水の神殿 4
〈第七感覚解除〉
海全体が泡となり、淡く光ったと思うと突然消え、三人の身体は急降下し始めた。
「危ない!」
だらりとしたまま落ちる様子を見て、シルクの意識がないことが分かる。力を使い果たした結果、ユウキとユキを守っていた障壁も消えた。
その瞬間二人は走り出し、ユキは高く跳躍した。シルクの体を空中で迎え入れ、そのまま威力を殺すように地上に降り立つ。
一方ユウキは前に飛び込みながらアルルをキャッチし、衝撃を殺すように地面を一回転した。
「シルクさん!大丈夫ですか!」
「......」
「アルルさん、聞こえますか?」
「......」
二人とも動かず、静かな時間が流れる。しかし、アルルの意識はすぐに戻り、ぱちりと目を開けた。
「ぷはぁぁ! 何! どうなったの! あら、シルクの腕じゃないわ! ユウキぃ! あなたなんで障壁から出てるのよぉ!」
突如としてギアがかかったアルルにユウキは驚きつつもほっと安堵した。そしてすぐに二人はシルクの方へ視線を移した。
「シルクぅ!」
「シルクさん!」
ユウキが駆け寄ると、アルルはぴょんと腕から脱出した。見れば、シルクの容態はあまり良くなかった。魔力不足と出血で、既に死に際まで衰弱しているようだ。目も虚ろで生気がない。
「ユウキ!治癒の矢ってまだある?」
「あと1本だけ」
「シルクぅ!死んじゃダメよぉ!」
シルクの胸で必死に叫ぶアルルに急かされるように、ユウキは矢を取り出した。
(お願い.....間に合って!)
〈幽玄:治癒の矢〉
シルクの細い腕に矢を刺すと、辺りに緑色の粒子が溢れた。ふわりと髪が揺れ動き、穏やかで暖かい光が皆を包み込んだ。
「......」
「シルク! シルクっ!」
虚ろだった目にだんだんと命が戻り、閉じかけた目がゆっくりと開かれた。
「シルクさんっ!」
安堵と嬉しさが込み上げ、ユキとアルルはシルクに飛びつくように抱きついた。その様子を眺め、ユウキもほっと胸をなで下ろした。
「......」
「良くやったわシルク。あなたが守ったのよ」
アルルの言葉にシルクはゆっくりと二人の顔を見た。ユキもユウキも無傷だ、ユキは少し涙目だが、元気なことに変わりはない。
「......」
「そうよぉ! シルクのお陰よ!」
その言葉を聞いた時少しだけ、シルクの暗闇を帯びていた目に光が宿ったように見えた。
「......」
「シルク......?」
ふとシルクの目線が二人から外れる。その先には、消滅しかけ、身体がほとんど残っていないエリザベートがいた。地面に倒れ、胴体と右腕くらいしか判別がつかない状態のまま、ただ静かに身体は粒子になって空へと昇っている。
「シルク......」
両者の決着がつく瞬間、シルクにはエリザベートの心が見えていた。それは残虐な魔族とは違う、弱く怯えた少女の姿をしていた。
彼女は今、きっと暗闇の中で助けを求めている。憎むべき相手であったが、何故か、シルクはエリザベートに同情していた。エリザベートは右手を空に伸ばし、何かを掴もうとしている。しかし、指先がふっと粒子に変わり、サラサラと消滅し始めた。
(暗い......冷たい)
消えていく身体とは相反して、エリザベートの心はまだ生きていた。痛みも感じず、身体の感覚も曖昧だが、心だけはずっと暗闇の中で動いていた。
(なに......この声)
"血の神様!"
"血の神様の降臨だ!"
自分を取り囲む大人達の姿が見え、エリザベートは思わず震えた。
"やだ! お父様! もうやめて!"
"何を言うエリザベート。お前は血の神様に選ばれたんだ。さぁ、もっと血を飲みなさい!"
"いやぁぁ!!"
