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完璧で超人で最強の元カノ  作者: Leica/ライカ
第五章 神殿編
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水の神殿 2

「もしかして勝てると思ってるのかしら」


手で顔を覆っているが赤い目だけはこちらを睨んでいる。怒りに満ち溢れた冷たい目だ。ずるりと重たい殺気がこちらに伸び、体の隅々まで突き刺さる。


う......この殺気......重い.....けど


”君たちに今から思いっきり殺気をぶつける。これを毎日行っていけば魔族と対峙してもある程度は耐えられるはずだよ”


二人は天心の言葉を思い出す。ふんっと気合を入れ直し、地に足をつけて踏ん張った。殺気に当てられドクドクと高まっていた鼓動が、静まっていくのを感じる。


「ユウキ、お願い」

「うん、任せて」


それだけの会話を交わし、二人は動き出す。あくまで訓練と同じように、静かな動作で構えに入る。滴る水すらも感じるように、極限まで神経を張り詰め、ユキの目はだんだんと透明に変わっていった。


「........」

「........」


両者の睨み合いは、ユキの足運びを合図にほとんど同時に動き出した。


頭......!


パッと浮かんだ言葉よりも早く、ユキは身を屈めた。頭上をエリザベートの突きが通過する。


右......


頭上を空振りした爪はそのまま頭部目掛けて振り下ろされ、空いたもう片方の爪が胴体を狙って迫りくる。単調な攻撃からこちらを舐めているのが分かる、この程度の攻撃で死ぬだろうと見下されているのだ。


ゆっくりと流れる世界でユキはそんなことを考えていた。舐められているが、訓練がなければこの程度でも反応できずにいたことは事実であり、それにも関わらず魔族と戦おうとしていたことに、ユキは自分のことながら怒りを覚えた。


<幽玄:反転の矢>


放たれた矢はエリザベートの両手に当たり、腕は振るった方向とは逆に弾き飛ばされた。


「はぁぁぁ!!」


〈闘魂:鬼炎蓮花(きえんれんか)


加速した拳が炎を纒い、驚きを隠せないエリザベートの顔を叩き潰す。それだけでは止まらず、残像が残るほどの速度で攻撃を続けた。衝撃を置き去りにし、打撃音すらも置き去りにし、エリザベートは殴られているのにその場に立ち尽くし、成すすべもなく打たれ続けている。


一打一打に思いを乗せ、拳は更に加速していく。十、二十と連打した後、右手を大きく引き、足を踏み込む。腹部を叩き上げるように最後の一撃を叩き込んだ。


「かはっ......!」


その瞬間、今までのダメージが具現化したかのようにエリザベートの体は燃え上がり、はるか遠くの壁まで吹き飛ばされた。


「すぅ……ふぅぅ」


大きく息を吸い、吐く。燃えた拳は構えを正すと消え、ユキは次なる攻撃のために心を落ち着かせた。


「凄いわ……」


アルルは二人の行動に息を呑み、ただポツリとそう呟いた。既に第六感覚を使いこなし、敵の攻撃を回避することにも驚いたが、アルルとシルクの視線はユウキに移っていた。透明に変わった目、ユウキもまた第六感覚を使っていた。


数ある第六感覚の中でも異質だと聞いていたが、目の当たりにするとそれを実感できた。あらかじめ予期していないと間に合わない距離に寸分違わず当てる精度。未来が見えると言われても不思議ではなかった。


恐ろしいわ...本当に


二人の実力がここまで伸びたのも生まれ持った素質と信念があったからだろう。とてつもない成長速度。今も尚エリザベートの動向を窺う二人の冷静さに、アルルは少しだけゾッとした。


「はぁ......?」


ガラガラと瓦礫から這い上がったエリザベートは吐き捨てるようにそう言った。燃え広がる傷は鎮火し再生し終わっている。大したダメージにはなっていないが、何か気に食わない様子だ。


「この感じ......もしかしてあなた鬼の一族?」


再生し終わった手を眺め、ユキに視線を送る。


「鬼...?」


自身への問いにユキは眉をひそめる。質問の意図が見えない、鬼と言えば本の中の物語では有名な種族だが、当然自分は鬼などではない。額に角などないし、常人離れした再生能力も戦闘力もない。


