ、どうも」

「あのぅ、幼馴染ということは、You have ever taken a bath with her,haven‘t you? いっしょにお風呂に入ったこともありますよね?」

 祐実は付加疑問文を用いてさらに質問してくる。

「ないよ」

 昇は俯き加減で答えた。

「怪しい」

 祐実は顔をぐぐぐっと近づけてくる。

「あっ、あのさ、州湖良ちゃん。昨日、社会科の資料集から民族衣装を取り出してたけど、他の教材からも、写真や図に載ってるやつを取り出せるの?」

 昇は無視して州湖良の方に話しかけた。

「もちろん出来るわよ。教科書借りるね」

 そう自信たっぷりに言うと州湖良は、昇が学校で使っている理科の教科書を開いて手を突っ込んだ。そして中から、石英を取り出した。

「うわっ、すげえ。本物だ」

「州湖良お姉ちゃん、すごーい!」

「スコラちゃん、マジシャンみたい」

 燐音、七掛、祐実は大きく拍手する。

「あれ? でも中の写真はそのままだ」

 昇は不思議そうにその教科書の該当箇所を見つめる。

「わたくしが取り出したものは、コピーされたものだからよ。何度でも複製出来るの。続いて英語の教科書から、登場人物のマイク君を取り出してみせましょう」

州湖良は得意げな表情で、今度は三年生用の英語の教科書に手を突っ込む。

数秒後、

「Ouch!」

 中から男性の叫び声がした。

ほとんど間を置かず、金色の髪の毛が飛び出て来た。

 州湖良がさらに引っ張り上げると顔、首、胴体、足も姿を現す。州湖良は本当にマイクという登場人物を取り出して来たのだ。

「What‘s happen? Where’s here? Why am I here?」

 引っ張り出されたマイクは周囲をきょろきょろ見渡す。彼はとてもびっくりしている様子で、かなり戸惑っていた。

「やっぱ英語か」

 昇は冷静に突っ込む。彼はあの光景を先に目にしているので、もはやこんなことが起こってもあまり驚かなかった。

「ノープロブレムだよ。マイクはたぶん、中学課程の範囲を超える用法は使用してこないから。英語の得意な日本人高校生よりもボキャブラリーはずっと乏しいと思うよ」

 祐実は推察する。

「Who are you?」

 マイクは五人と、昇のいる方に目を向け、中一レベルの英語表現で質問する。

「やっほー、マイクエン酸。アタシ、宇田川燐音だぜ。英語ならI am Utagawa Rinne.かな?」

「マイクおじちゃん、はじめまして。あたしの名前は七掛です。十歳、小学五年生です。趣味はお絵描き、特に好きな食べ物はトーラス構造になってるドーナッツと、回転楕円体に近いお饅頭です」 

