硝子格子 〜チナツ〜
エアーポンプの音しか聞こえません。
今日はお部屋がとても静かです。こんなことは、年に数回もありません。
いつもここは、賑やかでした。
つい先日まで、夜中まで煌々と明かりがついて、毎日違うお友だちが遊びに来ていたんですよ。
このお部屋の住人は、とても綺麗な女の人。寂しがりやで、誰かと一緒じゃないと眠れないくらい。
いつも違う男の人が、彼女のベッドに寝ていました。
ほとんどの人が、一度きり。
それでも沢山の人が遊びに来るから、平気ね。
みんなヒマになると私の水槽に餌を入れてくれます。
時間とかは決まってないけど、彼女が朝食を用意している間に、コーヒーを飲みながら餌を入れてくれます。
私は自慢の尾ひれを見せつけながら、大きな水槽の水面に浮いた餌をいただきます。
二人で覗き込みながら微笑みあってる。
ガラスの向こうに見える彼女、とても幸せそう。
でも4日前、彼女は動かなくなりました。
昼から男の人たちが沢山来て、お部屋を調べていきました。
黒い服を着た人たちばかり。ケイサツの人なんだって。
彼女は白い顔をして倒れていたの。顔が白すぎて、青いくらい。
それにお腹のあたりからは、それはそれは鮮やかな血を流していました。
白い肌に赤が映えて、とっても綺麗だった。私の尾ひれも負けそうなくらいよ。
彼女をもっと見ていたかったけど、しばらくすると白い布に覆われて、連れて行かれてしまったの。
ケイサツの人ってのは、餌はくれないらしいわ。
それからお部屋には、ずっと前に一度遊びにきたオカアサンが暮らし始めました。
昼も夜も泣いていて、餌を貰い損ねたことも度々あったの。
オカアサンは私を、彼女の名前で呼びました。
チナツ、犯人がつかまったわよ。よかったわねえ、よかったわねえ。
ハンニンの男は、彼女が動かなくなった日の朝、近くのホテルでクスリを飲んで死んでいたそうです。
ハンニンの最後のお手紙に、彼女を殺してしまったこと、彼女を愛していたけど騙されたこと、死んでオワビをすることが書かれていたんだって。
それからケイサツの人がお部屋に来ることはありませんでした。
ハンニンの男の人、私何度か見たことがあったんですよ。
それでもほんの何度か、ね。他の人よりちょっと多いくらいかなあ。
彼女が動かなくなる少し前から、ハンニンのお友だちの女の人も、よく遊びにきていたわ。
その度に彼女もお友だちも大声を出して、振動がガラスに伝わるほどだったの。
あの夜も、大声を上げていたわね。
あれは彼女の声だったのかしら。
あの夜は珍しく早々と電気を消して、お部屋の明かりといえば水槽の青いライトくらいだった。
久しぶりに暗闇の中で、水槽のガラスには私自身が大きく映って、とっても嬉しかった。
こうやってガラスに映った自分の尾ひれを見るのが好きなの。なんせ滅多にみられないからね。
そうやってクルクル踊りながら見つめていたら、水面に手が近づいてきたの。
あら、こんな時間に餌ですか?まあ、ありがたく頂くけれども。
でも餌じゃなかったのね。
水中に手が入ってきて、指先を洗い流すように泳がせて、そのまま出て行った。
後にはうっすらと赤い血が見えたけど、すぐに水に紛れて消えちゃった。
なかなか高機能な浄水機が付いてるのよ。
一瞬鉄の臭いで気分が悪くなったけど、水はあっという間に浄化されて、ホッとしました。
私の水槽で手を洗うなんて、失礼極まりないと思わない?
次の日の朝に絶対彼女に苦情を言おうと思ったんだけど(えらを膨らませて不満を伝えます)、次の日には彼女はもう動かなくなっていたし、どうしようもないわね。
それにしても、あれは誰の手だったのかしらね。青いライトに照らされてガラスの内側に映った白い手。言いにくいけど、彼女の手より綺麗だったの。
私が覚えているのは、白く細い指と、美しく整えられたピンクのネイルだったわ。
私の尾ひれにはちょっとかなわないけど。
雨が降ってきたみたいね。
明日にはオカアサンとジッカに行くんだって。
どんなところか、私とても楽しみにしてるんですよ。