ep.1 オルフェン
雲ひとつない穏やかな朝だった。
「旅は続くんでしょ?また、アリスティアの近くを通ったら、気軽に寄ってちょうだい」
リエルは穏やかに笑った。
「ありがとう。……それで、謝らなきゃいけないことがあるんだ」
アシェルは首から下げていた首飾りをそっと見せた。
「石にヒビが入ってて……昨日の夜、気づいたんだ。せっかくもらったのにごめん」
「あら、本当ね。魔力も消えてる……でも、アシェルのせいじゃないわ」
リエルは少し驚いたようだが、すぐに穏やかな笑みに戻った。
「多分アリシエル様の力を受けた時に割れたのよ。言ってたでしょ?ゴルヴァンテで光ったって。その時じゃないかしら?」
「……うん」
「なら、それでいいの。これは“友好の証”で渡したものなんだから」
リエルの言葉に、アシェルはほっと息を漏らして頷いた。
「アシェル、そろそろ行きますよ」
門の前でイゼルの呼ぶ声が聞こえた。
「じゃあ、またね」
「うん、また会いましょう」
リエルに手を振られながら、アシェルたちはノクシェルドへ向けて歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「俺、あのリエルって子、少し怖いんだよな〜。悪い子じゃなさそうなんだけどさ」
「怖くないよ。優しい子だし、今度レイヴも話してみなよ」
アシェルが笑って返すと、レイヴは何かを察したかのように顎に手を置き、目を細めた。
そしてじっとアシェルを見た。
「……ほう?なんだアシェル、あの子に気があるのか?」
「ち、違うから!」
レイヴが肩を組んでからかうと、アシェルは顔を赤くした。
「レイヴー?あんた、人をからかう暇があるなら、自分から話しかけなさいよ」
ネリーが睨む。
レイヴは肩を跳ねさせた。
「いや、わかってるって!俺だって仲良くなりたいとは思ってるんだよ。ただ、なんかあの子の周りに見えない壁があるっていうか……」
「それを越えて話しかけるのが、あんたの得意としてる努力ってやつでしょ」
蚊帳の外に出されたアシェルは、そんな二人のやり取りを横目に、イゼルの隣に並んだ。
「師匠、ノクシェルドはあとどれくらい?」
「そうですね……ちょうど中間地点、といったところでしょう」
「えっ……まだ半分なんだ」
アシェルががっくりと肩を落とすと、イゼルは優しく笑った。
「近くに旅人の休憩所があります。少し早いですが、お昼にしましょうか」
「やった!」
先ほどまで言い合っていたネリーとレイヴも反応し、一同は足取り軽く道を進んで行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
辿り着いた先には、何もなかった。
建物だったはずの木材が無造作に散らばり、人が集まっていた形跡は一切ない。
「……ひでぇな」
レイヴが周囲を警戒しながら先を歩く。
風が止み、空気がひんやりと冷たくなった。
「誰か、いますか――」
レイヴが呼びかけたその時。
「うおっ!あんた、大丈夫か!?」
奥の瓦礫の陰でレイヴの声が響いた。
アシェルたちが駆けつけると、岩にもたれるように座る男がいた。
男は生きてはいたが、焦点の定まらない瞳で空を見上げていた。
「客……か……?悪いが、ここはもうやってない……早く離れたほうが……さもないと、魔王の手先が……来るぞぉ……ひひ」
男は笑うように小刻みに震え出し、同時に空気がどことなく冷たくなった。
次の瞬間、男の皮膚が溶けるように形を崩し始めた。
「っ……!」
ネリーが小さく息を呑んだ。
レイヴが無意識に剣の柄を握りしめる。
その手が震えていることに、本人も気づいていなかった。
再び、人型となした姿は魔族であると一瞬でわかった。
ピンク色の髪、魚の目のようなぎょろりとした瞳。
老人のようにしぼんだ顔。
男の足元に黒い穴が開いた。
男は不気味に笑いながら、その穴に沈み込むように姿を消した。
――ヒヒヒ、ここまで私がお膳立てしてさしあげましたよぉ……オルフェン……
あとは、あなたが“やりたいように”どうぞぉ……
空が低く重い音を立てて鳴り始めた。
赤く染まると同時に、大きな裂け目が空を走り、世界そのものが軋むように震えた。
「悪いな、ロラミィ。あとは俺ひとりでやる」
空間がゆらりと歪み、その中心から黒髪の青年が歩み出た。
「……オルフェン」
イゼルが、絞り出すように彼の名を呼んだ。
その名を聞いた青年の眉がわずかに動く。
そして、氷のような冷たい視線が、アシェルたちへ向けられた。
かつて勇者と呼ばれた青年。
だがその面影はもうどこにもない。
その瞳には――ただ“殺意”だけが宿っていた。




