俺を振った幼馴染がなぜか俺の恋愛を邪魔してくるのだが
幼い頃、俺と彼女はいつも一緒だった。学校が終われば、どちらからともなく待ち合わせて近所の神社へ向かう。
境内の隅にある大きな石に腰掛けて駄菓子を食べたり、蝉の抜け殻を集めたり。時にはどちらが先に鳥居まで走れるかなんて、今思えばくだらないことでも本気になって競った。あの頃の俺にとっては、それが何より楽しかったのだ。
「ねえ」
「ん?」
「大きくなったら、何になりたい?」
夕暮れの境内。隣に座る彼女が、唐突にそんなことを聞いてきた。
「俺? うーん……」
腕を組んで悩む。けれど、幼い俺に大した夢なんてなかった。
「普通に働いて、普通に暮らせればいいかな」
「つまんない」
「うるさいな」
隣で彼女が小さく笑う。その横顔を見ていると、胸の奥が妙にくすぐったくなった。今なら、それが恋だったのだと分かる。けれど当時の俺には、そんな言葉を知るほどの知識もなかった。だから、その感情をそのまま口にした。
「じゃあ大人になってもこうやって一緒に遊べればいいかな」
「……大人になっても一緒にいてほしいってこと?」
首を傾げつつ夕暮れに頬を染めながら、彼女はそんなことを口にする。その表情がいつになく可愛らしく、そして何だか大人びて見えて俺は視線を地面へと落としつつぼそりと呟くように答えた。
「そう、だけど」
その返答に満足したのか、彼女はにこりと笑顔を返す。
「……私も」
顔を上げる。彼女は耳まで赤くしながら、それでもやはり嬉しそうに笑っていた。
そんな夏の日のことを、俺は今でも覚えている。
――だからこそ。数年後、彼女の両親が離婚し引っ越してしまうと聞いたとき、俺は何も理解できなかった。好き同士なら、ずっと一緒にいるものだと思っていたから。
けれど、現実はそうじゃなかった。どれだけ仲睦まじく見えたとしても、将来を誓い合ったとしても、道が分かたれてしまうこともある。そんな当たり前で冷たい事実に加え、彼女が遠くの街へと引っ越してしまう。そんな残酷な現実が当時の俺の心を絶望のどん底へと叩き落したのだった。
そうして迎えた最後の日。駅のホームで俺は打ちひしがれる胸を隠し、ずっと笑顔で彼女と向かい合っていた。対し彼女はと言うと、ずっと顔を俯けながらぽろぽろと涙を流すばかり。そんな姿が見てられず、俺は彼女の手を取り慰めを口にする。
「きっとまた会えるよ」
「……本当?」
「ああ」
俺は迷わず答えた。
「大人になったら、俺が会いに行く」
「……嘘じゃない?」
「ああ」
「絶対?」
「絶対」
その後も彼女は何度も念を押してきて、そのたびに俺は頷いた。
「じゃあ、私も戻ってくる」
泣き腫らした目で、それでも彼女は笑った。
「そのときは、ちゃんと言って」
「何を?」
「……好きって」
夕暮れが雫に反射し、どこかの舞台女優のように彼女を照らしていた。夏の終わりの少し冷たい風が吹き、肩まで掛かった髪を揺らす。どこか我慢しているような、寂しさを必死に堪えているような、そんな笑顔を浮かべていた少女。その姿を一生俺は忘れない。そして、いつかまた会うこと。そして、もう一度気持ちを伝えるその約束も。
……思い出はこれで終わり。そのはずなのだが、なぜだか何かを忘れているような気がする。朝起きる度に俺はそう心に疑問を抱えるのだった。
◇
高校一年の秋。その約束は、本当に果たされることになる。
「久しぶり」
数年ぶりに見た彼女は、昔とは比べものにならないくらい綺麗になっていた。肩まで伸びた黒髪。整った顔立ち。小降りだが確かに存在を強調する胸部。
そして昔から大人しかった性格は、さらに静かになっていて、滅多に喋らず教室の中でも彼女は一人でいることが多かった。まさにクールな美少女といった感じだ。実際周囲からは、氷結姫なんて呼ばれていたらしい。
けれど俺にとっては、昔と変わらない幼馴染だ。
「……変わらないわね。その何も考えてなさそうな顔も、いかにも偏差値が低そうな頭も」
「容姿も、頭も、変化を提するには主観的に過ぎる気がするが」
「そう?確かに顔はそうかも。でも頭は私の言った通りな気がするけれど」
「証拠の提示を求める」
「だって約束覚えてなかったじゃない」
その言葉に、俺は思わず言葉に詰まり視線を窓の外の雲へと向ける。
「来るって言ったのに」
流れる雲、晴れやかな青空。そして見えずとも感じ取れる黒川の指すような視線。
「……言い訳みたいに聞こえるかもしれないけど、ちゃんと行こうとはしてたんだって」
背中に感じる「一応聞いてやる」と言わんばかりの威圧感に冷や汗を搔きつつ、俺は続ける。
「その為にバイト初めて、お金も溜めて。年明けには行ける想定だったから宿とかも先週くらいから考え始めてたし」
両親に聞いたところ彼女の引っ越し先というのは九州だったそうで交通費だけで往復3万。宿代その他予備費として合計5万いるということになり今まで掛かってしまったのだ。
「年明け、ねぇ」
机に頬杖を付き、こちらをジト目で見ながら呟く。
「友達との遊興費を節約してたら、もっと早く来れたんじゃないの?」
鋭い指摘に心臓がどきりと跳ねる。動揺が悟られないように、俺は大きく深呼吸をした。
「……まあいいわ。また会えたし。それに、こっちで言ってもらうに越したことはないし」
「そう。そうだよ!また会えたからいいじゃないか!」
動揺を誤魔化すように声を張り上げつつ、俺は彼女に向き直る。その顔はやはりウィンドウに飾られた人形のように整っていて、まさに美少女といった感じだ。
「……」
「……?」
何かを待つように首を傾げつつ、無言のアピールをしてくる黒川。何のことか分からず俺は疑問符を顔に映し出す。