 燐音と七掛は嬉しそうに自己紹介した。

「ナナカちゃん、マイクは老けて見えるけどワタシやノボルくんと同級生ってことになってるよ。おじちゃんじゃなくて、お兄ちゃんって呼んであげた方がいいかも」

 祐実は笑顔で伝える。

「そっか。ごめんね、マイクお兄ちゃん」

「Oh! very cuty girl! I‘m very happy to meet you.」

 上背一八〇センチくらいあるマイクは中腰姿勢で七掛の顔を眺めながらそう叫び、目を大きく開いた。

「祐実お姉ちゃん、マイクお兄ちゃんさっき何って言ったの?」

 七掛は興味津々に尋ねる。

「とてもかわいい女の子だね、キミと会えて僕はとても幸せだよ。だって」

 祐実はにこにこしながら教えてあげた。

「わぁーっ、嬉しいなーっ! あたしも幸せーっ♪」

 七掛は満面の笑みを浮かべる。

「Nanaka,I fell in love with you at first sight.Shall we dance and s○x?」

 マイクはこう告白すると突然、七掛にガバッと抱きついた。

「……いっ、いやあああっ。こっ、怖い、このおじちゃん」

 押し込まれ壁際に追い込まれた七掛は途端に怯え出す。

 マイクにほっぺたをぐりぐり引っ付けられて、さらには耳元にフーッと息を吹きかけられたのだ。

「おい、何してるんだよ」

「マイク君、七掛ちゃん嫌がってるからやめなさい!」

 昇と州湖良は慌ててマイクの背後に詰め寄る。

「Get out of the way!」

「きゃぁんっ!」

「いてっ、強いな、こいつ」

 瞬間、マイクに蹴り飛ばされてしまった。州湖良はしりもちをついたさい、けっこう可愛らしい悲鳴を上げた。

「Mike,Stop body contact to Nanaka at once!」

 祐実は強い口調で注意した。

「No way!」

 けれどもマイクは聞き耳持たず。

「In place of Nanaka,Hug me!」

「I’m not interested in middle age‘s woman like you at all.You are,so to speak,ugly fat pig.」

 マイクは腐った生魚でも見るかのような目つきで、命令して来た祐実に向かって言う。

「まあ、なんですってぇ。失礼ね、このロリコン」

 祐実はぷくーっとふくれる。こぶしもぎゅっと強く握り締めた。

「今マイク、何って言ったの? 早口で分かりにくかった」

 昇が質問する。

「おまえのような年増には全く興味ない、おまえはいわば、醜い太った豚だ、だって。I‘m as old as you! My birthday may be later than you! ノボルくん、be interested inは~に興味があるっていう重要英熟語だから、しっかり覚えておいてね。否定文にはnotよ。これを覚えたらハ○ヒの名台詞が英語で言えるよ。あともう二つ重要英熟語、not~at allは全く~ない、so to speakはいわば、例えて言うなら、っていう意味よ」

 祐実はマイクを睨み付けながらも、ちゃっかり昇に英熟語を教えてあげる。

「I‘ll marry Nanaka in the near future.If the sun were to rise in the west,I wouldn’t change my mind.」

 マイクはスキンシップをやめようとはしない。

「やめてやめてやめてぇぇぇぇぇぇぇ~」

 七掛は大声で泣き叫ぶ。

「ボクは近い将来、ナナカと結婚するんだ。仮に太陽が西から昇っても、ボクは決心を変えないよ。ですってぇーっ。Pervet! Fuck you! You are scum! ノボルくん、marryはtoとかwithを付けずに目的語を取るよ。marryだけで~と結婚するっていう意味になるの。あと高校レベルかもしれないけどIf主語were to動詞の原形で、もし仮に~したら、……だろうという意味だよ。この表現はIf主語should動詞の原形よりも、さらに実現可能性の低いことについての仮定に使われるの」

 祐実の怒りはさらに増した。けれどもマイクの会話中に出て来た重要英語表現はしっかり解説することを忘れない。

「あっ、あのうマイクさん。七掛さんとても怖がっているので……」

 弥生も彼の暴挙を止めさせようと説得に加わる。

「Really? Nanaka,Please don‘t be afraid to me.If you marry me,I‘ll buy anything you want to.」

 マイクは一応、日本語も理解出来ているようだった。彼は七掛に優しく微笑みかける。

「マイクおじちゃん、早くやめてぇぇぇぇぇぇぇーっ!」

 しかし逆効果。七掛はますます大泣きしてしまった。

「Why?」

 マイクはハハハッと陽気に笑いながら問いかけ、再度頬を引っ付ける。

「ロリコンのマイクエン酸、ナナカリウムいじめちゃダメだぜ」

 燐音はこう注意すると直径十センチくらいの鉄球に変身し、マイクの脳天にゴンッと直撃させた。

「Ouch!」

 マイクに衝撃が走る。両目が☆になった。

「引っ込め! 引っ込め!」

 燐音は元の姿に戻ると英語の教科書を素早く拾い上げ彼のいたページを開く。そしてマイクの脳天に押し付け、中へと戻してあげた。

 これにてマイクのZ軸成分が0と化し、二次元座標への変換が完了した。

「ああ、怖かったよぅ。ありがとう、燐音お姉ちゃぁぁぁーん」

 七掛はえんえん泣きながら礼を言い、燐音にしがみ付く。

「どういたしまして。マイクエン酸は有害なホモサピエンスだったね。アタシも対象外みたいだったし。マイクエン酸の質量を全てエネルギーに変換した方よかったかな? 質量×光速度二乗で、とんでもないエネルギーになっちゃうから不可能だけどな」

