風の神殿
<風の神殿・内部>
「今の......!」
「誰かが魔力を解放したようだな。魔族か...今回の遠征ならQだろうな。いずれにしろ良くないことが起きているのは確かだな」
「ひえぇ」
既に水晶を破壊したククル、ルーミ、キークは神殿から帰還しようとしていた。風の神殿はQのいる地の神殿とは真逆の位置にある。それでも三人は異変を感じていた。全身を逆撫でる強烈なプレッシャーに少しだけ恐怖したのも皆同じであった。
「とにかくやるべきことは終えた。帰還するぞ」
「はい」
「分かりました」
キークの後に続くククル。ルーミはそんなククルとつかず離れずの距離を保ちながら隣を歩いた。本当はもっとぴったりとしたいがキークがいるため出来ない。早く帰ってご飯でも作ろう。そう思っていたがどうやらそうもいかない。
「雨か...」
入り口まで戻ってみると外は土砂降りの雨が降っていた。重苦しい雲が空を覆い、綺麗な星空は全く見えない。雷も鳴り嫌な雰囲気をひしひしと感じる。
「あれ...精霊は...?」
顔だけを扉から出し辺りを見た後ルーミはそう言った。試しにククルとキークも確認をしたが間違いないようだ。雲の流れる方向を見るとしばらく続きそうな気がする。それにだんだんと雨の音も強まっている。
「寒いです...」
「仕方がない。雨が止むまで待つしかないか」
これだけ肌寒い悪天候の中を徒歩で帰る訳にもいかない。一同は神殿内部へと引き返すことにした。
「くしゅっ」
「ククル君大丈夫?」
「うん大丈夫」
鼻をすするククルを自身のマントで包んであげる。少し恥ずかしそうにしているもののククルもこちらに体を寄せてくる。歩きにくいがくっついていられる方が嬉しいので特に気にしていない。
キークはそんな後ろのやり取りに気づかない振りをした。いちゃこらしている二人を置いて一人広間へと出る。緑色の火が辺りを照らす落ち着いた空間に腰を下ろし、火を起こせそうなものを鞄から取り出す。
食料や水は数日分あるためそこまで危機的な状況ではない。落ち着いて明日に備えれば良い。それよりも今考えなければいけないのは魔族についてだ。おそらく他の神殿では魔族との戦闘が起こっている。こちらにも来ると思った方が良い。
念のため近辺に魔力を散らせて警戒しているが異変は全くない。このまま何事もなければと思うがキークの胸はもやもやと晴れなかった。
「キークさん」
「どうした」
「あの...伊織さんが...」
名を聞いた瞬間キークは振り返り目を丸めた。そこには予想もしていない女性が立ち、物静かにこちらを見ていたからだ。ククルとルーミは困ったような顔をしている。それもそのはずで伊織は必要以上の言葉は話さない。
話したとしても一言二言で今回のように相手を困らせてしまう。長年一緒にいるキークでさえもたまに分からないことがあるので気持ちはよく分かる。
「どうして君がここにいる」
「......」
よく見ると少し肩が動き息が上がっているようだ。びしょ濡れではないが水滴のようなものがついているのでこの土砂降りの中を走って来たのが分かる。伊織は質問には答えず少しばつが悪そうに目線を横へ動かした。
「帝国領の警備を任せていたはずだが」
「..........」
「何か問題があってここに来たのか?」
「.......」
小さく首を横に振り否定の意思を示す。それならば何故ここに来たのかよく分からない。しかし、キークは少し考えた後何かに気がついたようで伊織に向き直った。
「心配でここに来たのか?」
「.......!」
伊織の目はほんの少しだけ大きくなるものの肯定も否定もしない。ただキークをジッと見つめ時折目線を下げるだけだ。それを見てキークは事情を察したのかやれやれと目を細めた。
「伊織、これから魔族が来ないのか警戒してほしい。出来るか」
「御意......」
小さく頷く伊織を見てキークも少し微笑む。
......
..........
...............
