フルエノン家
「エリー掴まってろ」
勢いよく窓から飛び出したもののここは四階である。あっとういう間に加速して地面はもう眼前まで迫っていた。
「ふっ...!!」
地面すれすれで振った剣は衝撃で二人の体を少しだけ浮かす。丁寧に植えられている木々も揺れ、二人は安全に着地した。
「カッコイイ~」
「褒めてる場合か行くぞ」
衝撃に釣られて建物の中は騒がしくなっている。美しいピアノの音も止み人々が窓からこちらを覗いていた。
「むむ~ユキちゃん~見つかっちゃった~」
エリーは走りながらユキに合図を送った。返答を聞く間もなく遠くから爆音が響き渡る。
笑い合っていた人々の声はどよめきに変わり、こちらを見ていた人の視線は少しだけまばらになった。
「このまま転送装置の場所に向かうぞ」
「え~でもこの辺の転送装置ってお城の方じゃない~?」
貴族がほとんど外界と接触しないのが裏目に出ている。エリーの言う通りこの辺りの転送装置は目に見えて少ない。
かと言って城壁を登っても崖があるだけで下りるのは困難だ。ユキ達が注意を引いている内になんとか城まで回り込むしかない。
「このドレスでは歩きにくいな...」
「ちょ...ちょっと~!」
よたよたとおぼつかない走りしか出来なかったカスミはしゃがみ込み、持っていた剣でドレスの片方を裂いた。
白くて長い脚が露わになりエリーは思わず声を漏らす。当の本人はそんなことを気にも留めていないようで、堂々と走りだした。
握りしめた剣もなびく髪も全てが絵になるほど美しい。物語の中のお姫様がそのまま出てきたと言っても不思議ではない。
なによりもカスミの目は今まで見たこともないほど生き生きとしていた。
「見つけたぞ!」
建物の角を曲がった途端、待ち構えたかのように衛兵がこちらを指差した。
「やはり見つからずに逃げることは出来ないか...」
「どうする~?」
数にして十名弱。全員が顔を覆う兜と屈強な鎧を装備している。だが、武器こそ抜いているものの少し躊躇っているのが見てとれる。
本気で傷つける気はお互いにないようだ。前に出ることも退くことも出来ないといったもどかしさが彼らにはあった。
「カスミ様、どうか分かってください。我々も逆らうことが出来ないのです」
帝国を守るために訓練を積んだ衛兵や警備兵の中には望まずに貴族の護衛に配属される者も多い。
特に貴族階級の暗黙の了解としてフルエノン家には逆らわない方が良いと言われている。
何の恨みもないカスミ達を追ってきたのもそういった事情が重なってのことなのだろう。
仕方のないこととはいえここで時間を浪費することは出来ない。カスミは剣を構え一歩前に踏み出した。
「カスミ様、どうかお体に気をつけて」
「お前達...」
衛兵達も構えるが隙だらけで形だけだ。
<栄光:獅子王>
ドレスも髪も綺麗な弧を描くようにカスミは体を回転させた。放たれる攻撃は直接当たらずとも衝撃だけで衛兵達を吹き飛ばす。
ガラガラと金属音が散らばり地面になぎ倒された彼らは兜の中で笑っていた。
衛兵としての訓練の中にはカスミと手合わせをするものもあった。幼少期の彼女を知る者には自分の子が成長したような印象を持ったのだろう。
初めの頃は拙い剣技であったが今となっては総司令と遜色ない。去って行くカスミの優美さそして気品。
まるで英雄レイルウェイの生き写しを見ているようだった。
どうか自分のために生きて欲しい。誰かのためとかまして親の言うことに縛られて生きていてほしくない。
エリー様...どうかカスミ様を支えてあげてください...
