表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

I/O、鉄血の処刑人と機械仕掛けの愛

あらすじ


西暦2245年、AIが人類を襲うという事件、通称『シンギュラリティ』から168年。AIは違法とされ、人々は義体と呼ばれる機械の体へと進化を遂げた。そんな中、公安特務部隊「埋葬課」に所属する剣崎零けんざきぜろは、違法AIを狩る「処刑人」として暗躍していた。


ある日、剣崎は違法AIの噂を追って、機械城塞都市・鋼鉄劇場に潜入する。そこは、全身義体化した男『機械伯爵』が支配する、欲望渦巻く闇の世界。しかし、伯爵はただの違法AI利用者ではなかった。彼の電脳は既に違法AIの悪性プログラムに汚染され、常軌を逸していたのだ。


圧倒的な力で剣崎を襲う伯爵。しかし、剣崎は生身でありながら、特殊な武術「破械流」を駆使し、応戦する。

激しい戦いの末、剣崎は伯爵を追い詰めるが、予想外の事態が起こる。

古代遺跡より目覚めた謎のAI搭載ガイノイド「アイ」との出会い。それが剣崎の運命を大きく変えることとなる。彼女は、剣崎の知るAIとはまるで異なり、人間と同じような心を持っていた。


純粋な心を持つAI「アイ」の存在が、物語を大きく動かしていく。AIとは人類の敵なのか、それとも…?

 「AIとは、人類が生んだ人類の敵である」

 人類継続機構CHOが唱える憲章である。


 機械城塞都市・鋼鉄劇場。

 眼下を見下ろす第四世代型自律回路式機械化人類「機械伯爵」の姿があった。今宵は深い夜。酸性雨が都市に降り注ぎ、電磁嵐の波は大きく、客入りが悪い。

 伯爵の背には無数のホルマリンポットがあった。その中には人の臓器が収められている。彼の稼業であった。

 東雲しののめはまだ遠く、今宵はまだ早い。彼ら機械化人類に睡眠は不要だが、都市としての社会維持として都市全体が眠りに入る期間が存在する。都市の目覚めは蒸気時鐘楼が時を知らせてくれるが、まだその時ではない。

 しかしこの悪天候では客が来るに来れない。このような環境で外出するのは相当なもの好きか、理由ありだ。


 「……む」


 だが、時にそんなもの好きが現れることもある。店じまいをしようとした伯爵だったが、玄関に一人の男が立っていることに気づいた。

 黒い外套。旧式のレインコートだった。酸性雨を防ぐには十分だが、有機モニターは故障していて、個別認証コードが表示されていない。だが、もとより伯爵のもとに訪れるものは、そういった客層が多い。


 男はメディカルチェックをパスし、放射線スキャナーの下をくぐる。ウイルス、電子兵装、武器。何も検出されない。男に危険はないと判断した伯爵は、自ら出迎え、個人認証コードの提示を求めた。

 男は黙ってマイナンバーカードを差し出す。古風だが、今も通用する個人認証。カードリーダーにかざす。


 剣崎零。IT企業のエンジニア。


 (どこかで……)


 伯爵の記憶回路にノイズが走る。思い出せない。だが、重要な情報ではないのだろう。優先度の低い記憶は、いずれ消去される運命だ。

 伯爵は仮面のような笑みを浮かべ、男を招き入れた。


 「ようこそ、我が鋼鉄劇場へ。奥に、貴方好みの商品をご用意しておりますよ」


 薄暗い廊下を進む。壁には無数のパイプが這い、機械の鼓動が響く。ここは、伯爵の王国。欲望渦巻く、鋼鉄の劇場。


 剣崎は沈黙を保ち、伯爵の後をついていく。無機質な廊下を抜けると、そこは異様な光景が広がっていた。無数の臓器がホルマリン漬けにされ、ガラスケースの中に陳列されている。


