第五章 文武両道もいいもんだ。
夏休みまで後一ヶ月。
夏休みと言えば、我々学生にとってとても重要な期間である。
まず、一ヶ月も学校に縛られることなく自由に過ごすことが出来る。更に海、祭り、花火、キャンプなど様々なお楽しみイベントが待っているのだ。
しかしここで忘れてはいけないことがある。
───そう、夏休みの課題だ。
夏休みには学校からこれでもかと言うほどの量がある課題を出されてしまう。しかも休み明けには課題テストがでる。
奴らは俺達に休みだ休みと言いながら実際には「あ? 休み? 何言っちゃってんの? それより、もちろん勉強はしてるよね?」と言っているのと同じだ。
高校二年生ともなると今まで以上に課題が難しくなる。微分と積分って何だよ? 訳分からん。
まあ、つまり何が言いたいかのかと言われれば。
夏休みに遊ぶため、俺は今日、六月二十日に一学期の復習を始めたのだ。
俺が数学のテキストを広げている机の右斜め前には燃代と深暗沢がいる。二人仲良く並んで座っている。時折、燃代が深暗沢を労るような仕草も見受けられる。そんな疲れねぇだろ……。
「おっと、やべっ」
俺は手が止まっていることに気づき再びテキストに視線を戻す。するとその時、燃代が何かをバッグから取り出したのが見えた。
燃代の手に収まっているそれは、
トランプだった。
あろうことか燃代と深暗沢は勉強している俺の前でババ抜きを始めやがった。わざとか! わざとやってんのかコイツ等! 勉強してる奴の前で遊びだすとか、もう誘ってるとしか思えん!
「…………? 小長井君、何か用?」
トランプ遊びを始めたのを凝視しすぎていたせいか、燃代に声をかけられてしまった。
「べべべ、別にトランプなんてこれっぽっちもしたくないし。遊びたい訳じゃないんだからねっ!!」
「やりたいのなら素直に言えばええのに、呆れた変態ね」
俺の似非ツンデレは深暗沢の罵倒によって一刀両断される。それを聞いていた燃代はふと何かを閃いたように手を打った。
「たははっ、じゃあ小長井君も一緒にやろうよ! 二人より三人でやった方が楽しいもんね!」
「全く、しょうがないなぁー。一回だけだぞ一回だけ。あ~仕方ない仕方ない」
「はぁ。仕方ないと言う割にはニヤニヤと気持ち悪い顔しているわね」
深暗沢が頭を指で押さえて溜め息をつく。コイツも最近は俺への視線があまり厳しくなくなったものだ。諦められたとも言う。
そんなこんなで第1回特殊委員会内ババ抜き選手権大会が幕を開けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「がああああっ! また一番に抜けちまったぁ!」
最後の手札を捨てて絶叫する俺。
「勝ったのに悔しがるなんて可笑しな人ね」
手札を五枚も残した深暗沢が俺に非難を浴びせる。
でも考えて欲しい。もう七回もやっているのに一度たりとも俺の手札にババが回って来ないのだ。つまらないったらありゃしない!
なにコレ? さっきからカードを引いては捨て引いては捨ての繰り返しじゃねぇか!!
「うーん……。勝っても一回もジョーカーが無いなんて………。流石、小長井君だね! THE 中途半端っ!」
燃代が違う意味で褒めてくる。違うんだよ。俺が欲しいのは賞賛よりもジョーカーのカードなんだよ。
ババ抜きの時にババを求めてる奴なんて俺くらいのものだろう。
「もうやめだ、やめだ。なんか違うのやろうぜ? 俺でも負けられる奴」
「セリフだけ聞くと物凄くウザいわね」
深暗沢が俺の方を見ずに文句を垂れる。そんなに俺に勝てないのが悔しいのか。ざまぁ!
「駄目だよ! 小長井君。勝ち逃げは良くないなー。アタシが勝つまでやるんだから!」
メラメラと、瞳の中を燃えたぎらせる燃代が拳を握る。うわー、熱い。やっぱりコイツは熱い奴だ。
と、その時ふと目をやった机の上に見覚えのある書籍が置いてあるのが見えた。そこに書いてある文字を読む。
えーと、数・学・Ⅱ?
