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「それ」 田島

 田島一行が泊まるホテルと矢崎一行が泊まるそれは、世界線が異なるだけで実質的に同一だった。山口県の山奥にある古臭いホテルで、『周防スタンホテル』という名称も同じだ。

 異なる点といえば、外観の多少の違いや、客室における和室と洋室の割合ぐらい。和風の大部屋で布団を敷き、男女やクラス別で雑魚寝する点は同じだ。安っぽい共通点を挙げるなら、エアコンが集中管理型という事と、共同トイレが冷たいタイル貼りという事などだ。露天風呂は磨り減った岩で構成されており、滑りやすくて危ない。

 風呂の件で述べるなら、田島に取ってラッキーだった共通点がある。それは入浴時間が男女別で別れている点だ。担任の先生は覗き防止のためと話したが、「これ」世界とは理由が異なる。どこかの他校で修学旅行中に盗撮事件が起きたからだ。

 その女子小学生は男子から承認欲求を得るべく、スパバッグにスマホを忍ばせ、クラスメイトを盗撮した……。そして、その出来立て児ポ動画を男子のライングループで公開してしまう。結果、クラスメイトの男子の多くが精通し、女子の多くは不登校(内二人は自分を殺しかけた)になった。犯人の女子は児ポ製造で補導され、ネットへの流出はしていない事となる。被害者保護のため、公表はされていない。

 何はともあれ、田島は柏崎と入浴時間を過ごさずに済んだ。彼女は露天風呂の垣根越しに田島と話したかったそうだ。クラスメイトからの妬みなど構わず、ロマンチックに過ごそうという腹積もりである……。いくら顔がマシなほう(三十歳あたりでギリ健男と結婚できそうなレベル)といえ、束縛感の強い女は困ったもの。


「ふぅー」

「もう上がるのか?」

露天風呂から早々と上がる田島に、クラスメイトが言う。

「ウン、熱い湯は苦手でさ」

田島はそう言うと、脱衣所へ向かう。藻がこびついた縁側を慎重に歩いていく。クラスメイトたちは子供らしく、風呂の熱湯をかけ合い始めた。

「あっつ!」

その露天風呂の湯が熱めなのは確かだ。湯の温度調節機器にガタがきてるか、元々高めの設定なんだろう。

 水はけの悪い大浴場から出た田島は、プーマのジャージに着替えた。汚れた服が詰まる袋を片手に脱衣所を出ると、次のクラスの男子たちがもう集まっていた。少しでも早く汗を流したいご様子。

「おう、田島。女湯見れたか?」

四年生で同じクラスだった男子が、彼に話しかけた。頭の悪そうなスポーツ刈りのヤツ。

「見てないよ。それに時間で分かれてるじゃん」

「あー、そうだったそうだった」

半笑いで納得する男子を尻目に、田島はさっさと去る。彼が今すぐ話したいのは、恋人の柏崎ではない。彼女が嫌いになったわけじゃないが、愉快に話せる状態じゃなかった。男女別で入浴時間が分けられた点は、彼自身にはやはり幸運だ。

 矢崎にはホテルのどこかで会えるはず。田島は彼を見つけ次第、広島の土産物屋での件について話したい気持ちで一杯だ。田島は矢崎が手にしていた二つのキャップを思い返す。どちらも外国への原爆投下を正当化するデザインであり、平和記念資料館を見学したばかりの田島が受け入れられるはずは無い……。

 今や彼は、矢崎や「これ」世界に嫌悪感すら覚えている。ただそれでも、何か大きな理由があり、矢崎があんなキャップを被ってみたのだと思いたかった。


 田島は大部屋(二十人ぐらいで雑魚寝する昔ながらの和室)には当然戻らなかった。どのみち一人だし、入浴時間は長めに予定されていた。夕食の時間までホテルを散歩するぐらい、先生もおおらかに許してくれるはず(ゲームコーナーは今もダメだろうな)。

 冷たく薄暗い階段で地下二階まで下りた田島。廊下はさらに冷たく薄暗く、六月の初夏である事を忘れさせるよう。彼は廊下の突き当たりまで歩き、ボイラー室のドアの前に立つ。前からも後ろからも人気ひとけを感じない。

「……矢崎、そこにいるか?」

田島はそう言った後、ボイラー室の錆びたドアをノックする。音が廊下に反響したが、すぐさま吸いこまれるように消えた。廊下の冷たさも重なり、田島は悪寒を感じた。双子の少女でも現れそうな雰囲気だ。

「ベタ、ベタ過ぎるよな」

田島は恐怖を堪えながら、ボイラー室のドアを開ける。ドアには「関係者以外は立入禁止」という文字が薄ら記してあるが、今の彼には通じない。防犯ベルが鳴り、担任に怒られる流れは覚悟していた。