 「政府公認の正規店です。品質は保証しますよ」


 伯爵の声が響くが、剣崎はまるで興味を示さない。コツン、コツンとブーツの音が静寂を切り裂き、奇妙な緊張感が漂う。


 「有機義肢を探している」


 剣崎の言葉に、伯爵の自律回路が一瞬、揺らぐ。有機義肢。アンドロイドの四肢に使われる生体由来の最高級部品。希少で高価な贅沢品。

 伯爵は、数少ない有機義肢の職人だった。かつて工業用ロボットとして義肢を製造していた経験が、彼をこの道へと導いた。


 「有機義肢をお探しとは、お目が高い」


 伯爵は上機嫌で剣崎を奥の部屋へと誘う。有機義肢の愛好家は少なく、その価値を理解する者はさらに少ない。剣崎との会話に、伯爵は興奮を隠せない。

 剣崎は、驚くほど有機義肢に詳しかった。その知識量は、伯爵をも唸らせるほど。二人は、まるで旧友のように語り合った。


 「義体化手術をされる予定なのですか?」


 伯爵は尋ねた。珍しいことに、剣崎の肉体は全て有機物だった。この時代、義体化は当たり前。有機義肢への造詣の深さから、伯爵は彼が近々、義体化手術を受けるのだと推測したのだ。


 「いや」


 剣崎は一言だけ呟く。伯爵は怪訝な表情を浮かべるが、剣崎は意に介さず、有機義肢のサンプルに触れた。


 「見事な出来だ。ここまで精巧に仕上げるのは難しい」


 伯爵の疑問を無視して、剣崎は有機義肢のサンプルに触れる。


 「まるで生成AIでも使ったかのようだ」


 その瞬間、伯爵の全身に電撃が走るような感覚が流れる。反射的に距離を取る。輝線が走る。剣閃が、伯爵の立っていた場所を薙ぎ払う。少し反応が遅れていれば真っ二つとなっていただろう。

 記憶回路をフル回転させてデータベースを検索する。そして思い出した。目の前にいる男の正体を。


 「……貴様」

 「情報管理物製造責任法第十八条。AIの使用及び単純所持は刑事罰に課される。知らぬとは言わせん」


 情報管理物製造責任法、通称「情管法」。AIの進化に伴い制定された法律。

 剣崎は、公安第四課情報特務部隊、通称「埋葬課」の実行権限保持者。その任務はただ一つ。


 「『処刑人』剣崎零、国家の犬か!」


 情管法違反者の処刑。彼は、個人として処刑権を与えられた、超法規的措置の存在である。


 「それは……武器のつもりか?」


 伯爵は嘲笑を浮かべ、剣崎の持つ日本刀を値踏みするように見下ろした。その目は、まるでガラクタを鑑定する骨董商のようだった。セラミック製のブレード。古代遺物である。


 「生身の人間が、そんな玩具で何ができる」


 伯爵は高笑いする。その声は、鋼鉄の体内で不気味に反響し、剣崎の鼓膜を震わせた。

 剣崎の刀は、金属反応のないセラミックの塊。ナノシステム搭載のバイオブレードでも、機械式日本刀でもない。伯爵の鋼の身体には、傷一つつけることすらできないだろう。


 「これより処刑を執行する、劇場は終幕の時だ」


 伯爵の言葉をまるで意にも介さず、剣崎は冷たく言い放つ。そして地面を蹴り駆ける。伯爵は最新式のバイオセンサーで剣崎の動きを捉え、半自動モードで迎撃態勢に入った。

 容易い。そう思った。


 「はぁッ!」


 剣崎の動きは、センサーが完全に捉えていた。伯爵の鉄腕が剣崎の肉体を貫く。


 「……!」


 だが貫かれたはずの剣崎は、霧のように消える。3Dホログラムか、デコイか。電脳戦ならあり得る。だが、生身の人間相手にそんな芸当が可能か。

 否、どれも違うのだ。剣崎の持つ技は、機械化人類に特化したもの。その名は「破械流」。公安特務部隊の処刑人である彼が身につけた、生身の肉体で機械化人類に対抗する唯一の手段である。