 燐音はにこにこしながら物理学的に説明する。

「マイクって子、何がMike is the kindest boy in our class.よ。教科書の本文と全然違うじゃない。To tell the truth,John is not only Lolita complex,but also crazy.」

 祐実は、まだぷっくりふくれていた。

「マイク君は、肉食系男子ね」

 州湖良はぽつりと呟く。

「肉食系男子って、ティラノサウルスみたいだな。犬歯も発達してるのかな?」

 燐音はすかさず突っ込みを入れた。

「ワタシ、肉食系の男の子は苦手だなぁ。ノボルくんみたいな草食系がいい」

 祐実はそう告げて、昇の手をぎゅっと握り締めた。

「えっ、あっ、あの……」

 昇の頬は酸性を示すリトマス試験紙のごとく赤くなる。

「ノボルくん、照れてるぅ。かわいい」

 祐実はにこっと微笑みかけた。

「そっ、そんなことないって」

 昇は必死に否定しようとする。

「昇君、表情でバレバレよ。あの、英語の教科書にもう一人出てくるイギリス人男の子キャラ、トム君も引っ張り出してみようかしら? handsome boyって書いてあるから」

 州湖良は微笑みながら問いかける。

「州湖良お姉ちゃん、もう止めてぇ! また変なおじちゃんだったら嫌だよ」

 七掛はげんなりとした表情で伝えた。

「この教科書に出てくる女の子、ワタシと漢字違いのユミと、メアリーとジェーンはきっと悲しい目に遭わされてるわ」

 祐実はため息まじりに告げる。

「二次元平面上では本文通りのいい子かもしれないわよ。三次元空間上の女の子はオタクを嫌うひどい性格の子が多いのと同じようにね。さあ、昇君、今からは家庭学習の時間よ」

 州湖良は、昇の後ろ首襟をガシッと掴んだ。

「えっ、いっ、今から?」

「当然よ。受験生に休息日なんてないのっ!」

 戸惑う昇に、州湖良はきりっとした表情で言う。

「昇お兄ちゃん、勉強を一日サボったら、元の学力を取り戻すのに一週間はかかるよ」

 七掛は笑顔で忠告する。

「さあノボルくん、シッダウン!」

「わわわ」

 昇は祐実の手によって無理やり学習机の椅子に座らされた。

「まずは学校で出されたホームワークからよ」

「宿題は、今日は出てないよ」

「昇君は、宿題が出てなかったら家庭学習はしなくてもいいと思ってる?」

「そりゃそうだろ」

 州湖良の質問に、昇はにっこり笑いながら答えた。

 次の瞬間、

 パチーッン!

 と乾いた音が鳴り響く。

 州湖良が昇のほっぺたを思いっ切り引っ叩いたのだ。

「……なっ、何するの?」

 昇は突然のことに動揺していた。徐々に泣き出しそうな表情へと変わっていく。

「愛の鞭よ」

 州湖良はきりっとした表情で答えた。

「ノボルくん、宿題無くても授業の予習復習は当たり前だよ。ワタシ達、今日からノボルくんを志望校へ合格させるために、厳しく学習指導していくからね。怠けたら体罰もあるよ♪」