「はぁ」
大きく溜息を吐く彼女。
「今日から宿題を出すわ。まず記憶力を向上させるため、脳トレアプリを毎日1時間やること」
長すぎる。ドラマ1話分じゃないか。
「そして…」
そう言いかけると、彼女は鞄を持ちながら立ち上がり俺の頬を思い切りつねる。
「ちゃんと私に言うこと」
耳を若干朱色に染めながら、彼女は教室を後にする。鞄につけたいつかの神社のお守りを揺らしながら。
その瞬間、胸の奥に懐かしい感覚が蘇った。確かな郷愁とそして恋心が。
実のところ彼女との約束を忘れてたわけではない。言った通りちゃんと会いに行こうとしてたのだ。そして彼女が何を求めているのかも覚えている。ただ心の準備ができていないだけで。
それから俺たちは、また一緒に過ごすようになった。朝、教室で顔を合わせれば挨拶をし、昼休みにはたまに隣で弁当を食べる。まあこれは席が隣通しってだけってこともあるが。そして時間が重なった時は一緒に登校したり、一緒に帰ったり。これも家が隣同士というのもあるが。
昔と何も変わらない。そんな何でもないような大切な日常。しかし俺は知っている。日常というのはいつ壊れてもおかしくないものなのだと。子供には抗う術などないことを。だからなくなる前に関係をはっきりさせておかなくてはいけない。離れても繋がっていれるように。今度こそ。
とある放課後。俺は人の少ない校舎裏に彼女を呼び出した。
「話って?」
「……昔のこと、約束を果たそうと思って」
「そう」
彼女の表情が、ほんの少しだけ揺れた。俺は一度だけ深呼吸をして、彼女を見る。
「好きだ」
約束の言葉。告白の言葉。昔の想いを、今の想いを伝える言葉。
「ずっと好きだった。離れてる間も、たぶん忘れたことはなかった」
彼女は黙って俺の話を聞いている。
「だから……俺と付き合ってほしい」
返事は、すぐには返ってこなかった。彼女は俯いたまま、長い沈黙を続ける。やがて、小さな声が落ちた。
「……ごめん」
一瞬、意味が分からなかった。
「……え?」
「付き合えない」
胸の奥が、鈍く痛んだ。彼女がどんな顔をしているのかを見るのが怖くて、視線を逸らす。
「……そっか」
それだけ言うのが精一杯だった。
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」
無理やり笑う。
「俺が勝手に告白しただけだし」
押し黙る彼女。ただ、何かを言いたそうに唇を僅かに動かした。けれど結局、その言葉が口から出てくることはなかった。
そうして俺は重い脚をひきずりなんとかその場を離れた。帰り道の記憶も帰ってからの記憶もない。ただこれで終わり、昔の約束も、再会してから膨らんだ期待も全部ここで終わったのだと思ったことだけは覚えている。
◇
あの日から、ちょうど1年と少し。季節は初冬になり、朝の空気には刺すような冷たさが混じるようになっていた。
吐き出した息が白く染まる。そんな朝の通学路を、俺は一人で歩いていた。ポケットに手を突っ込み、足早に学校へ向かう。
1年前までなら、この道を歩くとき隣には彼女がいた。幼い頃から何度も並んで歩いた道。昔はくだらない話ばかりしていた。昨日見たテレビの話。学校であったこと。帰ったら何をして遊ぶか。今では、会話をすること自体覚束ないが。
彼女に振られ1年と少し。最初の頃は、思い出すたびに胸が痛んだ。朝、彼女の姿を見かければ目で追ってしまい、休み時間に誰かと話していれば何を話しているのか気になった。そして帰り道一人になると、あのときの会話を何度も思い返したものだ。
――俺と付き合ってほしい。
――ごめん。
あの一言が、頭の中で何度も繰り返された。こべりついていたと言った方が正確かもしれない。けれど、人間というのは不思議なもので毎日少しずつ痛みが薄れていった。昨日より今日。今日より明日。そして気づけば、彼女のことを考えない時間の方が長くなっていた。
「……まあ、こんなもんか」
小さく呟く。
別に嫌いになったわけじゃない。今でも彼女は大切な幼馴染だ。ただ、もう追いかけるつもりはなかった。振られたのだから、それくらいは分別をつけるべきだろう。彼女も俺も。
◇
教室に入ると、いつものように何人かのクラスメイトが集まって話していた。俺はその横を通り過ぎ、自分の席へ向かう。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
俺に気付いたクラスメイトが声を掛けてくれる。名前はぱっとは出てこないが、きっと一瞬忘れてるだけだろう。数分もあれば思い出せるはずだ。いや、ほんとに。
そうして時間は過ぎ昼休み。
俺は昔から、クラスの中心にいるタイプじゃない。かといって嫌われているわけでもない。話しかけられれば普通に話すし、頼まれれば手伝う。ただ、自分から輪の中へ入っていくことは少なかった。だから弁当を食べる時も、いつも一人。
「ごちそうさま」
俺は1人でに手を合わせ弁当箱を片付けると、鞄から漫画を取り出す。最近読み始めた作品で、奴隷出身の主人公が軍に入りどんどんと立身出世していくのだ。
周りを気にせず夢中でページをめくっていると、突然、机の前に影が落ちる。
「それ、面白い?」
「……ん?」
顔を上げる。そこにいたのは、クラスメイトの女子だった。
肩口まで伸ばした少し長めの深紅のショートカットに、黒川に負けない程の整った容姿。そして豊満な胸部。
名前は知っている。というより、このクラスで彼女の名前を知らない奴の方が少ないだろう。明るくて、誰とでも話してくれて、休み時間になれば自然と人が集まり、男女問わず友達が多い。いわゆるクラスのマドンナ的存在。真白陽菜。
