羨ましいと思ってしまった
羨ましいと思ってしまった。
こんなことを思ってはいけない。
そう思いながら、私は入院中に監視室へ入る患者さんを見ていた。
24時間看護師さんが気にかけている。頻繁に様子を見に来る。誰もその人の苦しみを疑わない。誰も「元気そうじゃん」「羨ましい」とは言わない。
そんな光景を見ながら、私は羨ましいと思ってしまった。
もちろん、その人たちが味わっている苦しみそのものを望んでいたわけではない。食事が取れないことも、眠れないことも、自分を傷つけてしまうほど追い詰められることも、命を落としたい衝動に駆られることも、本当につらいことだとわかっている。
それでも羨ましかった。
なぜなら、私は自分の苦しみが誰にも伝わらないような気がしていたからだ。
周りにはいつももっと重症の人がいた。食事が取れない人。ベッドから起き上がれない人。泣き続けている人。監視が必要な人。
そんな人たちと比べるたびに、私は思った。
「私なんて大したことない」
「私の苦しみなんて、ちっぽけだ」
「だから誰にもわかってもらえないんだ」
私は元気そうに見えるらしい。実際、食事も食べていたし、眠剤を飲めば眠れた。笑うことだってできた。
だからこそ苦しかった。
見えている部分だけで判断されているような気がしたからだ。
本当は、「私もつらい」と言いたかった。
「見えないだけで苦しいんだ」と伝えたかった。
「信じてほしい」と思っていた。
わがままだと言われるかもしれない。
それでも私は、みんなにわかってほしかった。
一人や二人ではなく、みんなに。
私が苦しんでいたことを。
私が必死だったことを。
私が本当に助けを求めていたことを。
でも今振り返ると、羨ましかったのは重症さではなかったのかもしれない。
羨ましかったのは、「苦しんでいることを疑われないこと」だった。
誰かに信じてもらえることだった。
人は誰でも、自分の痛みをわかってほしいと願う。
それは弱さではなく、とても自然な願いなのだと思う。
そして私は今でも願っている。
私の苦しみを誰かと比べるのではなく、ただそのまま見てもらえたらいいのに、と。