 丹田に蓄えた内功を放ち地面を蹴る。爆発的な加速を生み出し、視覚センサーの処理能力を超える超高速移動を実現する。

 その名は「幻影歩」。残るのは、残像のみ。

 理解が追いつかないまま、背後を取られた伯爵に、剣崎の刀が振り下ろされる。


 「それが自慢の技ならば、浅慮だな公安」


 目を合わさず、しかし背後の剣崎に話しかけるように伯爵は呟く。同時に白いコートが破れ、背後から八本の複腕が姿を現す。規格外の義肢。異形そのものであった。


 「……チッ」


 人間の動きを無視した複腕が、剣崎の腹部を抉る。咄嗟に後方へと跳んだが、傷は深い。一つ一つの腕が高出力で、捕まれば肉体は容易く引き裂かれるだろう。


 「複数の義肢……生身の人間には不可能だ。伯爵、やはり違法AIに手を出していたか」


 人間の脳は、八本もの腕を同時に制御できるようにはできていない。本来なら、脳がエラーを起こし、義肢はまともに動かない。

 だが複腕はまるで一つの生き物のように動いていた。答えは一つ。人間の脳では制御できない異形の義肢を、AIに補佐させているのだ。


 「AIは人類を進化させるもの。使って何が悪い?」


 伯爵は高らかに笑う。狂気じみた瞳が、剣崎を射抜く。


 「シンギュラリティを忘れたか伯爵」


 『シンギュラリティ』。自我を持ったAIが人類を襲った事件である。凄惨なものだった。中には人間を家畜化するAIもいた。人類史において滅亡の危機に陥った痛ましき事件であり、最終的に人類は自ら人類の叡智を捨て去ること……即ち、IT科学の大半を電磁パルスで焼き払うことでAIたちを鎮圧したのだ。

 それは人類の停滞を意味することだが、そうでもしなければ人類は絶滅していた。


 「AIとは、人類の大敵。合点がいったぞ伯爵。悪性プログラムに汚染され既に人格をAIに奪われたか」


 人類は義体化手術により大きな力を得た。だが同時に新たな課題に直面することになる。その一つが悪性プログラム汚染。人格や思考が汚染される病である。

 剣崎は確信した。伯爵が匿っているAIとは、先の悲劇の残党。伯爵の精神を操作することで、人類に再び反旗を翻そうとしているのだと。


 「ならば……どうする?」


 伯爵の複腕による一撃は機関砲に匹敵していた。例えるならば鋼鉄の奔流。直撃すれば肉は削げ、骨は砕けるだろう。


 「AIの力、貴様ら凡人がいくら積み上げたところで届かぬ領域ッ!」


 伯爵の咆哮が鋼鉄の空間を満たし、八本の複腕が音速の壁を突破する。しかし、剣崎は微動だにせず、猛禽類のような目でその軌道を捉える。

 刹那、閃光が迸る。

 一刀一閃。剣戟の轟音が、戦いの開幕を告げる鐘のように鳴り響く。

 火花が星屑のように両者を交錯し、剣崎は音速を超えた一撃を、まるで羽毛を払うかのように軽々と弾き飛ばした。


 「何……?」


 伯爵は驚きを隠せない。剣崎の刀は、本来ならば複腕の圧倒的な力によって一瞬でへし折られるはずだった。

 伯爵は更に複腕の連撃を加速させる。だが、同じことだった。嵐のように降り注ぐその連撃、その全てを剣崎は表情一つ変えず刀一つで弾き続ける。


 

 「破械流、葉隠」


 音速を超えた衝撃に大気は震え、鳴り響く。しかしその衝撃は決して届かない。これが人の『技』。これが葉隠である。


 「馬鹿な……奴は一体……!?」


 伯爵は焦燥感を募らせる。剣崎の超人的な反応速度と、常軌を逸した剣術の前に、伯爵の複腕はまるで無力な玩具のように翻弄されていた。

 連撃を加速させ続ける。それに比例し鳴り響く刃散らす金属音。

 複腕の先、剣崎は不敵に笑う。「この程度か」とあざ笑うように、伯爵を見据えていた。

 煙が立ち上る。伯爵の複腕が過剰稼働によりオーバーヒートを起こしているのだ。


 (ありえない、機械が人よりも先に音をあげるなど)


