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「それ」 亜実

 豊川が柏崎宅のインターホンを鳴らした二日後、七月十一日の夕方、亜実たちは行動を開始する。

 しかし、彼女たちは柏崎宅を田島宅だと誤解したままで、無駄足になるのはもう見えていた……。

「ねっ? 開くでしょ?」

「いくら古いマンションといえ、これほど簡単に開いてしまうとは怖いものですね」

亜実は部下の久保くぼが教えた通りに、クリアファイルを自動ドアの僅かな隙間へ差しこんだ。結果、自動ドアは難なく開き、亜実たちはロビーへ足を踏み入れられた。マンションの管理人はすでに退勤し、防犯ベルが鳴ることもない。

「私のマンションも危なそうですね……」

不安気に呟く安藤。若い女性(と言っても二十六歳だ)としては不安なんだろう。女性専用のマンションに住み、護身用としてピストル(自腹じゃない)を携帯しているにも関わらず、不安は尽きないご様子。

「恐怖は自然な事だし、考えればキリないよ」

豊川は安藤にそう言い、エレベーターのボタンを押しに向かう。

 例のマイクロマシン除去機が入るアタッシュケースは、五人目のメンバーである岡崎おかざきが持っている。彼は家に突入し、ターゲットを確保次第そのケースを開き、除去機を扱う久保を助ける役目を負う。

 亜実たちはエレベーターに乗りこむ。定員九人乗りのエレベーターは五人の大人でもう一杯に思える。彼女たちが任務に気を引き締めていることもあり、狭い空間が一気に蒸し暑くなった。全員が半袖ワイシャツを着ているものの、さっそく汗をかいていた。



 田島宅だと誤解されている柏崎宅には、柏崎萌恵が一人留守番していた。自室にいる彼女は、お古のMP3プレーヤーで音楽を聴きながら宿題に取り組んでいる。宿題を済ませ、母親がパートから帰宅するまでは、スマホが使えないのだ。母親が家のどこかに隠しているが、彼女は未だ発見できていない(ご丁寧に電源は切られている)。

「ふぅー」

算数の難問にぶつかり、溜め息を漏らす柏崎。分数の引き算で、大人(バカやLDなどを除く)なら解ける問題だ。

彼女の両耳からは、流行りの音楽(Kポップらしいが韓国語はわからない)が音漏れしている。ヘッドホンで聴かなければ騒音であり、他人事ながら彼女の聴覚が不安だ。

「スマホがあれば。スマホさえあれば。ああスマホスマホ」

もしスマホが手元にあれば、ズルして宿題を済ませるに違いない。今週末にも配布される夏休みの宿題でも、きっとそうする。チャットGPTに日記や読書感想文を書かせるわけだ。

「さっさと解いちゃお」

彼女は奮起し、途中式を書き、彼女なりに答えを示す。……間違えているが努力は認めよう。


 玄関ドアのドアスコープがマイナスドライバーで外されたのは、柏崎が次の問題に進んだ時だ。亜実たちは何の疑いもなく、柏崎宅のドアを突破しようとしている。いくらドアの近くにも表札が無いとはいえ、柏崎に非はない。

「もしいなかったら待ち伏せるんですよね? これ外して大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫。一目じゃわからないようにごまかせるから」

安藤にドアスコープを渡した久保が言う。彼はビジネスリュックから、A4サイズの白い収納ボックスを取り出した。箱の中には、内視鏡カメラを取り出した。カメラ付きワイヤー部分と小型モニターに分かれたその機械には、久保の手による改造が施されている。

「どれどれっと」

久保はワイヤーをドアに空いた小さな穴へ潜りこませていく。同時に彼は、モニターで映像を確認していた。柏崎宅の玄関や廊下が映っている。柏崎萌恵の部屋のドアも右奥に見えた。

「どう? 早く済みそう?」

「これなら一分半あれば」

亜実に急かされ、彼が言った。マンションの共用廊下は外廊下タイプであり、外部にも丸わかりだ。いくら東京とはいえ、マンションの一ヶ所に五人も固まり立っていれば目立ち、通報されかねない。亜実たちのスキルなら、警察の銃器対策部隊(十人程度ならいける)にも対応できるが、不利な状況に陥るのはよろしくない。

