献身的ループ
魔法少女たちが、ループしたりバトルしたりします。
各エピソードの世界線は、微妙に繋がっていたりいなかったり。──そんな物語です。
真夏の太陽がジリジリと照りつけるアスファルトの上、おれたちは手をつないでいた。由衣の手のひらは、汗ばむ季節にも関わらず、いつもより乾燥しているように感じられた。
由衣とおれ、久遠寺蓮は高校以来の同級生で、つき合い始めて五年になる。由衣はいつも明るくて、笑顔が可愛い、おれの自慢の彼女だ。いや、だったと過去形になるのかもしれない。
初めて違和感を覚えたのは、一週間ほど前だった。
以前からおれが、どうしても観たかった映画の最終日に二人で行った時のことだ、由衣がふとした瞬間に見せた横顔、その目尻に確かに小ジワが見えた。
気のせいだとその時は思った。見間違いだと思い込もうとした。
だってまだ、全然そんな年令じゃない。光の加減か何かの錯覚だろうと思った。
だが、前日までの由衣にシワなんて絶対になかった。よく見ると、由衣の顔から肌のハリが失われ、透明感が薄れてしまっている。まるで時間を早送りしているかのように、彼女はおれの目の前で確実に『老けて』いく。
当然、病気を疑った。
「由衣、最近疲れてるんじゃないか?」
「何か悩みでもあるのか?」
「身体の調子は? 無理してるんじゃないのか?」
毎晩心配で、スマホで通話を重ねる。
しかし、画面の向こうの由衣は貼り付けたような笑顔で「大丈夫だよ、蓮。ちょっと寝不足なだけ。それより次の日曜、どこに行く? たまには違う場所に行ってみない?」等と、はぐらかすばかりだった。
そして今日のデートで、いつものように繋ごうとした由衣の指先の手触りが、まるで枯れ枝のように感じられた。強く握れば簡単に折れてしまいそうで、しなやかさも瑞々しさもない。
おれは思わず、伸ばした手を引こうとしてしまった。
由衣はそれに気づいたのか、うつむき加減で、ぎゅっとおれの手を握り返してきた。けれど、その力はとても弱々しく、いつもとは明らかに違っている。
おれの胸に、言い様のない恐怖が込み上げた。
おれとの交際を続けている限り由衣が由衣でなくなっていく、そんな思いが頭から離れなくなった。
考えたくもないことだが、おれの存在それ自体が、由衣の負担になっているのかもしれない。
「なあ、由衣……おれたち、少し距離を置かないか?」
微かに震える声でそう告げたおれに、由衣はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、深い悲しみが宿っていた。しかし次の瞬間、彼女は全てを諦めたように、小さく微笑んだ。その笑顔に『老い』を感じたおれは、思わず息を呑まずにはいられなかった。
「そうだよね。蓮がそう思うのも無理ないよ」
由衣の声は、老婆のように少し掠れていた。そして、彼女はバッグの中から、くしゃくしゃになったひと掴みのレシートを取り出した。映画やショッピング、デートの際の待ち合わせ。それは、おれたちがよく行くカフェのレシートで、ちょうど今出てきたばかりの店だった。
「蓮、これ、わかる?」
「さっきのカフェのレシートだよな」
「全部の日付見てみて」
日付はちょうど一週間前、確か映画の前の待ち合わせであの店を使った。それが、なぜか血で汚れている。
「これは……?」
おれは首を傾げた。血で汚れてはいるが、一枚一枚はただのレシートだ。ただし、そのレシートの日付と発行時刻が全て同じとなると、話は変わってくる。さらに言えば、オーダーの内容を見てもどのレシートも同じで、なおさら意味がわからなくなる。
「この日、蓮は事故に遭ったんだよ。あの交差点で、トラックに轢かれて……」
由衣が指さした方向を見て、おれは背筋が凍り付いた。
一週間前の日曜日、待ち合わせ場所に来る途中で、由衣のスマホのバッテリーが突然発火を起こしたらしい。
おれへの連絡が取れないままに、めずらしく遅刻してきた由衣を横断歩道の向こう側に見つけたおれは、映画の上映時間が迫っていたので急いでチェックを済ませてカフェから出た。
信号が青に変わり、あの横断歩道を渡って由衣の元に駆け寄ろうとした時、急に横から信号無視のトラックが飛び出してきた。
「だから、ダメだったら!」
危ないと思った瞬間に、駆け込んできた由衣に身体を強く突き飛ばされ、奇跡的に間一髪で避けることができた。
あの時のことを、なぜ忘れていたんだろう。あれだけ印象的な出来事を忘れるなんて……。
それにあの件に関しては、腑に落ちないことが何点かある。
おれとトラック、由衣との位置関係。
あの時由衣が叫んだ、言葉の意味。
『だから、ダメだったら!』
聞きようによっては、由衣はあの日あの場所あの時間に、何が起こるか知っていたかのようなニュアンスを感じる。
さらに『事故に遭った』とも、由衣は言った。
誰が? おれが?
