奇跡
窓の外を見る。
どこまでも広がる、漆黒の宇宙。
星らしき光は一つも見えず、そこには巨大な黒の塊が横たわっているだけだ。船は今も静にその黒の中を進み続けいるはずだが、窓の外にはそれを示すものが一つもないため、俺は今進んでいるのか、止まっているのか、或は後退しているのか、よくわからなかった。
俺は今、国連宇宙開発機構が運用する深宇宙探査船、『ディスカバリー』に乗船している。この船は各国が資金を出し合って共同で運用され、その目的は、太陽系外の宇宙や天体を調査し、人類の科学技術の発展に貢献することである。
「おう、こんなところにいたのか。」
自動ドアの開く音がした。そちらに目を向けると、先輩が缶コーヒーを持ってこちらにやってきた。
「暇なんですよ、映画も、ゲームも、娯楽施設も全てが遊び尽くしちゃったし。」
ディスカバリーは超高層ビルを4本束ねた程大きく、その中には長旅の退屈を紛らわせるための、映画館や図書館、ゲームセンター、体育館からショッピングセンターまで、様々な娯楽施設が充実していた。しかし地球を発ってからすでに三ヶ月が経過し、最初のうちは様々な施設をまわり堪能していたものの、さすがに遊び尽くしてしまった。
「だからって、何も無い宇宙を眺めるより楽しいことはありふれてるだろ。」
そう言って先輩は僕の向かいの席に座った。コーヒーの良い匂いが辺りに漂ってくる。
「この宇宙を眺めてるとさ、俺たちって孤独なんだなって改めて思うんだ。」
「何ですか急に、らしくない。」
いつもはだいたい適当な先輩が、詩的なことを言い始めたので、少し驚いた。酔っているんだろうか。アルコールの匂いはしない。
「だって、人類が始めて宇宙に出てからもう二百年以上も経ってるていうのに、生命が生きてる星は地球ただ一つしかないんだぜ?」
二人はただひたすら何も無い窓の外を眺める。先輩は缶コーヒーを一口飲んだ。
「そう考えるとさ、俺たちが生まれて今もこうして生きているのって、奇跡みたいに思えてくるんだ。」
奇跡。それは人間にとって都合の良い偶然に、特別な名前を付けただけに過ぎない。
「なんだか寂しいですね。」
俺は適当に相槌を打った。
「そういえばお前、これから調査する惑星の説明聞いたか?」
「すいません、寝てたので。」
「ったく。」
先輩はいつも適当だが、仕事のことになるとちゃんとやる。そういうとこが信頼できるし、尊敬できる。先輩はスマホを取り出し、それを見ながら説明を始めた。
「これから調査するのは、地球から六五光年離れたとこにある、ブーシー星系の一番惑星、HD198……。まぁ詳しいことはいいや。通称、『ガラスの惑星』って呼ばれてるところだ。」
「『ガラスの惑星』?」
独特な通り名に、思わず先輩の方を向き聞き返した。
「そう、なんでもこの星、大気中にケイ酸塩の粒子が含まれてるんだ。これはガラスの主成分で、少しずつ他の粒子と結合して、最後には雨になるらしい。つまりガラスの雨がふるってわけだ。」
俺は先輩の説明を黙って聞いていた。なんとも変な星だ。
「でもそれって危なくないですか?」
「大丈夫。ガラスの雨といってもとても小さな破片だし、空気も厚いから空気抵抗を強く受けて、速さも出ないんだ。船外活動服を着てれば安全さ。」
まぁ先輩が言うのなら大丈夫だろう。
「さっき確認したんだが、到着は一週間後に迫ってるらしい。ちゃんと準備しておけよ。」
「はい。わかりました。」
そう言うと先輩は席を離れ、またどこかへ行ってしまった。俺は再び窓の外に目を向ける。コーヒーの残り香が、まだこの静な一室に纏わりついていた。
一週間後、船は予定通りその星の周回軌道上に到着した。俺と先輩は船外活動服に着替え、小型の大気圏往還船に乗り込む。
「こちら大気圏往還船、オポチュニティ。管制室、聞こえますか?オーバー。」
「こちらディスカバリー管制室、通信状態良好。よく聞こえますよ。」
先輩は管制室と交信し、この小型船のシステムをチェックしていく。通信機器から聞こえてくるオペレーターの声は女性だった。俺は先輩に言われた通り、ボタンを押したり、レバーを引いたり、モニターを確認したりしていく。ここはマニュアル通りにやればよい。いつものルーチンだ。
「最終チェック終了。システム、オールグリーン。いつでも発進できます。オーバー。」
「了解。切り離しまでのカウントダウンを開始します。120、119、118、……」
カウントダウンが始まると、周囲にところ狭しと並べられた機械たちはゴウンと唸りを上げ、動作を始める。
「……、3、2、1。」
その瞬間、ガコンと船体が大きく揺れ、ゆっくりと体を押さえつけるような加速度を感じた。
「分離成功。これより、オポチュニティはHD189733bにおける調査を開始する。オーバー。」
俺の方に取り付けられている窓のの外を眺めると、そこには徐々に離れていくディスカバリーの姿があった。その船体は、漆黒の宇宙にポツンと浮んでいた。全長1km程もある大きな船のはずだが、こうして全体を眺めて見ると、案外小さいもんだなと思った。いや、背後に広がる宇宙が大きすぎるせいか。
「おい、こっちを見てみろよ。」
先輩は、先輩の方に取り付けられている窓の方を小さく指差して言った。そっちを見てみると、そこには青い星がポツンと浮かんでいる。所々に不規則な白い模様があり、それはまるで雲を思わせた。しかし地球と違うのは、緑や黄土色のような、大地を示す色がない点だ。ガラスの惑星は、地球から大地を取り去ったような見た目の、美しい星だった。しかし、やはりどこか寂しい。