「友達から薦められててさ、それ」
彼女は俺の手元を指差す。
「面白い?」
「面白いよ。俺の漫画史の中でもトップ10に入る面白さ」
「そうなんだ」
彼女は身を屈めながらも両指と顔を机の上にぽすんと置き、会話の体制に入る。
「もっと色々教えてよ」
ことんと首を傾げながら言う彼女。その可愛らしい仕草に若干どきりとしつつも俺は続ける。
「女神と少年ってやつがお勧めかな。結構重厚なファンタジーで面白かった。後はひねくれ男子の青春論ってやつとか」
「それ知ってる!面白いよね」
テンション高めに言う彼女。
「特に10巻の告白シーンがさぁ。これまでの素直になれない自分とか、劣等感に塗れた自分とか、そういうのを含めて自分なんだって認めた上での告白がまた最高で…」
いきなり流暢に話し出す。好きな物について語るオタクの姿というのはクラスの人気者だろうが、日陰者だろうが変わらないらしい。というか、そこまだ読んでないのだが。
「ごめん。俺まだ7巻までしか読んでなくて」
「うそ!?あたしネタバレしちゃった?ほんとごめん!!」
手を合わせ謝罪ポーズをする彼女。必死に頭を下げるその姿からは、本当に申し訳なく思ってることが伝わってくる。
「別にいいよ。ネタバレ気にしない派だし」
「なら良かったけど……」
彼女はおずおずと顔を上げるが、その表情はまだ晴れない。
「じゃあ、今度はそっちのおすすめ漫画教えくれ。それで今回の件は水に流すから」
「分かった!」
ぱあっと明るい表情に戻ると、少女は次々と作品を羅列していく。
「それで、この中でも1番あたし的おすすめ作品は―」
そこから昼休みが終わるまで、俺たちはずっと漫画の話をしていた。普段ならチャイムが鳴れば、すぐに次の授業の準備をする。けれど、その日はチャイムが鳴っても目の前の少女との会話に夢中になっていた。
「もうこんな時間。じゃあ、またね!」
「ああ」
彼女が自分の席へ戻っていく。その間俺はしばらく、その背中を眺めていた。
今でも黒川とは普通に話せる。でも、それとは少し違う気心の知れた相手ではなく、もっと遠くてしかし近づく時もあって。そんなクラスメイトの女子との会話。あまり慣れなくて緊張もしたがそれ以上に……
「……楽しかったな」
自然とそんな言葉がこぼれた。
◇
それから、真白と話すことが増えた。休み時間に漫画の話をしたり、一緒にお弁当を食べたり。おすすめされた作品を読んで感想を伝えたり、俺が面白いと思った作品を彼女に勧めたり。
たったそれだけのこと。けれど、それが意外と楽しかった。
「この前言ってた漫画読んだよ」
「ほんと? どうだった?」
「思ってたより面白かった」
「でしょ?」
彼女は自分のことのように嬉しそうに笑う。その笑顔につられて、俺も笑った。
そんな時間が、少しずつ増えていき、ある日の放課後。俺が教室で漫画を読んでいると、彼女が机の横までやってきた。
「ねえ、放課後暇だったりする?」
「まあ、暇だけど」
「じゃあ、本屋付き合ってよ」
「本屋?」
「新刊出てるんだよ。一人で行くのもつまんないしさ!」
断る理由は特に思い浮かばない。
「いいよ」
「やった!」
彼女は小さくガッツポーズしながら、嬉しそうに笑った。
校門を出て、二人で駅前の本屋へ向かう。道中も漫画の話が続いた。どの作品のヒロインが好きだとか、あの展開はどうだったとか。
普段なら人と歩くのは少し疲れるはずなのに、不思議と気にならなかった。好きなものが同じというだけで、こんなにも話題が尽きないものなのか。
本屋に着けば、彼女は真っ先に新刊コーナーへ向かった。
「あった!」
彼女は新刊を大切そうに抱えながら、嬉しそうににこりと笑顔を見せる。
待ち望んだ続刊が手に入る時。その表情は万国共通なのだなと思い、俺は少し笑う。
「……何笑ってんの」
恥ずかしそうに顔を伏せながらジト目を向けてくる彼女。
「いや、嬉しそうだなと思って」
そんな俺の発言にぷいと顔を背けると、そそくさとレジへと向かう。
「ねえ、この後どこか寄ってかない?」
「どこかって?」
「甘いもの食べたいなって思ってさ」
「別にいいけど」
「君の奢りで」
「じゃあ帰るか」
足早に駅に向かう俺に向かい、彼女が舌を出して両手を合わせる。
「冗談だよ!ほら、行こ!」
そう言い自身の腕を絡めながら喫茶店へと向かっていく真白。もしこれが中学の時だったら確実に好きになってたんだろうなと思いつつ、俺は彼女の歩みに合わせながら歩んでいった。
◇
喫茶店からの帰り道。夕方の空は薄い橙色に染まっていた。隣を歩く彼女が、買ったばかりの漫画を入れた袋を揺らしている。
「今日はありがと」
「こっちこそ」
「よかったら、また付き合ってくれると嬉しいな」
「分かった。暇な時は付き合うよ」
何気なく返してから、俺は少しだけ考えた。また付き合う。その言葉を、嫌だとは思わなかった。むしろ、次も楽しみだと思った。そしてそのことに、自分でも少し驚いた。黒川のことを忘れたわけじゃないし、真白のことを好きになったわけでもない。ただ俺はもう、前に進んでいるのかもしれない。そんなことを思った。
◇
翌朝。
「おはよう」
教室に入った俺へ、幼馴染である黒川が声をかけてきた。
「おはよう」
珍しく声を掛けてきた彼女に驚きつつも、平静を装いながら返す。
「……昨日、遅かった?」
「ん?」
「帰るの」
「ああ。本屋に寄ってたから」
「……1人で?」
「いや、クラスの女子と」
瞬間、彼女の動きが止まった。
「……そう」
それだけ言って、自分の席へ戻っていく。