「わたしは、タイムトラベラーなの。黙ってて、ごめんね。蓮が死ぬ運命を、何度も何度もやり直したわ。蓮を助けるために、何度も」
由衣の言葉は、おれにとって俄には信じ難いものだった。
しかし、彼女の目に宿る真剣さと、おれが感じていた彼女の変化が、その言葉に説得力を持たせていた。
「どういうことなんだ? 意味がわからないんだけど……」
「わたしは、二十四時間だけ過去にタイムリープができるの。でもね、事故現場から時間を逆行するたびに、わたしの身体は時間を消費していったわ。それが、蓮視点でわたしが急に老けた理由」
「タイムリープって、意識だけが戻るんじゃないのかよ」
「さあ? アニメだとそんなのもあるよね。細かい理屈なんて、いろいろ調べたけど結局わからなかったわ。もしかしたら代償なのかもね。等価交換っていうのかしら」
由衣は、おれの死の運命から逃れるために、同じ二十四時間を何度も繰り返していたのだと告白した。
初めておれが死んだ時から、ずっとだ。
二度目も、三度目も。繰り返し、繰り返し。
何をどうやっても変わらない結末に絶望し、時間を稼ぐため策を練るために、一度で二十四時間の遡行を三十回も繰り返し、一ヶ月ものアドヴァンテージを得たことも何度かあったらしい。
由衣はおれを助けるために、同じ日時同じ場所で、何度も繰り返しおれが死ぬ瞬間を体験したと言う。そのたびに時間をループして、ネガ潰しの要領で、様々な選択肢をいろいろと試してきたらしい。
そして、ようやく一週間前、おれは無事に事故を免れた。
由衣のおかげで──。
そのために、由衣は一体どれほどの時間を消費したのだろう。
「つまり、レシートの枚数だけおれは死んでるってことか?」
「正確に言うと、それ以上の回数だけどね。時間をループしてるって完全に理解してからは、レシートなんてどうでもよくなったから。理解し始めてからも、ループを信じるまでにかなり時間かかったし、悪い夢だったらいいのにって、何度も思った」
ループが現実に起きていることを確認するために、あのカフェのレシートを集め始めたのは、三回目の事故辺りからだったらしい。最初は、おれの事故死を目の当たりにした直後、さらに二十四時間のループと、衝撃的な体験が連続して起きてしまったために、そんな余裕はなかったという。
由衣の顔は、もうおれが知っている彼女の面影をほとんど残していなかった。
こうして話している最中にも、目元には深いシワが刻まれ、唇は乾き、髪には白いものが混じり始めている。
老化は加速しているようだ。
彼女は、まるで数十年もの時を過ごしたかのように老け込んでいた。
もしも、体内時計というものが実際にあるのなら、由衣の体内時計はおれを助ける過程により、バグを起こしてしまったのかもしれない。
「蓮が無事でよかった。それだけでもう、わたしは……」
由衣は力なく微笑んだ。その笑顔は、あまりにも儚く、美しいものだった。
おれは、由衣の手をそっと握った。
今度はもう、離そうだなんて思わない。
由衣がおれのために払ってくれた犠牲の大きさに、おれは唯々立ち尽くすしかなかった。彼女はおれを助けようとすればするほど老いさらばえていき、おれに嫌われてしまうという、悲しい運命の循環を受け入れていたのだ。
「由衣……ごめん……」
「蓮、謝らないで。わたしがそうしたくて、やったことだから」
おれの目から、涙が溢れ落ちた。由衣の老いた顔に、おれの涙がぽつりと落ちる。彼女はそれ以上何も言わず、ただ優しくおれの手を握り返してくれた。
その日以来、おれは身寄りのない由衣の介護に身を捧げた。仮に、彼女に肉親がいたとしても、彼女を由衣として認識すらできなかったはずだ。
いきなり現れた、見知らぬ老婆の面倒を誰も見るはずがない。
彼女の身体は、文字通り秒単位で朽ちていく。
肌はひび割れ筋肉は衰え、数日と経たないうちに、由衣は自力で立つことすら困難になった。
おれは会社を辞め、由衣の身体がかろうじて動く間に仲介役となって、彼女の勤務先に辞職の意向を伝え、アパートの部屋も解約させると、不要な荷物を全て処分した。
