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「これ」 矢崎

 矢崎たちも同じ時、同じ位置にある石碑の前にいた。ところが、その時は交信が起きず、二人は互いを目視できなかった。交信できるできないの基準がわからない。互いの出来事や歴史が複雑に重なり合った状況のみ交信できてしまう点は間違いないが……。先ほどの像の前では目視できた点もあり、疑問は拭えない。

 中野や周りに怪しまれない程度に、矢崎は視線を左右に移し、田島を探す。しかし見当たらないことがわかると、眼前のガイドや石碑へ目を向ける。


「こちらの部分にご注目ください」

若い女性ガイドはそう言うとレーザーポインターを使い、赤いドット点を石碑に刻まれた文の頭へ向ける。

 「安らかに眠りたまえ。過ちは繰り返さぬように」と刻まれている。矢崎たちは声を張り上げ、その文を読んだ。声の大きさに驚いたハトが飛んでいく。

 ガイドが文にこめられた意味を語り始める。暗い口調ではなく明るい口調でだ。原爆を落とされた側じゃないからできること。


 石碑の背後には、大岩から削り出されたモニュメントが存在感を誇っている。「これ」世界のモニュメントはアーチ状ではなく、ぽっちゃりした形状の原子爆弾を形作っている……。デザイン元の原子爆弾はプルトニウム型原爆で、「千貫デブ」という愛称が付いていた。我々の世界で言う「ファットマン」が該当する。長崎をキリスト教会と共に焼いた、あの太ったヤツだ。

 しかし、造ったのはアメリカ人でなく日本人で、この広島市内で製造され、呉港から中国大陸のほうへ運ばれた。港についた原爆はシルクロードを通り、カザフスタン西部の飛行場に到着した。そして、モスクワ行きのキ91重爆撃機に積みこまれ……。

 どのような経緯で大日本帝国とアメリカが同盟を結べたかや、プルトニウム型原爆を造れたかについては割愛する。いつか述べるときがくるだろう。


 原爆開発記念公園には原爆ドームは存在しない。あの広島県産業奨励館は十年ほど前に建て替えられている。我々の世界でいう原爆ドームは、「これ」ではコンベンションセンターでしかなく、老巧化による建て替えは滞りなく進められた。歴史的建造物として残すべきという意見は出たものの、結局は建て替えに決まった。

 そんな事情もあり、我々の世界にある平和公園とは大きく異なる。原爆の子の像は、八人の特攻戦士の像(彼らの爆撃機は、片道分の航続距離しかない)に置き換わっており、千羽鶴ではなく千人針を納める。公園の面積も半分ほどで、もう半分は住宅地が広がる(住民の多くは、我々や「それ」では存在していない)。

「あそこで燃え続けている炎は、被爆地モスクワから持ち帰ったものなんですよ」

ガイドがそう言うと、矢崎たちは驚くと同時に、聖火みたいだと感じた。モスクワが燃えた一九四八年から、今年で七十五年燃えている計算となる。

「私の話は以上で、三十分間の自由時間に入ります。園内にはまだ何ヶ所も見所がありますので、ぜひ見てきてください」

ガイドがそう締めると、矢崎たちの担任が「バスに乗るから、トイレを済ませておくように」と言った。公衆トイレはいくつもあり、ガラス張りの土産物屋にも一つ隣接している。トイレの所要時間を除いても、小学生には十分な自由時間だ。

「なあ、そこの店に行かないか? トイレの後でさ」

中野が矢崎に声をかけた。

「さっきのショップで何か買わなかったのか?」

「ああいう所の土産は少し高値にしてあるんだよ。実際そんな感じだった」

「なるほど、鋭いな」

矢崎は中野と土産物屋へ行くことにした。修学旅行一日目だが、嵩張らない物をいくつか買うのは悪くない。そこでしか買えない土産物もあるだろう。

 ちなみに、その土産物屋がある位置には、呉服屋のビルが建っていたはずだ……。つまり産業奨励館と同じく、「これ」では取り壊されている。



 トイレを済ませ、ガラス張りの綺麗な土産物屋に入る矢崎と中野。二人とも手持ちの金額を思い出しながら、グッズが並ぶ棚の間を進む。

 ただ言っておくと、公園や資料館の展示と同じく、土産物にも大きな違いがある。それもまあ不謹慎な類だ。

 特に目をひく物は、原子爆弾『千貫デブ』やキ91重爆撃機のプラモデルだ。モスクワ上空にそびえ立つキノコ雲のジグソーパズルもなかなか迫力あり、キリル文字が刻まれた頭蓋骨のレプリカも情緒ある。

「コレでいいや」

中野が手に取ったのは、オッペンハイマーとアインシュタインの顔写真がプリントされた二枚組のブックマーカーだ。つまり本の栞なので、貧乏な中野でも買えるお値段だ。

「……いくらか貸そうか?」

矢崎が小声で中野にそう持ちかけたが、彼は黙って首を横に振るのみ。余計なお世話だったと、中野は自分を恥じた。

 それは中野に伝わったようで、矢崎に「帰りの広島駅で払ってもらうかも」と言う。それに対して矢崎は、「わかった。財布にいくらか残しておくよ」と言い、中野に謝意を伝えた。

いざとなれば、彼らは懸命に助け合うだろう。約二ヶ月後に矢崎を襲う望美たちからすれば、ちょっとした厄介事には過ぎないが。


 レジへ向かう中野を見送った後、矢崎は帽子コーナーに立ち、良さげなデザインを探す。「それ」同様に、「これ」もなかなか暑く日差しが強い。帽子を買うのは悪くない考えだ。……しかし、タイミングが悪かった。

「矢崎、なあ矢崎」

いつの間にか出現していた田島が、矢崎に声をかけた。突然の声かけに、さすがの矢崎も驚きを隠せなかった。

「お、おいおい。周りに人がいるときに話しかけるなって」

矢崎は抑えた声で彼に言う。幸い、すぐ近くに人はいない。中野はレジ待ち中だ。

「ゴメンゴメン」

平謝りをする田島を尻目に、キャップを手に取る矢崎。その帽子のデザインは、二種類の原子爆弾のイラストをメインに据え、バイザー部分にはキノコ雲が何本も昇る。矢崎は微塵もためらわず、それを被ってみせる。田島や中野からの受けが良ければ、この帽子を買うつもりだ。

「……オイ、そんなの買うんじゃないだろな?」

田島の声は急変し、険しい口調と表情を露わにしている。彼からの受けが悪いのは当然だ……。

「いや、試しに被ってるだけだから」

矢崎は軽い恐怖を覚えつつ、別のキャップを試しにかかる。今度のデザインも、これまた不謹慎な類だ。骨組みだけのボリショイ劇場とそこで躍るガイコツのバレリーナのイラストが、キャップの正面に押し出されている。

 矢崎は田島の険しい顔を再び見た際、自分が生きる世界と田島のそれが、大きく異なるに違いないと悟った。また、第二次世界大戦について一度も話し合っていない点に気づく。

「どこに泊まるか聞いていいか?」

矢崎がそう尋ねると、田島は頷いた。それから矢崎がホテルの名を口にすると、「同じだよ」とだけ返す田島。険しい表情は今も続いている。

 そこでも話せるかは運次第だが、矢崎は交信できる気がした。それは田島のほうも同様だった。

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