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理を越えし担い手たち  作者: いがらしつきみ
第三章:アリスティア国編
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ep.2 魔物となった男

――逃げろ


 頭ではそう分かっているのに、体が動かない。

 魔物は涎を垂らし、呻き声を漏らしながら、ゆっくりとアシェルに迫っていた。


 逃げなければいけないと分かっていても、突然の強敵を前に、立ち上がろうとする体は震え、力が入らなかった。

 背後から突風が吹き抜けた。


「魔物のくせに私の国に勝手に入ってきてるんじゃないわよ!」


 横から強い風が吹き荒れ、リエルが怒りながら風を巻き起こしていた。

 魔物はリエルに興味を示したのか、リエルの方を向くと腕を前に出し、迎え撃つ姿勢を取った。


 魔物の掌に黒い靄が集まり、渦を巻くように黒い球の形を成していく。

 次の瞬間、それは音を奪うように放たれ、空気を裂いた。


 リエルは風で対抗するが、明らかに魔物の力の方が強い。


「っ……!?」

「リエル!!!」


 アシェルの体は自然と動き出していた。

 リエルがあの魔物に勝てないことはわかっていた。

 ならば、魔物の餌食になる前にリエルをあの場から離さなければと震える足を叱咤し、走り出した。


 しかし、手を伸ばしてもすでに間に合わない。


 球はリエルの目前で弾け、黒い衝撃がリエルの体を包み込んだ。

 アシェルは爆風で後ろに吹き飛ばされ、壁に背中を強打した。


 しばらく息が吸えず、うずくまりながら呼吸を確保しようと咳き込んでいると、視界が開けてきた。


 爆風の中心に、いつの間にかイゼルが立っていた。

 爆心の空気を凪ぎ、まるで彼を中心に世界が静止しているかのようだった。


「ドレイン、私はまだ何も指示していませんよ」


 イゼルの目は相手を射抜くように、その場から確実に逃がさないといった殺気を感じた。


 いつから地面が隆起したのかはわからないが、土が鋭い凶器となって魔物の胸を貫いていた。

 これがイゼルの魔法であるとすぐわかった。


 イゼルは後ろを振りむくと、呆然としているリエルに手を差し伸べた。

 しかし、リエルはその手を振り払った。


「あなた、敵側だったのね……まぁそうよね。あの裏切者の勇者の仲間なんだもの。魔物の手先なんて考えられることだったわ」


 イゼルは目を見開き、そして一瞬悲しそうな表情をしたが、すぐに表情を戻し、首を横に振った。


「あなた方を欺くような真似をしたことは申し訳ありません。しかし、話を聞いていただきたい。私はあなた方を危険にさらそうとは思っていない」

「何を言っても今は信用できないわ」

「そうですよね。しかし、誤解しないでいただきたいのはそこにいる魔物はただの魔物ではなく、魔界の情報提供をしてくれる者なのです」


 アシェルは驚き、魔物の姿を見た。


「彼の名はドレイン。元人間の魔物です」

「元人間?」


 イゼルは頷き、話を続けようとしたがドレインが吐血し、全員の視線がドレインに向いた。


「イゼルさん……あとは俺が話す。だからこの拘束を解いてくれ」

「あなたは私との約束を破りましたね」

「それはすまなかった。今度はちゃんと感情を抑える。約束する」

 