「伊......織...」
「ククル......君」
「......」
ククル、キーク、ルーミがそれぞれぼそぼそと何かを呟き、目は虚ろで意識がない。座り込んだまま少し頭を揺らすだけだ。そんな三人の側に立ち、笑いを抑えきれない男がいた。
序列五.フリッツ
「気づかずに幻へと誘う。研究は成功のようだね」
フリッツは眼鏡を直し、腰まであるストレートな髪を揺らした。手にはもうもうと煙を生み出す瓶を持ち、真っ白なコートの内側には多種多様なガラス瓶が取り付けられていた。
「さて、どうしましょうかね」
知的な印象を持つ見た目とは裏腹に声は笑いを含み、いたずらを計画する子供のようだ。どれにしようかと吟味し、うろうろと三人の前を歩く。やがてルーミの前に止まると目を細めて考え始めた。
露出の多い服に魔女のようなとんがり帽子。多くの人の目を奪うだろうその見た目にフリッツはうんうんと頷いた。
「やっぱりこういう子を魔物にしたら人間も騙しやすいだろうなぁ。特に男は」
しばらく眺めた後、今度はククルを見る。虚ろな目ではあるが他の二人とは違い静かに息をしているだけだ。フリッツは座り込み、覗き込むようにしてククルの顔を見る。十歳くらいの幼い顔をしているのに感じる魔力は桁違いに多い。
恐らく他の二人を足してもククルには届かないだろう。だが、魔力は揺らめき今にも暴れだしそうだ。もしもこれが洗練されたならば歴史に名を残すほどの魔術師になる。フリッツはそう直感した。
「この子を魔物にしたら一体どうなるのか......少なくとも僕と同じくらいまでは強くなるかもしれないね」
顎に手をやり少し考えた後、フリッツは嬉しそうに言った。
「最後は...」
そのまま楽しそうに立ち上がるとキークの方へ歩み寄り、ぶつぶつと呟く言葉に耳を傾けた。
「伊織って子は大切な人なのかな?」
どんな幻を見ているのかは分からないがこの様子だと総司令クラスでも抜けることは出来ないようだ。自分の発明品の効果を実感する十分な結果にフリッツは笑みを浮かべた。それと同時にどんな魔物にしようかと考えを巡らす。
こういう落ち着いた風貌は男女共に好かれやすい。そのため人間の姿を保ったまま魔物化出来れば嬉しいのだが、この魔力量では暴走して形を保つことは出来ないだろう。
一つ目の巨人となるかはたまた竜か。どちらにせよ人間にとっては脅威となる。想像するだけで心が躍り顔がにやけてしまう。かつての仲間が敵になり、醜い姿で襲いかかってくる。殺したくないのに相手は正気を失っている絶望。そして、殺してしまった時の罪悪感。
その表情を見るためだけに生きていると言っても過言ではない。人間は皆絶望し殺し合い、その果てに壊れてしまえば良いのだ。
「壊れてしまえ.........」
冷静な顔は怒りでぐちゃぐちゃに変わっていた。赤く煌めく目には少しだけ涙が溜まり、感情が高ぶっているのが分かる。まるで別人。スイッチが入ったフリッツは地に膝をつけ、爪が食い入るほど頬を押さえた。
人間に対する消えない憎しみ、与えられた傷。その全ては殺し尽くさないと足りない。まだまだ腹の奥は煮えたぎっているのだ。
「壊さなくては......ひははは」
大きく頭を揺らした後、フリッツはゆっくりと立ち上がった。束の間の変貌はすぐに戻り、元の冷静な顔を取り戻している。ふっと息を吐き眼鏡を直す。
「まずはこの人からですかね」
そう言って俯いているキークを見る。そこでフリッツは違和感を覚えた。先ほどまでは我を失っていて気づかなかったが、キークの目が閉じている。幻を見ている最中ならただ呼吸をするだけの抜け殻になっているはずなのだ。
「何故...」
「何故...とは?」
「......!?」
ゆっくりと開かれたキークの目がこちらを冷たく見つめている。その気迫に押されるようにフリッツは後ろへ跳び退いた。
「どうやって意識を取り戻したんですか?」
立ち上がるキークを睨み、笑みを含んだ声でそう質問した。予想外の出来事に喜び、原因を解明しようとしている。科学者、発明家の特徴とも言うべき好奇心。まじまじと見つめる目は興味深そうだ。
「神のお告げだ」
「はい?」
「神が言ったのだ。これは幻だと」
キークは自身の胸に手をやり真面目な顔でそう言った。一方フリッツは口を開け、きょとんと間抜けな顔をしている。直後、馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ふっははは。神?神かい」
