「これ」 矢崎
話に一旦区切りがついたところで、おかげ庵を後にした矢崎と中野。矢崎の奢りだが、彼にはまだ安い対価である。
矢崎と中野は互いに礼を述べ、共に帰路へ。矢崎はその夜も塾があり、八王子駅までは中野と同じ方向だった。もし店先で解散していれば、中野が一連の出来事に深入りし、不幸な目に遭うことは避けられたという。
一応中野は、矢崎家で起きた「事件」を知っている。ただ彼は矢崎の口から「マヌケな泥棒に入られた」と聞いた程度。現地メディアから得られた情報も乏しかったはず。
また、その当時まで中野は矢崎に気を遣い、質問責めしないようにしていた。そして、好奇心旺盛なクラスメイトが矢崎にそれをする際には、聞き流すか話題を変えるなりした。自分の家が不審者に入られた事など、自慢げに語れる話題じゃない。語れるとすれば、矢崎自身が不審者を捕らえた場合だ。だがそれは、彼も現地警察もかなえられていない。
それでも中野は、親友矢崎の身を案じる気持ちが積もるばかりでいた。矢崎から頼まれた本にしても、実用的なサバイバルブック(しかも英語で書かれた)であるため、不安視はなおさらだ。
恐れや近寄りづらさを覚えながらも、親友として他人事にしてはならないという義務感が湧いたらしい。
「なあ矢崎。イヤなら答えなくていいけどな」
八王子駅北口の歩行デッキに上がる階段の途中で、中野が話を切り出した。たとえ一言二言だけでも、親友が抱える面倒事を知っておきたかった。そこには自己の不安を解消したい気持ちもあろうが、やはり親友としての義務感の方が強いだろう。
「何でもかんでも自分一人で問題を抱えこむなよ?」
中野がそう言葉を続けると、矢崎は自身が親友に心配させていると自覚した。自宅で起きた事件に関した指摘であることは明白だ。
矢崎は恥ずかしさと申し訳なさを覚えつつ、親友にどう話したものかと考える。順番や論理を立てて話せば、中野は笑い飛ばさずに、一連の話を信じてくれるだろうと。平行世界の人間と交信できる話は、さすがに半信半疑に終わると思われるが、何者かに自分が狙われている程度なら、話を信じて力になってくれる可能性が高い。現地警察に口止めされた内容だが、望美たちが矢崎の帰宅を待っていた点がその証となる。
そこで矢崎は、差し迫った危機だけ話そうと決めた。異世界あるいは平行世界の人間と交信できる話は、今は省いて構わないと。賢明な判断だ。
「そっちの時間は大丈夫か?」
矢崎にそう尋ねられた中野はうなずいた。時刻は夜六時を回っていたが、補導されはしないだろう。塾帰りに少し喋っている程度にも見える。確かに雑談の再開ではあった。
「そこでいいか、座ろう」
「ああ」
二人とも腰を据えて話をすべきだと悟った。多少の無理は承知で、自発的に時間をつくった。歩行デッキの柵沿いに設けられた花壇のフチへ腰を下ろす二人。夕陽は雑居ビル群の向こう側に沈んでいる。真夏でももう日暮れだ。長話になるかはわからないが、簡潔に済む話じゃない。
彼らの眼前を会社員や高校生やらが行き交う。それぞれ皆、己の事で手一杯に違いない。リアルでは口出しをする余裕など無いわけだ。
「この前俺んちにきた連中の話だよ」
矢崎が口を開いた。親友相手とはいえ、自分の弱さを見せないようにまだ気を遣っている。
「その様子だと、ただのコソ泥じゃなさそうだな?」
「ニュースでは『凶器』と軽く流されたけど、実際は拳銃だよ。それになぜか、俺の帰りを待ってたんだと」
矢崎が事実を告げると、中野は驚くと同時に周りを伺う。行き交う人混みの中に望美たちはいない。しかしながら、矢崎も中野も実際に望美たちの顔を目にしたわけじゃない。
現地メディアは犯人(つまり望美たち)の風貌に関して、「三十代と見られる男女数人」程度しか報じていない。複合体オリジンが現地警察に手を回し、任務で支障が出るほどの情報を流さないようにしていたのだ。つまり、当時はまだ、滑らかに歯車が回っていた。
「……その、なんだ、なんか恨まれるような覚えは?」
「そんなの無いよ。……教室や学校、近所も考えてみたけど、銃を持った連中が送られるようなことはやってない」
「塾のほうは? 前にカンニングしてるヤツがいたと言ってたじゃん。それか、同じ中学を受けるヤツの可能性だって」
「いや、ないない。あの後、カンニングの奴は同じ手口でバレて怒られてたし、同じ中学を受ける奴らはその、ヤクザとか雇える金持ちじゃないから」
「ふーん、そんなもんか」
貧困家庭の中野は最寄りの公立中学行きだ。クラスメイトの何人かが六年生に上がった頃からほとんど登校しなくなる事情とは無縁だ。矢崎が事情を教えるまで、彼はクラスでいじめが起きていると勘違いしていた。まあ、「経済格差の固定化」の観点で考えてみると、「いじめの対象は中野」という構図は成り立つな。国が戦争に勝とうと負けようと、親ガチャは存在し続けるわけだ。