 久保が操るワイヤーの先端部にはとても小さなアームが四本付いている。それらは玄関ドアの防犯式サムターンを器用に回す。柏崎はツーロックをしなかったらしく、これでドアは開く。伸ばしたワイヤーをスルスルと回収する久保。柏崎にはまったく気づかれていない。

「いつでも行けますよ」

試しに二センチほど開けてみた後、彼が亜実に言う。

「よし、素早く外して帰るわよ」

亜実がそう言うと、他の四人は小声で「了解」と言った。

 立ち位置もあり、柏崎宅へ一番乗りした久保だった。H&Kのピストルを握る彼は、廊下の先へ銃口を向けながら、土足で玄関から上がりこむ。亜実たちも彼に続いた。五人ともピストル装備である点から、支給品の短機関銃は車に置いてきたとわかる。今はマイクロマシン除去に集中し、警察に追跡された場合に使う気なのだろう。

 廊下の先は、窓から西陽が差しこむリビングだ。そこに人気ひとけは感じられず、亜実たちはひとまず安堵する。

 先行の久保は、廊下のドア下から微かに漏れる光を指差す。きっとその部屋に少年田島がいるだろうというわけだ。しかし、いるのは柏崎萌恵であり、田島本人は真上の部屋にいる……。幸いにも、彼も音楽を聴いている最中だ。

 亜実が黙って頷き返すなり、久保はドアコックを左手で慎重に掴む。残りの三人は彼の左右に立ち、いつでも部屋へ突入できるよう構えた。模範的な体勢だが、良い結果は出ない……。


 柏崎萌恵が侵入者に気づいたのは、頭からヘッドホンを取り上げられた時だ。宿題と音楽に集中していた彼女は、一変した状況をすぐに理解できなかった。施錠済みの玄関を開けられ、自室に大人の男女五人が土足でやって来たのだから、彼女の反応は無理もない。イスに座ったまま、亜実たちの顔を見回すばかりだ。

 大人たちの内二人は、アタッシュケースを開き、除去機の用意を始めている。亜実たち三人は彼女のそばに立ち、逃げないようにガードを固める。

「妹さんみたいですね」

豊川がそう言うと、亜実と安藤は頷いた。二人は同じ女性として気が進まないながらも、柏崎を人質にしようと考える。情けないことに、家を間違えている事実に気づいていない……。

 柏崎はやがて、自分の身に危機が訪れたと把握する。彼女はまず、左側に立つ亜実と安藤を見上げ、次に右側の豊川を見上げた。

「キャアアア! ヘンタイ! ロリコン! ミソジニー!」

そして、彼女は必死に叫んだ。思いつく限りのちくちく言葉が、亜実たちに突き刺さる。

「ち、違う違う! 僕らは君の体に用があるんであって、済ませたらすぐ帰るから!」

豊川が彼女に弁明したが、これは誤解を招く言い方だ……。柏崎だけでなく、安藤も赤面した。なお亜実はスルーだ。

「ああそんな! いけないわお兄さん! ワタシには彼氏がいるのに!」

一丁前のセリフを吐く柏崎。ネタに走るエロ漫画みたいだ。

「安心して!変な事しないから! 痛くはその、無いはずだから!」

「キャア! やっぱりヘンタイかつロリコンでミソジニーじゃない! ワタシの純潔は健一君にあげるって決めてるんだから!」

柏崎がその田島の名前を口にした途端、亜実たちの動きがピタリと止まる。除去機を彼女の元へ運んでいた久保と岡崎も足も止め、互いに顔を見合わせた。

 ようやく、自分たちがバカなミスを犯した事実に気づいたのだ。


 それから一分も経たない内に、亜実たちは階段を駆け下りていく。エレベーターを使う余裕はあったにも関わらず、彼女たちは汗をダクダクと流しながら一階まで下りると、車二台ですぐさま走り去った。焦りと恥ずかしさに、暑さが入り混じるスパイシーな汗をあちこちに垂らしていった彼女たち……。

 久保の運転するプリウスが、先行するカムリを追いつこうとして、危うく追突しかけた。ここで交通事故まで起こせば、日程的に任務は失敗に終わる。亜実たちは取り乱しており、こちらまで恥ずかしくなってきた。

 不幸中の幸いは、柏崎宅の異変に気づいた隣人の老婆が、逃走する二台の車に気づかなかった点だ。なにせ老婆は、少し大袈裟に泣き喚く柏崎萌恵の介抱で精一杯だった。

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