 祐実はにこやかな表情でさらっと告げた。

「えっ……」

 昇はびくっとなる。

「学校では体罰は禁止されてるようだけど、わたくし達は容赦なくやるわよ」

「なんてったってワタシ達は非実在だから、ノボルくんが再起不能になるまでボコボコにしても、Killしちゃっても罪に問われないもんね」

 祐実はにこりと笑った。

「恐ろしいこと言うなよ」

 昇はさらに表情が強張り恐怖心が増した。

「真面目にやれば体罰はしないから。昇君、姿勢を正しなさいっ!」

「ちゃんと真面目にやらないと、坊主頭にしちゃうぞ、ノボルくん」

「いっ、いててて」

 州湖良に両サイドからほっぺたをつねられ、祐実に髪の毛を引っ張られながらくどくど説教され、昇の恐怖心はさらに高まった。

「ノボルくん、まずは机の上をちゃんと片付けようね。やってあげようとは思ったけど、それじゃあノボルくんのためにならないからね♪」

 祐実はにこにこ顔で注意する。

「わっ、分かったよ」

 昇はびくびくしながら素早く手を動かし、散らばっていた教科書、プリント類などを集め、隅の方へ寄せてスペースを設けた。

「それじゃ昇お兄ちゃん、数学の特訓からやろう」

 七掛は数学のテキストを学習机の上にポンッと置く。

「でっ、でも、テキストは白紙じゃ……」

「大丈夫だよ。捲ってみて」

「うっ、うん」

 昇は不思議に思いながらも、七掛に言われた通りにしてみる。

「あれ? 問題文が、ちゃんと載ってる」

 昇は現れた数式を凝視する。

「昇お兄ちゃん、シャーペン持ってさっさと解いて。標準時間は五分だよ」

 七掛はそれを昇に手渡した。

「わっ、分かった」

昇はそこにある問題を解き始める。中学に入ってから最初に習う単元であろう正の数負の数、文字の式に関するものであった。

「昇お兄ちゃん、答えは合ってるけど遅ぉい! もう一回やり直し」

 七掛が開かれているページに手をかざすと、昇がさっき書き写した文字が跡形も無く消えてしまった。

 さらに、問題が一新され数値まで変更された。

「こんな能力も使えるのか」

 昇はあっと驚く。

「問題文は自在に操れるよ。すごいでしょ? 祐実お姉ちゃんも州湖良お姉ちゃんも弥生お姉ちゃんも燐音お姉ちゃんもみんな同じ能力が使えるよ。テキストが最初白紙なのは、受講生の学力に合わせて演習問題のレベルを調整するためだよ」

 七掛はてへっと笑う。

「そっ、そうなんだ」

「昇お兄ちゃん、感心してる暇があったら、さっさと問題解き始めて」

「わっ、分かった」

昇は七掛に命令されるがまま、同じ単元に関する問題を解いていく。

「さっきよりは早くなったけどまだ遅いなぁ。もっと頑張ってね、昇お兄ちゃん。次は単元変えるね」

 七掛は手をかざす。またも昇の書いた文字が消え、問題が一新された。

昇は続いて、一次方程式と比例式に関する問題を解き始める。

 数分後、

「時間オーバー、それに、計算間違いも多いよ。次はこの単元の問題解いてね」

七掛がまたまた注意してくる。

「わっ、分かった。今度は図形かぁ。図形は特に苦手なんだよなぁ」

 昇、三度目の挑戦。一問目の次の中から点対称な図形を選べという問題から悩んでしまう。

「昇お兄ちゃん、手を休めちゃダメェェェーッ! 平面図形・空間図形は一年生の時に習ったでしょ?」

「あいたぁーっ!」

 七掛にコンパスの針でほっぺたをプチュッと突かれてしまった。

「昇君は、一年生の最初の頃はテストの成績良かったみたいだけど、どんな勉強方法してた?」

「その時も、テスト前日から、一夜漬けでやってた」

 州湖良から突如された質問に、昇はかなり怯えながら答える。

「昇君、入試ではそんなやり方じゃ通用しないよ。一夜漬けで身につけた知識は、ほとんどすぐに忘れちゃうの。本当の実力は身についてないってことを肝に銘じておきなさいっ!」