そこはさておき、矢崎に身に覚えがないのは当然だった。まさか、自分の後頭部の脳に埋めこまれたマイクロサイズの機械が原因とは思うまいし、気づきようがない。メーカーの説明によれば、「MRIやCT検査で露見される可能性はほぼ無し」とのこと。それゆえに、専用の回収機が付属する次第。また、メーカーの担当者がマイクロマシンを埋めこむのは産まれたばかりの時期だ。詳細は伏せられているが、新生児室で秘かに行なわれるらしい。犬や猫みたいな扱いだが、オリジンにすれば問題じゃないわけだ。
矢崎と中野は頭は時間を気にかけつつ、しばし考える。帰宅ラッシュはピークを迎え、雑踏の重みで歩行デッキが微かに揺れていた。
「実は親父さん絡みだったりしないか?」
「父さんはお高いカメラを売る営業マン。けど、会社で同僚に憎まれてるようには正直思えない。国家機密に関わるほどの役職にはまだつけてないようだし」
矢崎はそう言いながらも、父親が何か隠しているんじゃないかと疑っていた。例えば、不倫していて美人局に遭っているとか。一家の長男である自身は、そのせいで巻きこまれたのではと。
「そんなら、狙ったのは外人の集団かも。身代金目的で」
「えっ、ああいや、それは無さそう。母から聞いた話だけど、連中は片言じゃない日本語を話してて、普通の日本人の顔つきだとさ」
「うーん」
訪れた望美たちの正体を掴めずにいる二人。いくら賢くとも、しょせんは小学生の思考と経験だ。現地警察の力不足を理由にしても、当時は現実的な空想しか思いついていない。美人局や強盗団以外に挙がった空想としては、ヤクザや外国マフィア、税吏などの公権力(現地のだ)による陰謀論。
「ひいひい爺さんが軍人って、前に話していなかったか? その、陸軍の職業軍人だったと」
中野が矢崎に言った。できれば考えたくもないという口調で。その世界の日本は戦勝国側なので、職業軍人の名誉は高い。
「ああそうだよ。……軍曹だけど、旧ソ連軍と戦ってた」
軍曹は伍長より高い階級だが、子孫の矢崎としてはもっと高い階級で軍務を終えてほしかっただろう。ちなみに、NGY1150の世界地図に「ロシア」は国名として存在せず、地名として残っている。
「言っただろ。来たのは普通の日本人だって。ひいひい爺さん関係じゃない」
矢崎の言う「普通の日本人」の定義は気になるが、望美たちと軍曹止まりのひいひい爺さんが無関係なのは正しい。望美たちに配られたファイルにも、ターゲット本人および同居家族の一通りの個人情報(血液型含む)が記載されている。
……ただ、ひいひい爺さんの軍刀が、矢崎家に家宝として存在する事には触れられていなかった。ファイルの項目にあるのは「銃器の有無」で、刃物の項目はない。ファイルのテンプレートを作成した者が、「包丁やカミソリの刃はどうなるのか?」といったムダな論争を避けたかったのだろう。
さて、もし最初の訪問時に、矢崎の弟があの刀を持ち出していれば、件の任務中における死傷者数はマシになったと思える。当時に処理できていれば、望美が部下を二人失うハメにもなっていない。オリジンも矢崎もとんだ災難に陥ったもの。
矢崎家の家宝とされる軍刀は「工場で量産された日本刀」だが、刃物は刃物だ。切れ味は研がれた包丁以上で、不運な人間は一斬りで死ぬ。
「そうだ。何とかなるかもしれない」
思いついた矢崎が言った。ひいひい爺さんが残した家宝を役立てると……。
「えっ、何とかって?」
矢崎に中野は尋ねずにいられない。彼をバカにする気はなく、純粋に彼を心配しての反応だ。きな臭い話をしておきながら、矢崎が自分自身だけで解決しようといるのではとも。親友の身を案じると共に、矢崎に「借りを返したい」気持ちもあった。
「小声で話すし驚くなよ」
矢崎がそう言うなり、中野は彼の話を聞くことにした。
「家の刀で立ち向かう。もうじき夏休みだし、家で勉強する日々が続く。さすがに持ち歩くのは難しいから、机の下とかに潜ませておくんだ」
彼の話を聞き、中野は納得した様子であった。
……荒唐無稽な思いつきであり、あの結果を知らずとも無謀だとわかる。剣道の基礎を小学校で履修済みとはいえ、銃を持った五人組を相手にできると考えるのは浅はかだ。平行世界の人間と交信できる経緯から生まれた自惚れと言える。他に特別なスキルを持ち合わせているわけでもない。交信のマシンが埋めこまれている以外は、中学受験を控えた小学六年生の男児でしかなかった。当時の彼は、非日常の楽しい展開と、美しい結果を思い描いていた。
やはり、最初の訪問時に一悶着起きていた方が、まだマシな結果だっただろうな。矢崎の親友中野も巻きこまれずに済んでいる。理想論な自助の精神が、とてつもない不幸を招いた……。




