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「これ」 望美

 望美がスマホで電話する相手は、矢崎宅の前で待機中の三宅だ。暇を持て余していた彼は、やっと何か動けるのだと期待し、着信に応える。

「ハイよ、どうしました?」

「ああ三宅、すぐそこにおばさんが二人いるでしょ? 見えない?」

望美からそう聞くなり、三宅は前方へ目を向ける。

 件の宗教勧誘ババア二人組は、矢崎宅の門扉付近で戸惑っていた。片方のババアはスマホに手に、一一〇番通報しようとしている。ただもう片方のババアは、今の叫び声はイタズラか聞き間違いだろうと言い、次のお宅へ向かおうと諫めている。

「おりますけど、バレたんで殺せっていう話で?」

彼は望美から許しを得てないにも関わらず、ショットガンのガンケースへ早くも左手を伸ばす。ガンケースは後部座席の床へ移してあった。

「いいや、殺さないで。どこかへ追い払うだけでいい。騙すなり脅かすなりして、通報されないように遠ざけて」

「……ええっと、殺しちゃダメなんすか?」

望美からの返答に彼は落胆しながらも、ガンケースへ伸ばした左手は引っ込めない。今朝の警官二人組のように射殺する気だ。今回は一人で二人が相手だが、彼のスキルなら不可能じゃない。

 とはいえ、状況が状況という点もある。銃声が鳴り響けば、近所の誰かに通報されるだろう。一一九番通報で消防が来たとしても、矢崎賢一がそのまま帰宅するはずはない。


 望美は息を整え、ただでさえ厄介な部下を説き伏せる言葉を考えた。亜実には少々劣るが、彼女はバカじゃない。

「いい、三宅? 今そこで大事を起こされちゃヤバイって事はわかるでしょ? 言葉や態度に気をつけ、平和的に追い払って。ほら、今すぐ!」

望美は彼に食い下がる隙を与えまいと、一方的に電話を終えた。余計な質問や時間は勘弁という口調だった。

「チッ」

彼はスマホをズボンのポケットへ雑に突っ込むと、灰色のプロボックスのエンジンをかける。そして、徐行で矢崎宅へ向かう。彼は比較的小さな脳味噌で、あのババア二人組にかけるべき言葉を考える。


「倉本さん、やっぱり警察に通報しなきゃ」

「な、何を言ってるの、深井ふかいさん! 警察なんか信用してはならないし、今はその、大事な活動中ですし!」

スマホを手にするババアが深井で、諫めているそれが倉本だ。前に述べたが二人とも、カルト宗教『仏の餓鬼ども』の熱心な信者である。しかしながら、インターホン越しに聞こえた悲鳴を無視する悪心を持っているわけじゃない。そこまでは教義に存在しないはず。

 とはいえ、仮にイタズラだった場合、布教活動の時間を削られるわけだ。なにしろ通報沙汰でないが、イタズラ(ニセ韓国語での応対など)に遭った経験が何度もあるらしい。インターホン越しに助けを求める大声を耳にしても、通報をためらうのは仕方ない。

「ウチでなんか変わった事がありましたんか?」

そんな二人に三宅が、第一声をかける。彼は運転席の窓を開けており、車を二人のそばで止めた。彼にしては紳士的に振る舞えている。

「あっ、お宅から大声が聞こえたもので……。大丈夫でしょうか?」

深井が言った。三宅は強面で大柄な男だが、先ほど聞こえた悲鳴と比べれば驚きはしない。

「あなたはこのお宅のご家族の方ですね! では、ぜひお伝えしたい事がございまして」

倉本が堂々と話し始める。三宅が深井に「ええ、いつもの事なんで大丈夫」と返事する途中から……。いわば倉本の第二ラウンドだ。

「いやいやすんませんが、興味ありませんのや。家の者がご迷惑おかけしました」

彼はそう言うなり、窓を閉め始める。タイパ的に賢い判断だ。

「お時間は取らせませんので!」

ところが、倉本が閉まっていく窓へ両手を差し入れる。パワーウィンドウの安全装置により、窓の閉まりが止まった。差し入れられた両手とババアの老け顔で、ゾンビ映画のワンシーンのよう。

