7話 翔のトレーニング
悠が目を覚ましてから2日が経過した。
この日、如月家ではボフッという音が鳴り響いていた。その原因はというと。
「使いこなせねぇと下手したら死ぬぞ~!さっさと力を使いこなせるようになりやがれ~」
翔による悠の強化トレーニングが行われていた。翔曰く、使い方の説明よりひたすら力を使って慣れたほうが手っ取り早いと。荒治療すぎやしないだろうかというのが悠の感想である。
「違和感があったら無理せず教えろよ。また倒れられても困るからな」
「まだ筋肉痛が辛いんだけどぉ!」
「体動かしてりゃ治る!動けるところまで改善したんだからあとは動け!」
ボフッ。クッションに突っ込んだ。朝からもう何回も突っ込んでいるのだが劣化している雰囲気はない。不思議な素材である。
翔のトレーニング内容は言ったってシンプルで「力を使ってひたすらクッションに突っ込む」というもの。力を制御するためにひたすら試行錯誤しろとのことらしい。今のところ、廃ビルの時と同様、勢い任せに激突しているだけなのだが。
トレーニングを始めてから1時間を過ぎたあたりで休憩をとることになり、如月家に初めて来たときに通された部屋にいた。大広間だと思っていたのだが、居間だったらしい。広すぎる。大きな机がひとつ置いてあるし、確かにそうだと言われればそうな感じもあるのだが。
「これで本当に力を扱えるようになるのか?力の出す量を変えるように意識はしてるけど根本的に勢いがデカすぎて制御のしようが無い気がするんだけど」
「そういうのも含めてひたすら試行錯誤するんだよ。説明できる部分もあるけど結局使いこなせるまで使うしかないからな」
今のところ何か変化があったような感じはまるでない。なかなか大変なトレーニングだ。翔が実践が一番なんだけどなぁ、なんて言って少し怖気づいた。
「そういや一時間ずっと力使ってるけどこないだみたいに自我なくなったりしてないな。もしかして俺少し強くなった?」
「雷迅使わなきゃ大抵こんなもんだよ、普通は。俺もお前もこの能力を持ってるやつの中で見たら普通の方だってことだ」
翔が雷迅を打つ前のあの構えをしたあと床を蹴った。もちろん力を使っていないから前に向かって普通にジャンプしてるのと大した差があるわけでは無いのだが。
「ひとまず次の作戦まであと4日だからな。それまでに最低限使いこなせるようになってりゃいいんじゃねぇかな」
「やっぱりコツ知りたいんだけど。」
そう言うと翔は天井を向きながらあーと声を出した。
「そうだな、逆噴射みたいなもんだ。進みたい方向に思いっきり飛んで、目的じゃない方向への力は逆向きの力で打ち消す。他の奴らがどうしてるかは知らねぇけど俺はそうしてる」
逆噴射、とな。思ったより高度な技術な気がする。たとえるならピアノやってる人たちが左右別々の動きをしているあれだ。あっちこっちに気を払うなんて言うそんな技術、あと4日で身につくものだろうか。
「…なんか習得に難儀しそうだな…」
「そうか?割とすぐ扱えるようになったけどなぁ」
やってみないと何とも言えないが多分めちゃムズイ。多分すぐ使いこなせたのは才能とか、そういう奴だと思う。
翔の才能を実感していたところに紗奈がやってきた。お盆にはコップと、飲食店とかにある半透明のウォーターピッチャー。中の飲み物は茶色い。おそらく麦茶だろう。
「なんで業務用…」
思わずそう呟いた。翔も紗奈も聞こえてなかったようだが。
「ふたりとも朝練おつかれ~。練習はどうだった?」
「まぁぼちぼちってところだ。悠がちゃんと力使いこなせるまでは良かった、とは言えないからな」
机の上にお茶を置くと早速翔が手を付けた。翔も飲もうと思ってコップを取った。
「悠、で呼び方はいいのかな」
紗奈に話しかけられた。そういえば出会ってからしばらく経つというのに筋肉痛で寝込んでいたから碌に話せていなかった。
「悠でお願いします。苗字はどうなるんですかね…。翔は橋本って言ってた気がしますけど」
そう言うと紗奈はフッと笑った。
「家族なんだから、敬語なんていらないわよ。苗字は元のままね。役所とかに提出するような公的なものじゃないから。世間体ではシェアハウスよ。」