「わっ、分かりましたぁぁぁーっ」

 きつい口調で厳しく注意された昇は体罰されないようにと、必死に思考回路を巡らせシャープペンシルを動かし問題に取り組む。全部で十題あるうち八題目を解いている途中、

「あっ、あのさ、僕、トイレ、行きたくなったんだけど」

 昇は椅子に座ったまま足をくねくねさせ始めた。

「州湖良お姉ちゃん、昇お兄ちゃんがおしっこだって」

 七掛がにこにこ顔で伝える。

「ダメ! 認めません。講義中のトイレ行きたいは、逃げるための常套文句ですから」

 州湖良は厳しい表情で告げた。

「そっ、そんな……」

「これにすれば大丈夫よ」

州湖良はにこっと笑い、理科の資料集に手を突っ込む。そしてペットボトルを取り出し、昇の目の前にかざした。

「でっ、出来るわけないだろ」

 昇は当然のように拒否した。

「ノボルボックス、チャック開けるね。あっ、パジャマだからついてないのか。じゃぁ、直接脱がしちゃえーっ!」

 燐音は昇の側により、ズボンを引っ張ろうとする。

「ワタシも手伝うよ」

 祐実も加担してくる。

「やっ、やめてくれ」

 昇は全身をぶんぶん振り動かし必死に抵抗する。

「ノボルくん、このままじゃおもらししちゃうよ」

「ちなみにペットボトルのペットとは、ポリエチレンテレフタレートのことだぜ。エチレングリコールとテレフタル酸との脱水縮合により作られるのだ」

 けれども祐実と燐音の方が優勢だ。

「あっ、あの、州湖良さん。便所には、行かせてあげた方がいいのではないでしょうか?」

「州湖良お姉ちゃん、昇お兄ちゃんがかわいそうだよ」

弥生と七掛は説得する。

「……それじゃ、特別に許可するね」

 州湖良は数秒悩んだ後、こう告げた。弥生にあの恐ろしい姿に変身されては困る、と感じての判断であった。

「よっ、よかったぁー」

 昇はガバッと立ち上がり、部屋から飛び出し一階にあるトイレへ駆けていった。


(規制対策のため削除)


 自分の非は認めない昇が自室の扉を開くと、残る三人は昇の所有するマンガやラノベを読み漁ったり、携帯ゲーム機で遊んだりしていた。

「あっ、あのう、もう一度言うけど、あんまり僕の部屋を荒らさないでね」

 昇が優しく注意すると、

「ごめんなさい昇さん。すぐに元の位置へ戻します」

「了解、ノボルボックス」

「昇お兄ちゃん、すぐお片づけするね」

 三人は快く応じてくれた。

「さてと、問題の続きやらないと」

 昇が椅子に座り、シャープペンシルを手に持った。

 その時、

「ノボルくぅん」

「もう、昇君ったら。シャイな子ね」

祐実と州湖良の声がするのとほぼ同時に、部屋の扉がガチャッと開かれた。

「ごっ、ごめんなさぁーいっ!!」

 昇は反射的に謝る。

「べつにワタシ、気にしてないよ。I don‘t mind at all that I was peeped by you.」

 祐実は頬をピンク色に染めながら自分の気持ちを英語で伝える。

「わたくしも祐実ちゃんの後に用を足したわよ。昇君、なんで逃げたのかな? 男の子なら、こういうシチュエーション大喜びすると思ったのに」

 州湖良が不思議そうに尋ねて来た。

「エロゲーの世界じゃないんだから」

 昇は困惑顔ですかさず突っ込む。

「ノボルボックス、アタシ以外はごく普通に排泄行為をするからね。この四名は三次元空間上では現実のヒトのメスと同じだから。アタシの場合は、飲食物は体内でエネルギーに変換されるからする必要ないけどな」

 燐音はにこにこしながら自慢げに語る。

「ドラ○もんかよ」

 昇はまたもすかさず突っ込んだ。

「まあでもアタシでも月一回程度、数日に渡って血液が子宮から体外に排出されるのだけどね。三次元世界のヒトのメスで言うとアノ日のことだよ。ノボルボックス、このことを正式名称で何と言うかもちろん知ってるよね? 保健の授業で小学校の頃にも習ったでしょ? 答えてみて」

 燐音は少し照れくさそうに訊く。

「もうその話はいいよ」

 昇は俯き加減に言った。

「昇お兄ちゃん困ってるから、数学の話に戻るね。あたし、昇お兄ちゃんが学校にいる間、数学の中間テストの問題も拝見したけど、簡単過ぎだよ。問題集から数値もそのまま出されてるのが三分の一くらいあった。こんなので九〇点百点取ったって意味がないよ。問題を作った先生も手を抜き過ぎ。採点で楽をしようと思ったんだね」

