金色姫の嫁入り
本作品は『コトノハ薬局』の番外編です。これだけでも作品として読むことができます。
花鳥の、更紗小紋を被せられた麒麟の上から、兄である昴の声が降って来た。まだ寒い早春の頃である。悪夢を見たと怯える十歳の麒麟を、十七の昴が金色姫の嫁入りを見に行くぞと誘ったのだ。二人の関係は、この時期、ぎくしゃくしていた。
陰陽道の大家である菅谷家の長男・昴より、天稟ありと目される麒麟は、実力主義の父に何かと優遇されていた。当然、昴の胸中が穏やかな筈はなく、麒麟への当たりも、きつくなっていた。高校生という多感な年頃がまた、それに輪をかけさせた。
金色姫と言うのは、菅谷が仕切る土地の、位の高い妖怪の一族の姫君で、この春に龍神の神子に嫁ぐと言う話は、もう去年の秋から知る者には知れている。
「お前も興味あるだろう、麒麟」
「兄さん、この着物を被ってゆくの」
「そうだ。俺たちが嫁入りを覗き見たと露見したなら、大事になるからな」
「……怖い夢を見たんだ」
「夢は夢だよ」
「どうして正夢じゃないって言えるの」
麒麟が食らいつくと、昴は忌々しそうに舌打ちした。屈み込んで麒麟の頭に、更紗越しに手を置く。
「たまのをを、むすびかためて、よろづよも、みむすびのかみ、みたまふゆらし」
昴が唱えたのは言霊延命法で、長生きを願う強力な秘密の呪言である。
「ほら、どんな悪夢を見たって、これで怖くないだろ」
「……うん」
「金色姫はどうする」
昴は、麒麟の答えが解っていて、わざと焦らすように尋ねる。麒麟は、更紗小紋から顔を覗かせてそんな兄の顔を見た。鼻梁がすう、と通った、やや吊り目の昴の顔は端正で、それでいて、どこかしら力強さを感じさせる。この兄と一緒であれば怖いことはないと麒麟は思っていた。
「行くよ」
生来、白髪の麒麟は、昴の顔立ちに愛らしさを加えた風情で、女物の着物がそれを助長させた。弟の返事とその見た目に、昴は軽い笑い声を立てた。一昨日に降った六花の雪が、屋敷の庭にまだ解け残り、白磁の肌の美女のような様相を呈している。
その晩、二人はこっそりと屋敷を抜け出した。十重二十重に張られていた結界を、力ある兄弟は物ともせず通り抜けたのだ。麒麟は青緑のpコート、昴は黒いダウンジャケットの上に二人共、更紗小紋を羽織り、金色姫の一族の土地へと急いだ。冷えないよう、下にはしっかり厚着している。
季節を無視した鬼灯の、小さな小さな明かりが、道なりに光っていた。それを目印に兄弟は、花嫁行列を一目見ようとする人外の群れに混じり、溶け込んだ。鬼灯の明かりを端に、中央の道には白い石膏のような御影石が敷かれて、暗い夜に発光しているかのようである。しゃん、しゃん、と鈴の音が聴こえた。見上げれば金の鈴が宙に浮き、歌っている。向こうから、ぼんやりした光が近づいてきた。
角隠しを被り、手を引かれる純白の女性こそは金色姫である。その名の通り、金色の輝きが内側から漏れ出ている。髪の色も目の色も金色と聴いているが、目のほうは視認出来ない。しゃん、しゃん、と鈴は歌い続ける。
押し寄せた見物客たる人外たちも皆、それぞれに着飾り、繚乱の如くである。麒麟が心細くなり、右手を彷徨わせると、昴がその手をしっかり掴んでくれた。その温もりに、麒麟はほうと息を吐く。金色姫の嫁入りの間は、絶対に喋るなと昴は麒麟にきつく言っていた。喋れば常人とばれ、無事に帰れなくなるかもしれないからだ。
金色姫が通り過ぎた後は、如何なる仕掛けか、鬼灯は青や黄色や緑など、勝手気儘な色に染まり、上昇してはぱ、と消える。花火のような潔い美だった。やがて息をひそめる昴と麒麟の前を、金色姫が通り過ぎる。
その一瞬、金色姫の伏せていた目が動き、昴たちをちろりと射抜いた。金色姫の黄金の目。真っ赤な紅を刷いた唇がふ、と弧を描く。昴たちの心臓が、どくんと大きな音を立てる。正体がばれたかと焦る二人を置いて、金色姫は何も言わずに行ってしまった。鬼灯が、染まり、昇り、消える。昴と麒麟は我知らず止めていた息を同時に吐いた。
金の鈴の歌も、鬼灯の明かりも遠ざかって行く。見物客たちもまばらに散り始めた。昴は無言のまま、麒麟の手を引いてその場を去った。兄に手を引かれながら、麒麟はまだ夢見心地だ。この世には、あんなに美しい女性もいるのだと、幼心に素直に感心している。その夜のことは、昴も麒麟も大事な思い出として胸に仕舞った。
翌朝、父親が二人を呼び出した。
何事かと構える兄弟に、紅白の餅が差し出される。
「金色姫の使いが来てな。妖力の強い者からの縁起物だ。大事に食べなさい」
昴と麒麟は顔を見合わせた。やはり、金色姫はあの時、紛れ込んだ人間の兄弟に気づいていたのだ。二人して紅白の餅を昴の部屋で炙って食べる。仄かな甘味が癖になる美味しさだ。
「行って良かっただろうが」
「うん」
「まだ悪夢が気になるか」
「ううん。もう、全然」
「現金な奴だ」
昴が笑う。麒麟も照れたように笑った。
やがて成長した二人が疎遠になってからも、金色姫の美しさ、色とりどりの鬼灯、金の鈴の歌、白い御影石の記憶だけは、兄弟を繋ぐよすがの一つとなった。
作中の言霊延命法は『日本呪術全書』より引用。
お楽しみいただければブクマ、評価をお願いします。
ワサビさんへ。お年玉です。