何だろう? どこかで見たような………。
「って、あああああああぁぁぁ~! 忘れてたぁぁぁぁあああっ!」
急に大声をだした俺に驚いたのか、深暗沢は少しビクッと体を震わせた。
「な、何よ? 急に。お、大きな声出さないで欲しいわ」
「トランプやりすぎて勉強しなくちゃいけないの忘れてたんだよ」
「へ? 宿題とかあったけ?」
燃代が不思議そうに首を傾げる。
「いや、そうじゃないけど。夏休み明けの課題テストの勉強だよ」
「そんなの、夏休みにやれば良いじゃんかぁ~」
「それじゃ間に合わないから今やってるんですけどね!」
そこでオレは一つの疑問が生まれた。
「そう言えばお前ら、勉強できんの?」
非常に疑問である。燃代はともかく深暗沢に至っては授業すらまともに出てないんじゃないか?
「んー、アタシは数学はあんまりだけど、国語教科は得意だよ!」
燃代がふふん、と鼻を鳴らして答える。
「ちなみに、どれくらい?」
「この間の学力テストは総合学年4位だったよ」
ガクネンヨンイ? 何を仰ってるのでしょうか? 僕には理解できないのですが。
「ヨンイって4位のことか? お前、そんなに頭良かったのかよ…」
俺なんて400人中257位だったよ! 畜生! まったく、神様ってのは不平等だな。
まだだ。まだ慌てるような時間じゃない。深暗沢がいる。あいつは授業に出ない引きこもりだぞ。頭良いわけがないハズ。
「深暗沢はどうなんだ? ていうか、テスト受けてんのか?」
俺は深暗沢の方を向き、俺より成績が悪いことを祈りながら尋ねる。
「少なくともテストの日だけは来るようにと言われているわ。でないと、既に私は退学になってるでしょうね」
むしろ、テストの日だけしか来てないのに退学にならない方が不思議なんだが、と言うツッコミを押さえて次の言葉を待つ。
「そうね。差し詰め私の順位を分かり易くあなたに教えるとするならば、燃代さんの順位に100足して4で割った後に25を引いたものよ」
何だ? えーと、燃代は4位だから………100足して104。4で割って26。そんでもって25を引くって事は─────。
「い、いいい、1位じゃねーかよおおおおおっ!!」
何だよコイツ等!? 1位と4位って化け物かよ! 俺だけなのか。頭良くないの俺だけなのか。
「何でお前らそんな頭良いんだ? どうしたら勉強できるようになるんだ? どうせ俺なんて……」
俺が悲しみに打ちひしがれていると燃代が俺の肩に手を乗せる。そして破竹の勢いでシャウトした。
「小長井君、どうしてそこで諦めるんだ!? 君なら出来る、出来る、絶対出来る! もっと、熱く、なれよぉーっ!!!!!!」
お前は松○修造かよ。地球温暖化の原因コイツなんじゃねーの?
将来的な地球の環境の改善を思い、俺は燃代を宥めてから深暗沢に問う。
「なぁ深暗沢。授業出てないのに何で勉強できるんだよ?」
「拒否権を発動するわ」
即答で拒絶された。しかも心なしか声が暗い気がする。なんか怒らせる様な事したっけ?
