地の神殿 2
「ジャック......?」
「ふんっ...!!」
姿勢を低く保ち一気に詰め寄る。草を踏み、川の水面を渡り瞬く間にQの目の前に到達する。繰り出すナイフはリーチが短く、ここまで接近すればジャックの方が有利だ。
<神絵:......
Qは同じように魔法で弾こうとしたが、咄嗟に詠唱を止めて回避行動に移る。目前まで迫っていたナイフを紙一重で躱し、鼻先が少しだけ切れた。
「...良い判断だ」
ジャックのナイフは先程とは違って赤く脈打っている。あのまま魔法を詠唱していたら魔法ごと首を斬られていたかもしれない。そんな嫌な予感が過ぎり、瞬時に行動を変えた。
「だが...まだ足りない。もっとだ...!」
「ん~...!」
<次元流:宵闇の篭手>
逆手に持ち替え、軽く斬り上げる。すると脈打つ刃が空間を捻じ曲げ、赤黒い斬撃が飛んでくる。通過した後の草は朽ちて消え、木の葉も蝶も風圧だけで千切れ飛んでいく。
<神絵:雷の槍>
精霊体がQの前に割り込み魔法を描く。雷撃が音を鳴らして槍になり、斬撃を真っ向から迎え撃つ。激しく火花を散らして拮抗するもすぐに魔法はかき消えた。斬撃は勢いを増し、そのまま精霊の体を斬り裂いた。
「むっ......!」
刹那、眩い光が生まれジャックは目を覆う。手の隙間からうっすらと見えるQ。だが、緑と白の光に阻まれすぐに姿を見失った。
「ここだよ」
「......!」
気がつけばジャックの足下にQがいた。床一面に絵の具が塗られそこから上半身だけが出てきている。
<神絵:火の砲撃>
伸ばされた筆がジャックの腹を狙い、込められた魔力を一気に解放した。体を貫通した光は神殿の屋根にも穴を開け、星々の明かりが差し込む。
「.........」
「.........」
体に大きな風穴が空いているにも拘わらず、ジャックは涼しげな顔をしていた。しばしの沈黙の後、絵の具の池に向かってナイフを振るう。Qは瞬時に潜り込み、斬り裂かれた池は色鮮やかに散った。
「どこへ行った...?」
完全に気配を消されどこへ行ったのか分からない。周りを見渡すが絵がちらちらと視界に入って見辛い。
「ジャンヌ、後ろだ!!」
「.........!」
気配を察知したジャンヌは見るよりも前に動いていた。屈み込みながら足下へ向けて槍を突く。いつの間にか地面には色が塗りたくられ、Qがいた。
「残念」
「な...!」
命中したかに思えたが槍はQの体を通り抜けてしまった。そのまま絵の沼に突き刺さり絡みつくように固定される。右目の辺りを貫かれたQはガラスのように崩れさり、それを見て本物そっくりに色を塗られた精霊だと分かった。気配も魔力もまるで人間のようで今の今まで偽物だと気付けなかった。
<神絵:水の槍>
別の絵から出てきたQの一撃を辛うじて躱す。身をよじりながら横に跳び、離した槍は手に生み出される。目線を戻せばQはまた潜り込んで消えていた。やはり気配もなくどこにいるのか予想しにくい。
「ならば...」
ジャンヌは槍を地につけて一回転する。激しく金属がこすれて火が起こり、描かれた絵に引火して燃え広がっていく。幻想的な空間はろうそくのように溶けていき熱さで視界はぐにゃりと歪んだ。
人間にとっては辛い環境になったが魔族には何も問題はない。火傷も再生すれば良いし呼吸も止めれば良い。
<神絵:水の斬撃>
「そこか」
水の魔力を感じ取りジャックはナイフを投げる。いくら気配を消すのが上手くても魔法の詠唱は誤魔化せない。炎の中を突き進んだナイフはQの頬をかすった。
「逃がすか!」
ジャンヌは炎を槍に纏わせて突進する。Qの周りは今しがた生み出した水の剣で既に消火済みである。だが、ジャンヌが近づけばまた燃え広がっていく。
<列聖:堕天槍>
赤くたぎった炎は黒く変色し、全てを滅ぼさんと突き進む。Qも水の魔法を描くが黒炎を消すのは一筋縄ではいかない。同等の量の水では炎に纏わり付かれてより勢いづかせてしまう。圧倒する水を描かなければいけないのだが、そんな隙もない。
背後に回り込んできたジャックのナイフをしゃがんで回避し、黒炎と共に突っ込んでくるジャンヌに魔法をぶつける。
<神絵:土の砲撃>