俺は首を傾げた。何だったんだろう。まあ、気にするほどのことでもないか。そう思って鞄を机の横に掛ける。
◇
それから数日。妙なことが増えた。休み時間に真白と話していると、黒川が割って入ってくることが増えたのだ。
「この前めっちゃ面白いやつ見つけたんだけど!」
興奮気味に語り掛けてくる真白。
「ほう」
「透明な世界で君だけを見てるってやつなんだけど、最後がもう感動オブ感動で〜」
そんな感じで話していると、いつ間にか黒川が俺の席の横に立っている。
「……ちょっと付き合って」
幼馴染のお願いに俺はどうしたものかと真白に目で問い掛ける。
「あ、ごめん用事があったんだね。あたしのことは気にせず手伝ってあげて!」
「ごめん、ありがと」
俺はそう言うと黒川を追いかけて教室を出ていく。
「それで何をすればいいんだ?」
「……」
俺の問い掛けに無言で返す。その横顔はなんだか少しだけ怒っているように見えた。
黒川はそのまますたすたと歩くと、自販機の前で止まりお茶と林檎ジュースを買いそのうちお茶の方を俺の方に手渡してくる。
「くれるってことか?」
「いや、私のだけど」
「え」
◇
翌日。俺が教室で一人で弁当を食べていると、黒川はいきなり椅子を持ってきて向かいで自身の昼食を取り始める。俺が呆気に取られていると、彼女は目を細めながら口を開く。
「何?」
「え、いや、何事かと思って」
「別に。偶には誰かと食べてもいいかと思っただけ」
「そ、そうか」
黒髪をたなびかせながら飄々と言ってのける彼女につられ、俺も深く追求せずに自分の昼飯を食べ進める。
それからしばらく黙々と食事をしていると、黒川がふと問い掛けてきた。
「……真白さんとはお昼一緒に取ったりするの?」
「ああ。偶に取ったりするな」
「……そう」
彼女は小さく呟くと、自身の昼食に戻る。眉一つ動かさず相変わらずの無表情だったが、その鋭い視線からは何故だか責めるような感情が感じ取れた。
それから黒川は昼休みの時間になると毎日俺と昼食を取るようになった。他愛ない話をしたり、無言のまま弁当箱を食べ進めたり。真白とはまた違った距離感ではあるが、心地悪いわけじゃない。むしろ、昔に戻ったみたいで居心地が良かった。告白の気まずさが無かったことになったようで安心したというのもあるかもしれない。
しかし昔と違う点もある。1つは昼飯の間やたらとスマホに付けている神社のお守りを見せてくること。もう1つは俺が真白と話しているとやたらと不機嫌になり何かと間に入ってくること。
「……なあ」
「なに?」
「最近どうした?」
「何が?」
「いや……」
俺は言葉を濁した。
「最近、よく一緒にいるなと思って」
彼女は数秒箸を止め、視線をゆっくりとこちらに向ける。
「……嫌?」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、いいでしょ」
「まあ……そうだけど」
なんだか釈然としない。けれど、それ以上追及する理由もなかった。
◇
放課後。今日は真白とまた寄り道する約束をしていたので、そそくさと下駄箱に向かおうとすると、
「ねえ」
後ろから声がした。思わず振り返ると、そこには黒川の姿が。
「今日、帰り……」
そこまで言って言葉を止める。俺は思わず黒川の視線を追うと、そこには真白の姿が。
「あれ?何か用事ごとだった?」
明るく言ってみせる彼女に俺は小さく首を振る。
「いや、そういうわけじゃ……」
そこまで言いかけて俺は言葉を止める。左腕に抱きつかれる気配がしたからだ。
「今日は私とケーキを食べる予定」
黒川は自身の身体を俺の腕に密着させつつそう答える。必死に無表情を装っていたものの、頬も耳も見事に紅潮しており見るからに恥ずかしそうだ。
柔らかい。女の子ってこんなに柔らかったのか。
俺は初めての感触に感動しつつも、表情筋をフル動員しにやけを抑える。しかし確かに感じるさらに柔らかな感触に心臓の鼓動は高鳴り今にも破裂しそうだ。
「……ちょっと~?」
目を細めながらジト目を向けてくる真白。
「……何でしょうか」
思わず敬語になってしまった。
「学校内でそんなえっちな目になるのはどうかと思うなぁ」
マジか。どうやら表情筋は目にはなかったらしい。俺は急いで眉をひそめきりっとした目元を再現する。
「それに彼女がいるのに別の女の子と約束するのも」
こつんとおでこに指を弾く彼女。その表情は少しだけ寂し気で、何故だか胸がちくりとした。
「いや付き合ってないって!それにケーキ食べるなんて今初めて知ったし!」
「え?」
鳩が豆鉄砲を喰らったみたいに目を丸くする真白。一方俺の腕に巻きついている方の少女はといえば首筋に1粒冷や汗をかいていたのだった。
◇
「あたしレアチーズケーキでお願いします!」
「私はチョコレートケーキ」
「じゃあ俺は苺ミルクレープで」
三者三葉の注文を終えると、あらかじめ頼んでおいたコーヒーを啜りながらこの異様な状況を見渡す。
右手には黒髪長髪のクール系美少女。左手には赤髪ショートの明るくまさしく陽キャといった感じの美少女。まさに両手に花というやつではある。しかし、俺の胃はぎりぎりと悲鳴を上げていた。というのもあたりに漂うこの険悪な空気に原因がある。
黒川は不機嫌そうにぶすっと黙っているだけだし、真白はというとにこにこと微笑んではいるものの黒川に遠慮して押し黙ったまま。やはり俺が回すしかないか。
「あ、え~と、その……2人は学校生活とかは、どう?」
しまった。あまりの緊張にしばらく会わなかった父親のごとき話題選択をしてしまった。
「え、あ、う~ん。楽しいよ?」
