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「これ」 望美

 国道沿いのローソンのイートインスペースで、望美のぞみは車を待っていた。窓の向こうは駐車場で、その先は車が時々行き交う国道411号線だ。望美の隣りには、明るい茶髪のボブカットの女部下が座り、同じように窓の外を眺めている。二人がテーブルに置くアイスコーヒーは、二杯とも軽減税率で買われたが、店員や客は気にも留めない。皆、自分自身の事で手一杯だし、他人に興味を抱かない。

「この辺は東京だとはまだ思えないね」

「ええそうですね。遊園地が潰れたせいか、交通量も少ないですし」

望美と女部下が話す。

「けど、蚊に刺されちゃったわ。駐車場だった草っ原でさ」

「私も刺されましたよ。ほら、脛のココ」

二人は互いに、蚊に刺された箇所を指差す。

 「それ」では開園前の遊園地は、「これ」では経営不振で潰れていた。駐車場の「扉」がある公衆トイレは廃墟と化し、一帯には雑草が生い茂っている。扉があった女子トイレや男子トイレ、周囲に人気ひとけは無い。

 自然の力で剥がされたアスファルトの上を、望美一行は草を掻き分けながら進んだ。「それ」の亜実一行がアウトドアスタイルだったの対し、彼女たちは薄着の都会人スタイルだ。確実な暑さ対策だが、露出の多い分だけ蚊の餌食になりやすい。

「C4持ってくるぐらいなら、虫よけシート持ってくるべきでしたね」

女部下が小声で言う。

「アレはもしもの時に必要よ。それにどうせやるなら、華々しくなくっちゃね」

ニヤけながらそう言った望美。

 彼女たちも亜実一行と同様、同じような任務を与えられている。その目標対象は、矢崎やざき賢一けんいちだ。


 トヨタの灰色のプロボックスが、ローソンの駐車場に前向きで停まる。車内にいる三人の男が、望美のほうをさりげなく見ている。彼らは望美の部下だ。足となる車を確保してきたのだ。

「ハア、あんな地味な車を選ぶなんて……」

望美はそう言うと、アイスコーヒーを一気に飲み干す。部下の車選びに不満気だ。

「目立たない車がいいんですよ。それにプロボックスって、意外とスピード出るんですよ」

女部下が彼女を宥めた。望美は渋々納得しながら、メガネをTシャツの袖で拭く。

 そのプロボックスは近くで盗んだ車だった。社用車であるそれは、休日で人気のない中小企業の駐車場から失敬したのだ。レクサスを除くトヨタ車向けに使えるイモビカッターを、元の世界から持ちこんでいた。車体に会社名が表記されていない点もあり、隠密性を重視する今回の任務では重宝する。

「それならアタシが運転させてもらうね」

望美は立ち上がり、解けかけた氷だけのプラカップをゴミ箱へ突っこんだ。



 ――望美は正気ではないスピードで、プロボックスを駆け抜けさせていく。深夜の都市高速を走るような調子で一般道を走り、他車を次々追い越していく。速度超過は前提として、追い越しで対向車線を通り、赤信号は目に入ってないという荒々しさ。いくら交通量が少ない道路とはいえ片側一車線だ。危険極まりない上、彼女は無保険(元の世界では入っているはず)だった……。