魔法は残像が見える槍をまとめて防ぎ、勢いそのままにジャンヌに直撃する。黒炎と混ざり、被弾した瞬間に鎧ごと燃やし尽くして四散した。
「ぐ...く」
焼けただれる皮膚が再生出来ない。四散した時に絵の具がまき散らされ、地面から岩が突き出される。ジャンヌの四肢を貫き、黒炎を纏って更に苦しめる。
数十秒は動けないと判断しQは振り向く。ジャックは既に攻撃態勢に移っており、刃がこちらを補足している。狙いは体を斜めに斬るように定められ、その手は加速し始めている。伏せたことでQのとれる選択肢は限られている。
姿勢を丸めて縮み込み、床を転がって回避する。起き上がって周りを確認する暇はない。転がった後は跳ぶように起きて絵を描く。槍や剣が放たれ相手に攻撃の隙を与えない。猛攻は止まることはなく、ジャックは防戦一方になっている。
体勢を立て直す前に仕留めたかったが防御に徹している内にQは落ち着きを取り戻していた。
「はぁぁぁ!!!」
「...!」
そこへまだ再生しきっていないジャンヌが背後を襲う。片目は燃え尽き、左手は黒く変色している。それでもどうにか動く脚と右手で渾身の一撃を繰り出す。予想よりも遙かに早い復帰に少し驚いたがQは冷静に対処していく。
鳥のような精霊を描いて撹乱させ、同時に何度も魔法を放つ。数十にも及ぶ絵を一筆で描き、前後の攻撃を見ずに避けていく。三人の攻防は最早人間のレベルを遙かに超えていた。
一般人なら既に魔力切れを起こして死に至っている。それなのにQはまだ余力のある顔で筆を動かしていた。炎が頬をかすめて焼き、致命傷ではないが刃が皮膚を斬り裂く。
「ふっ!!!」
「はぁっっ!」
二人の攻撃は人間とは違って味方に被弾することを考慮していない。当たっても再生すれば良いという考えなため Q以上に血を流している。それでもダメージを負っているわけではないので押されているのはQの方だった。
絶え間なく出す魔法も段々と癖を見抜かれているのか放つ前から避けられ始めている。ほんの少ししかない隙も浮き出て、躱すのが困難になっていく。
「っ......!」
巻き上がる炎が地面を焼き尽くし、逃げ道が塞がれた。
<次元流:陽炎の篭手>
<列聖:異端旗>
一瞬の迷いを突くように技が繰り出される。ジャックのナイフが揺らめいて消え、刀身が驚くほど長くなってQへ迫る。ムチのようにしなる刃をすんでのところで躱すもすかさずジャンヌの槍が伸びてくる。
黄色い閃光が大きな旗のようになり槍と共に振られる。周りは炎、今しがた避けた隙で態勢を変えることは出来ない。魔法を描こうとするが恐らく詠唱する前に当たる。
スローになった世界でQの頭は冷静にそう分析していた。
それなら...
連撃に移るジャックのナイフとジャンヌの槍が重なる。だが、Qは慌てずに目を閉じた。そして今まさに当たるといった瞬間、二人の武器はピタリと止まり、炎はQを避けるように周りへ飛び散った。
<神絵:神盾>
Qの周りにはうっすらと見える白い壁が生成されていた。金属が嫌な音を立てて壁を越えようとするがビクともしていない。無駄だと判断した二人は仕方なく距離を取り、それを見てからQは障壁を解除した。
「ねぇ、一つ聞いて良い?」
絶え間なく攻撃を繰り返していた三人は束の間の休息を得た。燃えていた炎も散ったことで勢いを弱め、今は丁度いい明かりとして光っている。
「なんだ?」
Qの問いにジャックはぶっきらぼうにそう言った。三人とも構えを解きそれぞれの動きを窺っている。
「なんとか穏便に済ますことって出来ないかな?このままだと無駄な時間使うだけだし」
二人の顔を交互に見て優しい口調で言う。
「無理だ」
「無理だな」
「あらら」
「人間ごときと馴れ合うつもりはない。貴様らは全員死ぬべきだ」
「過激だね。もっと仲良く出来ないのかな」
Qの言葉に二人は目に見えて怒りを浮かべた。
「過激だと...?」
「先に我々を迫害したのは貴様らだろう!」
ジャンヌは槍を地面に突き立て荒々しく声を上げた。
「赤い目というだけで大量の人間を処刑し、まだ年端もいかぬ子供さえも殺したのに何を言う!」
「........」