なんて返すのが正解か分からず困惑気味に返答する真白。黒川も何を言ってるんだこいつといった感じでこちらを見ている。
……いっそ殺してくれぇ。
絶望に打ちひしがれ天井を仰ぐ俺。瀕死のダメージを癒そうと過去の楽しかった思い出を思い返していると、店員さんがケーキを運んできた。
「お待たせしました~」
さっと配られるケーキたち。これを食べてさっさと帰ろう。そう思い無心で口にケーキを運んでいると、真白がきらきらとした目でチョコレートケーキを見ていることに気付く。
「美味しそぉ」
若干よだれをたらしながら黒川の皿を見つめる真白。
「……美味しい、けど」
引き気味に答える黒川。自身の皿と真白を見比べた後、溜息を吐きながらケーキをひと欠片切り彼女の方に手渡す。
「ありがと!」
真白は嬉しそうに表情をぱあっと輝かせると、フォークの先からぱくりとケーキを奪い取る。
「美味しいぃ~」
至福だと言わんばかりに頬を緩める真白。こっちまでチョコレートケーキが食べたくなってしまうほどの笑顔だ。
「じゃあお返しに!」
そう言うと、真白は自身のケーキを黒川の方へと差し出す。
「っ!?」
突然のあーんに困惑しつつも、放置するのも悪いと思ったのか恥ずかしそうにそれ受け止める黒川。横顔にかかった黒髪をかき上げると、そこには真っ赤に染まった耳が。
「……何よ」
どうやら夢中になって見てしまっていたらしい。俺は急いで視線を逸らし目の前のケーキに集中する。これが目覚めというやつだろうか。
◇
喫茶店からの帰り道。歩いているうちに、真白がいつの間にか俺の隣まで歩み寄っていた。後ろ手を組み、こちらを覗き込むようにして口を開く。
「黒川さんと仲良いの?」
「まあ、それなりには」
「それなりねぇ?」
首を傾けジト目を向けながら揶揄うようにこちらを見る真白。あざとさと可愛さが混じったその表情に思わず顔を背ける。
「幼馴染だしな。確かにそれなり以上には仲良いかも」
「だよね」
真白はけらけたと笑いながら答える。そして1呼吸置き、真剣な口調で言葉が繰り出される。
「好き、だったりするの?」
突然の問い。あまりにも突然の問い。俺は思わず吹き出してしまう。
「な、きゅうに何を……」
そう言いかけ、彼女のあまりにも真っすぐな瞳を見て俺は言葉を止める。
「まあ、そういう時もあったけど……今は違うかな」
「じゃあ…」
彼女はさらに距離を詰め、ぎりぎり聞こえるくらいの小声でぼそりと呟く。
「あたしと付き合ってみる?」
あまりに突然の告白に、俺は思わず隣を振り返る。彼女の瞳はいたって真剣で、冗談を口にしているとは思えないほど真っすぐにこちらを見つめていた。
付き合う。真白と、クラスの人気者で、誰とでも気さくに話せて、いつも輪の中心にいる彼女と付き合う。そんな未来を、ほんの少しだけ想像してみる。
映画を見て感想を語り合ったり、ショッピングに付き合って服の感想を言い合ったり。遊園地に遊びにいったり。偶にはゆったりと家で漫画を読んだりするのもいいかもしれない。きっと一緒にいて楽しいだろうな。明るくて、話が上手で、ムードメーカーで。付き合っても絶対に後悔しない。なのに俺はなぜか首を縦に振ることができなかった。
「……」
自分でも、その理由がよく分からない。真白に不満があるわけじゃない。しろ、こんな俺に声を掛けてくれたことを嬉しいとさえ思っている。それでも、どうしても「うん」とは言えなかった。
返事もせず考え込む俺に見切りをつけたのか、真白は小さく息を吐くといつもの調子でにこりと笑ってみせる。
「なんて、冗談だよ」
舌を出しながらこちらを煽る彼女。俺はその光景に少しだけほっとしていた。
「そっか」
そう呟いた直後、真白はするりと懐に入り耳元に唇を寄せながら囁き声を1つ。
「でもあんまりぐだぐだやってると、今度は本気で盗っちゃうからね」
「それって……」
聞き返すより早くこつんとおでこを弾き離れていく真白。夕日に照らされたその表情は心底楽しそうに、だけど少しだけ寂しそうに微笑んでいた。
「何話してたの」
「っ!?」
突然、背後から声がした。驚いて振り返ろうとした瞬間、足がもつれ思わずしりもちをついてしまう。
「……大丈夫?」
若干呆れた視線を寄越しつつ、手を伸ばす黒川。俺は彼女の手を掴みそのまま起き上がる。
「あ、ありがとう」
が、しかしその後しばらく経っても黒川が手を離す様子はない。それどころか時間経過と共に彼女が掛ける握力が増していく。
「起き上がらせてくれたのはありがたいんだけど、もう大丈夫だから」
ちょっと痛いし。しかし彼女に離す様子はない。
「何話してたの」
軽く告白されてました、なんて言えるはずもない。押し黙っていると、さらに手に掛かる力が強くなる。
「いたっ、いたい」
「何、話してたの」
おそるおそる黒川の方を見る。彼女は表情1つ動かさず、ただ虚空を見つめていた。しかしその空気からは確かに怒りの波動が滲み出ている。
「何話してたの」
質問は既に尋問に変わっているのだ。そんな台詞がどこからか聞こえた気がした。
◇
それから真白が俺に話し掛けて来る頻度はがくんと減った。俺が彼女の冗談を受け若干挙動不審じみてるのも原因ではあるだろうが、それ以上に黒川への遠慮があるのだろう。さすがにここまできて何も察することができないほど、鈍感じゃないつもりだ。
しかしそうなると疑問が1つ残る。前に告白した時、なぜ振られたのかだ。それを解き明かさない限り、とてもじゃないがもう1度チャレンジしようなんて思えない。俺の心の素材は鉄というわけではないのだから。