「重要なのは関係性ってことですか」
「そういうことよ。分かってるじゃない」
ビシッと指を向けられた。如月家の能力を詳しく調べたり、仕事の行き先の指示を出したりしていたあたりから考えてきっと紗奈は母のような役職なのだろう。皆を取り仕切り支えるそれはきっと紗奈にピッタリなのだろう。そもそも、やっぱり大学生の親というのは無理があるような気もする。
「そうそう、天使について分かってること、色々説明してあげるから時間あるタイミングで私の書斎に来てね」
紗奈はそう言うと部屋の外へ向かっていった。休憩していたところに差し入れとしてお茶を持ってきてくれただけらしい。
「俺もお茶飲むか…」
翔のほうを向くと信じられないことに気がついた。
「んあ?」
翔がお茶を全て、飲み干していた。正確には最後のコップ一杯のみでそれは翔のコップの中だ。
「俺のお茶は!?」
「ねぇぞ」
しれっと言った。しれっと。
「ねぇぞ、じゃねえよ!俺だって飲みたかったのに!」
「わりぃな。コーチ代だと思ってくれ。へへへ」
「へへへじゃねよ…」
へへへという言い方がいかにもわざとらしい。今までそんな喋り方したことなかっただろうに。
ちょっとだけ、仕返しをしてみたい気分になった。別に、翔みたく相手が嫌がることをやってやろうなんてものじゃない。ただ、ちょっと気になっていたことをここで聞いていじってやろうってだけだ。
「初めて会った時からさ、少し気になってたんだけどさ」
「ん?なんだ」
最後の一杯のお茶を口にしようとしていた手を止めた。俺に分けてくれたって良かっただろうに。
「紗奈への態度見てて少し感じたんだけどもしかして翔は紗奈のことが好ガボガボ…」
お茶の入ったコップの飲み口を押し付けてきた。さすがに扱いがひどくないだろうか。
「最後の一杯はやるから飲み終わったら庭に戻ってこい。続きやるぞ」
そう言うとそそくさと部屋を出ていく。
「やっぱそういうことなのかなぁ…」
どういうことなのかはおそらく言うべきではないのだろう。まぁ少し面白そうなネタなんじゃないか、なんて悠は考えていた。翔もただの人外狩りのベテランってわけじゃないらしい。
無論、ただの人外狩りのベテランなんて他に知らないわけだが。
「今からやめって言うまで力を使って走り続けてもらう。疲れはしないだろうが限界まで力を振り絞って走るように」
お茶を飲みきって庭に戻って翔が開口一番に言ったことがこれだ。終わりを明言していないあたり、嫌な予感しかしない。
「ちなみに終わりは?」
「お前の勝手な予想と詮索ができなくなるまでだ。諦めな、お前は知りすぎた」
まるで知ってはいけない世界の真相のように語りかけてくる。というか、翔のこの行動がつい先ほどまでの推測があっているのだと明確示しているようなものだ。こういうことに関しては不器用なのか。
「何ニヤニヤしてんだ。余計なこと言ったりやったりすんじゃねぇぞ。俺は俺のやり方がある」
「否定はしないんだな」
「死ね」
なんだかんだ聞きなれてきた翔の暴言を受けつつクッションで囲まれた空間を見る。パッと見た限りの目測で直径30メートル前後の円形の空間。直系の判断基準は学校のプール。あれよりかは長そうだ。
「この中で走りながらいくつかタスクをこなしていってもらおうと思う。大した内容じゃねぇけど力使いこなしてなきゃ相当厄介だぞ」
土嚢袋みたいにつまれたクッションに梯子がかかっていてそこから中に入れられた。
「このクッションでこんだけ広い円を描くの相当な労力が必要じゃないか?さっきまで準備してなかったのにどうやって」
「如月家の力は便利ってことだ」
まぁそれ以外ないか、と思ったところで翔が2リットルペットボトルのお茶を渡してきた。
「何だこれ」
「今から合図をするからやめて良しと言うまで走り続けろ。その中で課題をやってもらう。ぶっ倒れそうになった時だけは例外として止まって良し。詳しい話は走りながら聞けばいい」
休憩前から変わらずの雑対応。まぁ直接指導があるだけマシなのか?