複数の大人に抑えつけられ、無理やり口を開けさせられる。目の前に迫る金色の器には、血と血が混ざり合い、気味の悪い赤色の液体が満たされていた。叫び、抵抗するも、小さな体はぴくりとも動かず、なみなみと血を注がれたエリザベートは次第に異変を起こし、やがて目が赤く変わっていった。
"ぐ......むも......うぐっ......"
"おぉ!目の色が変わったぞ!"
"やはり、この子は選ばれし子だ!"
"おぇ......ぇぇっ......"
ねばりつくような液体が鼻と喉を蝕み、たまらず何度も嗚咽した。周りの言葉が聞こえぬほど、エリザベートは必死にもがいた。胸の中から全身に不快感が広がっている。吐き出さなきゃ、このままじゃおかしくなる、そんな思いとは裏腹に、部屋の中の大人たちは歓喜に満ち溢れていた。
"おい、目の色。戻ってきてないか?"
”......本当だ”
"やはり、一回ではダメか"
時間が経つにつれ、エリザベートを覆った不快感が消えていた。それと同時に周りの大人の目も冷たくなった。
"もう一度だエリザベート"
"......え?"
震える少女は顔を掴まれ、もう一度口を開けさせられる。
"いやっ!お父様......!"
再び注がれる血を飲み込んだところで、エリザベートは気を失った。そのまま目が覚めなければ良かったと、エリザベートは何ヶ月も続く儀式の中で幾度も願うことになった。いつまでも終わらない血飲み、抵抗すれば殴られるようになり、明らかに粗雑な扱いを受け続けた。
そして、更に数カ月が経つ頃には、エリザベートは半ば諦めていた。それどころか、大人しく血を飲めば、大人達が褒めてくれることに気がついた。
"エリザベート。お前は本当に自慢の娘だ"
"お父様......"
父に褒められることが嬉しくて、エリザベートはこれでも良いのかと思い始めていた。目は虚ろになり、乾いて割れた唇から伝う血、それでもエリザベートは笑っていた。
"これなら最後の儀式を始めても良さそうだな"
器の中にある血を飲み干した時、お父様はそんなことを言っていた。
"最後......?"
"あぁ、そうだ"
私の中に少しの希望が見えた。
今までの苦しみが実を結び、遂に認められたのだと思った。
"それじゃあ始めようか"
お父様はそう言って、仰向けに寝そべるように促した。
私は言われるがまま、ゴツゴツとした石の台座に寝そべり、天井を眺めていた。
"目も赤色のまま保たれている。それに綺麗だ"
"こんなに綺麗なのは類を見ないでしょうね"
大人達の言葉に、私は気を良くしていた。
これから何が起こるのかも分からず、ただ微笑んでいた。
"だが、まだ足りない。もっと綺麗になれる。そのための最後の儀式だ。出来るかエリザベート?"
"はい、お父様"
私は期待に応えたかった。
認められたかった。
自分が生きている意味を見いだしたかった。
"エリザベート、目を閉じないように"
"え......?"
腕を抑えられ、無理やり目を開かされ、私は少し戸惑った。
そして次に見えた光景に、私は自分の言葉を呪うことになった。
"お父様......?"
"さぁエリザベート、良い子だ"
お父様は血の溜まった金色の器を私の目に向けて傾けた。
"ああっ! あぁぁあ!"
ドロリと粘着のある液体が目にこびりつき、激痛が走った。
私はただ叫ぶだけで何も出来なかった。
"ほらっ!エリザベート!お前は血の神になるんだろう!"
私は血の神になる定め、だからこんな苦痛も乗り越えなくてはいけない。
もっと血を、もっと赤く、そうじゃないと私は褒められない、認められない。
"もうやだっ! やだっ!"
声に出した時、私は今まで抑えていた感情が溢れ出した。自分でも意識していない心からの言葉だった。
あれだけお父様に認められたいと頑張っていた日々が、瞬時にして崩れ、ただ普通に暮らしたいという気持ちに気が付いた。
こんな日常をいくら頑張って乗り越えても幸せにはならない。
目を失い、今までの日々から逃れたことで、ようやく自分の心が見えた。
狂っている。
大人達は、もう救いようがない。
そして、この小さな部屋の中で、私自身も狂うところだった。
”誰か......”