休み時間。俺は何か手がかりを得ようと、黒川の横顔をじっと見つめる。大きな瞳にさらさらとした黒髪。つんと尖った睫毛に柔らかそうな唇。まさに美少女といった感じだ。
「……何」
黒目だけをこちらに動かしながら問い掛ける。
「いや、綺麗だなと思って」
暖房の効いた暖かな教室の空気に当てられ、俺は思わず心の声を口にしてしまう。
「……」
黒川は何も言わずそっぽを向いてしまった。ただ、その耳は真っ赤に染まっており少しだけ口角が上がっている。
そんな感じでラブコメを繰り広げていると、ふと彼女の鞄が目に入る。女子高生らしい装飾も、キーホルダーも一切ないシンプルな鞄。しかし1つだけ、神社のお守りが付けられていた。
あれは確か、小さい頃によく2人で遊んだ神社。……そうだ。黒川を見送りに行った時、何かあの神社に関わる約束をしたような。何だっけ……
俺は頭を抱えながら、必死に記憶を引っ張り出す。あの時駅まで見送りに行って、黒川に会いにいくと約束してそれで……
「……思い出せない」
俺は背もたれに深く寄りかかり、教室の天井を仰いだ。腕を組みながら、もう一度記憶を掘り起こしていく。――どうして、あのとき真白は俺を振ったのか。幼い頃に交わした約束の続きは。
そんなことを考えていると、ふと隣に座る黒川の様子がおかしいことに気づいた。何か言いたそうに口を開いては、閉じる。ちらりとこちらを見ては、また視線を逸らす。そんなことを何度か繰り返している。
「……?」
何だろう。そう思っているうちに、黒川は小さく息を吸った。
どうやら、ようやく意を決したらしい。そして俺に向き直り、口を開こうとした――その瞬間。
キーンコーンカーンコーン。無情にも、次の授業の始まりを告げるチャイムが教室中に鳴り響いたのだった。
◇
その日の放課後。俺は真白と共にクラス全員分の宿題のノートを職員室まで運んでいた。
「ごめんね~手伝ってもらっちゃって~」
「別にいいよ。見るからに大変そうだったし」
「ほんとごめんね~ほんとはもう1人の委員会の子が手伝ってくれるはずだったんだけどさぁ」
大きく溜息を吐く真白。
「気づいたらいなくて」
「サボり?」
「たぶんね」
真白は両手が塞がった状態でやれやれと言わんばかりに肩をすくめてみせる。
「困ったもんだよ」
「まあ高校生だしな。遊びたいざかりなんだろ。さぼりはダメだけどな」
「……ふ~ん」
目を細めながらこちらを上目遣いで見てくる。
「何?」
「いや、一番青春してる人がやけに達観してるコメントしてるなぁって思って」
俺は何と返せばいいのか分からず、ただ冷や汗を浮かべるしかなかった。
「それで、黒川さんとは最近どうなの?キスぐらいした?」
「してないって!!」
「じゃあ恋人繋ぎは?」
「してません」
信じられないとでも言いたげに、真白が目と口を大きく開いてこちらを見つめている。その視線に耐えきれず、俺はそっと目を逸らした。
「さすがに信じっ――!?」
そこまで言いかけたところで、彼女の足が大きく滑った。
「危なっ!」
考えるより先に、俺は身体を投げ出していた。倒れ込んでくる彼女の下へ滑り込むようにして、両腕を伸ばす。そして――
ドサッ!俺は彼女の身体を受け止め、なんとか下敷きになることに成功したのだった。
「「いったぁ」」
頭をさすりながら、俺と真白はゆっくりと目を開けた。そこで、ようやく気づく。
近い。あまりにも近い。鼻先が触れそうなほどの距離で、互いの顔を見つめ合っている。この距離だけを切り取れば――これからキスでもするのかと、そう思われてもおかしくないほどに。
たとえば、そう。俺たちの少し離れた場所に立っている、黒川にも。
時間が止まったような気がした。俺と真白。そして、少し離れたところに立つ黒川。よりにもよって、最悪のタイミング。よりにもよって、最悪の人物に見られた。
頭の中が真っ白になる。何か言わなければ。誤解だと伝えなければ。そう思うのに、口が動かない。
対して黒川は、しばらく呆然とその光景を見つめ―― やがて、瞳の端に涙を滲ませたまま、踵を返して走り去ってしまった。
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。
頭の中でその言葉だけが回る。どうしよう。
追いかけないと。そう思っているのに、身体が動かない。何を言えばいい?どう説明すればいい?そもそも、何から説明すればいい?
「どうし――」
パァンッ!瞬間弾ける衝撃。じんじんと熱を持つ頬を押さえながら、俺は呆然と隣を見る。すると真白が手を振り抜いた姿勢のまま、こちらを睨んでいた。
「今は考えてる場合じゃないでしょ!」
そう叫び、真白は黒川が走り去った方向を指さす。
「……そうだ」
今はぐるぐると考え事をしてる場合じゃない。まずは追い掛けないと。
「ありがと!」
そう言うと黒川の後を追い一目散に駆け出した。
教室、食堂、図書室、思い当たる場所を探すが彼女の姿は見えない。もしかしたら校内にはいないのかもしれない。そう思い当たり下駄箱に向かうと、案の定靴がなかった。
「……最初に確認しとくべき所だろ」
自嘲気味に呟きながら急いで校門を飛び出し、校外へと捜索範囲を広げる。
「まずは家だな」
肩を上下に動かし息を切らしながら、黒川の家に向かう。インターホンを鳴らすと、出てきたのは黒川の母親だった。
「まだ帰ってないみたいよ。何かあったの?」
「すみません!また今度話します!」
不思議そうに首を傾ける黒川母にお礼を言い、俺は捜索を再開する。
俺の家、懐かしの小学校、よく遊んでいた公園。思い出の場所を片っ端から探していくも、あいつの姿はない。
どこだ。どこにいる!?
