異変
ある日の早朝。
まだ日が昇るよりも少々早い時間帯に目を覚ました俺は、蝶舞さんとシズさんを起こさないように静かに布団から出ると、朝食の準備をするために台所へ向かった。
この家はシズさんの生家であり、その台所には、ガスコンロや炊飯器といった現代的な設備もあるが、これらはあの『太陽が輝いた日』に全て使えなくなってしまった。
また、仮に使えたとしても元となるガス会社や電気会社が停止しているからどうにもならない。
故にこれらの器具は、隅で埃を被っており、使われているのは、火を炊いて釜や土鍋を使う、歴史書の中にあるような大昔の設備だった。
シズさんも取り壊すのが億劫でそのままになっていたこれらの設備が役に立つ日がくるとは思わなかったらしい。
街や都市にいけばもう少し現代的な設備もあるそうだが、そこに住めるのは有用な"能力"者でないと厳しいし、それでもかつての生活水準には及ばない。
今のままなら元通りの水準になるのは、はたして何年後・・・いや、もう元通りになんてならないのだろう。
強い"能力"者の元で新しい秩序が生まれ、日本だけでなく、世界中がどうしようもないほど変わってしまった。
力こそ全て。単純にして明快なその本質が露になっただけだ。
だがそれならば、最も強い者がすることは全て正しいのだろうか?
世界は、俺がやることを全て正しいとでも言うのだろうか?
何故俺は、五年前にこうなれなかった?
何故、今さら俺なんかが――
「・・・」
俺は頭に浮かんだ考えの全てをかき消すように朝の準備に没頭する事にした。
そんな訳はないし、そうであってはいけないのだ。
俺は、ただの人間。
戦うことしか出来ず、それさえも失敗した。
もう何も取り返せないし、何も出来ない。
今はただこの日々を、居場所を与えてくれた人達を、蝶舞さん達を守れればそれでいい。
それだけはどうか、どうか、赦して欲しい。
――結衣。
火を起こして朝食の準備をしていると、朝日が台所窓から入ってきて、それを合図に扉が開き、寝間着姿のシズさんが入ってきた。
「・・・おはよう。相変わらず早いね」
「シズさんこそ」
「目が覚めてしまうだけさ。お前さんみたいにキビキビとは動けないよ。蝶舞は・・・」
「まだ、ですね」
昨日の夜もだいぶ眠そうにしていて、倒れるように布団に入っていた。
出来るなら朝食の準備が終わるまで寝かせてあげたい。
だが俺がそう言うとシズさんは少しだけ顔をしかめた。
「前は、私と同じ位に起きてたんだが。大丈夫なのかねあの子は、お前さんを『兄』だと思って甘えてるだけならいいんだが・・・」
「・・・」
シズさんとしては何気なく言った言葉だったのだろう。
しかしその言葉は、ズグリと鋭い何かとなって俺の胸を刺し貫いた。
無意識に拳を握りしめ、歯を噛み締める。
「起こしてくるよ」
「・・・はい」
内心を悟らせないよう、努めて平静にシズさんに返事をする。
しかし、彼女が扉を閉め、部屋に戻った後も俺は立ち尽くすしか出来なかった。
無言の台所にパチパチと火が燃える音だけがしている。
「蝶舞!!!」
その時、静寂を切り裂くようにシズさんの叫び声が隣の部屋から響いてきた。
立ち尽くして俯いていた俺はその声にすぐさま顔を上げ、部屋へと駆け込む。
そこで見たのは、
「・・・これは」
蝶舞さんが寝ていた布団の上にある、人が入るサイズの巨大な繭のような物体だった。




