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「これ」 望美

 まず間違いなく言えるのは、ダイハツは自動車を多摩川へ沈める防水試験をやっていない事だ。それも無断かつ深夜未明に。

 彼らが組み立てるトヨタ車のプロボックスは、さまざまな意味で日本経済を左右する自動車だ。しかし、SUVや高級車の枠じゃない。法的に義務づけられた認証試験で右往左往するメーカーに、ランクルやレクサスRXぐらいの「質」を求めるのは無理があるんだろうな。


「クソがっ、早く沈めや」

そう罵ったのは三宅だ。ミスした責任もあり、彼は一人でいる。

 彼が立つ川岸から二十数メートルほど先の水面に、灰色のプロボックス(先ほどまでは赤かったが、今は洗い流されている)が見える。あの車を夜の川へ進めませたのは彼だ。

 車は夜の暗雲たる多摩川へ沈みつつも、灰色の車体はまだ半分見えている。搭載ライトはすべて消すか壊れているが、大都市のしつこい煌きが微かに反射していた。風や水流が穏やかな点もあり、その光景は一層シュールに映える。

 三宅は自分のバカなミスにより、自分たちが使うプロボックスに血や足をつけてしまった。そのため、ナンバープレートやカーナビを車から外し、深い河川へ車を沈めねばならない(海やダム湖は見つかるリスクが高い上、水音が大きく立つ)。いずれ車は発見されるだろうが、時間稼ぎになる。

 望美たちが矢崎宅から逃走し、現地警察が市外への道路を封鎖する前に逃げることに成功したが、それ以上何もしなくて済む話じゃない。肝心の回収任務を済ませられていないし、すっかり逃げ切れたわけではないからだ。凹んだボンネットや外れかけたバンパーの車で再び矢崎宅へ向かおうとすれば、平時でもパトカーに呼び停められる。ナンバープレート交換だけで済むアクシオのほうとは異なる。

 そのため三宅は、自分一人で車の隠滅および逃走を行なわなければならない。次の指示まで、望美や他の三人に頼ることは許されなかった。「次の指示が来るまで何もするな」と、望美は三宅へ道中にそう告げるなり、他の三人と共に去った。取り残された三宅は、スマホからシグナルで通話を試みたが、望美たちは皆スルーだ。

「俺がもしもん時でも知らんぷりやろな」

実際は違うが、三宅は自分一人だけ取り残されたように感じた。もし自分が現地警察に逮捕された場合、オリジンは組織として何もしてくれないとまで決めこんでいる。

 無論、彼の考え方は間違いだ。三宅が現地警察の取り調べで、ペラペラと喋るより先に、現地の協力者が動いてくれる。弁護士の手配から本人の殺処分まで……。結局、そうならずには済んだ次第だが。

「あと少しや少し。はよっ」

彼が車を沈めることに決めた多摩川の某所は、プロボックスを沈めるには十分な水深や寂しさを兼ね揃えている。ところが、川の深い中央より手前の位置で車が進まなくなった。浸水でエンストし、クリープ現象も起きていない。シュノーケル付きじゃないのだし、壊れて動かなくなって当然だ。車内の空気で浮いているか、川床の泥にタイヤが嵌ったかで、車はなかなか沈まない。……また、三宅が降りた際に癖でドアを閉めてしまった点も大きいはず。

 そして、車が屋根まで沈み切るまで十二分近くもかかった。車から上がる泡もやっと収まった時、三宅は大きな息を吐く。彼は自分を強く生きる男だと自称していたが、一人の間はそんな必要性を覚えずにいられる。

 彼は車が沈んだ箇所の水面を見渡した後、もう二回息を大きく吐いた。タバコで一服したい様子だったが、夜闇の広い河川敷では間違いなく目立つ注意点を、彼の脳はギリギリで気づけた。吸いたいなら、目立たない場所、それも文句を言われない所を見つけねばならない。

 喫煙所付きのユースホステルや雀荘が、彼に適してる。「アレで調べといたらよかった」と、彼は言いこぼしながら、暗い河川敷から明るい町の方向へ足早に去る。左手に持つガンケースの金具や中身は、カチャカチャと冷笑を漏らしていた。



 三宅がプロボックスを多摩川へ沈め始めた時、望美や部下三人は対岸の離れた場所におり、自分たちの隠滅や連絡に取りかかった。できるだけ目立たないよう動いたおかげで、あの三宅にも発見されずに済んだ。「チーム」と呼ぶには滑稽だな。

 彼らが近くにいる理由は、三宅が車の隠滅を無事済ませられるか見張るためと、彼が隠滅先に選ぶ場所がいつも最適だから。望美たち四人とも、三宅を当時も今も毛嫌いしているが、その辺の勘や悪運強さを知っている。だからこそ今も、彼は厄介者としてしぶとく存在できている……。もしもの訃報に悲しむ者がまずいないにしても。


「アイツまったく、ドア閉めちゃったもんだから、もう」

望美の部下である対馬が言った。彼女は一人、望美が乗るアクシオから離れた位置で、三宅や周囲への見張り役を任された。緑色や黄色で彩られた視界が、川岸で苛立つ彼と、彼が早く沈むよう願う車との間を何度も往復する。闇夜でも見通せる双眼鏡のおかげで、彼や車の姿を捉えるのは容易だ。