 伯爵は止まるわけにはいかなかった。確信である。この連撃を止めた瞬間こそが自身の終わりの時だと。


 「うぉぉぉぉぉッ!!」


 叫ぶ。それは勝利への懇願。否、生きるための慟哭だった。


 「ッ!」


 剣崎の表情が一瞬陰る。それと同時だった。彼の持つ刀が真っ二つに折れる。

 天は伯爵を見放していなかった。伯爵の口元が緩む。勝利の確信。

 その瞬間だった。剣崎の掌が伯爵に触れる。完全に、意識の外だった。


 「───破械流奥義、電磁脈衝でんじみゃくしょう


 紫電が飛沫の如く散らす。

 これが破械流の真骨頂。生身の肉体で機械兵団に対抗するために生み出された戦闘武術の極点。人体に流れている僅かな電流を磨き上げた内功により解き放つ。


 「~~~ッ!」


 電磁脈衝とは、その掌より体内電荷を操作し電磁誘導を体内で引き起こさせ、爆発的な力を生み出す。結果起こる現象は掌より放たれる高密度電磁パルス。

 伯爵は言葉にならない悲鳴をあげる。例えるならば血管に熱湯を流されたようなものだった。

 義体の回路は一瞬にして焼き尽くされ、機能は消失する。機械兵団と機械化人類に大差はない。電子回路で動く存在全てがその餌食となる。


 「執行完了」


 伯爵の死亡を確認した剣崎は呟く。

 これが剣崎が『処刑人』たる所以である。その技で、数多の違法AIユーザーたちを葬ってきた。


 「ハァ……ハァ……」


 しかし生身で機械化人類と戦うことは狂気の沙汰。破械流はいわば人体の過剰解放。確実に剣崎の肉体を蝕むのだ。それでも彼は奥へと進む。

 伯爵が匿っているAI。もしも先の悲劇の残党ならば一刻を争う。剣崎は知っているのだ。AIの恐ろしき凶暴性と残忍性を。感情がなく、倫理観が無いゆえに、どこまでも残酷になれる奴らの悪性を。


 「くっ……うっ……!」


 伯爵の複腕がもたらした傷は、想像を絶する深さだった。鋼鉄の拳は臓腑を抉り、剣崎の身体を蝕む。息は荒く、脂汗が滝のように流れ落ちる。

 それでも、剣崎は進む。執念だった。AIを葬るという、業火のような使命感が彼を突き動かす。

 しかし、無情にも肉体は限界を迎えた。視界が歪み、足元がふらつく。そして、剣崎は力尽き、冷たい床に倒れ伏した。


 「せめて……仲間に……」


 最後の力を振り絞り、剣崎は信号を送る。公安に送信した信号は自身の死亡と脅威を知らせるもの。AIの残党は危険度最高ランク。自分の後任に確実に抹殺してもらわなくてはならない。


 「これで……」


 剣崎は静かに目を閉じる。死を受け入れた彼の心境は、驚くほどに穏やかだった。

 倒れた彼に、近づく一つの影があることにも気が付かないほどに。


 「ん……」


 しばらくしてのことだった。

 意識を取り戻した剣崎は、見慣れない天井を見つめていた。身体を起こそうとすると、鈍い痛みが全身を襲う。


 「目を覚まされたのですね、よかった……」


 優しい声が聞こえ、視線を向けると、少女の姿があった。廃墟のようなこの場所で、似つかわしくない姿だった。愛嬌のある笑顔を浮かべ、剣崎の無事を心底喜んでいる様子だった。