「3,2,1,スタート!走れ!」
雑な合図に促されて走り始めた。意識することは逆噴射。バランスを崩しそうになったら反対側から圧力をかける。ひたすらこれを意識しながら走る。意識しながら走ったところとんでもなく走るのが遅くなってしまった。翔からスピードについて何も言われないあたり速さは関係ないのだろうか。そうならば意外と逆噴射の意識はしやすいから何とかなりそうだ。
10分ほど走っただろうか。翔から初めての指示があった。
「課題その1、だ!さっき渡したお茶を飲みきれ!」
なんなんだそれは。これまでの人生でペットボトルを飲み干すなんていうトレーニングは見たことがない。ペットボトルなんて総じて肺活量トレーニングがいいところだろう。
別に難しいことは無い。ただ飲むだけだ。そう思いキャップに手を付けた。
「わっぷ」
転倒。何かに躓いたのかと思い足元を見たが石とか凹凸とかそういうものはない。いったい何で転んだのだろうか。
「止まってないで走れ~!」
止まっていたところを翔に見られ、喝を受ける。
立ち上がって再び走り出す。課題の続きをすべくキャップに手を当てると。
「へぶっ」
また転倒した。足元を見るがやはり何もない。
『どうした~しっかりやれ~!』
翔はいよいよ叫ぶのが面倒になったらしく、拡声器を使いだしていた。
このあと何回もキャップを開けようとしたが全て転んでしまってうまいことできない。ペットボトルの方に問題があるのではないかと疑ってしまう。ペットボトルのキャップを開けることすらできないほど不器用だとは思ってない。翔が何か仕組んでいるに違いない。
「翔!なにかペットボトルに仕組んでるだろ!開けようとすると転ぶなんて絶対おかしいぞ!」
立ち止まって翔のいる方へ叫んだ。1秒もすると拡声器のスイッチが入る音がした。
「何も仕組んでない。ペットボトルの開封に気を取られて毎回コケてるだけだ。もっと全体に気を払うんだよ。自然にできるようにならないと複雑な動きに使ったりなんてできねぇから頑張れ」
こちらの技量不足が原因らしい。確かによくよく考えたらバランスボールに乗りながらけん玉をやるようなものなのだからそう簡単にいくわけもないのかもしれない。
「あと、止まるな」
「はいよ」
再び走り出した。課題は飲みきることだから、キャップを開けなくては話にならない。慎重に、ステップ踏んでいくことにしよう。
まずはキャップに手を添えるだけだ。これだけでも意識することが一気に増える。ただ走るだけなら両腕でバランスを取れる。キャップに手を添えるということはそれだけバランスを崩す可能性が増す。かなりよろついたが何とか添えることができた。次のステップだ。
次に、キャップを握る。腕の筋肉に力を入れるだけのそれは、思考の一部をそこへ向けることになる。手を添えるだけでふらつくのだ。そこに力を入れるなんて至難の業なのは自明である。何度かクッションん突っ込むことになったが、10分くらいかけて何とかできるようになった。
ここまで出来たらあとは回すだけだ。ついさっき割いた思考の一部を調整していくだけ。なんとも意外だがこれはあまり苦労しなかった。体の動かし方に少し慣れてきたのかもしれない。元の腕の位置に戻して、回す。これをゆっくり、数回繰り返すと蓋が開いた。
さて、キャップが開いたから、いよいよあとは飲むだけだ。飲み口に口をつけ、上を向いた。
「ゴホォ!」
クッションに突っ込んだ。曲がり切れていなかった。というか、曲がれていなかった。
飲み物を飲むとき、どうしても必然的に上を向くことになる。それは必然的に視覚情報の機能を制限してくる。
こればっかりはステップを踏んだところで解決できるものではない。こういうのはゆっくり飲んでいくしかない。チビッと飲んですぐ視界を元に戻す。ふらついたがこれくらいなら平気だ。
これをひたすら繰り返して何時間も経った。日も陰りだした頃、ようやく。
「飲みきったー!」
その叫びと共にクッションに突っ込んでいった。
『終わりだ。動けるようになったら戻ってこい』
翔はそう言い残すとどこかへ行った。
この日の翔によるトレーニングが、ようやく終わったのだった。




