恋の匂い
「.......」
「まだ着かないのぉ!!」
帝国領を出立して早数時間、空を駆ける精霊の上でアルルは退屈そうにしていた。持ち主のシルクはぴったりとユキの背に頬を寄せ、無表情のまま目線だけを動かしている。
「うん。まだまだだよ~」
ぎゃーぎゃーとうるさいアルルにQは笑いながら答える。神殿までは後半分くらいの距離まで来ていたのだがこの調子だと歌でも歌うんじゃないかというほどアルルは元気だ。
普段なら周りに鬱陶しがられるこの元気さも今ならありがたく思える。ユウキもユキも本来なら不安で暗い表情をしている頃だが、そんな暇もないほどの弾幕をアルルは繰り広げていた。
雲一つをとってもアイスみたいとか猫みたいとか話題が尽きない。よくこれだけ喋り続けられるなと感心してしまう。
「.....」
アルルが指す方向にユウキは顔を向け、特に何か言うわけでもないけど笑っている。口の動きで確かにとか美味しそうとか言っているのが分かる。
ユキはじっと見つめその反応に微笑んだ。
祭りのあの後、結局ユウキには会わず通信で行けないことを伝えた。怒られても仕方のないことだったのにユウキは笑って許してくれた。
それどころかお疲れ様とも言ってくれた。仕事を代わりにやってくれたのはユウキの方なのにどこまで優しいのだろうか。
それから訓練場に集まった時もいつもと変わらない笑顔で話しかけてくれたお陰で気まずくなることもなかった。
まだもんもんとしてて自分でもどうしてこうなっているのか分からない。思い出す度に胸が痛むし頭がぼーっとしてしまう。
二人は付き合っていた。理解しているはずなのに不思議とこの手を離したくないと思ってしまう。
もう少し...もう少しだけ
心とは裏腹にユキの腕には力が込められていた。そして不意に今までうるさかったアルルの声がしないことに気がついた。
「.....!」
「じー.......」
恐る恐る下を見るとアルルがこちらを見上げていた。人形独特の無機質な目がまるでホラー漫画にいそうな異質さを醸し出している。人間とは違って黒く塗りつぶされた目は瞬きをしない。
そして口も動かないのだから尚更不気味さが増す。驚きのあまり声すらも出ず、ユキは固まる。
「恋の匂いがするわぁ」
「.......!?」
ぼそりと呟かれユキの顔は真っ赤に染まった。アルルの視線はそのままユウキに移り、またユキを眺めてくる。
「そういうことねぇ!」
「っ...違いますから!!!」
慣れない話題を自身に向けられユキはガッと声を上げて否定した。その際に自分でも無意識に力が入り、掴まっていたユウキを強く締め上げる。
「いた...痛っ...!!!」
ギリギリと締めつけられる胸、ユウキは少し前屈みになって苦しむ。だが、ユキはそれにも
気づかずアルルに反論を述べていた。
「照れなくても良いのにぃ!!」
「照れてないです!」
「可愛いわぁ!!」
「も...もう止めてください!!」
面と向かって可愛いと言われユキの顔は更に赤くなる。それに比例して力は強くなり、俯いている頭にユウキの背を押しつける形になった。
がくりと項垂れるユウキにそれを見て笑っているQ、シルクは目を閉じユキの背にぴったりと体を預けている。アルルは見た目こそ変わらないもののによによと笑っているのが分かる。
「やっぱり恋バナは楽しいわねぇ!」
「うぅ......うぅぅう...」
頭から湯気が出ている。ギュッと目を閉じ、震えているのも可愛らしい。いじりがいがある。そして恋バナはここからが本番だ。
いつ好きになったのか、どんな所が好きなのか、もし付き合えたら何をしたいのか。このような質問をすれば初々しい人達は赤くなりながらも答えてくれるのだ。
その表情ともにょもにょと吐き出す言葉が最高にたまらない。
「いつ?いつから好きにな...もがっ!!!」
早速質問を投げかけようとしたアルルの口はシルクによって塞がれる。人差し指一本で完全に言葉が出せなくなっている。
「もごもご~!!」