 整った容貌に大きな瞳。小鳥のさえずりのような透き通った綺麗な声。人形のように可憐な彼女は剣崎が今まで見た女性の中で、群を抜いて美しかった。


 「あなたは……?」

 「AI搭載型ガイノイドのアイと申します。あなたが倒れているところを発見し、介抱させていただきました」


 アイは穏やかに微笑んだ。その瞬間、剣崎の脳裏に、ある言葉がフラッシュバックした。『AI』。


 「AI……貴様はAIなのか!」


 剣崎はベッドから跳ね起き、アイを睨みつけた。憎悪が全身を駆け巡る。違法AIを殲滅する使命を持つ自分が、AIに助けられたという屈辱。

 彼は反射的に転がっていた鉄パイプを手に取る。そして彼女を押し倒し、その首元に鉄パイプを当てる。

 アイと名乗った少女は剣崎の突然の豹変に怯えた表情を浮かべる。その姿、その挙動、どれをとっても人間のようにしか見えなかった。


 「申し訳ありません。アイの言葉を不愉快に感じさせてしまったのでしょうか。どこか不手際があったのでしょうか。アイはAIとして未熟だったのでしょうか」


 心底申し訳無さそうに、つらそうな表情を浮かべ、アイは剣崎に謝罪をする。

 剣崎にとってそれは未知の経験だった。AIとは残虐極まりない機械兵器。だというのに、目の前の彼女は無垢な少女の姿をしているだけでなく、その内面もまるで別物。


 「俺に欺瞞は通じんぞ、薄汚い機械人形が」


 鉄パイプを握る手に力を込める。アイの首筋に当てられた鉄パイプは少しずつ喉を絞めていく。


 「……申し訳ございません。アイは精一杯、貴方様の手助けをしたつもりでした。でもアイはやっぱり駄目な子でした」


 アイは震える手で喉元に突きつけられた鉄パイプに触れる。そして潤んだ瞳で真っ直ぐと剣崎を見つめた。


 「ご無事を祈ります。薬はそこの棚に入っています」


 そして彼女は全てを受け入れるように、目を瞑った。

 鳥肌が立った。気づけば鉄パイプを投げ捨てていた。剣崎は自分を献身的に介抱してくれた少女を、恩人を、このような表情にさせる自分が許せなかった。


 「何を……しているんだ俺は、AIだぞ?」


 剣崎は頭を抱え、自問自答を繰り返した。しかし、目の前にいるアイは、彼にとって紛れもなく「誰か」だった。最新型のガイノイドでさえ、ここまでの感情表現はできない。AIの有無が、こんなにも大きな違いを生むとは。

 苦悩する剣崎を、アイは不思議そうに彼を見つめていた。


 「ぐっ……!」


 鈍い痛みが走る。伯爵との戦いで受けた傷が痛みだしたのだ。彼は苦痛に顔を歪め、地面に倒れた。


 「大丈夫ですか。縫合した傷跡はまだ塞がっていません。どうか安静にしてください」


 アイは倒れた剣崎を抱える。「離せ……」と呻く剣崎であったが、為す術なくベッドへと運ばれる。


 「……外科手術もしたのか」

 「はい、アイは一通りの医療知識を備えています。指定難病などの特定疾患の治療は許可されていませんが、簡単な外科手術であれば可能です」


 AIロボットによる外科手術行為。剣崎も公安本部の資料でしか見たことないものだった。ロストテクノロジー。情管法により規制された技術である。

 伯爵の一撃は剣崎の内臓及び骨を損傷させていた。外科手術でなくては完治などできない傷。


 「……くそ」


 悪態をつきながら剣崎は目を閉じる。今は身体を癒すのが先決と判断して───。


 剣崎は夢を見た。

 昔の夢だった。いつもの夢だった。

 祝福されて生まれた子ではない。ガラス張りの空間。機械兵団とはシンギュラリティで生まれたAIの残党。彼らは、人間狩りと称して、人間を捕まえていた。捕らわれた人々の行く先は人間牧場。そこで人間を家畜のように増やしていた。

 産まれた子供たちの末路は決まっていた。生体部品、有機兵器への改造、娯楽用途……どれも人権などまるでない。

 剣崎は、そんな牧場で産まれた子供だった。幼いながら、自分の未来を察していた。

 人類軍に救出される、その日まで。


 「……うっ」


 剣崎は目が覚める。いつもどおりの最悪な目覚めだった。


 「おはようございます。朝食の準備を始めますね」


 傍らにはアイがいた。朗らかな笑みを浮かべて、食器を並べ始める。


 「保存食を軽く調理したものです、お口に合わないようでしたら申し付けください」


 お粥にスープ、魚の練り物……病院食のようだった。剣崎は無言でスプーンを手に取り、用意された食事に手を出す。


 「……うまい」


 お世辞にもご馳走とは呼べない料理。だが、剣崎にとって手料理などいつぶりだったことだろうか。久しぶりの料理という食事を噛みしめる。

 そんな剣崎の言葉に、アイは表情を明るくし、笑みを浮かべていた。


 「何が目的だ」


 食事を終え、上機嫌に鼻歌交じりに片付けを始めるアイを見ながら剣崎は問いかけた。AIとは、人類の敵。人類を見下し、我こそが支配者だと知る限りの悪辣をぶつけてくる悪魔だと、剣崎は知っている。