歳を重ねるごとに自分を閉ざしているように見えたカスミがあんなにも楽しそうにしている。それがなによりも嬉しくて微笑ましかった。
橙色の明かりに照らされた衛兵たちは満足げに彼女達の背を見送った。
覚悟を決めたカスミの足は止まらない。ハイヒールとは思えない走りを見せあっという間に広場の方へ出た。
「思ったよりも人は少ないな」
壁に背をつけ辺りを窺う。ユキ達の陽動が上手くいっているようで今度は閃光が建物の裏で弾けていた。
誰もこちらを見てはいない。何が起こっているのか理解出来ていない人たちが各々不安な声を上げている。
衛兵や警備兵が向こうに走っていくのを眺めた後二人はチャンスとばかりに飛び出した。
なるべく影の部分を通りながら門へと向かう。あそこを通れば目的は達したも同然だ。
一歩一歩踏み出すごとに鼓動が高まっていく気がした。ここを出れば自由。今までどうしても踏み出せなかった世界へと旅立つ時なのだ。
「っ...!」
カスミのうなじに悪寒が走った。考えるよりも先に身を翻し、感覚で剣を振るう。
バチンッ!
「うわ~!!」
鋭利な見た目の魔法がこちらに飛んできていた。すんでのところでカスミが弾き分散した魔力が辺りの外灯を破壊した。
広場の半分が真っ暗になり先ほどの小さな声は悲鳴に変わる。一瞬でパニックに陥り逃げ惑う人で混乱は広がっていった。
だが、カスミの視線はたった一点を見つめていた。
「母様...」
カスミの母は建物の四階、広場全体を見渡せるバルコニーで魔法を詠唱していた。右手を高らかに上げると冷たい風と雷鳴が辺りに集まる。
「カスミ...何故言うことを聞かないの...」
右手を強く握りしめると体に風と雷が纏われる。遠くからでも分かるくらい空気が鳴り足元を縫う風が嫌なほど不快感を与えてくる。
「カスミちゃん~...?」
「エリーお前は下がってろ」
風の力でバルコニーからふわりと着地する母にカスミは臆せず前進していく。
真っ暗な闇の中を突き進み、外灯がカスミを照らす場所まで出ると両者の距離は数メートルとなった。
互いにゆったりとした姿勢で立ち、睨み合っている。
「母様...私はここを出て行く。もう貴方の思い通りにはならない」
「ふ...何を言うかと思えばそんなくだらないことを...」
はぁと溜め息を吐きパチンと指を鳴らした。それと同時に衛兵や警備兵が集まりこちらを包囲する。
だがどこか様子がおかしい。全員が苦しんでいるような声を漏らし、手が震えている。
「まさか...」
母の目は透明になっていた。
「貴方は私の言うことを聞いていれば良いの...」
「ぐ...!!くぅう...!!」
見つめられた途端カスミは苦しみだしその場に膝をつく。剣を突き刺してそれにもたれかかりなんとか倒れるのだけは防いだ。
「全く...貴方がいなくなれば誰がこの家を継ぐのですか...?」
「く...は...」
「夫もいなくなり、兄妹もいなくなり。残ったのは貴方一人...」
「............」
ツカツカとヒールの音が近づいてくる。カスミは母の言葉も聞こえないほど視界がぼやけ体が横に傾いた。
「カスミちゃん~...」
「っ......」
倒れそうになるところをエリーが支えキッと母を睨んだ。
「カスミちゃんをいじめないで」
カスミを胸に抱き寄せやや低い声で言い放つ。いつものおっとりとした喋り方ではない。確実に敵意を向け近づけさせないための脅しだ。
「どこの生まれかも分からない分際で...私に盾突くな...!」
<風魔法:雷風の槍撃>
<混沌魔法:陰影の槍撃>
人睨みされた彼女は即座に魔法を詠唱した。煌めく紫の雷鳴と風で作られた槍が容赦なくエリーへと放たれる。
それに対しエリーもすぐに魔法で返した。どんな色も映さない漆黒の魔法が槍になり真正面から迎え撃つ。
尖端が交わると空中で静止し、頬を切り裂くような雷と衝撃が辺りに広がる。建物の窓にはひびが入り、興味深そうにこちらを見ていた人達も悲鳴を上げた。
せめぎ合っていた魔法が音を立てて消滅すると二人の間には冷たい空気だけが残った。
「エリー...」
「カスミちゃん~...?」
エリーを支えにしたままカスミは母に向き直る。足がまだ震えて額には汗が流れている。
明らかに満身創痍なはずなのに母の歩みはピタリと止まった。睨みつけていた目も覇気が抜け、驚きの表情でカスミを見つめている。
カスミは徐々に立ち上がりゆっくりと剣を向ける。右手はエリーにしがみつき、震えてはいるが真っ直ぐに母を捉えていた。
「やっぱり家から出すべきじゃなかった...!!」
<風魔法:雷風.......
