「これ」 望美
二手に分かれた望美たちはその後、矢崎宅付近にある喫茶店で合流した。以前、矢崎が母親と共に来店していたおかげ庵だ。夕方になり、学校帰りの高校生たちが、店の前の歩道を自転車で走っていく。
望美たちは四人掛け席二つに分かれて座り、早めの夕食を取る。ざるきしめんやスパゲッティなどがテーブルに運ばれるなり、彼女たちは打合せを始めた。もちろん、声の大きさを抑えて。
「正面からではなく、裏の家から入ろう」
望美がそう提案すると、他の四人は顔を見合わせる。
「その家にも誰か住んでるのでは?」
対馬が言った。すると望美は、スマホの画面を対馬を始め、部下たちに見せていく。
画面にはグーグルマップのストリートビューが表示され、いぶし瓦が乗る古い平屋建てが映っている。その古臭い日本家屋の向こうに、矢崎宅が見える。彼の家も日本家屋だが二階建てで、屋根には釉薬瓦が乗っており、それほど古くない。
「さっき調べたんだけど、ジジイの一人暮らしよ。それにココを見て。家の壁と塀の間に隙間があって、ササッと抜けられるの」
望美はそう言った。確かに、大人でも楽に通過できるほどの隙間がある。
彼女の案は、矢崎宅に正面からではなく、塀を挟んだ反対側の家から侵入するという事だ。その家の敷地を通り、塀を乗り越えて、矢崎宅裏手の窓か勝手口から侵入する流れだ。そして、矢崎本人や家族を拘束し、マイクロマシンを除去してしまう。その後、「扉」まで逃げるだけだ。警察の追跡は、あの駐車場のトイレで途切れる。
「特に問題はないんじゃないッスか。けど爺さんとはいえ、大人が五人も入っていけばバレるんじゃ?」
三宅が言う。
別角度の写真をよく見ればわかるが、その壁面にはトイレと風呂場の格子窓がある。そのジジイが長い小便でもしていれば、通る望美たちにきっと気づくだろう。すると間違いなく、暇を持て余す年寄りは、彼女たちに怒鳴るなりする。望美かその部下が、うるさいジジイに発砲するのは間違いない。そうなれば当然、矢崎宅への侵入は失敗だ。
それにしても望美たちは、「これ」世界に到着した当日に、マイクロマシンの除去に取りかかるわけだ。矢崎宅への下見も、遠くから観察するすらしていない……。計画的に事を進めている亜実たちとは大違いだ。
「アンタは心配しなくて大丈夫よ。対馬が何とかしてくれるから」
「ええ、ワタシがお爺さんを相手します」
対馬はそう言うと、足元の紙袋を少し開き、中にある真っ白なワイシャツを見せる。合流前にオリヒカで買ったばかりの物だ。
「……なるほど」
何かを悟った三宅に、望美は「アンタには車で待ってもらうから」と告げる。彼は自分が見張りを任された事に不満を覚えたが、渋々納得してみせた。
望美たちは矢崎宅に一番近いコンビニで、今度は三手に分かれる。望美と鍋島および男部下一人は徒歩で、対馬はアクシオ、三宅はプロボックスだ。三宅は自身が盗んだばかりのアクシオを対馬に使わせる事に再び不満を覚える。だが、真っ白なワイシャツをタイトに着た対馬に「ワタシからもお願い!」と言われるなり、納得してくれた。男の哀しい性である。
彼女たちが現地に到着したのは十八時半頃で、矢崎宅への侵入作戦をすぐさま開始に移された。通行人のフリをしての偵察すら、彼女たちはしていない。矢崎が塾通いという点は望美も把握していたが、まさか日曜日も夜まで塾だとは考えなかった……。
対馬はアクシオを、件のジジイ宅の前に停め、インターホンを鳴らす。門扉の死角では望美と鍋島、五人目のメンバーである井上がしゃがんでいる。別行動の三宅は、矢崎宅付近で待機中だ。
カーポートに置かれたトヨタのクラウン(型落ち)は、フロントガラス以外すっかり薄汚れている。門扉から玄関の引き戸まで続く石畳は掃除されているが、前庭の草木は荒れ模様だ。枯葉を詰めたゴミ袋が庭の一角に積まれている。
「はいはい、どちらさん?」
ジジイは在宅していた。そのインターホンはカメラ付きじゃないが、対馬は既に表情を整えている。
「夜分に失礼いたします。『知多貴金属』から参りました、前田鶴子と申します」
対馬はペーパーカンパニーと偽名を名乗った。生命保険のセールスレディを想起させる、自信のある口調だ。彼女は二十八歳(望美は三十歳)だが、声色は若く聞こえる。外見も若く見られるほうだ。
「ああ、そういうのはお断りだよ」
ジジイがそう言うなり、対馬は「田中さん、少しのお時間で結構です。どうか、よろしくお願いします」
表札に記されていた姓で呼ぶ対馬。彼女は爆薬だけでなく、保険商品やらを扱うスキルも持ち合わせているらしい。
「……少しだけならまあ。玄関まで来てくれるか?」
「ありがとうございます。そちらへ伺わせていただきます」
妻に先立たれ、孤独な暮らしをほぼ一年中求められるジジイは、若い女性(男女ともにアラサーは、まだ若者のはず)の言葉に釣られ、話を聞いてやることにした。
インターホンの切れる音がした瞬間、対馬は望美たち三人へ指で合図を送る。望美たち三人は、対馬が門扉を開けるとその脇下をくぐり、前庭に伏せた。対馬が石畳を進む横で、三人は雑草を掻き分け匍匐前進。
「はい、どうも」
対馬が玄関の正面に立ってすぐ、引き戸がガラガラと右へ開いた。不用心なことに、ジジイは引き戸に鍵をかけていなかった。前庭で息を潜ませる望美たちにも、開錠音が鳴らなかったとわかる。
ジジイは地味な部屋着姿でいる。寝間着兼用なんだろう。彼は突然の訪問者である対馬を玄関へ招き入れる。若い女性ではなく中年男性なら、招き入れてはくれなかったはず。
「失礼いたします」
対馬は家へ入る寸前に、ピストル(グロック26)がトートバッグの内ポケットに収まっている事を確かめた。
蚊の侵入を防ぐため、玄関の引き戸が閉められる。前庭の雑草に潜む望美たちの存在に、ジジイはまったく気づかなかった。七月の黄昏が引き立たせる薄暗さが、彼女たちに味方してくれたのだ。
「対馬一人でも大丈夫ですよね?」
鍋島が望美に忍び声で尋ねると、彼女は静かに一笑した。
「相手はジジイだよ? 彼女もいざとなれば、腰の骨でも折ってやるはず。それより行きましょ」
望美はそう言うと、前庭を再び進み、家の外壁と塀の隙間に達する。耳を澄ませれば、玄関のほうから話し声が聞こえる。対馬はジジイ相手に、架空の純銀取引を持ちかけていた。ジジイはちっとも怪しんでいない。声や外見の若さを、彼女はまだ活かせている。
望美は部下二人と共に、暗く蒸し暑い隙間を慎重に歩いていく。矢崎宅の塀はもう見えていた。彼女は足を進めつつ、対馬がジジイに色仕掛けする光景を思い浮かべている。気色悪くニヤついてもいた。
実際に対馬は、豊胸手術で得た巨乳(CカップからEカップに)をジジイに見せつけ、話を終わらせまいと奮闘している。男は外見がいくら老いても、本能的に性欲までは衰えない者が多い。そのジジイもそういう次第だ。ああ、男の哀しい性である。