その後どうなったのかは覚えていない。助けが来たのかも、どうして自分が魔族になったのかも。気づけば大勢の人間を殺す日々を送っていた。
「助けて......」
苦しい思い出から目覚め、エリザベートは小さく呟いた。
ここで命が尽きて終わる、それを自覚した途端、自分の人生が滑稽で惨めに思え始めた。
ただ、愛されたかった。
それだけのことが歪曲し、憎しみに染まり、人間を殺し続けていた。
「大丈夫よ」
不意に声が聞こえ、エリザベートの暗闇に光が差した。
その先には先ほどまで死闘を繰り広げていたシルクの姿があった。
シルクはふらふらと歩き、エリザベートに手を添えていた。
「あなたはきっと大丈夫」
アルルが静かに話し続ける。柔らかく、相手を許すような優しい声だった。
「どうして......」
「勘違いしないで、あなたを許したわけじゃない」
シルクは悲しげな顔をした。当然だろう、エリザベートも納得していた。
それでも、こうして側に来てくれた、それだけでエリザベートは嬉しかった。
「ごめんなさい......」
ぽつりと呟き、エリザベートは目を閉じた。
これだけ穏やかな気持ちが今まであっただろうか。
ぬるま湯にゆったりと浸かっているように暖かい。
このまま眠りたい、そう思った。
"それでよいのか?"
ぐいっと首を掴まれ、エリザベートは光から遠ざけられた。
「何っ? 誰!」
行き着いた先は光の届かない深淵だった。
足元は足を取られてしまうほどの血で満たされている。
転びそうになるのを堪え、エリザベートは自分の身体があることに気がついた。
「ここはどこ......」
"ここはお前の心の中だ"
「っ!?」
頭に木霊する言葉にエリザベートは辺りを見渡した。暗闇に目を凝らすも人らしき気配はない。
「これが、私の心の中......」
"そうだ、そして......"
じゃらじゃらと鎖のような音が聞こえ、エリザベートの視界は開けた。
二、三メートルはあるであろう、巨大な女性がこちらを見下ろしていた。
"望めば、余がお前を助けてやる"
両手に鎖が巻き付いているが、ギギギと今にも千切れそうな音がしている。
両目は包帯で塞がれているが、エリザベートは全身が震えるほどの恐怖を受けていた。
"どうした? 余の力があれば、あいつらを殺すことなど容易い。生きたくはないのか?"
ぬるりと近づいてきた顔、幾重にも重なって聞こえる声がその不気味さを、エリザベートを揺さぶった。
生きたい、それはそうだ、このまま死ぬわけにはいかない。
「......」
だがそれでも、エリザベートは決断できずにいた。胸の中にぽつんと、温かさが残っている。
それに触れると不思議とまた、穏やかな気持ちになった。
「......だ」
"ん〜?"
「私には無理だ......生きたいが......そうすればこの温かさは無くなってしまう」
ぽろぽろと涙を流し、エリザベートは言った。この光を失うことは、死よりも恐ろしかった。
"そうか......残念だ"
長身の女は俯き、沈黙の時間が流れる。が、次の瞬間鎖を引き千切った手がエリザベートの喉を掴んだ。
「かはっ......!」
"それなら、無理やり身体を奪ってやろう!"