驚きの顔が怒りに変わり魔法の準備に入る。が、一瞬の詠唱に割り込むようにカスミの剣が光った。
<栄光:獅子王>
エリーの支えから離れた瞬間カスミは大きく前に跳んだ。足の震えなど最早ない。しっかりと大地を踏みしめ横に薙ぎ払う。
剣は鼻をかすり、魔法の詠唱は途絶える。小さな鮮血が地面に付着して数秒。両者は固まったまま動かなかった。
「き...傷......この私の顔に...」
やっとショックから回復した母は自分の鼻を恐る恐る触り、顔を険しくした。
「こやつらを捕らえろ...!」
怒りに震えた指がこちらを指した瞬間、周りの衛兵達は一斉にこちらに走り出した。
<混沌魔法:陰影の鉤爪>
「ぐ...!」
「うあぁ...!!」
魔法が詠唱されると地面から出た黒い手が容赦なく彼らを掴む。メキメキと鎧がひしゃげる音と悲痛な声が辺りに広がる。
「ぐ...うぅううぅ!!」
「な...なに~この人達~!」
がっちりと握られた足を衛兵達は無理矢理にでも動かそうと試みている。骨が折れることもいとわない行動にエリーは困惑した。
このままでは足が千切れて出血死する。そう判断したエリーは魔法を弱めるしかなかった。
黒い手は細くなり最早拘束の意味を成していない。折れかけた足を引きずりながら衛兵達はにじり寄ってくる。
「母様...このようなことはお止めください...!」
「うるさい...うるさい...!あなたは私のためだけに生きれば良いの...!」
<風魔法:雷風の砲撃>
「くっ...」
左手を伸ばし集中した魔力が一斉に放たれる。眼前を覆うような巨大な風の魔法。バチバチと嫌な音が地面をえぐりながら迫り来る。
避けることは出来ない。避ければ後方にいる衛兵が犠牲になる。
.....母様.....
完全に殺す気でいる魔法だ。詠唱する瞬間の目も殺意に満ちていた。自分の気に入らないことがあれば思考さえも捨てて目的を達成しようとする。
そういう所が嫌いなのだ...
嫌悪と怒りでカスミの心はざわりと揺れていた。それとは真逆に体の力は抜け母からの呪縛から完全に抜け出していた。
どうして今まで操り人形になっていたのだろうか...
冴え渡る思考の中でのんびりとそんなことを考えた。
<栄光:紅蓮>
魔法を真っ正面から捉え下段から斬り上げる。空気を圧縮するほどの威力を前に剣は少しもブレていない。
雷鳴も風も簡単に斬られて消えていく。流れるように体を回転させて横に薙ぎ払い、今度は上段から叩き付けるように斬り伏せる。
連続で斬り続け距離を詰めていく。少しも止まることもなく魔法を斬り消し、残るは母のみとなった。
「カスミ...」
「はあぁ!!!」
<栄光:獅子王>
張り上げた声に見合う重たい一閃。斬られた母は膝から崩れ落ち、腹部からじわじわと血が滲む。
「あ...あぁ.......」
「傷は浅くしておきました。すぐに治療も受けられるでしょうし動かずにじっとしていてください」
顔を伏せ傷口を抑える手は赤く染まっている。
「私は家を繁栄させるための道具ではありません。昔の母様は...本当に優しい方だったのに」
「く.......はぁ......」
「さようなら...どうかお元気で...」
カスミはそれだけ言うと背を向けゆっくりと歩き出す。母の情けない声が後ろから聞こえても立ち止まることはない。
「カスミちゃん~...?」
「もう行くぞ」
洗脳が解けたのを確認しエリーは魔法を解く。先ほどまで拘束していた衛兵達は魂が抜けたように地面に横たわった。
戻って来たカスミの表情を見れば大丈夫かと聞く必要はないだろう。目に光が宿り心配入らないとでも言いたそうな顔だ。
「ふふふ~」
「何を笑ってるんだ」
目を細めるエリーにカスミはすかさず突っ込む。なんだか前よりも明るくなったような気がする。和やかな雰囲気に先ほどまでの戦いを忘れてしまっていた。
それがいけなかった。
「し...死ね...」
「カスミちゃん...!」
エリーの声と同時にカスミも振り返る。強烈な殺気だ。なりふり構っていられないのが見てとれる。
貴方という人は...!