「えっ、かなり難しく感じたんだけど」

 七掛の不満そうな指摘を昇は即反論する。

「それは昇お兄ちゃんに基礎力があまりついてないからだよ。入試問題は、今まで見たこともないような問題が出るの。数値変えただけで解けなくなるようではダメだよ」

 七掛は昇を見上げながら苦言を呈した。

「理科もワークからのコピーがかなり目立ってたぜ。ノボルボックスの偏差値は四九.九か」

「国語も、ワークからそのまま出されている問題が多く感じました。学年平均も七五点もありますし」

「社会科は本当に酷かったわ。市販の教材のコピーで大半を締められてるもの。平均も七八点って。昇君は九一点取ってるけど、学年順位は六三位だし。得意教科みたいだけど、これじゃダメね」

 燐音、弥生、州湖良の三人は昇のクラスで今日配布された二学期中間テスト個人成績表を眺めてため息をつく。昇の総合得点学年順位は一一四位だった。

「確かに社会科百点いっぱいいたな。あのう、もう十一時過ぎてるし。そろそろ」

 昇は目覚まし時計の針を眺める。かなり眠くなって来ていた。

「ダメ! まだ今日の分ほとんどやってないわよ。高校受験を控えた中学三年生は家庭学習一日最低五時間はやらなきゃ」

 州湖良は厳しく注意する。

「ノボルボックス、ほら見て。カホルマリンも家庭学習頑張ってるぜ」

 燐音に指摘され、昇はテレビモニターに目を向ける。

 果歩が机に向かって、一生懸命数学の練習問題を解いている姿が映し出されていた。

「ほんとだ」

 昇は食い入るように見つめる。普段ののほほんとした表情とは違い、真剣な表情をしていた。

「こちらは昇君の頭が良さそうで気の弱そうなお友達、大学学君の様子よ」

 州湖良がリモコンを操作すると、学のおウチ自室が映し出された。彼もまた、机に向かって英語の演習問題を解いていた。

「学も、天才かと思いきや、やっぱ陰で努力してるんだな」

 昇は感心しながら呟く。

「その通りです。学さんも、果歩さんも、長年刻苦勉励し続けて、あれだけの高い学力を身に付けたんですよ。テスト前だけ勉強すればいい、なんていう昇さんのような浅はかな意識の持ち様とは違うのです。真の学力というのは、一夜漬けで身につくようなものでは到底ありません。昇さんは、一、二年生の頃に一夜漬けで覚えたことを、今もう一度やって解けますか?」