それからは、由衣の傍から片時も離れることはなかった。彼女の食事を作り、身体を拭き、手厚く介護した。そして、以前の面影すら残っていない老いた顔を見つめながら、何度も何度も優しく髪を撫でてやった。
その頃になると、由衣の意識は時折混濁して、幼い少女のように振る舞うことがあった。おれを『おにいちゃん』と呼んだり、ループ中にあったらしいおれとの様々なエピソードを、たどたどしい幼児言葉で語り始めたりした。
そのたびに、おれの胸は締め付けられそうになる。彼女はおれを救うために、自分自身の限りある『時間』を、躊躇なく犠牲にしてくれたのだ。
ある朝、由衣は目を覚まさなかった。
おれが触れた彼女の手は、まるで枯れ枝のように冷たかった。おれは、由衣の痩せ細った身体を抱きしめ、声を上げて泣いた。しかし、そこにはおれが愛した由衣の面影は、もはや一片も残ってはいなかった。
由衣の身体は砂漠の砂のように、さらさらと音を立て、崩れ落ちた。
おれは本来、死の運命から逃れることの出来ない、死神に魅入られた存在だったのかもしれない。
由衣の不変の愛がその運命を変えた。
運命に抗ったせいで、由衣自身はどの時間軸にも存在することができなくなってしまったのだろう。高次元の存在に、特異点として排除されてしまったのかもしれない。
おれは生まれて初めて、神という存在を信じ、その存在を呪った。
由衣が死んでから数週間が経った。
おれの部屋には、由衣がおれを救うために、二十四時間の溯行を何度も繰り返した証となる、レシート類が散乱している。
彼女の、補償サービスで交換されたばかりのスマホ内のデータ履歴に、タイムパラドックス的な現象が起きていなかったか純粋な興味も少しはあったが、モラル的に抵抗があったので、その考えはすぐに棄てた。
本来のおれたちは、仕事の関係上、日曜以外にはあまり会えたりしなかった。
それでもループ中と思われる、カフェのレシート、本屋のレシート、ファミレスのレシート、二本立て映画のチケットの半券等々を、整理しがてらよく見てみると、わかってくることがある。
由衣の仕事は時間の制約がかなりあって、与えられた二十四時間の猶予を無駄にすごさないために、無理に無理を重ねたのだろうと容易く想像できた。
レシートの発行日時を確認すれば、それは一目瞭然だ。由衣の人生の大半が、おれの命を救うためだけに消費され尽くした証だった。
彼女が本屋で購入した、数十冊にも及ぶ時間に関する学術的な書籍のタイトルを見ると、さらに切なさを感じる。
おれは、由衣が命がけで守ってくれたこの命をどうすればいいのか、まったくわからなかった。
生きる意味が見つからない。
由衣は、おれのために全てを失った。なのに、おれは彼女に何もしてあげられなかった。彼女の深い愛情を受け止めることすら、最初はできなかった。
ある日のこと、おれは由衣がいつも身につけていたペンダントの裏面に、小さく刻まれた『REN, I LOVE YOU』という文字に気づいた。
このペンダントは、おれたちふたりがつきあい始めて、最初に迎えた彼女の誕生日に贈ったプレゼントだった。
あきらかに、由衣が遺したおれへのメッセージだ。おれは、そのペンダントを強く握りしめ、気持ちを抑えきれずに号泣した。
由衣の犠牲の上に成り立つ、おれの人生──。
それは、あまりにも重く、虚無的だった。
おれの人生は、由衣がいなければ何の意味も為さない。由衣のいない世界で、おれはただの抜け殻だった。
ペンダントのメッセージに気づいたその日以来おれは日曜日毎に、あのカフェのレシートを握りしめ、あの時間あの交差点に立つようになった。
決して、飛び出してくるはずのないトラックを待って。
事故に遭えば、また由衣に会えるかもしれないと信じて──。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました!
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