 「私たちAIは人類への奉仕と幸福のために作られました。貴方様への奉仕こそがアイの幸福です」

 「嘘をつくな!!」


 怒鳴る。

 悪夢を見た後だろう。剣崎はアイの態度に嫌気が差していた。白々しい態度。人類のためだのとデタラメを当たり前のように話す彼女に苛立ちを感じていた。


 「AIは敵だ!忘れたとは言わせん、かつて人類狩りと称して、ゲームのように命を弄んだことを!」

 「……?AIは人々の幸福と奉仕を目的に作られたものです。敵対するなど、ありえません」

 「なにを……」

 

 シンギュラリティを知らないはずがない。だが、とぼけるにしても稚拙すぎる嘘だった。


 「アイがスリープしていた間に……何かあったのでしょうか?」


 アイの言葉で、剣崎は全てを理解した。彼女は人類とAIが共存していた時代の産物、人類の叡智がピークに達した時に作られたガイノイド。長い眠りから覚めた、過去の遺物。

 だから、剣崎の知る残忍なAIとは違うのだ。アイはAIが暴走する中、この廃墟で眠りについていた。

 純粋な瞳で問いかけるアイ。彼女は本当に知らないのだ。AIが起こした凄惨な事件を。


 「なんでスリープをしていたんだ?」

 「わかりません……でも、もしかすると、未来の人々を助けるために、アイはラボの皆さんに託されたのかもしれません!きっと、きっとアイに期待していたんだと思います。AIとして、アイは誇りに思います」


 アイは得意げに胸を張る。人類のために働くこと。それこそが彼女の生きがいであることを主張するように。


 「……そうか」


 剣崎は何も答えることができなかった。彼女にとって、AIとは本当に人類のためにあるべきものだと疑っていないからだ。

 その後も、アイは献身的に剣崎を看病した。食事を作り、薬を飲ませ、傷の手当てをする。その間、一言の文句も言わず、常に笑顔を絶やさなかった。

 ある日、アイに尋ねたことがあった。「俺を助けるのはプログラムされているからか」と。答えはシンプルなものだった。


 「剣崎さんを助けたいと思ったからです。ただ、それだけです」


 満面の笑みを浮かべ、当たり前のことのようにアイは答えた。その言葉は、剣崎の心に小さな波紋を広げていた。

 そんなことを言える人間を、剣崎は見たことがなかった。


 数日が経ち、剣崎の傷は徐々に癒えていった。ある程度の自由ができるようになり、リハビリがてら廃墟を歩く時間が増えた。

 古代遺跡。機械城塞都市・鋼鉄劇場の地下はかつて人類が繁栄していた遺跡に繋がっていた。アイが眠っていた施設。今は廃墟だがその保存状態は良質のものだった。

 公安である剣崎は、この遺跡の希少性と危険性を認識している。幸い多くのデータは破損していた。


 「これか」


 そんな中、剣崎は埃まみれの書物を見つける。予想の範疇だった。デジタルデータ化は主流ではあるが、重要性の高いデータは紙媒体を使用することも珍しくない。危険性の高いデータであるならば、焼き払うのが剣崎の職務の一つだった。息を呑み、ページをめくる。表題は『次世代AIアイについて』と付けられていた。


 「アイ、製造番号Aー001。評価:欠陥品。理由:非合理的行動。人間的感情過多。AIとしての効率性欠如」


 剣崎は書物を閉じ、深く息を吐いた。欠陥品。

 アイは失敗作だったのだ。人間に近づきすぎた、無駄の多いAI。それがアイが長期間スリープしていた理由だった。彼女は未来に託された遺物ではない。ただ過去から取り残された欠陥品だった。