ぎりぎりと締まる音が脳に響き、視界がだんだんと狭まっていく。
抵抗する暇もなく、意識が遠のき、そこで初めて、エリザベートは大女の正体に気がついた。大女の包帯がするするとほどけ、黒塗りのような深淵がエリザベートを見つめていた。
「お前......は......まさか」
"そうだ、余は"
〈第七感覚:月穢しの巫女〉
崩れかけたエリザベートの体が突如眩い光を発し、側にいたユウキ達は宙へ投げ飛ばされるほどの衝撃を食らった。
「なに!なによお!」
「っ......」
「きゃっ?!」
各々回避行動に移るものの、突然の事態に対応できたのはユキだけだった。
軽やかに着地したユキと違い、ユウキは地面を何度も転がり、シルクも着地しようと身を翻したが、壁のように積もった神殿の瓦礫に叩きつけられた。
「ユウキ、大丈夫?!」
「痛......」
「シルクさんも!」
「シルクぅ!!」
「......」
心配したのもつかの間、駆け寄ろうとしたユキの背に強烈な殺気がぶつけられた。
「っ......?!」
咄嗟に反転し、身構え、エリザベートのいた場所を睨みつける。
衝撃で生まれた煙がだんだんと晴れ、エリザベートの姿が見え始めた。
「あぁ......やっと自由になれた」
エリザベートは、右腕を上げ、まじまじと見つめていた。
姿は人の形をしているものの、額には黒い角が二本生え、長くしなやかな尾を揺らし、背には竜のような硬い翼が広げられていた。
(なに......あれ......)
ぞわりと全身を撫でる恐怖に、ユキは凍りつくような寒さを感じた。
カチカチと歯が鳴り、構えも形だけのもので腰が引けている。
「この鱗......美しい......そうは思わないか?」
エリザベートの腕には魚のような鱗がついていた。キラキラと光を反射し、幻想的な見た目は、美しさと優雅さを兼ね備えていた。
しかし、それすらも上回る恐怖にユキは固まっていた。
「余が聞いておるのだ、答えよ」
瞬間的に距離を詰めてきたエリザベートは大きく腕を振り上げ、ギラリと爪が光った時、ユキはただ呆然とそれを眺めていた。絶対的頂点にいる捕食者を前にして、ただ死を受け入れるように、ユキは完全に戦意を失っていた。
迫りくる爪が振り下ろされ、鮮血が走る。衝撃で地面には無数のヒビが入り、神殿が大きく揺れた。
「なんで......」
咄嗟に瞑った目をゆっくりと開き、ぽつりとユキは呟いた。
痛みはない、爪はユキには命中していなかった。
自身を覆うように抱きしめ、ユウキが庇ってくれていたからだ。
「っ......く!」
「ユウキ!」
ユウキの体を抱き寄せ、ユキは必死に声をかけた。背に広がる傷跡から血が溢れ、耳元で浅い呼吸が聞こえる。
「ん〜?殺すつもりだったのに、おかしいの」
エリザベートは地面から爪を引き抜き、自身の右手を訝しげに見つめた。
「まだ身体に慣れておらんようだ......まぁよい、今度こそ殺してやろう」
大きく振り上げられた右腕をユキは見つめるだけだった。わなわなと震える子犬のように、ただユウキを抱きしめているだけだった。
〈水魔法:水歌の槍撃〉
爪が振り下ろされる瞬間、突然飛来した魔法がエリザベートの横顔に直撃した。
しかし、与えた衝撃はさほどないようで、エリザベートの顔を少し傾けた程度で消え去った。
「なんだ、お前から死にたいのか」
「ユキぃ!早く逃げなさい!」
見ればシルクが震える手で魔法を詠唱しているのが見えた。
アルルも叫び、こちらに逃げるようにと言っていた。
エリザベートはぐるりと体をシルクの方へ向け、ゆったりと歩み始めた。
その様を見ていながら、ユキは動けなかった。
「あ......」
伸ばした手の先で、エリザベートの背中がゆらりと動いた。放たれた魔法を全て弾き、シルクの目の前へと迫り、一瞬の沈黙の後、肉が貫かれ、血が飛ぶ音がした。
「シルクっ!」
「......」
シルクの心臓がどくどくとエリザベートの手のひらで動いていた。