 ……耳障りな音を立てるドアを開けた先に、矢崎はいなかった。薄らとした気配すらない。

 無人のボイラー室は明るく、二基ずつある給湯ボイラーと冷却装置が音を立てている。田島は蒸し暑い空気を顔に受けながら、ボイラー室を覗きこむ。やはり矢崎はいない。防犯ベルが鳴ったり、ボイラー室の従業員に怒られはしなかったものの、田島は落胆を覚えずにいられなかった。なんとなくここで彼に会えると確信していたようだ。

「次にベタなのは……」

彼はドアを閉めると、足早に廊下を抜け、階段を上がっていく。人気ひとけが戻っていくのを感じながら。



 次に彼は一階を散歩した。深紅の絨毯敷きのロビーには、小学校の先生や添乗員だけでなく、他の宿泊客も少数ながらいた。担任は一人で歩く田島を一瞥しただけで、女性添乗員との立ち話(今夜のスケジュール調整)に戻る。

「しかし、まだ仕事がありますから」

「あらら、どこも呑むのは禁止なんですね」

「ええまあ、巡回もありますし」

残業代は出ないのに先生は大変だ。消灯後は交替で、田島のように出歩く児童を捕まえねばならない。

「ああ、テレビ無しの部屋にして正解だった」

生活指導の先生が呟いた。彼は色褪せたソファに座りこみ、シャープの大型液晶テレビが流す、NHKのニュース7を眺めている。ショーみたく荒れる国会の映像は、どこか他所の世界とは思えない……。

 それはともかく、田島に注意を払う大人はいなかった。ホテルの従業員も多忙(コロナ禍および経営者の都合により)のため、ほっつき歩く小学生に気をかけられない。三輪車で駆け回れば、さすがに注意されるだろうが。

 ただそれが幸いし、彼は誰にも注意されず、ロビーを東西に横断し、ラウンジへ足を踏み入れられた。立入禁止でないにも関わらず、そこには誰一人いない。

 高い天井で広いラウンジには洒落たバーがあったが、長引いたコロナ禍により一昨年閉められた。若い頃から働いていた高齢のバーテンダーは閉店後、ホテルと生きる事をやめた……。撤去費の点もあり、バーカウンターと鏡付き棚はそのまま残してある。カウンターチェアもあえて一つだけ残された。費用以外の理由は、大正時代からの歴史を残すためと、亡きバーテンダーを供養するためだ。彼が首を吊った場所は、バーではなく従業員宿舎だが、念のための処置である。幽霊が現れた情報は現時点で入っていない。


 田島はバーのチェアへ目をやるも座らない。彼の足はバーカウンター内へ進んだ。注意書きは無く、誰でも入れる状態なので大丈夫だろう。

 酒は空き瓶すら無く、外国人客に盗まれそうな備品も置いていない。創業時から据え付けられている物のみが、静かに時を過ごす。例のバーテンダーは大正時代の創業時から働いていたわけじゃないが、彼が遺した物は生きているようだ。マホガニーのバーカウンターは光沢を誇り、鏡は綺麗に磨かれたまま。バーが再開されるのを待ち望んでいるのか。

 バーカウンターに入った田島は、服が詰まる袋を足元へ置く。そして、唯一あるイスを正面に見据え、カウンターへもたれかかる。両ひじをついた彼は、高い天井を見上げる。舶来品のシャンデリアにはランプが煌々と灯り、窓外の庭へも光を与えていた。彼は視線を正面に戻し、窓の外をぼんやり見つめる。日の長い六月だが、山々に囲まれたホテルの夜は早い。

 夕闇に沈みゆく駐車場には、田島一行を乗せてきた観光バスの影が伸びている。数台停まるバスのそばでは、運転手たちがタバコを吹かしながら話しこむ。極小さなタバコのともしびは、一本また一本と消えていき、増えることはなかった。

「旅してる感あるなあ」

田島がボソッと言った。小学生のくせに生意気である。

 バーカウンターで感慨深げに窓の外を眺める彼だが、駐車場の投光器がいきなり煌々と点いた際は、驚かずにいられなかった。光センサーによるありふれた照明だが、突然の点灯にはバスの運転手たちも驚かされた。

「こんなに必要ですかね」

「ムダもいいところだよ」

運転手たちは口々に言った。いくら広い駐車場とはいえ、ライトの数が多過ぎる。


「昼みたい」

人工照明に感慨深さを壊され、文句を垂れる田島。ここが東名高速のサービスエリアなら別だが、山奥の昔ながらのホテルでやられるのは確かに腹ただしいもの。

「何みたいだって?」

口を閉じる田島。今度は照明でなく、矢崎に文句を垂れねばならない。

 矢崎がバーカウンターのそばに立っている。あの時とは違うキャップを被って……。

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