「いいだろ教えてくれたって。別に減るもんじゃねーし」
ただ少し勉強の仕方を真似ようかなー、とか考えてるだけだし。
俺の納豆の糸並のしつこさに観念したのか、はぁ、と溜め息をついた燃代は重い口を開ける。
「私が勉強出来るのは授業に出てないからよ」
「は? ……普通、逆だろ?」
「授業に出ないと時間が余るから、勉強するしか暇つぶしの方法が無かったのよ。悪いかしら?」
理由が残念すぎた。授業出ないと自主的に勉強するほど暇になるって矛盾してるだろ。引きこもりになると頭が良くなるよ! って進研ゼ○にでも書いておこうぜ。
すると、燃代が異様に高いテンションのまま意気揚々と提案してきた。目がキラキラしてる。眩しい。
「じゃあさー。勉強会しようよ! 勉強会!」
「嫌だね、そんなの」
「嫌よ、そんなの」
「ダブルで却下されたっ!?」
いいと思ったのになー、とふてくされたように頬を膨らませた燃代をよそに俺は勉強に戻る。深暗沢も疲れたと呟きいつもの席に腰をかけていた。
まったく、何が楽しくて俺がコイツ等と勉強会などしなくてはならんのだ。
さーて、俺は数学をやんないとな、と微妙な気持ちで微分を使った問題を解いていたちょうどその時。
コンコンッ
と、先日、業者の人になおして貰ったばかりの教室のドアをノックする音がした。
はて? 一体誰だろうか。こんな物好きな委員会に用がある奴がいるとは思えんのだが。
「ほいほーい。どちら様ですか~?」
燃代が間の抜けた明るい声で迎え入れる。
ガチャッとドアが開く。
「お久しぶりです。燃代先輩」
「ここが特殊委員会ですかぁ……」
入ってきたのは二人組の女子生徒だった。一人は暗めの茶髪をポニーテールにしているきつめの顔。もう一人は小動物のような小さな女の子だった。
「なんだ? 燃代の知り合いか?」
「ん…。まぁ、そうかな」
何とも歯切れの悪い答え方をする燃代は二人から顔を背けるようにしている。よく見ると、二人はジャージを着ている。あれはうちの陸上部のだ。
「燃代先輩!」
ポニテの女の子が燃代を呼ぶ。
「お願いです! 戻ってきてくださいよ。先輩が居ないとウチらはもう…」
「そうですよ、先輩。みんな謝ってくれますから」
「ごめん。アタシは陸上部には戻らない」
燃代は涙目の後輩二人をばっさりと切り捨てる。
何だろな。このシリアス展開。居心地が悪い感じでソワソワするしかない。えーと、勉強、勉強………。
「ねぇ、何があったのかは知らないけれど私が居るところで喧嘩しないでくれるかしら」
真剣な空気の間に冷たい声が響く。その声の主はもちろん深暗沢さんである。空気を読まない深暗沢さんマジパネェ!
冷たい言葉が、かんに障ったのかポニテの娘がキッと深暗沢をにらむ。怖えー。
「アンタには関係ない! これはウチと先輩の問題なの! 何も知らない癖にガヤガヤうるさいっ!」
「お、落ち着いて、葉月ちゃん」
「陽海は黙ってて!」
陽海と呼ばれた娘が、オロオロしながらも葉月と呼ばれたポニテ女子をなだめる。まるで暴れた猿を取り押さえる飼育員みたいな光景だった。
「ふっ。全く、うるさい猿ね。喚くことしかできないのかしら? 動物園にでも行ってきた方がいいわ」
「な、何よ、アンタ!? 人を馬鹿にするのもいい加減に…」
「あら。私は猿のようだとは言ったけど、馬とも鹿とも言ってないわ」
ガルルルルルとうなり声を上げる葉月とクフフフフフと不気味な笑いを上げる深暗沢。仲悪いなコイツ等。人間ってのは短時間で他人を嫌いになれるんだな。
俺は呆れたように溜め息をつく。
「はぁ、めんどくせー奴ら」
「何なの、アンタ。邪魔すんな!」
「何かしら? 邪魔なのだけれど」
前言撤回仲良いッスねお前ら。
「ストップだよ! ミッちゃんも小長井君も落ち着いて」
俺を巻き込んでさらにヒートアップしそうになった罵り合いを止めたのは燃代だった。
「はづきんもハルっちもそこまで」
「先輩…。でも……」
「でもじゃないよ。──言いたいことは分かったから今度にして。ね?」
人差し指をたてニコッと笑い、言い聞かす燃代はどこか悲しげな気がする。
「わ、分かりました。でも、絶対ウチはあきらめませんから!」
しぶしぶそう言うと葉月と陽海の二人は教室を後にする。
バタンッ
と音を立てて扉が閉められた。
「ふぅ~。何だったんだ、一体?」
「はづきん達はアタシの後輩だよっ」
俺の問いに燃代は答える。その声は二人が来る前と同じように明るく聞こえた。
「いや。それは分かるんだか、何かあったのか?」
この質問に燃代は答えなかった。代わりに深暗沢が誰に言うでもなく言葉をこぼす。
「誰にだって知られたくない事はあるものよね」
沈黙が訪れる。
俺は静寂の渦中で教室の扉と燃代を見比べる。
何にでもアツい奴なのに、いや、アツい奴だからこそ───。
彼女が抱える心の壁も、厚いようだった。