「……それは、自信ないな」

 弥生からの質問に、昇は俯き加減で答えた。

「そうでしょう昇さん。楽をして成績が上がるなんて、そんな甘い考えではいけませんよ」

「学問に王道なしは、ユークリッドの有名な言葉だよ、昇お兄ちゃん」

 七掛は得意げに教える。

「さあ、ノボルくん。次は英語を頑張ろう。ノボルくん一番の苦手教科みたいだから、重点的にやろうね」

「分かった!」

 昇は急にやる気が漲って来た。椅子に座るとさっそく祐実が調節した問題を解いていく。

「ノボルくん、スペル間違えてるっ!」

「いったたたぁーっ、ほっ、ほっぺたそんなに強くつねらないで」

 時おり祐実から体罰を受けながら。

     ☆

まもなく日付が変わる頃、

「昇お兄ちゃん、あたし、もう眠いから、寝るねー」

「私も眠いので、寝ます。子の刻以降に起きているのは辛いです。おやすみなさい」

「アタシも眠くなって来たぜ。夜行性じゃないからな。ノボルボックス、あとは頑張ってねー」

 睡魔に負けた七掛、弥生、燐音は自分のテキストの中へと飛び込み就寝。

「昇君、夏にぴったりの夜食よ。元気が出るよ」

 零時二〇分頃。英語の特訓中、州湖良が学習机の上に、あるメニューを置いてくれた。

 タイ名物、トムヤムクンだった。

「ありがとう州湖良ちゃん。これも社会科の資料集から取り出したんだね」

「その通りよ。食べ物だって取り出せるの」

「ノボルくん、これ食べてLet‘s  breathe  for a moment.」

「じゃあ、いただきます」 

 昇は一旦シャーペンを置き、お皿に浸されてあったレンゲを手に取る。そしてお汁と具をいっしょに掬って口に運び入れた。

「かっ、からぁー」

 瞬間、両目を×にし舌をぺろりと出す。

「昇君、辛いのは苦手?」

「うん」

「ごめんね。ちょっと待ってて」

 州湖良はトムヤムクンを資料集に戻し、代わりにタイ名物のデザートを取り出した。

「ありがとう」

 机の上に置かれると、昇は備え付けのスプーンで掬いお口に運んでいく。

「美味しい?」

 祐実がにこやかな表情で尋ねると、

「うん。けっこう甘くて」

 昇は笑みを浮かべながら答える。美味しそうに全て平らげた。

「さあノボルくん、もう少しだけ頑張ろう。毎日コツコツ努力すれば、一時凌ぎではない本当のacademic abilityが身に付くからね」

 祐実はウィンクする。 

「分かったよ、祐実ちゃん。僕、一生懸命頑張るから」

 やる気が引き立った昇は、再びシャープペンシルを手に取った。

「ノボルくぅん、助動詞willの後ろは動詞の原形がくるって決まり、もう忘れたの?」

「うぶぉっ!」

 その後も何度か祐実に腹部をグーで殴られるなどの体罰を受けながら、英語の今日の分を学習し終えた頃には午前一時過ぎ。昇はようやく寝させてもらえた。

(まさか、体罰されるなんて思いもしなかったよ。叩かれた所がズキズキする。物理的な暴力が振るわれない分、烈修館の方がマシなんじゃないのか? ……でも、優しくも励ましてもくれたし、それに、顔もしぐさも声もすごく萌えるし、これからもあの子達に教えてもらいたいなって感じたな)

 布団の中で、昇はそんなちょっぴりMっ気が芽生えて来た。彼が眠り付いてから数分のち、

「昇さん、傷を治しておきますね」

 眼鏡を外した弥生が国語のテキストから飛び出て来て、昇に向かって両手をかざした。

 すると昇の顔や腕、下腹部、足に出来た痣が瞬く間に消えていったのだ。

「昇さんの寝顔、いとかわいいです。私は体罰に加担しないので、ご安心下さいね。おやすみなさい」

 弥生は小声でそう伝えて小さくあくびをし、自分のテキストへと戻っていった。

             ☆

 翌日夕方。

「ノボルくん、いよいよ明日はカホちゃんとデートですね」

 昇が帰宅して自室に足を踏み入れると、祐実が嬉しそうに話しかけて来た。

「いやぁ、デートじゃないって。ところで、今日席替えがあったんだけど、果歩ちゃんと、亮哉と同じ班になったよ」

 昇は不思議そうな表情で五人に伝える。

「ノボルボックスのクラスが移動教室中に、アタシが忍び込んで籤に細工したのだ」

 燐音は自慢げに語る。

「えっ!」

「ノボルボックス、嬉しいでしょ? カホルマリンのお隣になれて」

「いや、そんなことは……むしろ、すごく気まずかったよ」

 昇は俯き加減で言った。

「ノボルくん、現在進行形で照れてるよ」

 祐実はにこにこ微笑みかけ指摘する。

「照れてないって。というか燐音ちゃん、勝手に学校入っちゃダメだよ」

 昇は困惑顔で注意した。

「まあいいじゃん。アタシ、マナブタンもノボルボックスと同じ班にしようとしたんだけど、ミスしちゃったよ」

 燐音はてへりと笑う。反省の色は全く見えなかった。

「燐音さん、私達は〝家庭学習用教材〟ですよ。基本的にお外へは出ず、受講生の自室に引き篭っているのが役目ですからね」

 けれども弥生ににこっと微笑みかけられると、

「分かりましたのだヤヨイソロイシン。今後は緊急の場合を除きノボルボックス宅内部から外へは出ません」

 燐音は本能的に反省の色を示したのだった。


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