ふらふらと壁にもたれかかり、それでも必死に頭を回す。
思い出せ!何かヒントがあるはずだ!あいつが行きそうな場所!あいつが逃げ込みそうな場所!
記憶を探り、推察し、記憶を探り、推察し、その繰り返し。それでも求めるピースは見つからない。
どこかに、どこかにあるはずなんだ!思い出せ!
脳を回せ。オーバーヒートしても構わない。ここで見つけられなければ、きっと一生後悔する。
その時――ふと道路に落ちていたお守りが目に入った。それはいつも黒川が見せてきていたお守り。幼い頃黒川とよく遊んでいた神社。
「そうだ。落ち込んだ時はいつもあそこに……」
瞬間、身体が勝手に動いていた。地面を蹴り上げ脚の筋肉を酷使してアスファルトを走り出す。息が切れようが、身体中の細胞が悲鳴を上げようが構わない。全速力であの場所へ。
落ちゆく太陽が照らす夕焼け色の道を必死に駆け抜ける。靴底が地面を叩く音。荒くなる呼吸。激しく脈打つ心臓。そのすべてが遠ざかっていく。
時間の感覚はとうに溶け今が夕方かどうかさえ考えるのも煩わしい。そうして邪魔な思考が次々と抜け落ちていき、残るべき記憶だけが浮かび上がってくる。
幼い頃交わした約束の先。告白の誓いの先。別れ際、彼女と交わした本当の約束を。そしてきっとそれが彼女が振った本当の理由。
「……そう、…だったっ」
肩を上下に動かし、腕を膝につけ前傾姿勢のままなんとか酸素を取り入れる。
「……はぁ、はぁっ」
赤い鳥居の下で乱れる心臓を懸命に抑えつける。数分か、もしかしたら数十分か。時間の感覚すら曖昧になるほど、俺はただ呼吸を整え続けた。
そうしてなんとか歩けるくらいに回復すると、ゆっくりと境内を見回していく。
両親に怒られた時、先生に呼び出しを喰らった時、あいつはいつもこの神社に隠れていた。賽銭箱の後ろ、宿舎の中、それから……
「見つけた」
拝殿の下、組まれた木材の隙間に体育座りしながら不貞腐れる少女の姿があった。
「……」
よく顔を出せたな。そう言いたげな視線をこちらによこす黒川。
「まずは言い訳をさせてくれ」
そう言うと俺は組まれた木を潜り抜け、彼女の隣に腰を下ろす。
「……別に必要ない」
冷たい声音でピシャリと言い放つ。
「誰と付き合おうが私には関係ないし。誰と買い物しようが、誰とカフェに行こうが、誰とキス、しようが……」
言葉はそこで止まり、代わりにぽたりと、膝の上に一粒の雫が落ちた。
「言い訳させてくれって」
俺はポケットからハンカチを取り出し、黒川へ差し出した。彼女はしばらくそれを見つめていたが、やがて無言で受け取った。その横顔を見ながら、ふと懐かしい気持ちになる。
気が強いというか、見栄っ張りというか。人前ではいつだって平気な顔をしている
くせに、弱ってる姿は絶対に見せないよう誰もいない、例えばこんな神社の中で泣くんだ。
涙を拭うと、思い切り鼻をかみながらハンカチを返す黒川。俺はそれを引き気味に受け取る。
「……昔もよくここで泣いてたよな」
懐かしむように呟く。一方黒川はただでさえ不機嫌だった顔を、さらにむすっとしかめた。
「学校でのことは本当に誤解なんだ。転びそうになった真白さんを支えようと思ったら、一緒に転んじゃって」
「別に聞いてないけど」
彼女はそっぽを向いたままこちらを見ようとしない。けれど、離れていく気配もない。
ただ、何かを待つように唇を尖らせている。
「そう、だよな」
何を言うべきかは分かってる。何をすべきかも。彼女が何を求めているなかも。ただまた断られたらと思うと、すごく怖い。痛くて、辛くて、思い出すのもやっとで。でもまたあんな思いをするのだとしても。
「子供の頃さ」
「……?」
「都市伝説とか流行ってたよな。夜に黒ナンバーのタクシーを見たらそのままあの世に連れて行かれるとか。図書館の一番古い本を読むと願いが叶うとか」
一呼吸間を置き、俺は横目で黒川を見ながら再度口を開く。
「……とある神社の御神木の下で告白すれば一生一緒に居られる、とか」
10年前の別れ際。「もし私がまたこの街に戻って来た時は。ありえないかもしれないけど、でもその時はどうかあの木の下で」そう彼女は言っていた。
どこにでもあるような子供の頃の噂。大人になれば誰もが忘れてしまうような約束。それを彼女は今も覚えていたのだ。あれからきっといくつもの出会いがあったはずなのに、律儀に、懸命に。今までずっと。
ふと彼女の方に視線を向けると、気まずそうな、何かを言いたくて口をもごもごさせてるような、そんな変な顔をしていた。それがどこか可笑しくて、俺はにやけてしまう。
「何?」
「いや、本当にめんどうくさい奴だな思ってさ」
自分の理想のシチュエーションじゃないからって普通振るか?しかも自分もいいなと思ってる相手を。しかもじゃあしょうがないってことで次にいこうとしたらしたで邪魔してくるし。健気と言えば聞こえはいいが、改めて考えてみるとやっぱり相当にめんどくさい奴だ。
「……分かってるし、そんなこと」
若干涙を滲ませながらむくれっ面で呟く黒川。
捻くれてて、ちっとも素直じゃなくて、そんな彼女を未だに諦めきれない俺もやっぱり面倒くさい奴なんだろう。
俺は変わらず不貞腐されている彼女の手を引き、約束の場所へと連れて行く。樹齢100年を超え、幾度もの別れと出会いを見守ってきたであろうその場所へ。
「2度目にはなっちゃうけど」