「ハア、勘弁してや」

三宅は呆れ顔を倉本へ向ける。演技ではなく本心からだ。

「お時間は長く取らせませんので!」

倉本はそう言うなり、例のリーフレットをカバンから取り出すよう、相方の深井に促した。

「…………」

しかし、深井はその場で硬直し、三宅の顔をじっと見つめている。

「ちょっと、深井さん?」

両手を窓に差し入れたまま、倉本が深井に言う。

 カラスの鳴き声すら聞こえない静寂が、その場に数秒間訪れた……。夏の蒸し暑い空気もキリッと冷えこむ。


「こ、この人、ご家族じゃない! ここの家の人じゃないわ! 旦那にしては若いし、このお宅は四人家族のはずよ!」

深井はそう叫ぶなり、上着のポケットへしまいかけたスマホを操り始める……。

 そう、バレたのだ。調べ方はお察しだが、家族構成ぐらいは把握していた。悲鳴への戸惑いが和らぐや否や、深井は情報の食い違いに気づけたのだ。

「さ、さっきの男とグルなのよ! 警察に、警察に通報しなきゃ!」

不運にも勘のいいババアである。倉本のほうは「ヒィ!」という短い悲鳴と共に両手を窓から離し、車と距離を取った。今度は深井の通報を止めようとせず、むしろさっさと呼べという調子だ。

「クソッ!」

二人を説き伏せる言葉を思いつかなかった三宅は、ガンケースへ左手を伸ばす。ガンケースのロックは彼が既に外しており、箱をササッと開け、ショットガンを掴み取ればいい。それから二人に銃を突きつけ、スマホを地面に置いて去れと命じればいいわけだ。

 ところが彼は、箱を開いた拍子に体勢を崩し、左半身が後部座席の床へ倒れてしまう。そして、コメディ映画のお約束に近い事が起きた。ブレーキペダルから足が離れ、車が前進し始める。クリープ現象による低速走行だが、ババア二人組が通報しつつ距離を取るには十分な隙だった。

「おい、待てや!」

彼はショットガンを掴むのをやめて、車の運転に戻る。あの二人の行く手を遮る気でいた。ハリウッド映画で見かけがちな、車を相手の正面へ横づけるワンシーンを自らの手で……。


 結果はお粗末なシーンに終わる。三宅の行動は誤りではなかったが、傍目には酷い結果でしかない。

 車を急加速させ、ババア二人組の背後に追いつくまでは不味くなかったが、二人の行く手を遮るために回り込む時にやらかした。住宅街の狭い道路のため、ハンドルを左へ切った後、すぐ右へ切る必要があるのだが、彼はハンドルを右へ切るのが遅れた……。

 灰色のプロボックスの車体は、YKKのカーポート柵にバァンと跳ね飛ばされ、進む先をババア二人組へ向けられてしまう。車のスピードは落ちておらず、三宅は衝撃で目を瞑っていた。不運な交通事故である。


 ……彼が目を開き、ブレーキペダルを踏み停車させた時、ババアは二人ともタッチダウンを決めていた。ただ、何か点数が入るとすれば、それは三宅のほうだ。

 倉本よりゼロコンマ三秒先に、車と衝突した深井は宙を舞い、十メートル先の電柱に頭を強く打ちつける。変わり果てた顔をあさっての方向へ向けつつ、彼女はアスファルトの路面に身を落とした。不幸中の幸いと呼べる点は、激痛で苦しまずに即死し、殉教できたことだろう。

 同じく衝突した倉本は、その事故で殉教者にならずに済んだ。彼女が宙を舞った先は、矢崎宅ご近所のお庭だ。踏み固められた地面だが、アスファルトよりは体に優しい。彼女は激痛に悶えつつ、存在しない神へ救いを求めた。その懇願が叶ったわけじゃないが、結果的に一命を取り留める。終身寝たきり状態が幸運とは思えないが、仏の餓鬼どもが輸血禁止の宗教じゃない事は幸運に違いない。彼女は寝たきりながらも、病院でその信仰心をさらに高めた。

 とはいえ、立場上あらためて断言しておくと、仏の餓鬼どもはカルト宗教でしかない……。

「ああ、嘘やろ。クソッ、クソッ!」

三宅はハンドルを握り締めつつ、自らの不運を罵る。車のボンネットの大部分が、灰色から深紅色に変わっていた。暗灰色のバンパーは凹み、今にも外れそう。

 頑丈なトヨタ車のため、走行はまだできるものの、そんな有り様では長く走れない。一時間もかからず、パトカーに停止を求められるだろう。今度はナンバープレート交換では済まない。

 そのため三宅は、自身が起こしたミスをどう取り繕うか考えこむ。庭で倒れ込む倉本を見て叫んだ、住民の大声もさほど気にせずに。

 ……しかしながら、三宅はチーム一番のバカだ。



 少し離れた所の矢崎宅にいる望美たちは、三宅が何を起こしやがったのかを音で把握できた。今このタイミングで交通事故を起こすとすれば、三宅以外に考えられなかったのだ。

「彼が事故ったみたいね」

望美はそう呟き、呆れた様子で苦笑する。部下三人も苦笑いを浮かべた。

「…………」

矢崎の母親は救いが叶わなかった事を察し、悲しげにうつむく。

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