体を貫通した腕は真っ赤に染まり、小さな体をしたシルクはまるでゴミでも捨てられるかのように、地面に投げられた。
「シルク!シルク!」
「人形風情が騒々しい」
「ぎゃっっ!」
手に握り締められていたアルルは、すぐに胴と頭を切り裂かれ、綿と共に地面に散った。
「あ......あぁ......」
ユキは伸ばした手をだらりと下げ、あまりにも一瞬で失われた命に涙を流した。
「私のせいだ......私が動いてたら」
自分が動けていれば、そんな無念と後悔が重くのしかかった。
「脆い......人間とはこんなにも弱いものなのか......なぁ?」
心臓を握り潰したエリザベートはこちらへ振り返った。赤く滴る血が地面を染め、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「ひっ......!」
向けられる赤い眼光におののき、身体を震わせた。
殺される、ただそのことだけしか頭の中に浮かばなかった。
「ユキ......泣かないで......」
耳元で小さく声が聞こえ、ユキの思考はつかの間、恐怖から解放された。顔を見合わせるように抱え、ユウキの目をじっと見つめる。
「ユウキ......」
「大丈夫......僕に任せて」
ユウキは震える手を伸ばし、ユキの目元をそっと拭いた後にそう言った。優しくそして穏やかな笑みだった。
しばし見つめ合った後、ユウキは何かを決心したようにエリザベートの方へ顔を向け、右手を伸ばした。
軽く握り、親指は水平に構えられている。
そして、いつの間に現れたのだろうか、その上にはコインが光っていた。
「エリザベート......死んで」
言葉が終わると同時にユウキはコインを上に弾いた。
キィインと大きな金属音が鳴り響き、一同の視線はコインに釘付けになった。
不思議と動こうとする気も起きず、ただ黙ってコインが落ちるのを眺め続けることしか出来なかった。
チャリィン!と再び音が広がると、地面に落ちたコインは、何度も回り、やがて勢いを失って止まった。
「良かった、表......」
ユウキの言葉を皮切りに、呼吸さえ忘れていたユキとエリザベートは意識を取り戻した。
「人間、何をした!」
あまりにも異質で不気味な行動に、エリザベートは声を荒げた。
しかし、ユウキは答えなかった。それどころかだんだんと静かに目を閉じ、ぐたりと気を失った。
「ユウキ!」
「もういい、殺してやる!」
大きく振りかぶった爪を見て、ユキはユウキを庇うように抱き寄せた。
「ぐっ......」
しかし、爪はいつまで待てど振り下ろされることはなく、恐る恐るエリザベートを見ると体が震えて痙攣していた。
「な......なんなのだこれは......」
口から吐血し、目、鼻、耳からも血が流れている。
崩れ落ちるように膝をつき、エリザベートは自身の両手を眺めていた。
「馬鹿な......余の身体が......」
バラバラと両手が粒子に変わり、空へと昇り始めた。
それを必死に掴もうとエリザベートは手を伸ばすも、今度は腕が崩れ、粉雪のように舞い散った。
「ようやく......ようやく身体を手に入れたのだぞ! こんなこと......こんなこと......認めぬ!」
空へ向かって吠えたその瞬間、頭から崩れ去り、エリザベートは跡形もなく粒子に変わり、消滅した。
「......え......なに」
残されたユキはその状況を目の当たりにしても理解が出来ず、困惑した表情のまま固まった。
「何......何をしたのユウキ......」
やっと息を吸い、そう言葉にするだけで精一杯だった。
ユキの腕の中で眠るユウキは答えない。
しかし、あれだけの動作と言葉だけで、魔族が死んだ、それだけは疑いようもない事実だった。
そして役目を終えたコインはエリザベートと同じように粒子に変わり、その場から姿を消した。
「そうだ......シルクさん、アルルさん」
