「それ」 亜実
耳障りで冷淡な警告音の連呼。連呼の繰り返し。火災報知器かガス警報器が、電子音をうるさく発している。
田島宅で振り向く亜実。玄関辺りで火がくすぶっているのが見えた。消火せずにいれば、家中に燃え広がるだろう。窒息死や焼死が待っている。廊下では止血を済ませた豊川が這いずり、消火器を持ってこようとしていた。
亜実たちは当初田島が諦め、家のどこかからか出てくる流れを期待したが、そう上手くいかない。事態は悪い方へ転がったままだ。
「そこのハシゴで降りたようです」
足の踏み場が無い荒れたベランダで、久保が亜実に言った。彼の手にはチャイルドロックの鎖が握られ、階下へ降りる避難ハシゴのハッチが開いたまま。
「アルファはハシゴを降りて、下の家から一階まで捜索。ガンマは私と消火を」
「了解です。機械は一旦預けますね」
久保は除去機のアタッシュケースを亜実に渡すと、避難ハシゴで降りていく。
「はぁ……」
亜実は顔をしかめている。簡単な任務じゃない事は初日に理解できたが、これほど大事に至るとは考えていなかったらしい。
亜実と安藤は消火活動を優先しつつ、田島の行き先を探る。廊下で調達した三本目の消火器で残り火を鎮める中、亜実は一階の岡崎から連絡を受けた。機密保護のため、シグナルでの通話だ。
「ターゲットが今通り過ぎましたが、事は済んだのですよね?」
そんな報告を受けた途端、亜実の顔は強張る。彼に見張り役を頼んだの彼女だが、彼本人が外側ばかりに気を取られたと知った……。
岡崎はマンションのエントランス前で田島と柏崎を視認するも、亜実たちがマイクロマシン除去を済ませ、わざと逃がしたと勘違いした……。四人もいて子供二人を取り逃がすはずはないと一旦考えた次第である。
彼の目には二人の背中がまだ見えていた。しかし、すでに小さな姿だ。アスファルトから昇る陽炎の方が目立って見える。
「済んでません! 追いかけてください! 追いかけて!」
亜実が勢いよく叫んだため、岡崎はつい驚く。
それから彼は二人を追いかけようとしたが、二人とも交差点の角で曲がり見えなくなっていた。建物が死角となり、二人の行き先はわからない。さらに現場の状況を察し、追跡を踏みとどまる。彼は再びスマホを手に取った。
爆発炎上を聞きつけた人々が早くも集り、幾重にも野次馬の輪を形成していた。輪から抜け出せないわけじゃなくとも、それ以上目立つ行動はいったん止めた方が無難に考えたらしい。
マンションの住民が一階へ避難してきている。ロビーやエントランスは一斉に逃げてきた住民で混乱が生じている。
管理人の死体はまだ見つけられていないが、無惨に壊れた自動ドアや銃痕はもう見られている。住民の一人はスマホで通報していた。消防は別として、現地警察の到着は一分一秒でも遅らせる必要がある。岡崎は十一階で爆発炎上が起こったのは把握していたが、亜実たちが速やかに避難してこられる可能性は低いと判断した。
「えっと、エプシロンへ。私は一旦現場対応した方が良いかと思います。人が集まってきてますので」
岡崎は焦りと歯痒さを覚えつつ、エプシロンこと亜実へそう伝えた。
「わかりました。降りるまで少し時間がかかりますので、対応をまず優先してください。その目途がつき次第、ターゲットの追跡を」
亜実は優先事項を変えた。
起き上がれずにいる豊川を介抱しながら、ここから移動するのは難しい。そして、肝心の除去機は亜実の手元にある。岡崎が田島を捕まえたとしても、その場で亜実たちの到着を待たねばならない。やっと着いて除去した頃には、現地警察や現地民に取り囲まれている危険性が高い……。
「了解です。できるだけ早くこちらへ来てください」
岡崎はそう言うと、スマホをしまう。そして、現地警察の刑事が使っていた覆面パトカーへ駆け寄った。
覆面パトカーのアリオンには、彼が先ほど射殺したばかりの刑事二人が永眠している。彼は運転席側の刑事を降車させ、車載警察無線機を操作する。それから、スピーカーマイクを手に取った。一度深呼吸した後、彼は交信ボタンを押す。
岡崎は現地警察へ偽情報を伝えることにした。オリジンのエージェントが研修で習得する一つだ。
「えー、八王子、東二九から八王子、どうぞ」
「こちら八王子、八王子指令。東二九、どうぞ」
「ハイ、こちら東二九。管区内のマンションの、えー、住居または共用部において、ガス爆発が起きた模様。八王子、どうぞ」
「えー、ガス爆発了解。住民の避難は? どうぞ」