あくまでおとぎ話としてしか知らず、今現在においてそのような特徴を持つものは見たことも聞いたこともない。そのためユキを含め、その場にいる皆が困惑した。


「忌々しい...とっくに根絶したと思っていたのに」


しかし、エリザベートは何かを確信したのか、ぶつぶつと呟き、顔を俯かせる。そして次の瞬間、ガリッと小さな音を立てて、右手を噛み始めた。手首に近い部分が血まみれになり、静かに床に滴った。


「あぁ......あぁぁ」


息を吐きながら出す声は廃人のような狂気を帯びていた。威圧とはまた違った人間の闇を見ているような気がして、一同は恐怖した。


「...........はぁ」


口元が血で染まり、ようやく落ち着いたのかエリザベートは小さく息を吐いた。


<血雨:単葉の鉤爪>


一呼吸置いた後、体を沈め横に大きく爪を振るった。赤黒い斬撃が形作られ、すぐさま加速する。腰よりやや低い位置、斬撃の後ろに隠れながら突き進んでくるエリザベートは、既に次の動作のために動き始めている。


跳べば狙われる。明らかに分かりやすい攻撃だが、ユキは前に跳躍していた。右手を引きこちらも攻撃の動作をしながら飛び込む。


斬撃は難なく回避出来たが、体は宙に浮いている。隙だらけの状態に、シルクは咄嗟に障壁を張ろうと手をかざした。しかし、一瞬早く横切った青白い閃光に目を奪われ、動きを止めた。


<幽玄:流星の矢>


神速にも似た速度は、まるで空を駆ける流星のように光り、ユキの左胴すれすれを通過し、エリザベートの目を貫いた。貫通した青い光は、勢いを落とすことはなく、渦を巻きながら壁へと当たって飛散した。


「がぁぁっ!!」


ユキは悲痛に叫ぶエリザベートの顔に容赦なく右手を叩き込み、空中で体を捻った勢いそのまま、強烈な足技を食らわせた。直撃と同時にエリザベートを足蹴にし、起用に後方へと飛びのく。そのバレエのようなしなやかな回転は戦いの中であることを忘れてしまいそうだった。


<水魔法:水歌の槍撃(アクアジャベリン)


言葉はなくとも連撃のチャンスと捉え、シルクは魔法を詠唱した。倒れこむエリザベートの地面から鋭い水が無数に生まれ、槍の形を作り上げた頃には全身をくまなく刺しつくしていた。


磔のように宙に浮くエリザベートを警戒し、三人は次の一手を考える。この程度の攻撃では止まらない、次は何をしてくるのか。勝てなくても、撤退させるだけで良い。反撃を上手くしていけば良い。このまま、このまま。そんな考えが三人の中で、希望として湧き出た瞬間。


「あははっ!」


槍を伝った自分の血で真っ赤に染まる地面、それを楽しそうに眺めるエリザベート。今までで一番の笑みは心底楽しそうで、魅力的で、そして恐ろしかった。


溢れ伝う血が、槍を真っ赤に染めると、魔法は淡く消え、エリザベートはぐしゃりと倒れこんだ。地面の血を舐め、愉快そうに立ち上がると、右手を大きく天に向け、勢いよく自身の左腕を斬り落とした。


吹き出る血は更に地面を濡らし、三人は思わず距離をとった。神殿内を塗るように踊り狂い、赤くなった部分は広がり、徐々にこちらにも伸びてきている。


「な、なにしてるのよあれ!!」


不気味に笑い続け、奇行を続けるエリザベートを指さし、アルルは叫んだ。重たい液体の音が間近で鳴るとふぎゃぁと鳥のような悲鳴を上げ、手足をパタパタと動かした。


「ヤバいわ!!仕掛けてくる気よぉ!」


踊りをやめたエリザベートは瞬時に左腕を再生させ、ぴたりと動きを止めた。目を閉じ、掲げられた左腕と綺麗な佇まいは、芸術作品にありそうな優雅さを醸し出していた。


赤い目がこちらを覗き、静まった緊張が再び張り詰めた。


<血雨:狂葉の鉤爪>


闇雲に切り刻む爪が斬撃を生み、四方八方を全て傷つけていく。先ほどと何ら変わりない攻撃であったが、一つだけ違うことがある。地面を満たす血が斬撃と共に跳ね、やがて弾丸のように加速し始めたのだ。