ハッと思い出し、ユキはシルクとアルルの方を見た。
やはり夢でもなく、二人は見るも無残な死を迎えていた。
既に手遅れなことは明らかであり、ユキにはどうすることも出来なかった。
悲しみに暮れていると突然、ゴゴゴと重い音と共に神殿が揺れ始めた。
「なに......きゃっ!」
神殿は崩壊を始め、大きな瓦礫がユキの近くに落下してきた。
潰されればひとたまりもない重さ、ユキはすぐさまユウキを抱きかかえ、持ち上げた。
「シルクさん......アルルさん......ごめんなさい」
遺体に軽く礼をしユキは走った。
神殿の入り口まで真っ直ぐ、時折進路を防ぐ瓦礫を避けながらとにかく走り続けた。
「大丈夫......ユウキ、大丈夫だから」
震えが残った足から力が抜けそうになる度、ユキは必死に声を上げた。
小さく、途方もなく遠く見える出口の光を見つめ、ただ闇雲に足を動かし続ける。
しかし、広場の扉を目前にして、目の前を瓦礫で埋め尽くされてしまった。
「嘘......」
ここを抜ければ後は、入り口までの長い廊下が残されるているのみだったが、ユキの足はそこで止められた。
「......」
考えている余裕はなかった。
今でも床が揺れ、近くに天井の残骸やらが落ち続けている。
「っ......!」
夜空の光が差し込んだかと思えば、天井の一部がユキめがけて落ちてきていた。
素早く、そして優しくユウキを床に置き、天井から降り注ぐ瓦礫に目を向けた。
「はぁぁぁ!!」
ユキは、気合と共に拳を放ち、迫りくる岩盤を次々と打ち砕こうとした。
しかし、神殿に使われた素材は分厚く、何度も叩いてようやく割れるくらいに硬かった。
そのため、一つ二つの瓦礫は割れても、降り注ぐ目の前の瓦礫は数を増やす一方だ。
「ユウキ!」
がらがらと攻撃から抜けた岩が降り注ぎ、ユキは咄嗟にユウキに覆い被さった。自身の左腕を後頭部に回して頭を守り、なだれ込んでくる瓦礫にひたすら耐え続ける。たった数秒の出来事が終わると、ユキは頭を下げ、項垂れた。
ボロボロになった左腕と背に刺さった瓦礫の破片、ユキもユウキも足を挟まれ、鈍い音と共に激痛が走った。
「っ......!」
奇跡的に岩が空洞のように積み重なり、なんとか押しつぶされずにいる。しかし、状況は刻一刻と悪くなり、頭上で徐々にその空洞が崩れ始めているのを感じ取れた。
(どうしよう......このままじゃ)
救助が来る望みは薄く、そもそもいつ他の瓦礫が降ってくるか分からない。
「......」
ふと目に入ったユウキの顔は、穏やかであった。
しかし、実際は今にも消えそうな浅い呼吸と酷い出血で一刻も猶予はない状態である。
無理に足を動かしてみても瓦礫から抜ける様子はなく、体勢的に取り除くこともできない。
そして、悩む時間も与えられず、神殿は再び揺れ動いた。
咄嗟に頭を守り、ユキは冷静に外の様子を探った。ガラガラと何かが崩れるような音と、遠くで重いものが落下した音が聞こえ、また天井が崩れたのが分かる。
「水の音......?」
しかし、一つだけ違う音が聞こえた。
かすかに聞こえたそれは、その後徐々に大きくなり、荒れ狂った渦のような音へと変わっていった。
「なにっ?」
刹那、大量の波に飲み込まれ、二人は瓦礫ごと流され始めた。
「ごぽっ! ゆぅぎっ!」
視界は全て水で埋め尽くされ、強い水流のせいでユウキを見失ってしまった。
さらに瓦礫が波の中で暴れ、時折ユキの身体に直撃する。されるがまま何度も壁や床に打ち付けられながら、ふいにふわりと身体が浮き上がる感覚に襲われた。
外だ、空気が変わり、入口から噴水のようにあふれた水に乗りながら、ユキは不思議と神殿の方に目を奪われていた。きらりと視界に触れた光に導かれるようにそれを見ると、シルクとアルルが空へと昇っていくのが分かった。
霊体のように透けた姿と遠くなのに耳元で聞こえる声。
”ちょっと荒っぽいけど最後の助けよ! 絶対に生き残りなさいよぉ!”
