服部総業
朝から現場周辺の監視カメラ映像の探索と聞き込みに費やした久慈慶子警部補と白川警部補は、昼前の陽光を浴びながら駅に程近い場所に在る古びた雑居ビルの前に立っていた。
月山駅前から真っ直ぐ南へと伸びる、六車線の大通りに面する一階に入るパチンコ店のガラスは綺麗に磨かれて、鏡の様に二人や周囲の景色を映している。
「ここが服部総業の本社ビルですわ」
額を流れる汗をハンカチで拭いながら、白川は久慈に教えた。
「昔は店内に流れる軍艦マーチや、弾が流れる音が歩道まで溢れてきたんですが。時代の流れですかね」
店内から薄っすら漏れ聞こえる洋楽らしき曲が、街の雑音に負ける事無く久慈の耳に届く。
白川の先導で雑居ビルの横を奥へと入る道路を進む。道の両側には雑居ビルやコインパーキングに、飲食店の幾つかの看板が並んでいた。
服部総業ビル側面最奥部に観音開きのガラス扉があった。すぐ隣には、最近敷き直したであろうアスファルト舗装が黒々と輝く、月極駐車場と駐輪場が設けられている。
ガラス扉を押し開けて玄関ホールに入る。白布で作られたカーテンが閉め切られたガラス窓の前には受付と書かれたプレートが載る狭いカウンターがあり、内線電話機が置かれていた。
「昔は今より物騒な会社だったから、守衛が詰めてたんですよ」
受話器を耳に当てた白川が言った。
「どんな奴らが守衛を務めていたかは、察してください」
受話器の向こうの女性は、月山東署と耳にすると不愛想な声で「最上階の事務所へ上がってきてください」とだけ言い、内線を切った。
ガタガタと音を立てるエレベーターが最上階に着き扉が開く。扉前に置かれた大きな衝立の前に男が一人立っていた。
「月山東署の方々ですね。私が服部康介です」
感情を読み取れない表情で、エレベーター内の二人に挨拶した。
ビル最上階は服部総業の事務所として使用されており、エレベーターを降りるとフロア全体を見渡せた。服部の先導で、目隠しや間仕切りとして置かれている衝立やカウンターに、社員達が作業に没頭するデスクの間を抜けて、最奥部に設けられた個室に案内された。
部屋の広さに適さない大きさの木製デスクに正対する二脚の椅子を二人に進めると、服部はデスクの向こうに置かれた椅子に身を沈める。
「それで、今回はどうされましたか?」
久慈が謝意を伝えようと口を開く前に、服部が口を開く。
「喜楽ビルの扱いに関して、お聞きになりたいそうですね」
「そうです」久慈が応じた。「ビルを閉鎖せず自由に出入りできる状態で放置するよう、大津さんに進言されたそうですが。なぜ、そのような進言をされたのですか?」
「大津君から説明があったと思いますが、周囲の建物に侵入されるよりは一カ所にされたほうが良いんじゃないかと考えたわけです。それに、あのビルは喜楽町のシンボルですから。侵入者の好奇心を一番満たせる場所でしょう」
服部の言葉に白川は頷きながら、手にした手帳に書き込んでいく。
「あのビルは大津家にとっては繁栄の歴史を示す、先代達からの大切な遺産だと私は思うのですが」
「あなた方には重要に見えるのでしょうが、今の大津家、いや、さらに多角化しようとする会社にとっては負の遺産ですよ」
大津家の歴史と喜楽ビルの成り立ちは御存じでしょう?
「確かに負の歴史と言っても過言ではありませんな」。白川が割って入る。
「貴方の祖父である要之助さんと大津栄太郎さんは、協力し合いながら会社を大きくされましたね」
「その通りですが。そうなると大津家にとって我が服部家も黒歴史の一部になりますね」
服部は苦笑したらしく、僅かに目尻に皺が寄り、唇の端が上がった。
「お父さんと大津君の二人が時間をかけて反社のイメージを打ち消していったのに、あんな物が残っていたら思い出す人がいるでしょう。外も内も老朽化していて、改修なんて金と時間の無駄ですよ」
言葉を切り二人を交互に見つめてから、デスク上のシガーケースに手を伸ばし言葉を続けた。
「お二人は御存じですか?あのビルに幽霊が出るという噂話を」
その噂話は捜査会議の席上でも一度報告されていた。
二人に断ってから紙巻を咥えてライターで火を点ける。煙と共に非喫煙者にとっては不快な臭いが広がる。デスク横に置かれた大きな空気清浄機が稼働する。
「若者の間で広がっているそうで、探索目的で時間に関係なく集まってくるそうですよ。そんな奴らに、バリケードとか設けても効果ないでしょ?人目に付かない場所ですよ?工具持ってきて破壊して入るでしょう」
相槌も打たず話に耳を傾ける二人を気にもせず、煙草を吸いながら落ち着いた口調で続ける。
「だから、ビルが営業終了した当日に言ったんですよ。最上階まで行けるようにしたらどうか?と」
使い込まれたアルミ製の灰皿に押しつけて、煙草を消す。
「幼い頃からの付き合いで、今でも頻繁に連絡を取り合ったり互いの家を頻繁に訪問し合う仲ですから。献策とは言わないが、意見を入れてくれたんじゃないですか」