「が...か...は」
だが敵は母だけではない。倒れていた衛兵達は上体をぐにゃりと曲げて起き上がり、一斉に武器を投擲してきた。
<風魔法:雷風の槍撃>
前方からは魔法の嵐、左右と後方からは斧、槍、剣が迫り来る。魔法を斬り飛ばすべきか、だが数が多い。目の前を覆い尽くす魔法は五十を超える。
一般の魔法使いならせいぜい十数撃。この数は総司令とまではいかないが相当レベルの高い使い手ではなければ無理だろう。
エリーと協力しても防ぎ切れるかどうか。考えてる時間はない。
「エリー...やるぞ」
「ふふ~ん任せろ~」
半歩引いて身構える。お互いに背を預け合いカスミは魔法へエリーは投擲物へ目線を移す。
「カスミ様、エリー様」
「...!」
<第七感覚:神隠し>
突然現れた彼女に触れられると眩い光が二人の目に広がった。
「おぉ~...?」
「ここは...」
絶望的なまでに囲まれていた状況とは一変して周りは静かだった。ここは城のすぐ側だろう。転送装置も見える。だが、それよりも気になるのは彼女だった。
「お話は伺っております。カスミ様、エリー様。そこにある転送装置からお逃げください」
この丁寧な仕草。メイドのノアだ。青い目がこちらを見上げ、いつものように冷静な声でそう言ってくる。
エリーは助かったよ~と状況を受け入れられているが、急に景色が変わったのでカスミには少し戸惑いが残っている。
ついさっきまでいた建物の方を見ると意外と静かで驚く。あれだけの混乱があったのに外から見るとそれほど大きなことでもないらしい。
「それとカスミ様。これを」
「...?」
無表情のままエリーの相手をしていたノアはこちらへ振り返ると小さなペンダントを渡してきた。
「先日カスミ様の分が完成致しました」
「これは...」
渡されたペンダントは赤い宝石が付いただけのシンプルな造形をしていた。そして、これが何なのかは容易に想像出来た。恐らくあの訓練場でノノが使っていたものと同じだろう。
武器を魔法で収納しておきいつでも取り出せるという代物だ。確かにこのままドレスに剣という怪しい格好ではすぐに追っ手に見つかってしまう。
鞘をいつの間にかなくしていたので丁度良い。早速首にかけ武器を収納する。いとも簡単に吸い込まれて消え、テラの技術力に驚くしかない。
「すまない...助かった」
「礼には及びません。これが私の仕事ですので」
至って冷静なトーンで返される。
「それではカスミ様、エリー様。どうかお気を付けて」
<第七感覚:神隠し>
それだけ言ってお辞儀をするとノアは瞬時に姿を消した。残された二人は向き合い少しだけ変な時間が流れる。
ひゅるるる、バンッ!
「...!!」
夜空を彩る轟音。突然上がった花火に二人の目は丸くなる。いつの間にか夜の部が始まる時間になっていたようだ。
「綺麗だね~」
「そうだな」
エリーは子供の様にカスミの腕にしがみ付く。お互いに顔を見合わせもしないが自然と笑顔なのが分かる。
これが自分の望んだ道なのだ。家柄に囚われず、守りたいもののために剣を振るい悪しき者を斬る。
その剣先が例え家族だとしても守る覚悟があるなら斬らねばならない。今一度自分の剣について考える機会を持てたのは幸運であった。
「ありがとうなエリー」
「ふふふ~良いってことよ~」
花火の音が次第に大きくなっていく。たくさんの絵柄が空を覆い、目と耳が痛くなりそうだ。
「大好きだよカスミお姉ちゃん」
花火の音に紛れた小さな声。気づかないカスミの横顔を眺めてエリーは目を細めて笑った。




