「これ」 矢崎
自分自身を恥じる矢崎。それも病的に酷く、しばらく続いた。
平行世界の日本といえ、彼は日本人だ。自分や家庭の汚点という意味で、「恥」を覚える事は理解できるだろう。自己でも他者でもない田島へ語った点だけでも、矢崎は早くも悔やんでいる。
そのせいで、田島が彼にかけた言葉は、どれも追撃にしか感じ取れなかったらしい。器が小さいな。
「謝れよ! 馬鹿にしやがって!」
矢崎の心拍数は上昇し、脳は白熱している。傍観者も把握できるほど彼の心身は熱を帯びてみえる。
「ゴメン! ボクが悪かった! ゴメンなさい!」
矢崎の怒りを早く鎮めようと、田島は謝罪を繰り返す。強気に謝っているようだが、冷めた感情が見え隠れする。近所の暇な誰かが、二人の会話(正確には片方の発言)に耳を傾けているかもしれない。
ただそれは、単なる焦りだけじゃない。社会の目だ。
「中国人はメンツを重んじる」というステレオタイプな話はあるが、日本人もたいして変わらない。社会からの目、世間体を酷く気にする。それは、限界集落の村社会に限らず、名古屋や東京や大阪の三大都市圏でも、多かれ少なかれ存在している。数多のタワーマンションに独自の管理組合がある点が証だ。矢崎家は一戸建て住宅だが、地域の自治会には当然所属している。安くない自治会費(昨今は単身赴任者も払わされる)を払わされたり、側溝を掃除させられたりする。マルクス主義者じゃなくても、それらを「搾取」と呼ぶかも。
ただ、何らかの形で「再分配」にありつける。それは災害時の互助だけじゃなく、地元社会における信用という事もある。カネで解決できない問題もあるからな。現にそれが、矢崎の身に問題として起きた。
矢崎は決して馬鹿じゃない(同年代の内では)が、田島が謝罪に秘める「冷め」には気づかなかったらしい。
「はあ、もういい。許すよ。お前に悪気が無いのはわかってる。だが、言葉選びには気をつけろよ。俺だけでなく、面接官に対してもな」
矢崎は謝罪を受け入れた。その尊大な態度や言動は、田島の冷めた感情を強めただろうが、知ったことじゃない。その夜を機に交信を断ってくれれば、むしろ好都合。……そうなれば良かったが。
「今夜はもう遅い。帰ろう。お前も親をうるさくしたくないだろ?」
矢崎はそう言うなり、ガードレールから腰を上げる。
「ウン、その通り。その通りだよ!」
ひとまず安堵した田島。わざとらしく思えるほど、彼は一安心したご様子だ。
「来週また話そう。そっちも時間取れるだろ?」
「あ、ああ、その通りでいいよ」
「今夜のとは違う、明るく前向きな話をな?」
「ウン、その通りで問題ないよ!」
イエスマンと化した田島を尻目に、矢崎は横断歩道を渡る。その夜も矢崎が先行だった。田島が彼の背中を見つめていたが、横断歩道を渡り終えたところで消失する。
渡り終えた矢崎のほうは、自宅のある生活道路へ歩道を進んでいたが、突然立ち止まった。彼は気まずげな表情を浮かべつつ、いつも交信している交差点へ振り向いた。
彼は自らが、田島の姿が見えない距離にいる事は理解できている。FMラジオの比較的狭い受信範囲のように、二人とも別々の世界に心身を落ち着けたのだ。
二人が交信できる場所はいくつも存在していた。しかし、責任を担うオリジンは未だすべて把握できていない。……ひょっとすれば、我々の知らない所で、二人がさらに余計な交信をしていたかもだ。強迫観念が湧いてくるな。
まあ、現時点では大丈夫だ。例えば、民間防衛IEDの作り方を矢崎が田島に伝えた事は無い。もしそうだったら、亜実御一行はさらなる不幸に遭ったはず。不幸中の幸いだと、あえて述べよう。
とはいえ、二人がそれぞれの日本や世界情勢について、いろいろ語り合った事実は消せない。勝手な交信で得られた何らかの情報が、あの二人から他者へ流出しない可能性はゼロじゃない。作り話や陰謀論だと一笑されるにしても、百パーセントの安心安全じゃない……。
矢崎と田島の二人はその後の日夜も、飽きずに何度も何度も交信を行なった。いつもの交差点で夜やり取りするだけでなく、どこかで昼間遭遇すれば、バレない程度に交信するほど。たとえそれが、事実上同じ小学校の空き教室でも……。
まったく、出会った当初の戸惑いはどこへやら。不可思議な現象に開き直ったかの如く、二人とも受験勉強の一休止として、その頃には交信を楽しんでいた。歴史や価値観の相違点による反発を起こしながらも、交信そのものは続けていたわけだ。もし、オリジンが亜実や望美たちを派遣しなければ、二人は生涯(矢崎の親友中野はさておき)ともに、良き話し相手として過ごしたに違いない。しかしまあ、今となっては滑稽だ。
亜実や望美たちが派遣された七月九日まで、あの二人が交信した回数はいかほどか? オリジンは数を把握できていないし、交信内容をまとめた書類の日付は六月中旬から始まっている……。例のマイクロマシンを製造した会社に一番の責任があるといえ、情報収集や自主回収をサボって良い理由にはならない。
……結果論に過ぎないが、真剣かつ速やかに取り組んでいれば、オリジンは大きな痛手を負わずに済んだはず。あの二人それぞれの現地の政府や警察に上手く対応させる事だって。
私やオリジンが把握できている内だが、二人の交信内容の大部分は世間話の類だった。例えば要約すると、「NGY1150に東京スカイツリーは存在しないが、リニア中央新幹線は予定通りの開通」とか「NGY1180の東京五輪は2021年開催だが、NGY1150では大日本帝国政府が2020年に強行開催した」といった話題だ。その程度なら、まあ雑談として黙認してやる。
ただ、オリジンが直接関わったと誤解されかねない出来事まで、話題に上がった日も時々あった……。中でも「その一件」はマヌケな内容だが、今も非常にデリケートかつ複雑である。その旨について知ったオリジンの文民部どもは、瞬く間に顔を青ざめさせ、態度を硬化させた。そして、遠回しな言い方を用いたり、誰かに発言を促したりする有り様だ。
そんな事情もあり、オリジンの管理職はようやく腰を上げ、回収任務のエージェントとして、亜実や望美たちを送ったという流れだ。自主回収の期日も考えるとギリギリの余裕の無い判断だったと、確実に言ってやれる。
「その一件」に関しては誤解を防ぐためにも、急きょ次で述べよう。ただ、一部は既に述べてあるため、賢明な読者さんは楽しみにか薄々察してくれ。