それでも元気に声を出そうとするがかすかにシルクの指が動くだけで何を言っているか分からない。しばらく挑戦して無理だと思ったのかアルルは抵抗することもなくなった。
「あの...シルクさんありがとうございます」
苦しい状況から救ってくれた感謝を後ろにいるシルクに向けて送る。首を少しだけ後ろに向け横目で見ようとするがシルクは背中にぴったりと張り付いているので見えない。
「す~...す~...」
「寝てる...?」
かすかに聞こえる寝息と密着した胸が規則正しく動いていることからそう判断出来た。恐らくアルルの口を塞いだのも助けた訳ではなく単に睡眠の邪魔だったからだろう。
それでも助かったのには変わらない。感謝しつつ前を向き、そこでユキはあることに気がついた。
ぐったりとしたまま動かないユウキ。手綱は離していないものの魂が抜けたように体が軽い。
「ユウキ...?!」
「う...うぅ...」
体を揺すると小さく呻くが意識ははっきりとしていないようだ。困り果てたユキはQに視線を送るが笑っていてこちらを見ていない。
「うぅ...ん...?」
「ユウキ?」
しばらくするとなんとも気の抜けた声でユウキは意識を取り戻した。
「大丈夫?」
「え、あ、うん。全然大丈夫!」
「ごめんね...私また」
飛び起きたユウキはすぐに状況を察し、反射的にそう答えた。記憶にはないが相当な力を加えてしまったはずなのにそんなことなかったかのように答えてくれたユウキにかなり罪悪感を抱いた。
これ以上迷惑をかける訳にはいかない。ユキは掴まっていた手を緩め、片手で指を握る控えめな掴まり方に変えた。
「.......?」
そんな変化にユウキはすぐに気がついた。先ほどとは違う遠慮がちな仕草に何となく背後から伝わる哀愁。ユキの考えていることはすぐに理解出来た。
理解出来たからこそユウキはすぐに手を取り元の掴み方に変えさせた。
「え...?!」
「ちゃんと掴まってないと危ないよ」
ユキの手はやっぱり小さく、どこからあの力が出ているのか分からないほどだ。声を上げ驚く彼女にユウキは優しく微笑み言う。
穏やかな声と横顔からも分かる綺麗な顔にユキの鼓動は少し高鳴った。
もう...
「ありがとう...」
お礼を言い、ユウキの背に体を預ける。長く綺麗な髪が頬に触れ、私よりも女性っぽいなと思ったり。意外としっかりした背にやっぱり男の人なんだとドキドキしたり。
その様子を見てアルルはむぐむぐと何か言いたげである。だが、そんな甘い時間もQの言葉によって元に戻される。
「森が見えてきたよ」
そう言われた瞬間ユキはパッと顔を上げる。周りのことも考えずにべったりとしていたことに顔が赤くなる。
だが目線を落とした先にはあまりにも広大な森が広がっており、恥ずかしさもすぐに忘れてしまった。
<ルビーの森>と呼ばれるこの場所は大陸の南側をほとんど占めている。その広大さは地図を見ると分かるが帝国領が丸々入るほどだ。
そしてルビーの名をつけられる理由は森の中心地点にある。びっしりと埋め尽くす木々の中心は空き地のように広がり、ただ一本の木しか立っていない。
その木の色が年中を通して赤いことからこの森はルビーの森と呼ばれるようになったのだ。
「ここからは別れて進むよ」
「はい」
「それじゃあシルクちゃん。この子達をよろしくね」
そう言われたシルクは目を開けることもなく、気怠げにゆったりと動きひらひらと手を振ってみせた。
三人に見送られQの精霊は大きく体を傾ける。そして、一気に加速すると遙か彼方へと飛び去っていった。
ユウキ達も加速し神殿へと向かう。道中での和やかな雰囲気にいつの間にか不安も緊張も消えていた。
「来たな...人間共...」
別れて進む精霊達を見上げジャンヌはポツリとそう呟いた。森から少し離れた丘に佇みただゆっくりと二つの光を追う。
「楽しそうですねジャック?」
眺めていた視線を地面に落とす。そこにはナイフをくるくると回している男の姿があった。
「.......」
ジャックは黙ったまま空を見上げていた。