隣にいるジャックも黙ってはいるが目は恨みや憎しみで満ちていた。
「私も共に戦ってきた仲間に売られ、処刑される手前だった。命をかけて守ると誓った国に私は裏切られたのだ!そんな人間と今更仲良くだと......?」
そこまで言ってジャンヌの言葉は途切れた。感情を表に出したせいで息が荒い。それでも伝えたいことは伝え終えたようで真っ直ぐとこちらを見ている。
しばしの沈黙。Qは頬についた血を拭い、ようやく口を開いた。
「私は親を知らない。育ててくれたのはたった一人の先生だけ」
Qは筆をついついと空中で動かし、ぼんやりとした絵を描き始めた。目や鼻ははっきりとしていないが人だと分かる。
小さく幼い少女は一人ぽつんと立ち、周りを見渡すように動いている。しかし、やがて誰もいないことに気がついたのかしゃがみ込んで泣いてしまった。
そこへ一筋の光が降りそそぎ、黄色く光輝く女性が少女の手をとる。やがて二人は踊るように宙を舞い雨の日も風の日も寄り添って過ごした。少女は成長すると共に筆を持つようになり色鮮やかな精霊が彼女らを包み込んだ。
誰がどう見ても幸せな時間に見えた。だが、そんな二人に変化が起きる。天は黒く変わり赤目の少女が舞い降りる。身の丈も超える鋏を振り、光輝く女性は貫かれた。
だんだんと光が消えて体は朽ち、赤目の少女は去って行く。一人残された少女はまた泣き筆を天に向けて振るった。そこまで描かれ、絵は消える。
「私も魔族を恨んでる。だけど、どこかで我慢する人がいなくちゃ...どちらかが滅びるだけ」
差し出した筆から花が舞い散る。紫色の花びらのようなものが開き、白く細かい花が真ん中に咲いている。
「この花の名前はミスミソウ。花言葉は和解。どうかお願い...引くことは出来ないのかい?」
ひらひらと飛ぶミスミソウを手に取り二人は黙り込んでしまう。俯いて花を眺めていたものの決心したのか口を開く。
「貴様...名は?」
「Q」
「クィナか...その名覚えておこう」
ジャックの持っていたミスミソウは細かく刻まれ、ジャンヌが持っていたものは燃え尽きて灰になる。改めて武器を構える二人を見てQは目を細めた。
「お前の考えには理解を示す。だが、言葉で収まる時期はとうに超えている。互いの傷は最早相手の絶滅を見ずには治らない」
「そう...」
「構えろ。次は本気で斬る」
ナイフを居合い斬りのように構え静かにQを威嚇する。地が揺れるプレッシャーにも臆さずQは冷静だった。精神を集中させ軽く筆を握りしめる。赤く光る目を見つめ少しも気を緩めなかった。
<次元流:奥義・東>
「次元流の神髄は刃を振るわずして敵を殺すこと。即死しなかっただけ褒めておこう」
「......っ!」
ジャックは身動き一つしなかった。それにも拘わらず筆が床を転がりQの右手は肘より上を残して斬り落とされた。ぼとりと生々しい音が鳴り床一面は赤く染まる。鼻から左目にかけて斬り傷が伸び、止めどなく血が流れている。Qは膝をつき荒い呼吸を繰り返すしか出来なくなっていた。
「はぁ...はぁ...!」
見えなかった...
「斬った」という結果のみが突然現れたような気がする。気配も音も何も感じなかった。それ故に障壁を出す間もなく、首への斬撃を反射的に逸らすことしか出来なかった。
目の前にいるジャックはこちらを見下し、少しも油断せずに警戒している。これだけの実力を持ちながら自身の力に自惚れない。本物の強さを持つ魔族と相対しQは死を考えた。
寒さのせいなのか痛みのせいなのか体が震える。死を前にした恐怖かもしれないがそんなことはどちらでも良かった。今なら最高の絵が描けそうな気がする。そんな考えが溢れて止まらない。
「今楽にしてやる」
いつの間にかこちらまで歩んでいたジャックはこちらを見つめ、悲しそうな目でナイフを掲げた。
「本当に......話し合うのは無理かな...」
「......命乞いか?」
「まさか......」
途切れ途切れの声をやっとの思いで捻り出し、Qは俯く。
「最後の確認をしただけ」
「.......!」
「第七感覚...」
ぼそりと呟きQは顔を上げた。右目は嫌なほど赤く光り、にんまりと口を開いて笑った。