「マンション、当該マンションの住民は避難済み。八王子、どうぞ」
「了解しましたー。現場にて、あー、負傷者は発生してませんか? 一人も? どうぞ」
「ハイ、現状負傷者は発生しておりません。どうぞ」
「八王子、了解しました。えー、現場の整理および保全で、PM(警察官)何人か送ります。どうぞ」
「あー、こちら東二九。現場対応、私たちだけで間に合ってます。今六人おりまして、現場対応問題ありません。ただ、えー、現場に通じる国道および県道の、えー、迂回対応願いたい。どうぞ」
「えーと、こちら八王子。そちら、PM六人現着という認識で問題ありませんか? 東二九、どうぞ」
「ハイ、問題ありません! えー、すいませんがこちら、住民より応答求められているため、いったん連絡終えます。どうぞ」
「……了解。えー、では、そちらの用件済み次第、詳細の連絡、こちらへ求めます。よろしいか、どうぞ」
「東二九、了解。以上」
岡崎は警察無線機を切る。その交信時点ではまだバレずに済んでいた。
岡崎の尽力により、亜実たちと共にマンションから離れる時間は稼げた。彼と指令所とのやり取りで違和感を覚えた警官はいたが、すぐさま指摘し対応できる者はなかなか現れなかった。三十分足らずだが、現地警察としてはやるせないミスだ。そして、彼らが亜実たちの「正体」を発表できる機会はない。
岡崎が警察との交信を終えた頃には、野次馬がコバエの如くさらに集まっていた。ほとんどがスマホを構え、思い出のワンショットを収めている。生配信する者までおり、岡崎は顔を背けつつ、呆れ顔を浮かべていた。
「ターゲット、来なかった?」
その声は久保。十一階の田島宅から一階のマンション前まで降りてきたところだ。田島が潜んでいないか確かめつつ、暑い中階段で降りてきたため、彼は汗でびっしょりだった。
「すまない。上には連絡したけど、さっき行かせてしまったよ」
申し訳なさげに言う岡崎。上で爆発炎上が起きたのは知っていたが、まさか取り逃がすとは予想していなかったらしい。彼がそこで待機を任された理由は、あくまでもジャマが入らないようにするためだ。
「はぁ、まったくもう……」
除去機は亜実の手元にあるといえ、久保は岡崎を睨む。その世界かつその年の七月もかなり暑かったし、怒りを覚えるのは仕方ない。
「俺の勘違いだけど、もう済んだと思ったからなんだ。ホントにすまない」
岡崎は釈明した後、田島と柏崎が逃げた先を指差す。
「……んっ、ああ、駅の方向だね。まあまあ大きな駅だから、人混みに隠れられたら厄介だ」
久保は気を取り戻しながら言った。駅とは八王子駅のことで、現場から徒歩十分余りの距離だ。彼は「または駅の交番へ逃げこまれるか」と続けた。そう言うと彼は、右足の先を一度軽く上げ下げした。彼のピストル入りホルスターは、スラックス下の右足首付近にある。
「そこなら袋小路にできる」
岡崎が自信ありげに言った。彼のホルスターも同じ位置だ。
ただ岡崎は内心、事態のさらなる悪化を懸念していた。もはや銃撃戦はほぼ避けられないと。
亜実たちは研修や訓練を受け、実戦経験もあるが、超人的なスキルを持ってるわけじゃない。確かにチームの実力として、現地警察の銃対(銃器対策部隊)程度には対処できる。とはいえ、SATや大勢の警官を相手するには限度がある。短機関銃の弾数も無限じゃない。
久保と岡崎が装備について話し始めた時、救急車が駆けつけてくる。さすがの野次馬たちも、道路をいくらか開けた。サイレンを鳴らしながら来たそれは、マンション前で停まる。サイレンが止むと、現場は一瞬静まり返った。
「誰かが呼んだな。そこの無線で今さっき、ケガ人は一人もいないと伝えたんだけど」
警察無線でやり取りしたばかりの岡崎が言う。久保はそれを聞き、ドアが開いたままの覆面パトカーや、路面で転がったまま動かない刑事を見やる。
ただ、降りてきた救急隊員たちはマンション側を注視している。その内一人の隊員は、十一階の廊下から立ち昇る白い煙を見上げていた。亜実たちが消火したものの、確認のために消防を呼ぶのは当然だ。
「亜美さ、エプシロンが呼んだと思う。自分が連れていくから、デルタは駅の方へ探しにいってほしい」
久保はそう言うと、到着した救急車へ駆け寄る。
「ますます大変な一日になってきた」
岡崎は自らのミスも含め、苦々しさを覚えていた。上で起きた事を久保から聞き損ないつつも、雲行きがやはり怪しい事は理解できた。