顔を手で隠し、笑いを堪えられていない。
「空に祈るだけの無様な行為に何の意味がある?神がいるだのただの妄想に過ぎない」
馬鹿にした笑みと声にキークは少しも反論しなかった。それどころかフリッツの言っていることに微笑み返す。そんな余裕のある返しにフリッツは目に見えて怒りを浮かべた。
「神はいる。空ではない。己の中にな」
そう言ってキークは魔力を分散させククルとルーミに当てる。優しく揺れ動かすように意識を戻し、二人の目は徐々に生気を取り戻していった。
「あれ...僕...っ...!」
「私...何を......」
目覚めた二人はしばし何が起こっていたのか分からなかったがククルはキークとフリッツを見た途端に戦闘態勢に移った。キークの横に跳ねるように付き魔法をいつでも詠唱出来るようにしている。
その少し後、ルーミも事情を察したのかどたどたと忙しない動きで二人の背後に隠れた。
「良い反応だククル君」
「キークさんあれって」
「魔族。序列は五だ。ルーミ君は私とククル君をサポートするように」
「はいっ!」
「仕留める必要はない。撃退出来れば我々の勝ちだ」
キークの静かな号令にピンと張り詰めた緊張が少しだけ和らいだ。魔族と対峙しているのに不思議と落ち着いている。魔法はちゃんと詠唱出来る。ルーミもククルも不気味に笑うフリッツを睨み、深く息を吐いた。
<風魔法:風霧の笛>
まず先に動いたのはルーミだった。空へと高らかに吹き鳴らす口笛が響き渡る。空気を震わせ目に見えるほどはっきりと振動が伝わってくる。緑色の魔力はククル、キークを包むと軽く弾け飛んだ。
笛の魔法は敵に危害を与えるものではない。自分が味方だと信じた者に祝福と加護を宿すためのものであり、その効果は魔力の消費を抑え詠唱時間を早めるというものだ。
加えて風は最も支援に向いた魔法でもある。ルーミは希少な回復と支援を同時にこなし、生まれながらにして他者を思いやる心を有していた。決して目立つことはないが裏に回れば右に出る者はいないだろう。
「ありがとうルーミ姉」
<水魔法:水竜の槍撃>
ただでさえ早いククルの詠唱は瞬きよりも早くなり、普段は使いすぎる魔力を丁度良く整えた。その結果槍撃レベルの魔法を使ったのにも拘わらず威力は砲撃クラスと大差ない。鋭く尖った槍先が次第に大きくなり、フリッツの身の丈二つほどまでになった。
「その歳でこの魔力とは...興味深い!」
風圧でコートは揺らぎ、フリッツの長い髪はマントのようにたなびく。だが、にやにやと楽しそうに笑うフリッツは圧倒的な魔法を前にして微動だにしなかった。
斬り裂くように回転する槍は真っ正面からフリッツに直撃し、舞い上がった煙でフリッツの姿は見えなくなった。確かな手応えを感じつつもククルには何か違和感があった。
徐々に晴れていく煙を凝視し、フリッツの動向を窺う。そして現れたフリッツの姿を見て三人は驚きを隠せなかった。
「あっははは。素晴らしい。素晴らしいですよ!!」
自分の手を眺め無傷であることに歓喜しているようだった。
「君の魔法には惚れ惚れするよ」
<神聖魔法:奇跡の槍撃>
話し始めた瞬間キークは指を鳴らして魔法を放つ。フリッツの周囲から槍が現れ、四肢を同時に貫かんと突進した。だが触れた途端に魔法は弾け飛び、無惨に消え去った。
「........!!」
三人の驚く顔を見て、フリッツは愉快そうに笑った。
「その何故って顔。予想通り過ぎて笑えますね」
くっくっくと声と腹を押さえ実に楽しそうだ。そして、ひとしきり笑った後フリッツは得意げに説明を始めた。身振り手振りで大きく感情を表現し、笑みには段々と狂気が含まれていく。
「魔法...魔法ばかりが世界を支配している。そんなのおかしいと思いませんか?」
諭すような声は静かだが怒りと憎しみで満ちていた。
「魔法が使えれば肉体の劣りはほぼ無意味になる。年齢、体力、病気。魔法が使えるだけでこれらの要素を無視して戦える。ですが......私のように魔法も使えず体の弱い者には関係ない。より格差を生み、虐げられる理由になるだけです」
フリッツは苦しそうに吐き捨てると両手を広げ、今までで一番歪んだ笑みを浮かべた。
「だから私は作りあげた!!傲慢で愚かな奴らを見返すためにっ!!!!そして何百年という時間を経て......私はようやく手に入れたのです。魔法が効かない体を」
強く拳を握りしめ、こちらへ向ける顔は最早どの感情が含まれているのか分からなかった。ただ不気味でおぞましくて途方もないほどの執念を感じた。