二人の姿が消えると同時に、光はなくなり、ユキは水流ごと地面へと叩きつけられた。
「ぐぅっ......!」
バラバラと周りには岩が降り注ぎ、ところどころでがらりと崩れる音が聞こえる。
「う......くぅ......」
外の天気は荒れ、雨が降り注いでいる。風も強く、落雷が聞こえるような天候だ。波に揺さぶられた頭をどうにか持ち直し、ユキは辺りを見渡した。見れば瓦礫だらけの惨状と、ユウキがどこにもいないことに気が付いた。
「どこ......」
ゆらりと立ち上がり、ユキは歩き始めた。既に足は折れているのか、引きずって進むのが精一杯であった。時折大きな瓦礫にもたれかかり、積み
重なった岩の間を注意深く見て回った。
しかし、どこにもユウキの姿はなく、ユキはまた別の場所に向かって歩み始めた。
「......!」
大きな岩を迂回した時、散らばった瓦礫の陰から腕が見えたことに気が付いた。その瞬間痛みを我慢し、ユキは全力で走り寄った。と言ってもその足取りは、よたよたとぎこちなかった。
「ユウキ......!」
倒れこむように腕に寄りそい、ユウキの姿を確認する。幸いなことに瓦礫はユウキには当たらなかったようだ。依然として危険な状態なことに変わりないが、岩に潰されてしまうという最悪の状況を避けられたことに安堵し、ユキはユウキを抱き寄せた。
そのまま、瓦礫の山に背を預け座り込み、出来るだけ雨風にさらされないよう、頭を覆ってあげた。
「......」
ざあざあと雨の音だけが響いている。空を見上げる気力もなく、ユキは俯いていた。ほっと息をついてからというもの、今の状況は考えられないほど絶望的だったからだ。
孤立した状態で帝国領からの距離も遠い、現実的に帰る手段がない。まして、ユウキの状態は一刻を争う。頼みの綱のQもどこにいるのか分からない。そもそも生きているのかさえ、知る術はなかった。
バシャッ。
このままどうすることも出来ないのかと思い始めたその時、誰かが地を踏んだ音が聞こえた。嫌に耳に響く音に反応し、ユキはその音の出所を探った。場所は後方、ちょうど瓦礫で見えなくなった向こう側にいる。
野生動物かとも考えたが、どうもその足音はこちらへ歩いているような、そんな気配だった。こんな場所に誰かいるのかと、ユキは瓦礫の陰からそっと様子を窺ってみた。Qさんであれ、そう願ったが現実は違った。
「......?!」
赤い瞳が夜の闇に浮かんでいたのだ。ちらりと見ただけなのに背筋が凍り、ユキはすぐさま顔を引き戻した。魔族の目だ、姿は見えなかったがあの目は明らかに敵だ。迷うことなく進んでくる足音に、こちらの位置は既に掴まれていることを悟る。
油断していた。満身創痍とはいえ、音が聞こえるまで相手の気配に気づけなかった。どうやって逃げるか考える暇もほとんどない。
「はぁ......はぁ......」
ユキは深く呼吸を繰り返し、やがてユウキを優しく地面に寝かせた。出血を抑える術はないが、少しでも助かるようにうつ伏せにして、そっと頬を撫でた後、ユキは瓦礫の陰から相手の様子を窺った。
音は間違いなくこちらに近づいてきている。あと数歩もすれば真横に辿りつくことだろう。
パシャパシャと近づく音がやがて心音と重なり、ユキは拳を強く握りしめた。もう助からないかもしれない。それでも、シルクさんとアルルさんが繋いでくれた命をみすみす渡すわけにいかなかった。
パシャッ。
あと一歩、その現実が迫った時、ユキは拳を引き、低い姿勢のまま瓦礫から飛び出た。
「......?!」
しかし、その手は止まり、ユキは驚きのあまり固まった。
「お主こんな所で何をしておるのじゃ?」
「マリー......さん......?」
魔族特有の赤い目がこちらを見下ろしていた。