「八王子まであと何分?」

変わりゆく前方を見据えながら、望美が助手席の部下に尋ねる。エンジンが喚く中、部下はなんとか聞き取れた。

「えっと、八王子駅の場合だと三十五分と出てます!」

揺れる中、スマホでグーグルマップを見ている。

「それは普通の車の速さだよね?」

赤信号の交差点を平然と突き抜けさせる望美。右から来たトラックが急停止し、クラクションを鳴らす。

「え、ええそうです、そうです」

肝を冷やしながら部下が言う。

「それなら二十分ちょっとだね」

望美は自信満々にそう言うと、またもや対向車線を使い、スバルのレガシィを追い越した。やけにゆっくり走っていた点を、彼女は気にするべきだった……。

「あっ」

黄色いセンターラインをはみ出し、スバル車を追い越した瞬間、女部下は車の正体を悟る。

 彼女が望美に伝える暇もなく、「ウー!」というサイレンが鳴り響く。

「灰色のプロボックス止まってください! 車を脇に止めてください!」

そのスバル車は覆面パトカーだった。赤色灯が光り、スピードを上げてきた。

「あっちゃあ」

やれやれといった調子だ。初めて覆面にやられた態度じゃない。

「このまま逃げますか? それとも殺すつもりでいます?」

助手席の部下がバックミラーを見つめながら尋ねる。

「うーん、後者」

望美はそう言うと、アクセルペダルからやっと足を離し、ブレーキをゆっくりと踏む。

「脇に停めなさい! 早く停めなさい!」

覆面パトカーが催促をかける。二人組の警官は制服姿だ。

 望美は間違えたフリをして、車道脇ではなく脇道へ車を進め、ようやく停めた。すぐ左側は大きな看板の裏側だ。


 覆面パトカーの運転席側のドアが開き、警官が一人降りた。そして、マルマンのバインダーを片手に、望美一行の車に近づいてくる。

「ワイパーを忘れないで」

望美は部下たちに言う。彼らは黙って頷くしかない。

 助手席の部下は既にピストルを抜き、左太ももの下に潜ませている。そして右手で、蓋の無い空のペットボトルを掴んでいた。

「窓を開き、免許証見せて」

警官は運転席の窓をコンコンと叩いた後、望美に言う。

「…………」

望美は窓を開け、ミニスカートのポケットから小さな財布を取り出す。牛革のそれを開き、運転免許証を取り出すと、警官に手渡す。

「ああ、愛知県か……」

 運転免許証の氏名は「伊藤望美」(姓は偽名)だ。亜実と同様に、半分偽造の免許証だった。

 役所に潜ませた現地の「協力者」により作られた戸籍を使い、元の世界で発行された代物だ。その戸籍にはマイナンバーまで付与されており、免許証を照会されても困る事は起きない。何か犯罪を犯したとしても、警察が辿り着く先は空き家や空っぽのオフィスというわけだ。ホームセンターで硝酸アンモニウム(肥料)を安心安全に買うことだってできる。

「名古屋からこっちに越してきたばかりで、ついスピードを出しちゃって」

望美がとぼけた様子で言う。さすがの名古屋でも、あんな運転はアウトだ。

「追い越し違反もだけど、何キロ出してたと思う?」

警官が言った。望美の態度に早くもイラつき始めている。

「うーん、八十キロ?」

「時速百二十キロだよ! 制限速度六十キロの倍!」

バインダーを開き、印刷されたばかりの速度記録紙を望美に見せつける。

「この免許は本物だろうね? あんな運転でゴールド貰えるなんて、向こうの警察は何やってんだか……」

怒りと呆れが混じる表情の警官。彼は免許の内容をバインダー内にメモすると、免許証を望美に返した。紙切れを放り捨てるように……。

「しかもこの車、キミの物じゃなくて会社の物なんじゃないの?」

警官は言った。わかりやすくも怪しんでいる。

「会社の許可は取ってますよ。この人たちは同僚ですって」

望美は車の持ち主である会社名すら知らないが、そう言い返す。

「ふーん、それなら隣りのキミ、男ならこの女が乱暴な運転をしないようにしなよ」

警官は助手席にいる望美の部下(鍋島なべしまという名の男)に、そう注意した。望美を男性である彼がしっかり管理しろというわけだ。

「そんな言い方ないんじゃない?」

カチンときた様子の望美。

「いいや、当然のことを言ってる! 女のキミは運転席じゃなく助手席に座るべきだ!」

警官はそう言い切った。運命はもう決まっていたものの、取り返しのつかないことを言ってしまった。

「…………」

望美はワイパーを一度動かした。

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