 ドレインはまっすぐイゼルを見つめていた。

 イゼルはリエルを見た。


「リエル様、今から彼の拘束を解きます。また暴走しそうなときは私が責任を持って抑えるので、今は彼の話を聞いてあげてください」


 リエルは不服そうに顔を逸らした。

 イゼルはそれを許可ととらえ、ドレインの胸に刺さっていた凶器を解いた。

 鋭い土はざらざらと砂へ還り、足元へ崩れ落ちた。


 ドレインは胸を押さえ、苦しそうにしていたが、しばらくするとその傷はなくなっていた。

 アシェルはその様子に驚きながらも、気を抜いた瞬間、攻撃される可能性もあるため、再び警戒態勢に入った。


「さっきはすまなかった……イゼルさんと会ってるところを見られて焦って我を忘れちまった。そのまま抑えが利かなくなった」

「ほんと、殺されるところだったわ……」

「すまない。でもこれは魔物の特性なのか一度感情が昂ると破壊衝動が抑えられなくなるんだ」


 ドレインは辛そうな表情で拳を握り、自身の胸に当てた。


「ドレインさん、イゼル師匠が言っていた元人間とはどういうことですか?」


 ドレインはアシェルの質問を考えるように少し間をあけ、ゆっくりと口を開いた。


「……俺はもとは賢者の聖地エルヴァレンの人間だったんだ。だけど、両親が禁忌の魔法に手を出し、(おさ)に追放された。俺は賢者になりたかったから、賢者としての志をエルヴァレンの人間に示せれば戻れると思っていたんだ。だけど――」


 ドレインはあたりを確認し、しばらく沈黙したあと話を続けた。


「両親は魔王の幹部に魂を売りやがった。自分たちを追い出したエルヴァレンの人間に復讐するために魔王の手先になることを厭わなかったんだ。自業自得なことに闇の力に耐えきれず死んだ。俺は関係ねぇから逃げようとしたが、魔物に捕まっちまって呪いをかけられたんだ」


 ドレインはイゼルを見て話を続けた。


「運悪く俺は闇の力に耐えることができた。だけど、イゼルさんに会うまでは破壊衝動のまま許されないことをたくさんした。人も街も全て破壊して……今でもこの衝動は完全には抑えられねぇし、どんどん強くなってる」


 ドレインは視線を逸らした。


「俺は別に人を殺したいなんて思っていない。だけど闇の力にはどうしても耐えられねぇんだ。……別に殺したければ殺してもいいぜ」


 この話はアシェルには衝撃的だった。

 人が闇の力によって魔物にさせられる。  

 ドレインのように望まず魔物になった存在がいる世界で、そういった存在と相対した時、自分はどうすればいいのか悩まずにはいられなかった。


 リエルのうしろ姿からは表情はわからないが、拳を強く握り、小刻みに震えていた。


「なによそれ……元人間だからって、魔物は魔物じゃない……」


 リエルは自分に言い聞かせるように小さく呟いた。


「リエル様、彼と私は契約を交わしています。敵対する場面であったら互いに全力で戦う。しかし、こういった密会では情報交換を行う。これがわたしたちの命が続くまでの関係です。確かに敵であることには変わりがないのかもしれません……ですが、お願いです。我々の力だけでは魔界の情報は得られないのです。ドレインの存在は我々にとって大きな利となります。……どうか、このことはご内密にお願いいたします」


 イゼルは深々と頭を下げた。

 リエルは黙り込み、そしてドレインをじっと見つめ、ボソリと呟いた。


「あなたは、完全に魔王に魂を売ったわけじゃないものね……」


 リエルは目を閉じ、そして覚悟を決めたように目を開けた。


「……いいわ。このことは内緒にしておいてあげる。だけど、アリスティアに危害をなす存在だと分かったら私はあなたを殺す」


 リエルは殺気を放ち、ドレインを睨んだ。


「分かった」


 ドレインは頷いた。


「すまねぇ。そろそろ俺は戻る」


 ドレインはそう言い、背中から大きな黒い翼を広げ、洞窟の外へと飛んで行った。

 ドレインが去ったのを確認すると、イゼルはゆっくりとリエルの前まで移動し、そして再び深くお辞儀をした。


「リエル様、私からもお礼を言わせてください。ドレインのことありがとうございます」

「別に……私は完全にあなたたちを許したわけじゃないことだけは理解しておきなさい」


 リエルはそう言うと一人先に帰ってしまった。

 

 アシェルはホッと息をついた。

 だが、胸の奥に芽生えた不安は、夜の静けさとともには消えてはくれなかった。

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