一つ一つは小さな弾だが、それ故に見えづらく、赤黒い物体がいきなり目の前に現れ、致命傷こそ与えないながらも、動作を一瞬遅らせてくる。


「あぶなぁぁぁい!!」


すぐ真横を切り裂いた衝撃にアルルはまた声を上げた。シルクはそんな悲鳴をお腹に抱え、冷静に魔法を詠唱した。水の槍をくるくると回し、血の塊と斬撃を最小限の動きでいなしていく。


横目で二人を確認すると、ユキとユウキも各々の方法で回避に専念していた。思い切り地面を踏み、衝撃で弾を殺し、風の矢を使って軌道をずらし、第六感覚の力を駆使して斬撃を上手く避けていた。


最初の不意打ち以外、致命傷になる斬撃は言わずもがな、あの小さな血の散弾も受けていない。実践慣れしている者でもこれほど早く対応するのは至難の業だろう。褒め称えるべきものだったが、エリザベートにとっては面白くない状況であった。


人間如きが......どうして


水の魔法を操る少女も先ほどと違って冷静で、魔法の精度が高い。褐色の少女は純粋に身体能力と反射神経がずば抜けている。不意打ちでも同じ手は食らわないのが見て取れる。


なら、狙うべき相手は一人。エリザベートの視線はユウキへと向いた。矢を連続で放つ見たこともない武器と目につけられた奇妙な装置。恐らく接近戦は得意ではなく、視覚に頼った動き方をしているのも見て分かる。


何か視界を塞ぐような、あるいは目で見ても反応出来ない攻撃か、どちらにしろ反射神経で対応してくる他の二人よりかは幾分かましな相手だろう。


<血雨:単葉の鉤爪>


爪を振りながら三人を分析し、今度は大振りな一撃を繰り出す。狙いは三人の足元、しかし大きく退かせる必要はない。あくまで今の位置のまま、斬撃が当たって発生する煙に紛れられればそれで良い。


斬撃はこれまでで一番速く、一瞬で狙った位置へと到達し、瓦礫と共に大きな煙が生まれた。土や石を含む濁った煙を三人は避けることもなく、ただそのままのみ込まれる。


「何も見えないわぁ!!」


ユウキは、アルルの語尾の上がる叫びすらも耳に入らないほどの集中力で目の前の煙を凝視した。感覚で位置を把握出来ないユウキにとって、頼りになるのは目につけた機器のみだった。相手の魔力を検知し、煙の中から朧げにエリザベートの姿を見つける。


”君の弱点は目に頼り過ぎていること。もちろん、それが長所でもあるけど。実戦ではまず間違いなく見透かされる。だから、こんな訓練をしようと思う”


そう言って笑う天心は、今と同じように煙で視界を塞ぎ、大小様々な魔力を囮として使い、どれが脅威か、魔力のない部分をどう判断するのかを徹底的に特訓した。


当然、シルクとユキはエリザベートの位置を把握している。既に攻撃態勢に入り、止めは任せたとでも言いたげだ雰囲気だ。


<水魔法:水歌の鉤爪(アクアバインド)


地面から鱗のある手が伸び、エリザベートの脚を捉えた。抵抗も虚しく立ち止まるエリザベートにユキが畳みかける。姿勢はやや低く、右足を踏み込み、強烈な肘をみぞおちに繰り出す。


<闘魂:鬼薊(おにあざみ)


脚を捉えられ、やや前のめりになっていた姿勢を一撃で元に戻す。綺麗に静止した状態なら、たとえ煙の中でも頭の位置を把握しやすい。ユウキは反動を抑えるために膝をつき、一点を狙って引き金を引いた。


<幽玄:心血の矢>


リンと甲高い音が鳴る。矢が通った道は煙が晴れ、赤黒い閃光がぴったりと頭の位置を貫いた。エリザベートの首から上は綺麗になくなり、残された体は攻撃の途中で止まっていた。


「え......?」


最初に違和感に気付いたのはユウキだった。晴れた煙から見えるようにエリザベートの頭はない。しかし、矢が当たった感触がないユウキは、一人何が起こったのか理解出来ずにいた。