それから一時間後、ガラスの惑星は徐々に大きくなって目前までに近づき、いよいよ大気圏に突入しようというところだった。
「これよりオポチュニティは大気圏に突入する。オーバー。」
「了解。大気圏突入後は、電波が厚いケイ酸塩の雲に遮られるため通信できません。注意してください。それではお気をつけて、グッドラック。」
先輩はオペレーターとの交信を終えた。
「これから大気圏突入だ。舌噛みきらねぇように、歯ぁ食い縛っとけよ。」
「はい。」
言われなくてもわかっている。大気圏突入は、これが始めてじゃない。
船が揺れ始めた。しかもその揺れは、徐々に大きくなっていく。すると突然、窓の外が白く、眩しく輝きだした。高速で落下する小型船の下部で、圧縮された空気が高温になり、プラズマとなるためだ。激しい揺れが二人を襲う。二人は歯を食い縛って目をつむり、それに必死で抗う。大気圏突入は始めてではないと先述したが、何回やってもやはり慣れないし、怖い。このまま揺れがさらにひどくなり、突然爆発したらどうしよう。システムが機能せず、このまま地面に激突したらどうしよう。そのような余計な不安がフツフツと沸いてくる。しかし、それはやはり杞憂でしかなかった。揺れはいくらか小さくなり、下に俺を引っ張る力を感じる。重力だ。少し目を開けてモニターを見てみると、そこにはシステムの正常を示すランプが点灯している。窓の外を眺めて見ると、白い光は無くなったが、一面が真っ白で何も見えない。小型船が、スラスターを噴射している音が鳴り響く。安全に降下できるように、落下速度を調整しているのだ。
「逆噴射ッ!」
先輩が突然そう叫ぶと、豪快な音が鳴り響き、重力に加え、さらに俺を下に縛り付ける強い力を感じた。
その五秒後、雷に打たれたような強い衝撃が俺の全身を突き抜けた。そして唸っていた機械の音たちが徐々に小さくなり、先輩の息切れの音が聞こえる程になった。しかし、あの豪快な音は、俺の耳の奥にまだ残っている。心臓の鼓動が早い。
先輩はふうっと息を吹き、言った。
「舌、噛み切らなかったか?」
「はい。」
別に運動したわけでもないのに、二人とも汗だくで、呼吸が早い。
「ひとまず、着いたみたいだ。ようこそ、ガラスの惑星へ。」
先輩は得意気にこちらを見た。
「先輩も始めてでしょ、来るの。」
「まぁな、俺どころか、人類初だ。」
窓の外を見ても、真っ白で何も見えない。
先輩はモニターを操作し始める。
「大気成分は、硫化水素が八十二パーセント、二酸化炭素が十六パーセント、水素が一パーセント、温度マイナス十八度。概ね報告書通りだな。船外活動可能だ。」
「活動服、問題ありません。早速行きましょう。」
二人はコックピットから梯子を使って下に降り、ハッチの前で調査機器のチェックをした。
「どうやら問題ないようだな。じゃあ早速、ガラスの惑星を拝もうじゃあないか。せっかくだし、お前がハッチを開けてみるか?ガラスの惑星のファーストマンにしてやるよ。臭いセリフ、期待してるぜ。」
「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だってやつですね。了解です。」
軽く談笑して、ハッチの回転式のレバーに手をかける。この星にはどんな光景が広がっているのだろうか。
レバーを回し、ハッチが開く音がした。ゆっくりと押すと、隙間からオレンジを帯びた柔らかな光が差し込んできた。そして俺は、ハッチを完全に開放し、眼前に広がる景色に目を向けた。
息を飲んだ。この星の夕焼けも、赤いらしい。柔らかいオレンジの光は、ポロポロと降るガラスの雨に乱反射し、ダイヤモンドのように輝いている。地面も一面にガラスの破片が降り積もり、やはりオレンジの光を乱反射していた。ダイヤモンド・ダストというやつか。いや、それよりも美しいのではないだろうか。まるで天国だ。
「こりゃあ、すげぇや。観光資源になりそうだな。」
先輩は隣で味気ないことを言ったが、そんなのは聞こえなかった。今、この美しい星には、俺と先輩の二人しかいない。通信もこない。
「何をボケッとしてるんだ。」
先輩は僕のヘルメットをコツンと殴った。
「活動時間は三時間だ。まずはこの観測管を十ヵ所の目標地点に打ち込む。行くぞ。」
ガラスの惑星に、始めて一歩を踏み出す人類となるべく、地面に垂らされた梯子を下りる。梯子の一番下の段まできて、ゆっくりとガラスの惑星に足をおろした。ジャリジャリという感触が足の裏から伝わってくる。踏まれたガラスはさらに粉々になり、小さくなって白やオレンジの輝きを放っている。後ろを見上げるとそこには小型船があったが、船体に所々白い塊がこびりついている。おそらく、大気圏突入時に熱で溶けたガラスが船体にこびりついてしまったのだ。だから外がみえなかったのか。
二人は歩き出す。一歩を踏み出す度、足の裏でガラスが砕け、ジャリジャリと音を立てる。降りしきるガラスの断片はコツコツと活動服にあたる。空は夕焼けで、相変わらずガラスたちが、その光をランダムに反射している。
そこは奇跡の星だった。まさしく、俺にとって都合の良い偶然によってできた星だ。俺はその光景を眺めながら、俺はこれを見るために生まれてきたんじゃないかと思った。そう思うと、俺がこの宇宙で生まれ、今生きていることが奇跡のように思えた。