気恥ずかしく顔を背けそうになる視線をなんとか保ち、俺は精一杯の勇気を込めて告白する。かつての想いを、今の想いを伝える為に。
「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」
一瞬の間。数秒にも数時間にも感じられる時間が流れる。何度も頭の中で最悪の結末がよぎる。また、断られるのか。そんな不安に押し潰されそうになった、その時だった。
「……私も」
重く閉ざされていた口が、ゆっくりと開いていく。ずっと抱えていた秘密を打ち明けるように、隠してきた気持ちが零れてしまうように。声を震わせながら、それでも前を見据えてはっきりと。
「私も、ずっと好きだった」
両手を胸の前に抱きかかえ、涙をぽろぽろと流しながら少女は想いを口にする。10年もの時が刻まれた想いを。
「私も、ずっと、好きだった。あの日からずっとあなたのことだけを考えてきて、何度も会いたいと思って。でもそんな力も方法も分からなくて。ただ願うことしかできなくて」
声が震える。それでも俯かず涙で濡れた瞳で、彼女はまっすぐ俺を見つめていた。そしてこれまで抱えてきた時間、抱えてきた想いが言葉となってどんどんと滑り落ちていく。
「だからこっちに来れるって知った時、すごく嬉しかった。人生で1番。でも同時に怖かった。忘れてたらどうしよう、別の人と付き合ってたらどうしよう、そしてもし全部が上手くいった後パパとママみたいになっちゃったらどうしようって」
おしどり夫婦というふどではなかったが、少なくとも俺から見た黒川の母と父は不仲というほどではなかった。家族旅行にも頻繁に言っていたし、喧嘩なんて見た事もない。それが最後には傍から見ても分かってしまうほどの険悪さが滲み出るようになっていたのだ。口喧嘩は絶えず、俺の家にまで聞こえてくる始末。
だから彼女は不安だったのだろう。自分たちもそうなるのではないかと。どれだけ好きでもどれだけ大切に思っていても、いつか気持ちが離れてしまうんじゃないかと。恋人ではなく幼馴染ですらなくただの他人になってしまうのではないかと。伝承に縋ってしまうほどに。
「……」
俯いた黒川の身体が、小刻みに震えている。俺は何も言わず、その手をそっと包み込んだ。
「確かにこの先のことは分からない」
「……っ」
思わず顔を上げる黒川。
「一生一緒だとか、来世でも愛すとか言えればいいんんだけどな。まあそんな気持ちではいるんだけど」
頬をぽりぽりかきながら気恥ずかしいそうに言う俺に対し、黒川は顔は一気に赤くなる。
「この先何が起きるか分からないし、もしかしたら今回みたいな溝が生まれることもあるかもしれない」
俺は、繋いだ手に少しだけ力を込める。
人間関係なんて、上手くいくことの方が少ない。楽しいことばかりじゃないしきっと、た喧嘩することもあるだろう。今回みたいに、互いの気持ちがすれ違うことだってある。人と人が一緒にいるというのは、たぶんそういうことだ。
近づいて。すれ違って。傷ついて。離れて。それでも――また近づく。
「でもさ」
俺は彼女を正面から見据えつつはっきりと言う。
「たとえまたすれ違ったとしても、今回みたいにきっと道は交わるよ。だって10年経っても俺達はこうしてまた繋がれたんだから」
すれ違って、またくっついてを繰り返して。でもそれでいいのだ。こうしてまた会えて、想いを伝えることができたのだから。
「……っ」
黒川の頬を、涙がぽろぽろと伝っていく。一粒。また一粒。やがてその顔がくしゃりと歪
み彼女は俺の胸に倒れ込んできた。
細い身体を受け止める。華奢という言葉がまさしく似合う少女のような身体。目の前の光景に若干どぎまぎする俺に対し、胸元に顔を埋めた黒川は何も言わずにただ服をぎゅっと掴んでいる。
なんか昔もこんなことがあったな。確かあの時は黒川がテストかなんかで母親と喧嘩して、俺の部屋でうずくまってる時だったか。あの時も何時間も慰めたのに一向に事情を離してくれなくて、しょうがないから1人にしようとしたら裾を摘まんで離してくれなくて。
「……ほんと、変わらないな」
胸元に埋まる黒い頭を見下ろしながら、俺は小さく息を吐く。本当に、昔から面倒くさい奴だ。素直じゃなくて。意地っ張りで。でも――そんなところも、俺はずっと好きだったんだろう。
数十分後。
「あの~もういいんじゃないか?」
あれから黒川は、一度も俺の胸から顔を上げていない。おかげで胸元は、涙と鼻水ですっかり大惨事だ。冷えてきた服が肌に張りついて、まるでゲリラ豪雨にでも遭った後みたいになっている。
「……ぃゃ」
小さくそう呟くと、鼻息を荒くし匂いを吸引し始める。
「……すん」
「……」
「すん……すん」
「何してるんだ?」
「……別に」
そう言いながら、さらに鼻息を荒くする。そこからさらに数十分後、黒川はようやく離れた。目元も赤く、鼻も少し赤い。それなのに――その表情はいつにもまして満足そうだ。
「もういいのか?」
「ええ。もう十分」
そう言いながら少し前に出ると、彼女は後ろ手で指を組みながら溢れんばかり笑顔を向けてくる。初冬に似つかわしくない春の陽気のような満面の笑みを。
「これからよろしくね」
「ああ」
俺も笑って頷く。10年前に途切れた二人の時間が今度こそゆっくりと動き始めた気がした。
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