残された体はかすかに揺れ、攻撃しようとして伸びた腕がユキの頭上で止まっている。


「ばぁ...!」


そこまで理解した途端、煙の中から生首が現れた。嫌にゆっくりとその光景が見え、赤い目が間近に迫るのも、狂気的な笑みを浮かべているのもはっきりとユウキの脳裏に焼き付いた。残された体は粒子のように消え、代わりに生首の元に集まる。


「っ......!」


膝をついていた状態からすぐに後方へと飛びのく、バランスを崩しながら、目の前を通過する爪を目で追う。右手の爪は回避できたが、既に左手の爪が突きの構えをとっている。


無理な体勢から上体をひねるも、急所をずらすのが精一杯であり、無情にも肩を貫いた。


「あぁぁ!!」

「ユウキ!」


異変に気付いたユキとシルクが瞬時に振り向く、追撃を試みるエリザベートの姿を捉え、シルクは魔法を詠唱した。


〈水魔法:水歌の剣撃(アクアブレイド)


生み出された剣は綺麗に両腕を斬り落とし、その隙を逃さず、ユキの脚が、エリザベートを遥か先の壁まで蹴り飛ばした。残された腕が淡く消えるのを確認し、ユウキに駆け寄る。


「ユウキ、大丈夫?」

「なん……とか」


〈幽玄:治癒の矢〉


震える手で矢を取り出し、自身の右腕に刺す。薄い緑色の光に包まれ、傷口がゆっくりと治り始める。ユキの心配そうな顔を横目にユウキの思考は目まぐるしく動いていた。何故こんなことが起きたのか、エリザベートは一体何をしたのか。


一つ一つ起こったことを思い出し、整理していく。そして、答えは唐突に浮かび上がるも、その事実に今まで動いていた思考がピタリと止まった。


「どういうことよ!なんで後ろにいたのよぉ!」

「それは……多分ですけど……」


アルルの声が響く中、対照的に小さな声が漏れる。恐ろしくて口がゆっくりとしか動かない。ユキは黙って耳を貸してくれている。


「自分で首を切り落として、頭を投げてきたんだと思います。気配も魔力もごくわずかにしか感じなかったから、頭がなくなっても気づかないと踏んで……」

「そんなこと……!」


聞いていた二人の声が重なる。そんなことあり得ないと口に出そうとしたが、途中で言葉が詰まる。煙が晴れ、三人はエリザベートのいる方向を見た。薄く笑い、実に楽しそうに自らの腕を再生させる姿を見て、相手をしているのは魔族であり、人間の常識は通用しないということを再認識させられた。


それから、時間は進んだ。再び突進してくるエリザベートをユキが迎え撃ち、反撃の目をユウキとシルクが潰す。何度も体を裂かれては再生し、ユキの攻撃で壁に叩きつけられる。そんなことを何度も繰り返し、あまりにも単調で代り映えのない攻撃を受け続けていく内に、ユキにはある疑問が芽生えた。


どうして自分の攻撃がこんなに簡単に当たるのだろうか。考えつつ、もう一度エリザベートを殴り飛ばし、壁に叩きつける。確かに特訓もしたし、相手の攻撃も見えている。きちんと対処し、連携も取れている。何も問題ないはずなのだが、何度も同じ手を食らうエリザベートにどうしても違和感があった。


また同じ攻撃だ。単調だけど気を抜くとやられる速度で、四方にフェイントを入れながら進んでくる。上手く躱し、懐に入り、強烈な拳を叩きつけて壁まで吹き飛ばす。


パシャッ


その瞬間、水たまりに足を踏み入れた時の音が、まるで耳元で弾けたかのように聞こえた。そのくらい唐突な出来事だった。目線は下に向き、ユキは驚き固まった。松明がわずかに照らす地面は、いつの間にか全て血で埋まっていたからだ。


「今頃気づいたの?」


にやりと笑う顔を見て、ユキは瞬時に察した。今までの違和感の正体はこれだ。周りに注意を向けられない程度の攻撃を続け、首を斬ってまで仕掛けてきたのに、それすらも囮にして地面から注意を逸らしていたのだ。


