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「それ」 亜実

 亜実あみたちが国道沿いのスターバックスに入ったのは、田島と矢崎が初対面を果たしてから三ヶ月過ぎた七月だ。その三ヶ月間に、二人は何度も対面していたが、その話は先送りしよう。


 亜実は部下四人と共に、奥側の席を陣取る。彼女たちはフラペチーノやコールドブリューやらを飲みながら、今後の流れを話し合う。

「駅前にトヨタレンタカーがあります。そこで二台借り、足を確保しましょう」

部下の男が亜実に言った。彼女は長い黒髪の下に湧いた汗をハンカチで拭いている。

「ハァ、まだ歩かなきゃダメなのね。やはりシャトルバスに乗るべきだったわ」

亜実が愚痴をこぼすなり、その部下は「下手に怪しまれればアウトです」と返す。足元の荷物置きバスケットにはそれぞれ、大きなバックパックが鎮座している。ハイキングか軽めの登山を終えた社会人グループに見えた。服装もそれを意識した物で固めているが、擬装に過ぎない。

 彼女たちは「これ」でも「それ」でもなく、また別の異世界から来た。かと言って転生したわけではなく、文字通りの「扉」を通り、「それ」の世界へ転移してきた。

 その扉は、その場から徒歩三十分の位置にある、遊園地の敷地内だ。繁忙期用の予備の駐車場の片隅に、今は閉鎖された公衆トイレがあって、そこの女子トイレ内に扉が存在するのだ。その日は日曜日だがまだ早朝で、予備の駐車場に人気ひとけは無い。

 彼女たちは任務を与えられ、「それ」へ来ている。観光目的じゃなく、環境保護を謳うその遊園地に興味など抱かなかった。暑い中、重いバックパックを背負い、国道411号線の歩道を淡々と歩いてきた。遊園地と駅を行き来するシャトルバスを使わなかった理由は、怪しまれるリスクを少しでも排除するためだ。

「カムリとプリウスを一台ずつね。……ナンバープレートは手に入りそう?」

小声で部下に尋ねる亜実。近くに他の客はいないが念のためだ。

「向こうに行く途中でアテがあります。ベトナム人ですが、何も聞かずに何枚も売ってくれるはずです」

「八王子市内?」

「いえ、すぐ先の羽村市です。その辺りで何日分かの貯えも済ませるべきかと」

亜実はカムリの広々としたトランク内を思い浮かべた後、別の部下へ目を向ける。茶髪のローポニーテールを垂らす若い女性だ。

「泊まれそうな所は見つけられた?」

その女部下はアップルのノートパソコンを使い、目的地周辺のホテルを探していた。

「付近の道幅は狭いですが、目標のマンションのすぐ近くにビジネスホテルがあります。高層階を押さえられれば、マンションを見張れそうな位置です」

大浴場が無くて安価なチェーン系ビジネスホテル(つまりドーミーインじゃない)だった。駐車場はタワー式で、出入口は二ヶ所に分かれている。幸先の良いスタートだ。

「そこにしましょう。高いフロアのツイン三部屋を別々で予約してちょうだい」

「了解しました」

亜実は桃のフラペチーノを堪能しながら、店内を見渡す。

 事前情報から彼女は、「それ」の世界が元の世界とほとんど変わらない点を知っていた。歴史や国際関係はもちろん、文化や流行もほぼ同じなのだ。

 ただそれでも彼女は、違和感を拭えなかった。談笑するカップルの会話(バカみたいに大声で喋るため、亜実たちの席まで丸聞こえだ)でさえ、話の意味を理解できないときがある。いくら現代日本とそう変わらない世界とはいえ、長居できないと彼女は悟った。与えられた任務をスムーズに済ませ、帰還すべきだと感じる亜実。

 すると彼女は、手元が他人や監視カメラの死角である点を再確認した後、バックパックからアップルのノートパソコンを取り出す。ディスプレイを開き、素早く立ち上げた。

 PDFファイルを開くと、そこには例の小学六年生の顔写真(「※生成AIによるイメージ!」の注意書きがある)や氏名、住所が表示されていた。彼女たちが目標とする田島たじま健一けんいちの最新の個人情報だ。八王子市内のとある小学校の六年二組に属しているとまでわかる。長くても二週間あれば達成できる任務のはず。

 亜実は不運な少年田島の現住所に目を走らせた後、彼の生まれた年、二○一一年における日本の出来事を調べ始める。元の世界におけるそれとどう違うかを把握しておきたいのだ。

 「それ」にもウィキペディアは存在していた。彼女は慎重に目を通す。


「亜美さん、私たちはもう出発できますが?」

二○一一年の「今年の漢字」は「絆」だという変わらない事実を知った直後に、亜実は部下に声をかけられた。彼女は黙って頷き返し、ノートパソコンを閉じる。

 彼女はフラペチーノを飲み干す。紙ストローはふやけており、少なからぬ不快感を覚えた。この世界が元の世界とほぼ変わらないという事実を、彼女はすっかり理解している。



 ――トヨタレンタカーで車を借りるのは簡単だった。まず亜実が、「吉田亜実」(姓は偽名)という氏名の運転免許証(半分偽造)を使い、カムリを二人乗りで借りた。それから少々時間を置いた形で、他の部下がプリウスを借りる。どちらもハイブリッドカーのおかげで、任務の途中でガス欠という間抜けな展開は避けられそうだ。

 最初の目的地であるグエン何とかの店までの道中で、二台は合流できた。彼女たちは窓を開けず、手で合図を伝え合う。現時点で問題は何一つ起きていない。

 亜実は交差点の信号待ちで一息入れる。先ほどのレンタカー店の自販機で買った冷たい缶コーヒーだ。

「だんだん東京っていう感じが出てきた。わかるよね?」

「ええ、わかります」

亜実の呟きに、助手席の女部下が淡々と返す。彼女は彼女で、この世界が元の世界と一見変わらないと感じていた。

「この世界の高校生も、いろいろと大変そうに見えます」

彼女がそっと指差す先には、横断歩道をトボトボと歩く男子高校生がいた。眼前を右から左へ進む彼の足取りは、弱々しくて情けない。酷く疲れ切っている。

「ここはここで大変な世の中なのは確かね」

亜実は言った。男子高校生だけでなく周囲に、憐れみの目を向けている。違和感は感じるものの、それでも変わらない何かを感じ取れた亜実。

「信号が変わりましたよ」

女部下が亜実に声をかけたのと、背後の軽自動車(スズキのハスラー)にクラクションを鳴らされたのは同時だった。

「…………」

亜実は車を発進させつつ、ルームミラーを見やる。軽自動車の運転手は、いかにも短気そうなジジイだった。亜実は彼を軽く脅かしてやろうと、上着のカーディガンの左脇下へ右手を入れる。

「やめてください」

ところが、女部下にビシッと言われてしまい、亜実は右手をハンドルへ戻す。彼女は女部下に「冗談ですよ」と言ったが、顔は残念そうだった。

 分厚い紺色のカーディガンの左脇下には、ピストルを入れたホルスターが吊り下がっている。遅かれ早かれ、そのピストルを使う展開になるはず。

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