 彼女は堤防道路から少し下った所の藪に潜み、しばらく見張っていた。匂いを気にしていたが、防虫スプレーをかけて正解だ。していなければ蚊に喰われ、手足の露出する部位に無数の虫刺され跡が残ったに違いない……。

 ただ彼女は、自分たち望美チームが与えられた任務を今回もこなせるかで不安を抱いていた。「これ」世界ことNGY1150の現地警察が、「悪人」に容赦なく発砲できるという点に、恐れまでは抱かないにせよ、とても気は緩められない任務だと理解したんだろう。その事もあり、三宅が眼前でやらかしたミスに憤っていた。もし不運にも誰か通りかかり、沈みゆく車や三宅を見つけた場合、速やかに目撃者を殺処分しなければならない。警察へ通報されたり、三宅が騒ぎ立てたりする前に……。彼が持つガンケースには、装填済みのショットガンが収まっている。

「お願い。頼むから、使わなきゃいけないのはやめてよね」

対馬は神に願った。願掛けは無駄とよく知りながらも。彼女の小型ピストルには既にサプレッサーが装着されていた。

 どちらかといえば彼女は、慎重かつ丁寧に事を進めたいスタンスだった。だが、望美には時々それが情けなく思えた。それを克服する機会にできるかもと、彼女は対馬に見張り役を命じたわけである。

 望美は亜実より知能指数でほんの少し劣るが、部下を上手く成長させられるかは別問題だ。


「そんな袋で平気かよ?」

「ああ大丈夫。コレですっかり包んで入れるんだから」

井上と鍋島が小声で話している。二人は望美が乗るアクシオ付近で、ナンバープレートの交換や処理に取り組んでいた。少しでも目立たないよう、二人とも中腰で動き、懐中電灯の光を絞っている。見張り役の対馬を信頼しないわけではないものの、三宅が起こしたミスのせいで危ない状況が当分続く事は明白だ。現地メディアの確かな報道(つまり裏付けもある)では、逃走車は灰色のプロボックス一台という旨だが、捜査線上に暗い赤色のアクシオも上がることは当時予想できた。……とはいえ、彼らの不安は杞憂に終わった上、任務が終わる頃にはもはや問題じゃなかった。

「逆にあやしまれないか? 例えばホラ、赤ちゃんが入ってるかも、とかよ?」

「いいや、これでこそ大丈夫だよ。ココの日本は女の貞操だけはマトモだから、捨て子じゃなく犬の糞だと、まず思うに決まってる」

鍋島はそう言い、不要なナンバープレート二枚を古新聞で雑に包みこむ。そして、古新聞で包んだ塊を、今度は井上が持つスーパーのレジ袋へ突っこんだ。井上は袋の口を固く縛った後、鍋島の指示され、高く生い茂る藪へ放り捨てる。真夏の陽光の下でも、探すほうが意識しなければ、その藪の中から袋を見つけられない。

 モラルの無い犬の飼い主が、散歩中にポイ捨てしたように擬装するわけだ。清掃ボランティアが拾えば、袋の重さや音からバレるに思えるが、事実そうはならなかった。袋の中身がナンバープレートと判明されたのは、少年矢崎が悔しがるほど後日のこと。


 ナンバープレート隠滅策は功を奏したものの、鍋島が勲章を授かれたわけじゃない。同じチームの三宅が任務中にやらかしたミスを、すべて帳消しにできるほどの成果とは言えない。

 三宅がその日やらかしたミスの穴埋めに苦労した者は、望美やその部下たちだけじゃない。オリジンやその協力者に、相応の負担を生じさせた。一部の協力者は今も、オリジンに怒りや疑念を抱いている。

「ですから、その件もホントにすいませんでした! 本当にすみません!」

イライラを滲ませる口調で、望美は関係各所へ連絡していた。現地で活動中のオリジン職員や協力者へ、一晩中話し続ける羽目となった。できるだけ低姿勢で……。

 複合体オリジンはセキュリティ重視のために、異世界での通信手段としてシグナルを活用している。安心安全なエンドツーエンド方式の暗号通信だ。かつてのエニグマ同様に、絶対解読されない暗号ではないが、時間稼ぎに十二分だ。さすが、アメリカ製のソフトウェアだけある。

 マニアックな話はこの程度にしておこう。我々は把握できる立場なのだから。

 望美がその晩やり取りした相手は、NGY1150の管理者の安城あんじょう一人だけで終わらなかった。以前も述べたが、詫びや賄賂でオリジンはリソースをかなり割かれた。カネで解決できる相手は望美でも対応できるが(必要経費として請求するから)、メンツを重んじる相手は厄介だ。スマホ越しといえ、言葉や態度で謝罪を求められる。

 当然望美にも、一丁前のメンツがあり、オリジン登場部特務課のエージェントというプライド(会社でいうと係長程度だが)もある。どっちも似た意味の言葉だが、大事な観念と言える。……ただ、邪魔な観念とも言えよう。

 望美がその晩から明け方まで、わざわざ先端の暗号通信でされた「コミュニケーション」こそ、わかりやすい典型例だ。そう、間違いなく。

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