第六感覚を使い始めたばかりのユキとユウキでは、エリザベートの動きに注力しなくては力を発揮出来ず、今回のように脅威とは言い難いもの、まして視界の外にあるものに反応することはまだ出来なかった。それでもここまで気づかないものなのかとも思い、再び視線を下に向ける。


床に走る無数の亀裂を見て、その疑問はすぐに解かれた。思い起こした光景は、無差別に飛ぶ赤い斬撃。あの時から少しずつ、神殿は傷つき、床だけでなく至る所に深い溝が出来ていた。


恐らくこの血は、溝を隠れるように進み、溢れた分が唐突に床を埋め尽くしたのだろう。種が分かれば大したことではないが、驚くべきはそれを一切悟らせなかったことだ。


怒りを露わにしていた状態から、突然狂気的な行動に移り、血を使い、自らの再生能力を生かし、全てを使ってこの結果に繋げたエリザベートの計画性と演技力。ただ闇雲に相手を見ていたこちらとは違って戦いが上手い。悔しいがそこは認めるしかなかった。


「シルク......」


アルルが呟こうとした口をシルクはそっと塞いだ。二人には悟らせないで、そう目で訴えている。しかし、何を考えているのか分かるからこそ、アルルは不安だった。


シルクはエリザベートの策に気付いていたが、あえて泳がせていた。この状況は思い描いた通りであり、なんら動じることではない。だが、思いとは裏腹に心臓は嫌なほどうるさかった。


今、シルクが立っているのは暗闇で底の見えない崖っぷちである。そこから自ら飛び降り、上手くいけば着地し、失敗すればそのまま死ぬ。


「いたぶって殺してあげる」


エリザベートは今まで隠していた殺気が溢れ、それに呼応するように血の海が揺れる。逃げようにも辺り一面は血で染まり、ユキもユウキも何かを仕掛けてくるのは分かっているのに、対抗策が思い浮かばず焦っている。


<血雨:死界>


エリザベートは両手をわなわなと震わせ、一気に天に突き上げた。その瞬間、地面を満たしていた血は鋭い棘となって伸び、方向も規則性もなく、ただ無差別に神殿内を埋め尽くした。


<水魔法:神盾(ウンディーネ)


不可避なる攻撃をすんでのところで防いだのは、シルクが詠唱した水の障壁だった。棘が現れるよりも早くユキ、ユウキ、そしてアルルに張られ、四方八方から迫る棘から身を守っていた。三人には傷一つ付いていない。咄嗟に目を瞑ったユキとユウキは恐る恐る目を開く、視線は全身を包み込む障壁、周りを埋め尽くす棘に移り、そしてその棘に貫かれたシルクが瞳に映った。


「シルクさんっ!!」


二人の声が重なる。アルルも見上げ、シルクのことをじっと見つめている。シルクの体は辛うじて心臓は逃れているものの、出血が酷く、目は片方潰れている。手や足は動かせないほど凄惨な状態になっており、白い服は見る影もないほど真っ赤に染まっていた。


障壁の中にいるユキとユウキは動くことは出来ず、ただ声をかけるしかない。そして、アルルもまた、祈ることしか出来なかった。


「仲間を守るために自分が犠牲になるなんて......本当に人間って愚か......」


棘はエリザベートの合図と共に消え、支えを失ったシルクは地面に座り込んだ。辛うじて意識を保っているが、顔は俯き、朧げな表情が、命の終わりに瀕していることを容易に想像させた。


「まぁ良いわ。あなたから殺してあげる」

「シルク!」


ゆっくりと近づいてくるエリザベートには目もくれず、アルルは叫んだ。今にも消えそうな命を目の前にして、必死に叫んだ。


第七感覚とは死に直面した者が得る強力な力である。しかし、必ずしも得られるとは限らない。死にかけ、自らの内面を見直し、隠された力に気付けた者にのみ宿ると言われている。


シルクは自ら死にかけるという暴挙に出た。賭けに勝てる保証は何もなかったが、この力がなければ勝てない。それほどまでに魔族と自分たちの力に差があることを見抜いていた。