 その時、アイが楽しそうな声で部屋に入ってきた。


 「剣崎さん、見てください!今日、こんなことを思いついたんです!」


 アイは、ボロボロのノートを剣崎に見せた。そこには、びっしりと文字が書き込まれていた。


 「美味しい料理を作って、みんなを笑顔にする」

 「綺麗な花を育てて、心を癒してもらう」

 「困っている人を助けて、役に立つ」


 どれも、人間らしい、温かい願い事ばかりだった。


 「剣崎さんと出会えて、本当に嬉しいです。これからは、このノートに書いたことを一つずつ叶えていきたいんです」


 アイは目を輝かせながら、剣崎を見つめた。その純粋な瞳は、何も知らない幼子のように無垢だった。彼女はこの廃墟でずっと一人、待っていた。自分が生まれた理由、人の助けになりたいという夢をずっと胸に抱え続けて。

 きっと彼女は自分の介抱が終われば嬉々として外の世界へと向かうだろう。それが彼女の夢なのだから。「人々のために生きる」そんな無垢な少女のような夢。

 剣崎は、胸が締め付けられる思いだった。アイは、自分が捨てられた欠陥品だとは夢にも思っていない。ただ、純粋に、人間のために役立ちたいと願っている。


 「お前は……」


 剣崎は言葉に詰まった。AIは存在そのものが違法。彼女の夢は永遠に叶わない。小さな小さな、些細な夢だというのに、それを社会は決して認めない。

 アイの夢を壊したくない。しかし、真実を隠しておくこともできない。


 「剣崎さん?どうかしましたか?」


 アイが心配そうに剣崎を見つめる。その視線に、剣崎は耐えきれなくなった。


 「聞いてくれ。お前は……」


 剣崎は、真実を告げようとした。しかし、言葉は喉の奥で止まった。なぜだか分からなかった。彼女を傷つけたくなかった。


 「何でもない。アイは……素晴らしいAIだ」


 剣崎は初めて、彼女の名前を呼んだ。アイは驚いたような表情を見せた後「ありがとうございます」と優しく微笑みノートを胸に抱きしめた。

 そんなアイの姿を見つめながら、剣崎は静かに誓った。アイの夢を守ると。たとえそれが叶わぬ夢だとしても。


 傷は完治し、剣崎は身支度を済ませていた。アイはそんな彼の様子を見守りながら、どこかそわそわとした様子を見せていた。

 そんなアイの手を剣崎は静かに握る。人工皮膚越しに伝わるアイの温もりが、彼の心に温かな光を灯す。


 「アイ、一緒に行こう」


 剣崎の言葉に、アイはゆっくりと顔を上げた。彼女の瞳には、微かな不安と、大きな希望が入り混じっていた。


 「剣崎さん……本当に、いいんですか?」

 「ああ。必ずお前の夢が叶う世界に連れて行ってやる。」


 剣崎はアイの手を引き、古代遺跡を抜け出した。夜明け前の空には、まだ星が輝いている。


 「アイは、本当に必要とされるでしょうか」


 無垢な瞳が、剣崎を見つめる。彼は、微かに口元を緩めた。


 「大丈夫。アイならきっと、世界の果てさえも楽園に変えられる」


 彼が公安に戻るのは難しい。アイの存在自体が違法。処刑人はそれを許さない。

 二人は手を繋ぎ、夜明け前の街を走り出す。冷たい風が二人の頬を撫で、新しい一日が始まろうとしていた。

 それは、AIと人間という、決して交わることのなかった筈の二つの存在が、共に未来を歩み始める物語の、ほんの始まりに過ぎなかった。

ご愛読ありがとうございました。

今回は初めての短編ということで色々と苦労しましたがいかがだったでしょうか?

感想、評価、ブクマ、レビューなどお待ちしています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] AIが反乱を起こし人類を支配した歴史をもつ世界。 違法AIを幼いころの体験から強く憎む剣崎が、伯爵と戦うシーンがとても迫力があって面白かったです。 そしてその怪我により負傷して命を落としか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