「シ.....ク.........!!」


自分を呼ぶ声が遠い、もう少しで何も聞こえなくなりそうだ。体も動かず、何も見えず、ただ冷たい、寒いという感覚だけが襲ってくる。だが、不思議と恐怖はなかった。何も考えられないまま、シルクはいつの間にか海の中に沈んでいた。


海面に見える光に手を伸ばそうとしても体は動かない。それどころか自分が今、人の形をしているのかさえ分からなかった。ただ波に揺られ、揺り篭に乗る赤子のような気持ちで安心していた。


もしかするともう自分は死んでしまったのではないか、心臓の音も、血の動きも感じなくなり、不安さえも沸かない。ただボーっと漂っている。


穏やかでとても心地よい。もうずっとここにいても良いかもしれない。


”本当にそう思いますか?”


そう思った途端、水の中を黒い影が横切った。それと同時に今まで曖昧だった体の感覚が戻り、水の中に浮かぶ自分を認識出来るようになった。頭も手足も動かせる。


”やっと気づきましたね”


背後から声がして振り返る。しかし、黒い影はまた姿をくらました。後に残る泡が、先ほどまでそこに何かがいたのを物語っていた。


”あなたの望みは何ですか?”


声の主はこちらに語り掛ける。落ち着いた響きは、綺麗な女性といった印象を抱かせる。ゴポポッっと水が動く、振り返れど姿は捉えられない。


”あなたは、何になりたいですか?”


また振り返る。今回、影は逃げなかった。真正面からシルクを見つめ、姿を現した。下半身が魚の尾の形をしており、上半身は羽衣を着た美しい女性の形をしている。物語の中の人魚と同じ容姿をしている女性は、優しく両手を広げた。


”あなたのことを待っていましたよ”


不思議と吸い込まれ、シルクは抱擁される。嫌な気持ちはせず、ただその行為を受け入れていた。


”外の世界に、私と一緒に行きましょう”


短い抱擁の後、シルクの手を取り泳ぎ始める。ただ、上へ、光が差す上へと泳ぎ続けた。


「シルク......」


アルルの叫びにシルクはピクリとも反応しなかった。肌は白く、生気を感じないほどまで変わり、虚ろな目がその命の終わりを告げていた。


「あぁぁ!シルクぅ!シルクぅぅ!!」


アルルは泣き、シルクを起こそうとただひたすらに手を振り回した。障壁に阻まれても尚、手を振り、戻ってきてと何度も願う。繰り返す内に手は勢いをなくし、項垂れるように顔を伏せて泣いた。


「シルク......戻ってきなさいよ」


ぽつりとつぶやいた言葉と同じように、一滴の涙がアルルの横を通過した。涙と言うのはあまりにも蒼く、そして澄んでいた。まるで時が止まったかのように一同は注目し、地面に落ちて弾けた瞬間、時は動き出した。


血の海に落ちた涙は、不気味な赤をだんだんと青に染め変えていった。その範囲は止まることを知らず、神殿内を埋め尽くす血を一滴残らず青に変えた。


「なに?!何をしているの!」


自らの血が消えていくのを見て、エリザベートは明らかに動揺していた。辺りを見渡しても、どこにも血は残っていない。


”水の加護を”


どこからか聞こえた声を合図に、空間が歪んだ。気が付けば、神殿内は水槽と同じように、天井に届くまで水で埋め尽くされていた。


「水?いつの間にこんな」

「これってシルクさんの?」


障壁の中にいる二人は突然変わった世界に、目を丸めた。それはエリザベートも同じであった。魔族であるが故に呼吸は必要とせず、水の中にいるデメリットはほぼない。しかし、異様な力に対する驚きは隠せなかった。


シルクがいた場所に目をやると、水が渦を巻き、姿が見えない。一同が注目する中、渦の中から飛び出てきたものがいた。


「うりゃあああああ!!」


アルルだ、声ですぐに分かった。アルルは飛び出した途端、驚くべき推進力で辺りを泳ぎ始めた。腰には赤と白の縞模様をした浮き輪をつけ、小さな足をばたつかせている。


やがて、渦の元へと近づき、びしりとポーズを決める。


「行くわよシルク!!!」


堂々とした号令の後、渦は晴れた。


<第七感覚:月墜としの歌姫(セイレーン)


下半身は魚の尾の形をし、上半身は羽衣を着たシルクがそこにいた。

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